2008年11月21日

玉が袋を右往左往

金銭的に貧しくなると、人はそれを貧乏と呼ぶ。
また貧乏話かよ!といわれるかと思うが、まあそう言わずに聞いてくれ。オイそこ、黙って座れ!
貧乏といってもそれ自体には罪は無い。路上に転がっている石のようなもので、不注意でつまずくヤツもいれば、上手く避けるやつもいる。中には好きで拾い上げるヤツだっているだろう。
悪いのは、貧乏に取り込まれたことを不幸だと思うことだ。
貧乏を不幸だと感じる気持ちはオレにも良く解る。貧乏で幸せを感じることなんてあまり無いからな。しかし、少し考えてみると、幸せじゃないから不幸だということにはならないだろう。
満腹じゃないから空腹というわけではないし、病気じゃないから健康だというわけでもない。馬鹿じゃないから利口だというわけでもないし、赤くないからシャアじゃないということでもない。
ところが、貧乏な立場で周りを見ると、どいつもこいつも幸せそうに見えてしまう感覚は確かにあって、「チクショー、何でオレだけ貧乏なんだ。綺麗な服着たヤツが憎い」という荒んだ気持ちに陥りやすい。
いつの頃からか日本は豊かになって、戦後のように貧乏横一線状態じゃないし、最近じゃ貧富の差もかなり広がっているから、金銭的な面においては相対的な物の見方がしやすくなっているのも確かだ。
少し前には一億総中流意識とかなんとか言われていて、金持ちではないけれど貧乏でもないという生ぬるい状態に自分を置く事が出来たものだが、今は「年収200万円以下はワーキングプア」などといわれて、自分の立ち位置を数字で明確にされてしまった。
そのせいで「以下」に分類されてしまった人間は、否が応でも貧乏を意識せざるを得なくなってしまった。
ならば、自分の位置を認識したことを今後の糧にするなりすればいいのだけれど、多くの貧乏人は誰かのせいにして、八つ当たりをしてばかりいる。
ボロは着てても心は錦、という気持ちさえあれば、恥ずかしくも悔しくも無いはずなのだけれど、それでもボロは着たくない、隣の金持ちと同じものが欲しいとしか考えないから、どんどん自分を追い込んでしまう。
オレとしては、そういう人間は、その時点ですでに病んでいると思うのだが、世間ではまだ許容範囲としてとらえている。つまり、自分の貧乏の憂さを晴らすために他人に八つ当たりするところまでは
当たり前だという判断なのだろう。
自分の無能を他人のせいにして八つ当たりしている閑があるなら、その憂さを仕事に向ければいいのに、貧乏人の多くはそれをしない。それをしないからいつまでたっても貧乏なのか、それとも、もともと無能だから貧乏なのか、それは解らないけれど。少なくとも、憂さをどう扱うかが貧乏からの脱出の分岐点であるのじゃないかと思う。

今日の夜に終わったオレのオークション。
キャンディキャンディの付録10数点を一つにまとめたもので、1500円からスタートした。
それが、終了間際になってグングンと値を上げて、結果17500円になった。
これだけ書くと、ただの自慢なのだが、オレの場合はそうは行かない。
最高入札者はなんとただのイタズラで、しかも評価欄と掲示板を使って、思いっ切り憂さ晴らしをしていった。

終了直後の掲示板の書き込み。
keijibanx.jpg

貧乏で買えない人間の歪んだ理屈には到底付き合えないし、こういう知能指数40〜50程度の貧乏人の言い分を聞くために、わざわざ階段を下りるのもごめんだ。

評価を知らせるメール。
mail.jpg

日本が不況なのは良く解っているが、その不況を生んでいるのは、働く能力を放棄している貧乏人も原因の一つだといえる。そういう貧乏人が、わざわざ金持ちに混ざってオークションに参加すること自体間違っている。
断っておくが、オレもまぎれも無く貧乏人だ。年収200万とか数字で明確化されるまでもないほどの貧乏人だ。だからブツブツ言いながらもこうして宣伝活動たるブログをだ、夜中の3時にもなろうかって時間に一生懸命書いているわけだ。おい、聞いてるか?いや、ちゃんと読んでるか?宣伝活動なんだよ、これは。そこんとこ重要よ、みなさん。アンダーライン引いて欲しいくらいにね。
なのに、だ。キミタチはなんですか?みんなの心のアイドルたるオレ様がアップアップしているのに、見てみぬふりですか。今日も本は買いませんか。政府が国民に小遣いをばら撒くといっているのに、まだ財布の紐はカタ結びのままですか。オレに水一滴も漏らしてくれませんのですか。勝手に小便漏らしてろとか言いますか。ああ、そこまで言いますか。
勿論ね、このブログをチラ見しているだけのキミタチは、オークションで憂さ晴らししている病んだ貧乏人よりかは、1000倍マシですよ。でもね、それで喜んでたり満足してたりしちゃダメなのよ。
オレは、「糞虫より1000倍マシだ」と言っているんですよ。
糞虫の1000倍っていったら、小クワガタのメスくらいですよ。怒ったか?怒ったね?オレだって怒ってるんですよ。1000匹の糞虫って言われないだけマシだと思ってくれよってくらい怒ってますよ。
あんまり頭に来すぎて、右の玉と左の玉が入れ替わっちゃいそうですよ。
重ねて言っておくけれど、オレは酔ってないからね。
酔ってないから困ってんだこっちは。
八つ当たりされているキミタチはもっと困っているだろうけれど。
ボロは着てるし心は病気、歩く姿はホームレスなんですぅ、オレはぁ!
痛い痛い痛い!玉は左右行ったり来たりしないんだ。無茶すんな!

あーもう、とにかくだ、貧乏で心まで病むな。
病んだ貧乏人は社会の迷惑だから。
posted by 肉王 at 02:58| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月17日

「死ぬ直前日記」になりませんように

ふと気が付くと、積み残した案件が山積みになっていた。
「盲訳聖書」の続き、「番付頂戴」の続き。
どうなってんの?ねえ?
聖書に関しては、ほぼ読んでしまったのだが、結局大したこともなかったのだよ。ズバッと言うと、失望したのだよ。
毎週ウチにきているエホバの証人のあまりの底の浅さに、なんでそんなに短絡的にモノを考えられるのかと疑問だったのだけれど、聖書を読んでみたらその理由が良く判った(ような気がする)。
結局は、聖書に書いてある突飛な例え話を、言葉通りに受け取っているだけの人達だったのだ。
普通に読書をする人であれば「これは比喩だな」と解釈するところも、そのまま額面通りに解釈する。
例えば我々は「星が降る夜に・・・」と言うようなことが書いてあれば、星がキラキラと瞬いている光景を想像するが、彼等は違う。本当に星がざあざあと降ってくると考えるのだ。
だから聖書に書いてあるどうでも良いような良くないような訳が判るような判らないような預言なども、そのまま真実として受け取っている。
これじゃあ、一般の人間とは話が合うはずがない。
せいぜい閑で屁理屈の好きな古本屋くらいしか相手にしてくれないだろう。
何かを信じることというのは、なるほど結構大切なことだが、それを妄信するあまり客観性を失ってしまっては大変だ。
ここではたまたま付き合いのあったエホバの証人を例に取っているが、言ってみればどんな宗教であれ政党であれ同じことだ。
神話はあくまでも神話であり、公約はただの公約であるのだ。
そばにおいて時々いじくってみるのはいいとしても、抱きついてねんごろになるようなものじゃない。
どんな言葉や行動にも真実はあるが、その真実は必ずしも一つばかりではないのだ。
キリストは口が達者で上手いこと言うヤツだが、その親といわれているエホバは人間をじゃんじゃん殺して回ったとんでもないヤツだ。読みようによっては、キリストは親の尻拭いをするために苦労したとも考えられる。
聖書の中だけの真実を取り上げると、エホバがこの世を創ったということ、キリストが東奔西走したという真実がある一方で、エホバが自分の意(価値観)にそぐわない人間を何十万人も殺したという真実があり、キリストの口車のせいで新しい価値観を生み出せなかった民衆たちの悲しみという真実もある。
それなのに、片方の真実には目をつぶって、都合の良い方、もしくは聞き心地の良い方だけの真実のみを抱き寄せるというのは、まったくみっともないといわざるを得ない。真夜中の吉野屋で並盛牛丼を食べている孤独な古本屋並みにみっともない。

ただ、エホバの証人たちで唯一評価できるのは、「断るともう来ない」という淡白さだ。彼等は心の中では「エホバを断るなんて馬鹿な人だわ」と悪し様に罵っている事だろうが、少なくとも態度には表さない。
一方、日本で有名なのは、国内人口のおよそ10%が入信していると噂される「総科学会」(字が違うようだが、上手く変換できないので勘弁してくれ)だが、彼等は勧誘行為に関してはかなり暴力的だ。断るときにはかなりの覚悟が必要で、場合によっては身の危険すら生ずる場合があるらしい。何せ数が多いから、払っても払ってもきりがなく、こちらの体力が先に消耗してしまうようだ。
噂を聞く限りでは、ただの集金宗教としか思えない団体なのだが、何故か法律的にも保護されていて、総理大臣ですらまともに抗えないことが伺える。
今回の定額給付金だって、20兆円もばら撒くとか言っているが、その10%は信者経由で団体に集金されてしまうことが目に見えている。これは政府による合法的なお布施じゃないのかと考えてしまうのはオレだけなのか。景気対策になるかどうかの議論よりも先に、暴力団はじめ(構成員経由組長行き)、特定の団体の資金になってしまうことを危惧するべきじゃないのか。
もしも、どこかを経由することにより確実に貧しい古本屋に収まるルートがあるのならば大変結構なのに、どこをどう探してもそのルートは見つからない。いっそ、20兆円はオレ経由でキミ達のもとに渡るように法律をつくるべきなんじゃないかとすら思う。
もしもオレが本当の神様ならば、カネに限らず何でもかんでもいったん全部オレのもとに集める。その上でオレが納得できる公平さでもって分配する。それこそが真の神の在り様だ。
エホバにせよその他の神様や教祖や組長は、必ず信者や構成員のものを巻き上げるように出来ているところが嘘臭さの元凶なのだ。
まあ、そうは言っても、今回の給付金は様々な手続き上、いったんキミ等の手元に渡さざるを得ない。
しかし、それは全部オレのものだと知っておく必要がある。
いっそブッチャケて言ってしまうが、もう本なんか買わなくていいから、それそのままこっちに寄こせ。
posted by 肉王 at 02:49| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

そこから先のそのまた先

YAHOOのニュースの見出しを読んでいて、少し気になった事がある。

・中3女子を殺人未遂で追送検=180メートルひき逃げ-大阪府警
・3キロひき逃げの容疑者、詐欺で執行猶予中「必死に逃げた」

どちらもひき逃げのニュースなのだが、なにかこう、陸上競技のニュースにも見えないだろうか。
「180メートルひき逃げ」
「3キロひき逃げ」
まあまあ、不謹慎なのはよく分っているが、そこは勘弁してくれ。オレから不謹慎を取り除くと、何も残らないから。
もっとも、これらのニュースを2ちゃんねるで見てみると、もっと不謹慎だ。
曰く「すりおろし」だと。
もう言葉だけでとても痛いじゃないか。
確かに、180メートルならともかく、3キロも引きずられたら「使う角が決まっている消しゴム」状態になっていたことだろう。
考えただけで胸がムカムカする。
胸がムカムカと言えば、近頃オレは食事の後に決まって胸ヤケがする。歳をとって、脂っこいものが食べられなくなったせいじゃないかと思うのだが、だとしても独身男が安く気軽に食べられる食事なんて脂っこいものばかりしかないものだ。
たまには草でも食わないと調子が戻らないのだろうか。
なんかちょっと心配だ。
その辺の草なんかひょいひょい千切って食ってもいいのだろうか。
まあ、雑草程度でそう簡単に死にはしないだろうけれど、腹を壊してこれ以上みっともない状態になるのはごめんだ。
こういう時には大根などすりおろして食べるといいのだが、美味しい大根まではまだちょっと間がある。
じゃあ人間でもすりおろして食べようか、と犯人が思っていたのかどうかは不明。続きを読む
posted by 肉王 at 02:32| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。