2008年07月17日

嘘って言やあさぁ

前回に引き続き、また嘘の話ですよ。
まあ雰囲気で言うと、
「嘘って言やあさ、こんなのはどうだろうね」
というような流れだと思ってくれたまえ。

そもそも、子供のころから「嘘をつくことは良くないぞ」と教えられて、ムクムクニョキニョキと人は大きくなっていくわけだ。まあ、確かに嘘は良くないよね。
「この株は絶対儲かります」とか「あなたの髭がとっても素敵」とか、明らかに相手を騙して、その結果何かをせしめようとする嘘は良くないやね。
一方では、謂れのない問いに対するやむにやまれぬ嘘なんてのもありますな。
「ええかぁ?ええのんかぁ?最高かぁ?」という笑福亭鶴光のような問いに対して、「とっても素敵ぃ〜」というのは、ある意味優しさ込みの社交辞令として、悪い嘘だとは中々言えない(いやむしろ言いたくない)。
悪い嘘ってのは、先にも書いたように、自己の「利益を得よう」とか「立場を良くしよう」という姿勢からヒリ出たものだと思う。
詐欺事件などを聞いたり観たりするたびに、ひどい話だなあと思うじゃないか。
しかし、オレが一番「酷いなあ」と思うのは、誰かの嘘を信じてそれを広めてしまう人なんだよね。
例えば、近頃では円天事件なんてあったけれど、あれがあそこまで被害を広げた原因のひとつに、「嘘を信じて知人を巻き込んだ人」がいるからだろう。
「知らなかったんだから」という人もあろう。仕方ないじゃないか、と。
でも、本当にそうか。それってかなり無責任じゃないのか。
知らなければ、何をやってもいいわけじゃあるまい。
自分の無見識とうかつさを棚に上げて、自分も被害者だなんて言うやつを許せるか?
例えば、オレの店に毎週来る「エホバの証人」の女性二人。
片方は親が信者だったために自分も生まれながらに証人だというAさん。
そしてもう片方は、ここ数年のうちに信者になったBさん。
どちらも人間的にはまったく悪い人ではないのだけれど、悲しいことにお二人とも無教養で、その上に思考停止状態だ。
近いうちに世界は滅びて、神を信じる者たちだけが死後に再生して楽園に行けると信じている。
「だからあなたも神を信じなさい」というわけだ。
Aさんのほうはまだ若く、考え方もどこか柔軟なので、オレのヨタ話を聞いて笑っている。おこがましいことを言うようだが、最初に来たときからは大分姿勢もくだけて、よく喋るようになった。
しかし、Bさんのほうはもうガチガチで、オレを何とか懐柔しようと躍起になっている。とはいえ、知識や解釈にゆとりが無いせいか、こちらの質問にまともに答えられなくなってきている。
「祝福ってなに?」「魂と霊の違いってなに?」という問いだけで混乱して、その度に疲労困憊して「宿題にしてください」と肩を落として帰っていく有様だ。
これがこのところ「盲約聖書」の更新が滞っている理由のひとつだ。
まあ、それはいい。
ここで問題なのは、宗教という嘘に盛り込まれた矛盾を考えようとせずに、ただ言われたことをそのまま口伝しようとするから、受け取る側(オレのような第三者のこと)と解釈において齟齬(そご)が生じるのだ。
誰かが「神はいる」と嘘をついた。それを聞いた人間が検証もせずに「その通りだ」と思う。そしてそれを広めていく。
この場合、最初に「神はいる」といった人間よりも、広めた人間のほうに問題があると思うのだ。
実は本物の嘘つきというのは、あまり能動的ではない。何故かというと、誰かにそっと囁くことで、それが次々とそして確実に広まっていくことを良く知っている人間こそが、上等で性質の悪い本物の嘘つきになるからだ。
何故か人は、燦々と降り注ぐ太陽よりも、ガラス越しの明かりのほうに真実味を覚えるようなのだ。
だから例えばオレが、「河合奈保子と膳場貴子と冨田靖子が好き」と言ってもあまり興味をもたれないが、「隣の坂本さんが言ってたけど、あの古本屋の店長は河合奈保子と膳場貴子と冨田靖子が好きだから結婚しないらしいよ」と誰かが言っていたのを聞いたほうが話に興味をもたれるのと似ている。
だからオレが河合奈保子か膳場貴子か冨田靖子と結婚しようとしたら、わざわざ街頭に立って一席ぶつよりも、福島のいわき市で馬鹿みたいに辛いから揚げ弁当を作っている店長にそっと囁くほうが効果的なのである。そして三人の中であえて誰か一人をあげるとすると、冨田靖子になるのだが、いやそうじゃない。そうじゃないんだ。違うだろうが。
いかんせん、他人の嘘を鵜呑みにしてしまう人間というのは、罪が無さそうな分だけ性質が悪いもので、マスコミに踊らされてエコだエコだと騒いでみたり、市民活動にのめりこんでみたりと世の中に騒乱を巻き起こす。そういう人たちは何でも本気で信じているから、なおのこと扱いに困る。
奈保子を扱うのだったらどんなにかいいのにと本気で思う。靖子だったらもっといいのにとも思うし、貴子だったら毎晩でもいい。
そうじゃない。そうじゃないんだってば。
まあね、「オマヘが好きだ」という嘘を信じているのは可愛いもんだし、「あなたって素敵よ」という大嘘を死ぬまで信じるのも結構だ。「高価買取ですよ」と言うだけなら言わせてもいいじゃないか。「今回の唐揚げはぜんぜん辛くないですよ」と言うのも、まあアリだろう。肝心なのはそれを誰かに吹いて回らないことだ。
人は人にしか嘘をつかない。嘘をつかれるというだけで、人間として扱われているとも言える。だが、自分がつかれた嘘はあくまでも自分だけのものだ。それを誰かさんに手渡す必要は無いだろう。
「ああ、自分はあの人に嘘をつかれたわ」
そういう思いが、実はちょっとだけ幸せな気分だということもある。
そんな幸せ気分で食べた唐揚げがやっぱり酷く辛くて、翌朝アヌスが正直に痛いという時に、ほんの少し怒ればいいだけだろう。
「謝れ!オレのアヌスに謝れ!」
posted by 肉王 at 03:13| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

あなた今、嘘をついていますね?

なんだか、突然暑くなってきました。
真夏の生まれのクセに、夏が嫌いなオレとしては、もう「貸してないけど金返せ!」ってな心境です。夏が来るのは勝手だけれど、気温を上げるのはよしてほしいもんですよ。まったく、自然のヤツラめ。
近頃じゃ、季節を問わずにちょっと気温が上がったりすると、すわ地球温暖化なんて騒ぐのが流行みたいです。
そして、「だからエコでよろしくな」と続くのが通例ですよ。
まあ、オレの感覚から言うと、馬鹿じゃねーの?ってもんですが、でもそれを声高に叫ぶと、「おめーのほうが馬鹿じゃねーか」と言われてしまいますよ。
オレがエコに疑問を持ち始めたのはいつ頃からだったでしょうか。
きっかけは、「なんで企業と国が同じ事を言ってやがんだ」と思ったことでしたよ。普通はさ、企業が利益追求のあまりに発生させる公害なんかに待ったをかける意味で、国が規制をかけるもんで、いつも企業と国ってのは立ち位置が対立するもんじゃないか。
なのに、エコの話では企業も国も同じ論調でモノを言うのは不自然だと思わないかね。
そこから悶々と想像力を掻き立てると、なにか怪しい構図が浮かんでは来ないかね?
単純に考えると、まず企業がエコを売り物にして消費者を騙してカネを巻き上げると、必然的に国としては税収があがるからウホッっていうのが最初に思い浮かびますな。
近頃のコマーシャルではだんだん図々しくなってきて、「まだ乗れる車だけれど、エコのために買い換えよう」とかやってるのもありますな。廃車が増えたらエコどころの話じゃないとは思わないのかね。
まあ、キミタチ愚民どもにも大いに問題があって、割り箸だのレジ袋だの二酸化炭素だのに煽られて、他人や他国に目くじら立てるくせに、一方では自分の消費も激しすぎるんだよね。
例えば、レジ袋なんかそうじゃないか。
あれはうちの店でも使っているけれど、あの袋は店舗用商材専門店に行くと、100枚で500円くらいで売っている。単価で考えると一枚5円だ。でもそれは100枚とか少ない枚数だからの値段であって、スーパーやコンビニなど大量に消費するところではもっと安い単価で買っているだろうと思う。恐らく一枚1円か、ひょっとすると50銭程度まで下がっているかもしれない。
まあ仮に1円だとして、千枚で1000円。三千枚だと3000円か?間違ってないか?
で、キミタチ愚民の皆様が買ったエコバッグはいくらだった?
まさか5000円なんてしないかもしれないけれど、でもあれが出始めのころ、有名メーカーのやつで2万5千円ものが売られたこともあったよな。とはいえそれは特別な例として、普通は大体1500円くらいだろう。
と言うことはだ、そのエコバッグひとつで、千五百枚のレジ袋が買えるわけだ。千五百枚のレジ袋っていうと、一日一枚使ったとして、おおよそ4年分か。あんた、そのエコバッグを4年も使うか?もし毎年買い換えたりしたら、それって本当にエコなのか?
・・・という話なのだけれど、ちょっと頭のいい人は、この考え方が大嘘なのに気がついたよな。
つまり、オレが言ったのはあくまでも原価計算で「元が取れるかどうか」の話であって、エコなんか関係ないということさ。小島よしお的に言うと、エコそんなの環境ねえ、というわけだ。
エコを問うなら原材料の話をしないと駄目なんだね。エコバッグひとつで、何枚のレジ袋が作れるかと。
でも、言われるまで気が付かなかったという真の愚民のキミ。なに、気にすることはない。キミの様な人々が世の中には多くいて、企業と言うのはそういうキミタチをだまくらかして金儲けをしているのだ。
もちろん、それがすべて悪いとは思わないよ。企業は利益のためならさまざまなロジックを用いるさ。事実ではないけれど、嘘でもない話を撒き散らして、消費者を煙に巻くのだよ。
一方では「エコだー」と言いながら、もう一方では「新製品の携帯電話だー」と言って、その二つを連結させるとキミタチが飛びついてくることを、企業は良く知っているというだけのことだ。
まあ、その辺のテクニックは宗教と一緒だね。
個人の身に降りかかったトラブルや病気を、前世の因縁だの神様の降臨だのに結び付けて、信じさせる。無教養な人間や思考が停止しやすい人間なんか、イチコロですがな奥さん。この壺はよう効きまっせぇ。
話が横にそれたけれど、企業と国が同じことを言う不自然さってのは、よく気をつけておいたほうがいいと思うよ。昭和の公害病や薬害なんか、いい例じゃないか。
現段階ではオレにもはっきりとした確証はないけれど、今オレたちは、エコで騙されていると思うよ。
一番気をつけなきゃいけないのは、マスコミだろうと。あいつらがエコを叫ぶのは、スポンサー様のご意向だからね。
オレは反エコ派だから、テレビでよくエコ番組を観るんだが、なぜかそういう番組では、エコを叫ぶCMがほとんど流れないんだよね。
なんでかなぁと考えたら、答えは至って簡単だった。
番組内でエコエコ言った直後のCMで車の宣伝すると、視聴者は「エコエコ言ったって、排気ガスの出ない車なんてありえないだろ」と言うことにすぐ気が付いちゃうから。そうすると、企業の詭弁が露呈しちゃうじゃないか。まあ、キミタチは気が付かないかもしれないがな。
だから、エコとはあまり関係ない番組のときに「エコでーす」とタコ八郎のようにシャシャリ出るほうが効果があるってわけだ。
「あーオレは、こんなくだらない番組ばっか観てないで、エコのためにクルマ買い換えなきゃな」と錯覚させるんだろうな。そうでしょうきっと。丸見えじゃないか。ええ、奥さん。恥ずかしいところまで丸見えですがな。
二酸化炭素、結構じゃないか。植物のためにもさ。もっと出そうよCo2。大体オレたちは原料を加工しないと生きられなくなってしまったのだよ。食物連鎖の輪から抜けた大昔から。身の回りを見てみなさいよ奥さん、全部加工品だら毛じゃないですか。ええ?どんな恥ずかしい毛なんですか。どこに生えている毛なんですか?
そこで「久しぶりにブログ書いたと思ったら、こんな馬鹿なことを」とか思いつつニヤニヤしているOLのあなた。あなただって騙されてますよ。通販で買った「エコでキモチいいおもちゃ」なんか、嘘ですよ。エコでキモチいいなんて、そもそも意味わかんねーだろが。電池が切れてんじゃないのか?ん?電池が切れたらキモチよくないし、もう動かないからって捨ててしまえば、ゴミになるだろ。
なんだ?何の話だ?
何の話だったんだつーの?
posted by 肉王 at 02:48| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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