2009年02月28日

日頃お疲れの皆様へ

やあどうも。

疲れているかもしれないキミタチに、野村監督から愛のメッセージです。
posted by 肉王 at 00:05| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月14日

スカイセンサーとクーガーではどっちがベリカードなのか

やぁ、どうも。
自分がブログなんてやっていることをすっかり忘れていましたよ。
まあ、誰も読んでないから関係ないけどね。

ところでキミタチは、ルェイディオなんか聞くかね。
いまどきのヒトタチはやっぱりテレヴィジョュンばっかり見るんだろうね。オレは、若い頃からよくルェイディオを聞いていたんだけれど、あまり真面目に聞いていなかったから、どんな番組が好きだったとか聞かれると困るんだけれど。
聞くのはもっぱらAMで、FMはあまり好きじゃない。
FMはなんかわざとらしくてうるさいよね。たかがステレオ放送だってだけで気取ってやがる感じがにじみ出ていて、どうしても友達になれない外見重視の下級生みたいだよ。
それに比べてAMは、なんでも鍋に入れて食べちゃおうって感じが、近所の下宿の貧乏浪人生的で親近感に溢れていていいよね。

ガキの頃は「夜のドラマハウス」と「欽ドン」が好きだった。
中学生くらいになると、仙台でも民放のFM局が開局したりして、一時的に騙されていたりもしたんだな。でも、やってる内容に奥深さがなくてつまらなかった。
エアチェック(放送をカセットテープに録音すること)にはもちろんFMが最適なのだけれど、こっちが希望する曲なんてめったにかからないし、時折かかったとしても、あと1秒でエンディングが終わるってギリギリのタイミングにDJがかぶさってきたりして何の役にも立たなかった。
まあ、そんなことはどうでもいいんだが。

AM放送は各地方に色々あって、仙台だと東北放送ということになるね(NHKを除く)。
夜の番組の多くは東京のネット中心だけれど、昼の番組は地方制作で、中身は地元密着で罪の無いもので構成されているね。
番組内容は季節ごとに多少改変されてはいても、画期的なほど大きく変わることはないわけで、それはそれで安心感もあるというもの。スポンサーとか聴取率とかそういうものに対する心遣いなのか、突飛な内容になることは無いようだね。
それだけに、長く聞いている割には印象に残る番組というのが無いのもムベなるかなということ。
そんな中でも一つだけ忘れられない番組があった。
あれは東北放送が製作した番組だと思うのだけれど、時期は多分1995年頃で、土曜日の夕方に放送されていた番組の1コーナー。
仙台在住の演歌歌手で庄司なんとかというおばちゃんがいるのだけど、このおばちゃん、ものすごく訛っているんだよ。そのおばちゃんに、英会話を習わせようという無茶な趣向のコーナー。
講師の外人は真面目な人なのに、おばちゃんはものすごく投げやりで、全然勉強にならない。
例えば、「The people have the cause of the misgovernment.」という文章を読ませるとする。
「なに?なんだっつってんのっしゃ?ざ・ぴーぽー・はばざ・こーず?なに?なんどがってがい?あっはっはっは。もうなんだがわがんねすぺや」
という具合だ。
外人講師はだんだんイラついてくるのだけれど、ぐっと我慢しているのが良くわかる。根気よく繰り返すけれど、3回目くらいでもうどうでも良くなって、「あーはい、そうですね。もうそれでいいです」とか言ってしまう。もしくはおばちゃんと一緒になって「あっはっはっは」と笑ってしまう。
いずれにせよ番組自体はグダグダで終わってしまう。
オレはもう、このコーナーが大好きで、土曜の午後という若い男にとってはアダルティックな時間のTIMEを至極くだらない笑い(しかも後に何も残らない)のために費やしていた。
いつかまたこういう面白い番組に出会えないものかと、日々東北放送を聞いているのだけれど、残念ながらあれほどの番組には出会っていない(もっと正直に言うと、偉そうにこんなことを言うほど聞き込んでもいないのだけれど)。

最近では、昼の番組で、中学生が「人権」をテーマにして書いた作文を読んでいた。
まことに言いにくいのだけれど、オレは「人権」というヤツが嫌いだ。
必要無い、とまでは言わないけれど、エコと一緒でそれを商売にしているやつらが多すぎるのだ。しかもヤツラは声がでけえ。
障害者や被差別部落に生まれた人々の苦悩は良くわかるつもりだし、それを否定するつもりはさらさら無い。
けれど、人権商売のヤツラが好んで使うロジックに、「例えば障害者ね。障害があることは悲しいことだけれど、それは障害ではなく、個性として捉えて欲しいの」というのがある。これは人権屋が広めたものだと勝手に決め付けているのだけれど、これって随分酷いことだとは思わないか。
「障害があるから気を遣え」というのならば分る。そりゃあ、当たり前のことだから言われなくても気を遣う。万事オレより優先されても文句なんか言う気は無い。人類絶滅の際に、地球脱出用のロケットの空席だって譲ってやる。
けれど、「障害は個性だから」と言われると、どうなるか。
オレに言わせると、「個性だっていうのなら、オレにはそれを拒否する権利もあるよね」ということになる。
パーソナリティというのは全くホントに千差万別で、人間関係の根幹を成すものの割には漠然としているくせに、それでいて絶対に妥協できない成分を多く含んでいる。
あの上司は仕事が出来る。でも嫌いだ。
あの部下は仕事が出来ない。でも気に入っている。
あの古本屋は犯罪者だ。でも気に入っている。
あの古本屋は精錬潔癖だ。でも大嫌いだ。
例を挙げればきりがないが、ことパーソナリティの部分に焦点を絞れば、それを受け入れるか拒絶するかは全く個人の思想信条の問題で、他者から強要されて受け入れるべき性質のものではない。
「障害は個性である。そしてキミはそれを拒否できない」となったら、じゃあこちらの人権はどうなるの?ということになる。
人権屋の言う人権は、ごく一部の環境にいる人間のためのものであり、万人のものではないと思っている。
企業が撒き散らしているエコと同じだ。エコなんだから買え。これこそがエコなんだから、ワシラが天然資源をゴシゴシに加工した商品をジャブジャブ買いくされ!エコを否定するのは人非人だ!と言うのと同じだ。まあ、その糞ロジックにまんまと乗せられているダレカサンタチにはちょっと嫌なものの言い方かもしれないね。ごめんね。

オレの知り合いに渡(わたり)という人がいる。
渡さんは名前を部一(べいち)という。
続けて書くと、渡部一となるので、人からはワタナベハジメさんと呼ばれてしまう。
しかし本名はワタリベイチなので、渡さんはいちいち否定しなければいけないわけですよ。
否定された方にとっては至って常識的な読み方をしたのに決然と否定されて釈然としないし、渡さんにとっては名前を誤読されて釈然としない。
この場合、人権の針はどちらに振れるかというと、当然渡さんのほうに思いっきり振り切れるはずなのだけれど、人権屋の理屈だと「渡さんはお金持ちだから」という理由で相手方に振れてしまい、悲しいかな渡さんは名前を誤読された上に賠償金までせしめられるということになる。
話が分り辛いので困っちゃうね。
まあ、簡単に言うと、現代の人権は地球人のためのものではなくガミラス星人のものであり、地球人は有無を言わさず地球を明け渡さなければならないと言うことだ。
ガミラス星人にすれば、「いやいやいや、征服じゃなくて共存したいんだけど」と言うかもしれないけれど、そんな考えは人権屋には通用しないのね。ガミラスの人権のため、それによって生まれる利権のため、ガミラスはジャンジャン遊星爆弾を発射しなければならない。
これにエコ屋が入り込むとさらに大変だ。ガミラス星人が住み良い地球にするためにも、イスカンダルのコスモクリーナーDを持ち帰ろうとするヤマトなんかとんでもない、ということになる。
「放射能がないとガミラス星人は生きられないんですよ。ごらんなさい、ガミラス星人の子供たちが泣いています。子供たちの明るい未来のためにも、コスモクリーナーDなんか持ち込まないでください」

またこんなことを書くと、「人権を蹂躙されている人間を宇宙人呼ばわりするのか」という人もいるだろうけれど、その考えそのものが人権屋のプロパガンダに侵されている証拠だ。
一度押されて引っ込んだ側にはもう人権は無いのだから、地球人と宇宙人の立場なんて表裏一体。ガミラスに追われた地球人が、今度は人権を叫ぶ番になったに過ぎないのさ。
だったら人権なんて考えないのも一つの手かもしれないじゃないか。平和を望むのは戦争があるからという理屈もあるだろう(正しいかどうかは別として)。差別が駄目だという名目で差別教育をするのは結構だとしても、その結果、差別を無くそうとして法律を作るのが、一番被差別者とそれを生業にしている者にとって大打撃になるのと似ているじゃないか。
「差別をしたものは法律で罰せられます。これによって日常での差別は人権の手を離れます。だから実社会においての被差別者待遇は打ち切りとします。安心してください。もうあなた方を差別する者はいません」
ああもう、こんなことになったら全然儲かりませんよね。
というかね、本当に差別されている人と、人権を叫んでいる人って、全く無関係なことが多すぎないか。
障害者・部落・罹患・職業・性別・民族・・・色々差別はあるんだろうけれど、実際に差別を受けている人間たちが、誰かの商売道具にされているのって気味が悪いし、それこそが問題をややこしくしているんだろうね。

とまあ、間違いだらけではあるけれど、昼日中から人権問題の作文なんか朗読されると、そんなことまで考えちゃうわけだよ。
テレビなんか目と耳を使うから、脳みそなんか全然動かなくなるんだけれど、ラジオって、耳からしか情報が入ってこないから、脳みそがヘンな具合に活動するよね。
そうと分っていながらラジオばっかり聞いているオレは、やっぱりどっか頭が変なんだろうね。
posted by 肉王 at 00:45| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。