2006年10月29日

「絶望者たち」公衆便所にて

追われて辿り着いたのか、逃げて流れ着いたのか、私は今、公衆便所にいる。
オフィス街の高層ビルに囲まれた50坪ほどの暗く小さな公園に設けられた古く汚い公衆便所には、裏切られた男たちと奪われた女たちの怨念が吹き溜まっていた。建物内の蛍光灯は弱く緩く明滅し、まるで不意の侵入者に何かを訴えているようだ。加えて何年も清掃されていないための悪臭が、私の不安な心と敏感な鼻腔を容赦なく殴打した。
外壁に塗りたくられている無軌道な若者たちの残した無数の禍々しい落書きは、内装にまで及んでいて、ここが定期的に彼らの暗黒の集会所になっていることを物語っている。
時刻的には、闇を好む若者たちが穴から出てきそうな時間ではあるが、幸か不幸か今夜は雪が降っている。便利な都会の環境に慣れきった軟弱な若者たちが、この雪の中をわざわざ這い出してくるとは思えない。
しかし、私を追っているものたちならば話は別だ。例え鉄の玉が降っていようとも、私を追って血の雨を降らせに来るだろう。
本来ならば、こんな都会の死角にいつまでも留まっているべきではない。こんな死角にこそ、ヤツラの目は光っているのだ。
先日、絶望岬でHITした老人のことが、一切ニュースになっていないのも気になっている。私が撃ち抜いた老管理人は、一般市民だったはずだ。であれば眉間を撃ち抜かれた変死体として、何らかの報道があってしかるべきだ。
あの老管理人は、一体なんだったのか。もし追っ手だったとすれば、あの時の私の選択は正しかったということになるが・・・。

だがしかし、現在は余計なことを考えていられる余裕が無い。私は今、激烈に腹が痛い。勿論、私のような立場のものにとってこんなことは何でもないことだ。いつどこでナニがあってもいいように、準備に怠りはない。
私は個室に入り、脱いだコートをドアのフックにかけた。和式便器なのが誠に遺憾ではあるが、こと公衆便所においてはやむを得まい。
私は素早く的確に位置について用便を開始したが、この和式便器での用便はかなり不安だ。体勢が無防備に過ぎるのだ。しゃがむ、という基本的な体勢の不利に加え、下半身がむき出しという行為が、屈辱的なまでに決定的に不測の事態たらしめている。
聞き及ぶところによると、野生動物でも排便時が一番生命を危機に晒している瞬間だという。まさしく、といわざるを得ない。こんなところをヤツラに襲われたら、私ならずともイチコロだ。
「あんた、逃げてきたね」
薄暗い闇から響く、突然の問いかけに私の膝がガクリと揺れた。
「だ、誰だ?」
「ワシはしがない公園管理人だ」
「その管理人が、私に何の用だ」
私はうろたえつつも、声の主の気配を探った。だが、この位置では探る範囲が限定される。何はあれ、上を見ざるを得ない。と、そこには隣の個室から覗きこんでいる初老の男の顔があった。
「用があるのは、おまえさんのほうじゃないのかね」
「馬鹿を言うな。貴様などに用はない。早く引っ込め」
「ふふん。その大きな態度も、いつまで持つかな。その個室には紙がないのだ」
「ははは。気様ら管理人はだから馬鹿だというのだ。私がそんなことすら予測できていないと思うか。みろ、このポケットティッシュの数を。どう少なく見積もっても2回分はある」
「ホゥ、逃亡者にしては用意がいいな」
「私は逃亡者ではない。こうして常に不測の事態を予測しているのがその証拠だ」
私はこれ見よがしにポケットティッシュを掲げた。気分はワールドカップの日の丸掲揚だ。ニッポン万歳。経済大国万歳。環境破壊万歳。
「逃亡者ほど、様々な不安に怯えて無駄な準備をしているものさ。そうして肝心なところが疎かになっているというわけさ」
「なんとでも言うがいいさ。とにかく人のクソを覗くのは止めろ。見られていると、ケツが寒々しくなってフン切りが悪くなる」
「まあ良かろう。ワシとて、臆病者に付き合うほど暇じゃないからな」
老管理人は可可と笑って頭を引っ込めた。
ヒタヒタと静かな足音が退場を物語っていたが、出入り口付近で音が途絶えた。私はホッとして残りをひり出しかけていたが、すぐに男の足音が不自然な旋律を繰り返していることに気が付いた。
「何をしているんだ。とっとと消えろ。アヌスがオドオドするじゃないか」
「いやな、やはり伝えておいて方がいいかと思うんだが」
「一体何なんだ貴様は」
「このトイレを得体の知れないヤツラが取り囲んでいるんだが、おまえさんに関係のあるヤツラかね」
ナナナ、ナニー!こんなところで追い詰められたのか。
「それとな、そのトイレは水が流れない」
全く何てことだ。泣きっ面に蜂とはこのことか。私は自分のけじめもつけられないままヤツラと対峙する羽目になるのか。私は腸内の取り残しにいささか不満を覚え、拭く手もそこそこにズボンを上げた。
内懐から銃を取り出し、弾倉を確認する。だが、あの絶望岬の一件以来、一度も使っていないのだから残りは4発であることは分かっている。問題なのは、こいつらに不発が無いかどうかだけだ。しかし、そんなことは実際に撃ってみなけりゃ分からない。
「老人、外にいるのは何人だ」
私はコートを着込みながらドアの外の老管理人に尋ねた。
「・・・4人いるようだ」
私は、「沢山」か「2・3人」という大雑把な答えしか期待していなかったが、管理人は夜目を利かせて正確に数えたらしい。情報は正確なほうがありがたいに決まっている。その点では管理人に感謝すべきだが、それにしても4人とは・・・。残弾と同じ数ではいかにも分が悪い。
「正面の植え込みに2人、このトイレの後ろに1人・・・後は・・・」
私がドアを開けると、老管理人はトイレの出入り口から顔を半分覗かせて、外の様子を窺っていた。
「残りの一人はどこだ、老人」
私は拳銃を握り締めると、素早く老管理人の脇に走りこんだ。
「ここだよ」
管理人がにやりと笑って振り向いた。その目は獲物を捕らえた死神を想像させた。私がハッと身構える間も無く、凍てついた空気の中に濃色の分厚い粒子が破裂したような閃光が走った。
閃光をまともに食らった私の目は視界を失い、死神の目だけが残像として浮かび上がった。
私は死を覚悟した。
この機にヤツラが雪崩れ込み、そして数十秒後にヤツラが去った後の私は、ただの骸になっているのだ。
人生の最後が汚い公衆便所だなんて、いかにも絶望的でいいじゃないか。
そう思いながらも最後の抵抗くらいはするさ。私は文字通り盲目撃ちで引き金を一度絞った。コンクリート製の公衆便所内に銃声が大きく木霊した。
手応えがあった。
しかしそれは、霧の中に浮かび上がる交通標識のように微かだった。
ややあって、むぅ、という唸り声とともに肉塊の崩れ落ちる音を聞いた。
「やっぱりおまえさんは臆病な逃亡者だ」
私の目が元の機能を取り戻すと、老管理人は自分の血液で真っ赤に染まった胸を揉むように握っている。その脇に、大型の懐中電灯が転がっていた。閃光の正体はこれだったのか。
老管理人の喉から、吹雪のような息が漏れている。それはまるで荒い息の中から、死神が断末魔の叫びを発しているようだった。
私はすぐにヤツラが雪崩れ込んでくると予想していたが、何故かその気配もない。この間を利用して死神の足を掴んで奥へ引きずり込んだ。足元を整理していないと、何が災いするか知れたもんじゃない。ましてやまだ息のある死神を側になんか置いてはおけない。
すぐに出入り口に陣取り、外の気配を窺うが、人の気配など微塵もない。ただ深々と雪が降り積もっているだけだ。
どういう訳だ。
私は死神の脇にしゃがみこみ、血に濡れた頭髪を鷲掴みにして、顔を上げさせた。
「どういうことだ。外には誰もいないだろう」
私の問いに答えようとした死神は、一度咳き込むと大量の血を吐いた。
「一番奥の扉を開けるとバケツがある・・・そいつで水を汲んで・・・クソを流してから帰れ」
「貴様は追っ手なのか」
「ワシはただの・・・管理人だ」
「ただの管理人が、何故私を欺いた」
「ポケットティッシュってヤツは曲者でな・・・拭くときは破れやすいクセに・・・うう、ゴホ・・・流しても水に溶け辛いんだ」
「だからなんだ」
私の問いに、老管理人はニヤリと笑うだけだった。
私は老管理人をゴロリと投げ出し、立ち上がった。水なんて流す気はサラサラないところを、虫の息の老管理人に見せ付けたかった。
公衆便所から踏み出す刹那、老管理人の最後の言葉を背中で聞いたような気がしたが、不意に吹きつけた風に流されて、聞き取れなかった。
「オチが無いとは、つまりこういうことさ」
雪が横面を叩き、襟元から喉を切り裂くかのように滑り込んでくる。
私はコートの襟を立て、歩き出した。
このまま追われていてはキリが無い。
ここは一つ、闇医者の「ナマナカ」の元を訪れてみようと思った。
posted by 肉王 at 00:00| Comment(0) | 絶望者たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月28日

チョコボーイ山口発見!

本日は用事があるので、チョコボーイ山口でも見て良い子にしててくれたまえ。













posted by 肉王 at 22:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

「絶望者たち」岬にて

私は今、真冬の日本海を望む岬の突端に立っている。
この岬の名は、絶望岬というらしい。岬の入口に建てられた碑に書いてあったのだから間違いない。
一際大きい夕日が水平線に飲み込まれるように沈みかけているが、これを見たくて立っているわけじゃない。
「ああ、いつの間にかこんな所まで来てしまったか」
容赦なく吹きすさぶ風に身をすくめ、コートのエリを立てた。
追われるうちに辿り着いたのか、それとも逃げて流れ着いたのか。そう問われれば、私は間違いなく前者であると答えるだろう。
内容は同じようでいて、少し違う。そう思うのは、私のプライドのせいかもしれない。
私は確かに追われているが、決して逃げ惑っているばかりではない。誰も信じてくれないだろうが、私は私なりに闘ってきたのだ。

一際強い風が私の足元を襲った。
その刹那、闘うために前に進んできた私の足が、逃避に向かうかのようにやや泳ぐように揺らめいた。
負けるもんか。
ヤツラにだけは負けるもんか。
口にこそ出さないものの、私はその言葉とともに心を新たにした。
「おまえさん、逃げてきなすったね」
不意に背中から声を掛けられて、私はいささか狼狽した。これまで、緊張の中に生きてきたこの私が、背後の気配を見落とすなんて。
咄嗟に振り向いた私に殺気がみなぎっていたせいか、声の主はややたじろいだ様子だった。声の主は、50歳ほどの背の小さな男だった。男は、更に言葉を続けた。
「どこから逃げてきたのか知らんが、そこから先に道は無いぞ」
「私が逃げて来ただと・・・」
「違うかね」
男は小さな掌で風を遮りながら、煙草に火を点けた。
口から吐き出された煙は霧散し、夕景の中に消えた。
「私は逃げてなぞいない」
「オレはこの岬で、30年間管理人をやっておる。その経験で言わせてもらえれば、おまえさんの背中は、逃亡者のそれだよ」
「確かに私は追われている。だが、逃亡者じゃない。これがその証拠さ」
私は内懐から拳銃を取り出して構えた。この男が、私を追っているものではないと言い切れない以上、私には戦闘態勢をとる必要がある。
「なるほど。だがしかし、その拳銃の銃口は果たしてオレに向いているのかな。ひょっとしたら、おまえさんの心に向いているんじゃないのか」
「私に何の用だ!」
私は男の言葉に一瞬狼狽したが、それを見透かされないように、大声で訊ねた。
「臆病者の拳銃なんぞ怖くは無いが、臆病者だけに危なっかしい。それをしまいなよ。オレはおまえさんを追っているわけじゃない。さっきも言ったように、ただの管理人さ」
「その管理人が私に何の用だと聞いているんだ。場合によっちゃあ、今日が貴様の定年退職の日になるぞ」
ゴウ、と風が私に体当たりを食らわせてきた。銃を構えた右手が大きく振れた。
「オレの仕事は、大きく分けて二つある。岬の清掃と、自殺者の報告だ。少ないながらも観光客の訪れる場所だから、それなりに汚れる。そいつを綺麗にすること。そして、時々血迷って岬のてっぺんから飛び降りるヤツがいる。そいつを警察と役所に報告することさ。もっとも、後の方だって、ある意味清掃作業だろうがな。ハッハッハ」
「なるほどな。それで、今からどちらの仕事をしようというんだ。清掃か、報告か」
「さあ、そいつはおまえさん次第ということさ。おまえさんが素直に帰れば清掃だし、風に巻かれて一緒に飛び降りれば、報告の後、清掃。となるってわけだ」
「そのどちらも必要ないな」
私は引き金を引いた。発射音は風に押し流されて、小さくくぐもった破裂音だけが響いた。
弾丸は狙い通り、男の足元に着弾した。土埃が、見る間も無く風に流された。
男は冷静な目で着弾を確かめ、フッと笑った。
「おまえさんの拳銃は、照準が狂っているようだな。オレが昨日『ジャパネットたかた』で注文したピッチングマシーンのほうが狙いは確かなようだ」
「馬鹿を言うな。今のは警告だ。次は貴様の脳天をぶち抜く。すると貴様は注文したばかりのピッチングマシーンを使えなくなるってわけだ」
「そんなことになったら、たかた社長は誰から代金を受け取るんだ」
「たかた社長のためにも、大人しく姿を消すべきだな。そうして、ここで私を見たことを忘れるんだ」
「うーん。だが、もしオレが帰った後に飛び込まれると、面倒なんだ。お役所の報告ってなあ、書類が何枚も必要でな。警察からは何度も事情聴取を受けるしな。おまえさんがどこの誰で、本当に自殺なのかどうかって具合にな」
「私の知ったことか。私は自殺などしない」
「いやあ、みんなそう言うんだよ。何べんそれに騙されたか・・・とにかく、死ぬなら死ぬで構わないんだが、出来れば身元が分かるもんと、遺書があると助かるんだ。そうすると、オレは書類に『自殺者1名・確定・遺書有り』と書くだけで済むんだ」
「さすがにお役所仕事だな。動機を書き込む欄は無いというわけか」
「まあ、書類上で処理するんだから、面識の無い人間の自殺動機なんか関係ないさ。遺書だって開封しないからな」
男がまたニヤリと笑った。同時に風が止んだ。
男の手が、内懐に伸びる。私は引き金にかけた人差し指に力を込めた。
「慌てるなよ」
男はゆっくりと懐から手を抜いた。
その手には、一通の封筒が握られていた。
「何だそれは」
「・・・遺書だよ」
「遺書だと?どういうことだ」
「つまり・・・」
男が口を開いた瞬間、私の緊張の糸が切れた。・・・ような気がした。私の拳銃が再び火を噴き、男の頭部が弾かれたように揺らぎ、上体がのけぞった。
そんなつもりじゃなかったとは言わないが、そのつもりがあったとも言えない。黒か白か結果がどう転ぶかはともかく、判断よりも選択が優先したとしか思えない。きっと出来心で万引きをするヤツの心境ってのは多分、こんな感じなんだろうな。
「おい!HITしておいて言うのもなんだが、生きてるか?」
当然生きているはずが無い。これ以上ないほど綺麗な即死だ。しいて言えば、着弾位置が右眉側に1センチずれていたので、死ぬ瞬間にやや不快感を覚えたかもしれないということくらいだ。
私は男の死体を脇に投げ出して、手に握られたままの遺書をむしりとった。
あれだけ私の自殺を止めていたのは、役所や警察の煩わしい手続き以外に何か理由があるはずだ。
それとこの遺書に何か関連性があるのかもしれない。
しかし、開封した遺書には、白紙の便箋が一枚入っているきりだった。
「なんだこれは」
そういえば、役所も警察も遺書の内容なんか確認しないと言っていたが、それと関係があるのか。それとも、この白紙の便箋に好きなことを書いて死ねとでもいうのか。さっぱり分からない。
私は便箋を放り投げ、風に背を押されるように、来た道を辿って岬を降りた。すると、来る時には気が付かなかったが、松林の中に小さな管理事務所を見つけた。事務所の裏手にはプレハブの住居があり、小さな明かりが灯っていた。
私は明かりに一瞥をくれただけで、道路からはみ出すことなく真っ直ぐ歩いた。その時、一台のワゴン車とすれ違った。横目で車体の文字を追うと、赤い色で「ジャパネットたかた」の文字があった。
すまんな。
私は「たかた社長に」詫び、また追っ手の姿から身を隠すべくコートの襟を立てた。
「オチがないとは、つまりこういうことさ」
誰にともなく呟いたその言葉もまた、風に流された。
posted by 肉王 at 22:13| Comment(0) | 絶望者たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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