2006年02月27日

肩凝りの治し方

2000年のホームページ開設以来約6年間、ビルダーで書き綴ってきた本欄ですが、今日からはこのブログ形式での日記となります。これにより、私にとってはいくつかのメリットが発生します。これまでは、私にメリットがあると、皆さんにデメリットが発生することが多かったのですが、今回は特にそのようなことはありませんのでご安心ください。むしろ暴言が売りの本欄の露出が増えることによって、私が不利な状況に追い込まれるかもしれません。
なお、この度のブログ移行にあたって、色々とご尽力頂いたS氏に感謝申し上げます。

また、ブログ形式になることによって、タイトルなるものが発生します。これまでは、テーマに縛られることなく自由に書き綴ってきた本欄も、時代の流れに則って無闇にテーマ付けをすることになったわけです。更に、改行のあとの一文字の空白を省略することになります。その代わり、段落ごとに一行の空白が入ることになると思いますが、こちらは常に意識して出来るかどうかはお約束できません。

さて、記念すべき第一回目のタイトルは、「肩凝りの治し方」。ここでそんな問題が解決されるハズが無いことはご承知とは思いますが、まあ義務だと思って我慢してお付き合いください。

私は長い間肩凝りに悩まされています。詳しく言うと、25年くらい悩まされています。容姿端麗頭脳明晰の私にとって、唯一の頭痛の種です。肩凝りのクセに頭痛の種かよ、と突っ込む方もいらっしゃるかもしれませんが、肩凝りというヤツは症状が重くなると頭痛を伴うので、あながち例えの例え違いというわけでもありません。
かく言う私などは、もうずっと肩凝りと頭痛を我慢して生きています。月末になると、肩凝りも頭痛もいや増してしまうので、地獄の苦しみです。こんな私が発見した効果覿面の幾通りかの肩凝り解消法を無料でご紹介しましょう。
1.100kmを全速力で駆け抜ける。これだけ走れば肩の凝りなど吹き飛んでしまいます。
2.100万円の札束で肩を叩く。肩凝りと100万円を天秤にかけることで、肩の凝りを忘れられます。
3.100℃の風呂に5時間入る。体中の悪いものが全て流れ落ちます。
4.100mの高さから飛び降りる。清水の舞台や東京タワーからでも可。
5.100枚の写経。そして「ほん怖」の玲子さんに送る。
私はいつも1か2で肩凝りを解消していますが、1から5まで試しても治らなかった方は、私が相談に乗りますのでご来店ください。ゆっくり優しくモンで差し上げます。ただし、20代の女性限定です。
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2006年02月23日

ロックンロールが必要だ

 今年から週2ペースで書くことになってしまったこの日記。別に誰と約束したわけでもないのに、律儀に週2で書いている自分との闘い。日頃ボンヤリと生きている自分にとっては、生きている証でもあり、絶望感の再確認でもあります。

 この頃、書くたびに思うのですが、何かが足りないのです。もちろん、テーマがない、社会性がない、文脈の整理がされていないなど沢山の欠落があることは認めますが、それ以上に大切なものが欠けている様な気がしてなりません。

 この日記には嘘がないことは誰もが認めるところで(私が美貌の持ち主だと書き続けているのに、掲示板にはそれを否定する意見が一切書かれない事からもそれは明らかである)、それはそれで大変結構なのですが、それにしても何か破壊力のようなものが足りていないような気がしてなりません。

 破壊力と書きましたが、それは何も「現金を用意しなければキサマの店を爆破する」というようなテロリズムなものではなく、また「お前も蝋人形にしてやろうか」というような悪魔的なものでもありません。もっと人間性を揺さぶるようなもので、「妄言を読み終わったあと、気がついたら夜汽車に飛び乗っていたよ」というような人の心を瞬時盲目にしてしまうような破壊力です。

 昔、良いライブを見た後などは、心がすっかり高揚して、用も無いのに一晩中ドライブなどをしたものですが、そのたびに「ロックンロールの力はすげえ」と思ったものです。そういう時は私の心は完全に破壊されていて、点滅信号やコンビニの看板なども新鮮に見えて仕方がありませんでした。そしてその後しばらくは、人間関係に疲れた同僚や、仕事に行き詰ってストレスを発散できずにいる後輩などに、「ロックンロールが足りねえんじゃねえのか」と本気でアドバイスをしたりしてしまうのです。

 ロックンロールが足りない。分かった様で分からない、本人も時々意味を失うこの言葉は、時間が経つとハレー彗星のようにどこかへ消え失せるのですが、ある日思い出したように舞い戻ってきて、脳天を直撃します。そうすると、週2で書いているこの日記も、とても無駄なことのように思えたり、自分以外の古本屋の存在がとても邪魔に思えたり、確定申告が面倒くさくなったりします。

 近頃では、舞い戻ってきたロックンロールの量が少しずつ減ってきているような気がします。まるで、減価償却されているかのようです。そのせいか、少しずつ心のスタミナが減ってきているようで、ロックンロールの価値が疑わしくなりつつもあります。なので、今年の確定申告では減価償却の欄に、「ロックンロール10万円」と記入してみようかと思っています。もしこれで、「来年からは申告をしなくてもいいです」となれば、儲けものなのですが。

 今日のはちょっと訳分からなかったですね。実は、カウンターを乗り越えようとして足を引っ掛けてしまい、頭を打ってしまいました。こんなにシタタカに頭を打ったのは32年ぶりのことです。あの時は後頭部でしたが、今回は額。おかげでもともと怪しい脳波が更に乱れてしまったようです。医者に行ったほうがいいのかびゅ~~ん
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2006年02月20日

人を見かけで判断する方法

 人を見かけで判断してはいけません。私が美形だからといって、心まで美しいとは限りません。ほんの舎(いえ)の店長が人間に見えるからといって、人間らしく生きているとは限りません。古本ペンギン村の店長が詐欺師に見えるからといって、病人や女子供まで騙しているとは限りません。掃苔(そうたい)文庫の店長が死体に見えるからといって、成仏しているはずがありません。

 人間の価値は心の美しさで決まると言いますが、上記の(私を除く)3人に至っては、心すらあるかどうか疑問です。ここまで読んで笑ってしまったあなたにだって心があるかどうか、私にはわかりません。少なくとも、当店で本を買ったことがない人は、確実に心無き人々といって間違いないでしょう。

 女性の場合は、人を見かけで判断するなと言いながらも、「若いですね」とか「美人ですね」などと見かけで良い判断をされると心底喜ぶようですし、他人に対しても「小じわだらけの」とか「厚化粧の」などと見かけで何とか判断してやらないと気が済まないと思っているようです。

 当店にたまぁに訪れるAさんは、私と同じ38歳のオバサンですが、パート先のコンビニで「Aさんはとても38歳には見えない」と言われているのが何より嬉しいらしく、私の前で何度も同じ話をします。しかし、「とても38歳には見えない。どう見ても40歳くらいの老け顔の5歳児にしか見えない」と思われているかもしれないし、「65歳以下には見えない」という事をオブラートに包んでいるのかもしれません。

 実際Aさんは、とても若くは見えないし、むしろミニラ(ゴジラの子供)が老けたらこんな感じかな、という風に見えます。Aさんを見ていると、私は高校生の時の同級生にAさんとそっくりなヤツがいたことを思い出します。高校時代の記憶が殆どない私ですが、そいつのことは(名前以外は)良く憶えています。私の記憶に強烈に残る原因となったのは、ある事件のせいです。そいつは、自慰行為の最中にアキレス腱を切ってしまい、3週間入院の憂き目に会ったのでした。一体どんな無理な体勢でのプレイを試みたのかと、クラス中が騒然となったものです(もっとも、男女共学だったので、それなりに遠慮しながら)。

 話が横道に逸れてしまいました。

 Aさんの話は一つの例ですが、おおよそ女性に限らず人間というヤツは、一番最初に見かけで判断を下そうとします。後に性格や価値観などを判断材料に加えて、人となりをイメージとして形作っていくのではないでしょうか。

 私などはよく、「そっけない」「冷たい」「悪人」「虫」「プルタブ」「埃」「古本屋」などと言われます。特に、長い付き合いの友人に言われます。友人曰く、「お前に、どこかへ遊びに行こうとか、ウチに来いよとか、誘ってもらったことがないんだよ」との事ですが、私にも言い分はあります。男なんか誘って遊びに行くのは嫌だし、ウチに呼べば冷蔵庫の中を空っぽにされるだけなので、あえて声をかけなかっただけです。もちろん、女性を遊びに誘っても物凄く遠慮されるし(これ以上誘ったら誘拐になるかもしれないという危機感を覚えるほど)、冷蔵庫の中には食べ物以外の物のほうが多く入っている(ギターのエフェクターなど)のですが。

 このように、私は性格的にもかなり一般人よりも不利に出来ていて、さらに外見はキムタク以下という致命的な欠陥があります。このような人間には、人を見かけで判断するなという言葉は、いかにもありがたい様で実は決定打に欠ける言葉です。心も見ろ、というのが加わったとしてもまだ足りません。無条件で愛しなさい、とまで言い切ってもらっても、まだ若干の不安が残ります。死にたくなかったら愛しなさい、お前は完全に包囲されている、クニのお袋さんが泣いているぞ、カツ丼食うか?的な、脅しからの一転泣き落とし術が必要なのかもしれません。

 しかしそうまでされると、世界が一瞬のうちに我が物になってしまい、それはとても面倒見きれないので、やっぱり見かけで判断してもらうしかなさそうだという結論に達するのでした。
posted by 肉王 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯れ言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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