2006年04月30日

続・くだらない話

「豊へ 13時指定 現場周辺確認の事」
例えばこういう伝言を紙に書いて机の上に貼る。勤務していた事務所には、同じ苗字が私を含めて3人いたので、それぞれの伝言は名前で伝えられた。名前を呼び合う時は、役職者が一名いたので、私と彼だけが名前で呼び分けられた。彼は私より3・4歳下だったので私の苗字を「さん」付けで呼び、私は彼の名前を呼び捨てにしていた。これにて3人の間での呼び方の形が安定していた。
私は事務職で、彼は現場。故に伝言票の殆どは私から彼へのものだった。伝言を受けたものは、その伝言票を現場の検査名簿に貼り付ける決まりになっていた。検査名簿は翌朝回収され、私がそれを元に検査結果書を作成するという流れになっていた。
彼の検査名簿を見ると、キチンと伝言票が貼ってある。しかし、「豊」の文字が×で消され、脇に「穣」と書き改められている。毎回この繰り返しだった。どちらも読みは同じだが、文字の複雑さから私はいつも「豊」と書いた。彼は別に怒るでもなく「穣」と書き改めた。豊穣という言葉から取られた名前で、意味もまあ同じようなモンだろう、というのが私の主張だったが、彼は毎度ただ黙って笑って書き改めた。

初めて彼が私のいる職場へ入ってきたときに、その言葉の訛から、すぐに岩手出身であると理解した。
私はすぐに彼に話しかけた。
「岩手出身だろ。オレも岩手に住んでたんだ。キミは岩手のどこ?」
「盛岡です」
「あ、オレも盛岡。盛岡のどこ?」
「AB舘町です」
「え!オレもAB舘町だよ。コーポIって長屋みたいなアパートに住んでた」
「あ、その隣です」
そこで私はにわかに思い出した。当時私の住んでいたところは、長屋のような借家で、その一番端の部屋だった。端の部屋なので、回覧板が一番最後に回ってくる。私はその回覧場を持って、隣の一軒家に届ける。そこは私と同じ苗字の家であった。
初めてそこへ回覧板を持っていったときに、そこの借家に住んでいる同じ苗字の者ですと自己紹介した。回覧板を受け取った女性はその家の奥さんであったから、つまりは穣の母親ということになる。そのうちに、その家にはとても美人の三姉妹がいることを知り、回覧板を持っていくのがとても楽しみになった。さらに三回に一回は何か食べ物を貰った。
その後数年して私は仙台へ戻り、サラリーマンとなった。そして2年後に、穣と会うことになったわけだ。しかし私は、あの家にまさか三姉妹以外に兄弟がいたとはついぞ知らなかった。よく見ると、確かに姉妹によく似た美男子だった。
世の中には全くの偶然というものが無数にあるだろうが、まさか自分がこんな奇怪な偶然に巡り合おうとは思いもしなかった。
穣は無口な男の子で、きつい仕事も黙ってこなす。助手の期間も、真面目な青年として評判が良く、資格を得て単独で現場へ行くようになってからも、客や業者から苦情一つ上がってこない。事務所内でも、いるのかいないのか分からないほど大人しい。
その彼が、毎度毎度「豊」を「穣」に訂正するのが妙に可笑しく微笑ましかった。そしてまた、それだけが私と穣のたった一つの交流だった。
過去、何の巡り合わせか、偶然に同じ苗字のものが隣同士に住み、お互いあちこちを流転した結果、今また偶然同じ職場で働く間柄であったが、それだけを拠り所に必要以上に人間関係の距離を詰めるには至らなかった。人間関係の距離を詰めるには、もっと他の何かが必要だ。ただお互いに、奇妙な共通点には特別の感慨があったことは確かだ。
職員旅行で山形へ出かけたときに、同じ苗字のもの三人で撮った写真がある。誰かが気を利かせて撮ったものだろう。その中で、穣はあまり見せたことの無い笑顔を見せている。何がそんなに可笑しかったのか、今となっては知る由も無いが。
穣はある年の5月に、仙台港で波にのまれてしまった。
それは、ゴールデンウィークが明けてすぐの土曜日だった。穣が波にのまれてしまった同時刻、私は映画館で岩井俊二の「ラブレター」を観ていた。それも同姓同名と死んだ恋人をモチーフにした映画ということで何やら象徴的ではある。
翌日の日曜に、新聞で穣が波にのまれて行方不明になったと知った。新聞にはさすがに「豊」とは書いていなかった。
翌日から事務所では大騒ぎになった。偉いさんたちは事件後すぐに招集がかかったらしかったが、平職員は何も知らされておらず、月曜になっても知らないままの者もいた。
穣はその日、盛岡から遊びに来た友人を連れて、海を見に行っていたのだという。サーフィンが趣味の穣は、普段あまり海を見る機会の無い盛岡の友人に海を見せに行ったのだろう。ところが、その日の海は荒れていた。防波堤の縁まで波が押し寄せ、余りに危険なので、普段は無鉄砲なまでに命知らずの釣り人もさすがにいなかったらしい。サーフィンをやるほどの人間が、何故そんな状況で海へ行き、さらには沖へ向かって伸びる防波堤の突端まで行ってしまったのか。
大波が来たといって慌てて二人で岸壁まで走ったが、スレスレのところで友人は岸に倒れこみ、穣はあと一歩のところで防波堤を乗り越えた大波にさらわれてしまったらしい。

遺体の捜索は難航を極めた。探せど探せど見つからない。二日経ち、三日経っても見つからないまま、とうとう一週間が過ぎた。
ずっと立ち会っていた両親が気の毒だった。久しぶりに会った母親は、「ああ、あなたはお隣の」と言ってニッコリ笑ったが、私は目を合わせることができなかった。
やがて、今日駄目だったら捜索を打ち切ろうとなった。その時、母親が「最後に防波堤のテトラポットの下を探してくれ」と言い出した。そこにいなかったら、もう結構だ、と。
そこはもう、何度も何度も探した場所だっただけに、捜索隊は何を今さらと思ったらしいが、遺族の気持ちを思えばそんなことは口が裂けても言えない。言われた通りにテトラポットの下へ潜り込むと、穣はそこにいた。

五月晴れの火葬の日、穣の個人的な友人が3人列席していた。一人は恋人だったらしい。棺にすがりつき、号泣していた。私も泣きたい気分だったが、火葬の前に上司からひとつ仕事を頼まれていたので、泣いている場合じゃなかった。
「穣のアパートから両親の荷物を持ってこなくちゃいけないんだ。アパートの場所を知っているのはキミだけだから、行って来てくれないか」
私の車に、どうしても穣の部屋を見ておきたいという親戚の女性が同乗するという。では、とエンジンをかけようとしたら、どうしたわけかバッテリー切れでうんともすんとも言わない。こんな時に、と思ったが、こんな時だからこそなのか、とも思った。
やむを得ず別の車で穣のアパートへ向かった。
初めて入る穣の部屋は、綺麗に整頓されていた。もともと物が無かったのか、それとも両親が片付けたのか。それでも、幾日か前まで確かに穣が暮らしていた気配があった。ここの若き住人が今、火に焼かれていると誰が想像できるのか。
テーブルの上には、開かれたままのノートがあった。見ると、穣の字で、様々なことが書いてあった。それは落書きのようでもあり、日記のようでもあった。
「現場キツイ 鉄板の蓋重い G・W疲れた ○子からCD 熱い熱い ・・・ ・・・」
それらは穣のつぶやきにまぎれた本音だ。普段あまりしゃべらない穣のもう一つの側面だ。 
水に漬けられ、火で焼かれ、か。この世で地獄的な体験をしたんだから、あの世ではさぞ幸せになるだろう、と同行した親戚が言った。

火葬場へ戻る帰り道で、ずっと前を走っていたトラックの荷台から、一枚の大きなダンボールが風にあおられて舞い上がった。おや、と思う間も無く、それは滑り込むように路上に落ちて、あろうことか私の車の下に潜り込んできた。それをタイヤかシャフトが巻き込んでしまった。ハンドルの自由を失い、私は慌てて車を止めた。車体の下を覗き込むと、案の定ダンボールが絡み付いていた。
今日はバッテリーだのダンボールだのと車のトラブルが続くなあ、と親戚の手を借りて引き出すと、それは何かの商品を入れていたものらしく、太い字で「豊穣」と書いてあった。
親戚がうーんと唸った。私は親戚以上に唸った。何故なら「豊」の字には刃物で削ったような傷痕があったからだ。
うーん、そうかぁ・・・。清々しい五月の陽光の中で、二人ともしばらく動けなかった。
そのまま火葬場に着くまで、二人はむっつりと黙り続けた。車から降りる時、親戚が、あのダンボールの話は、と唇に人差し指をあてた。
私はうなずいたが、本音は誰かに言いたくて堪らなかった。しかし、我慢しているうちにダンボールのエピソードそのものを忘れてしまった。

毎年ゴールデンウィークが始まるたびに穣のことを思い出していたが(忘れていた時もあるが)、今年はどういう訳かダンボールのエピソードまで思い出した。
結局一度も「穣」と書いてやれなかったが、今頃になってようやく穣からそれの許しを得たような気になったので、思い切って今回書いてみた。
人によっては、くだらない話かもしれないが、わたしにとっては結構重要な話だ。実はこういう事が、いつも書いているくだらない話の根幹になっていて、いつものくだらなさに続いているのだ。よってタイトルに「続」と付けたのであって、正編があるわけではない。また、いちいち書かなくてもいいとは思うが、決して穣のエピソードがくだらないものであると言っているわけではない。
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安野光雅・三木卓「らんぷと水鉄砲」



安野光雅・三木卓「らんぷと水鉄砲」を読む。
つゆむしが、アイスクリームを食べるくだりでハタと止まる。
・・・つゆむし?
つゆむしってナニ虫だ。辞書で調べると、キリギリスのことらしい。よく見ると。挿絵にはカボチャに乗ったキリギリスが小さく描かれている。
私はものを知らないので、ちょっと気の利いた本や映画や旅行が苦手である。基本的なものを知らないと楽しめない、というのが世の中には沢山あり、それらを遠ざけて歩こうとすると、テレビやギャンブルやケータイ電話など単純な娯楽しか手に入れられない。
そうなると、テレビも見ないギャンブルもやらないケータイ電話も持たない私はまさに虫の如き生活をせざるを得ない。
食って寝るだけ。あまり潤いが無い。

サラリーマンだった頃、年に一度か二年に一度、職員旅行というのがあった。その時、九州や沖縄へ行ったのが自分にとっては最高の遠出だ。しかし、私の場合は風景を楽しむよりも古本屋を探し、それが無ければなじみのあるバス停や道路標識やコンビニなどばかり見ていた。つまり、自分が住んでいる土地との共通点を探して安心するというわけだ。
雑誌やテレビで外国の話を見たり聞いたりするのは好きだが、だからと言って現地へ行きたいとは余程のことがない限りあまり思わない。むしろ日常の中で、まだ自分が知らないことを埋めることの方に腐心する。
そういう性格だから、読む本も空想的なものよりも身の回りの事象を拾い集めた内容のものを好む。
それだったら余程日常的なものに精通するかと言うと、決してそうではない。
「そうめんや、ひやむぎを食べる」という記述に当たったりすると、「そうめんとひやむぎは別のものだったのか」と驚愕するのだ。

この本は、日常よく目にする食べ物や道具をテーマにして思い出話を綴ったものだ。中には今ではもうお目にかかれないような懐かしい物もある。
店先で日向ぼっこをしながら、あっという間に読み終えてしまった。中々に良い本であった。
posted by 肉王 at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ブックレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最下位を祝う

店の再開を決めた二日後の今日、この欄は「ブログランキング」にて最下位に落ちた(1000位までしか表示されないうちの1000位になった)。これもひとえに皆さんのご支援の賜物であると信じて疑わない。
再開も最下位もひらがなでかくと「さいかい」であるところが暗示的である。私は霊もUFOも信じないが、暗示的なものは受け入れることにしている。
まあ、それだけの話だ。
posted by 肉王 at 12:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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