2010年03月28日

それを使うようじゃオシマイよ

やあどうも。

重さを間違っていませんか、と問いたい。
キミタチに。
この場で。
今まさに。
here and now!

世の中にはちゃんとした人がいる一方で、ちゃんとしたバカもいる。
目明き千人メクラ千人とかいうのとはランクが違う。
単にバカなんだろうけれど、それがもうちゃんとしているだけにタチが悪いかもしれないです。
例えば、立ち入り禁止の場所に無理矢理立ち入って怪我をするヤツなんてよくいるね。そんなところで奮う蛮勇があるのなら、選挙に立候補するとか街頭募金活動に加わるとかすればいいのに、そういう勇気は無いらしい。
例えば、自分のバカ息子が体育の時間にひざを擦り剥いたといって学校に怒鳴り込む親なんかもいるね。そんな行動力があるのなら、暴力団の事務所に立ち退き要求でもすればいいのにね。

確かに物事には優先順位があるから、選挙よりも立ち入り禁止だったり、暴力団より我がバカ息子って気持ちは分る。
生命や生活の危機に直面するより、手っ取り早くスリルを味わったり誰かをやり込めて鬱憤を晴らしたりしているほうが気持ちがいいよね。
でも、それは時と場合によるだろう。実際に立候補すれば演説のために立ち入り禁止の場所には行かないし、暴力団と睨みあえばバカ息子のひざ小僧のなんか擦り切れようとめくりあがろうと関係ないものだ。
ただ、オレがいつも気になるのは、飛行機に乗った際の会社側の対応だ。
客室乗務員がニコヤカに現れて真っ先にするのが、墜落した時の話だなんて、どうかしているとは思わないかキミタチ。
救命胴衣の使い方とか、酸素マスクがぶら下がってくるとか、穏やかじゃない話から始まるんだぜ。
これから仕事に向かう緊張感とか、新婚旅行に向かうイチャイチャ感とか、客の様々な感情よりも、まずは墜落時の注意事項が大事なのだよ。
例えば、キミタチがなけなしのカネを握り締めてレストランに行ったとしよう。そこで、注文の品を堪能する前に、この料理で食中りを起こした際の注意事項を淡々と述べられたとしたらどうかね。
厳しい入学試験をクリアして入学した学校の入学式で、校長の挨拶が不祥事で退学後の身の振り方だったらどうかね。
古本屋を訴えようとして頼んだ弁護士が、裁判で負けたときの手続きの話だったらどうだ。
入院する前に医者から、助からなかった時の葬儀社や寺の手配を先に申し込まれたらどうだ。
飛行機以外のケースでは、誰だって「テメエ!ふざけんな!」と目潰し攻撃の一つもするはずだろうに、なぜに飛行機の時だけシュンとしているのか。どうかすると、とてもありがたく聞いていたりはしまいか。
そんなの変だろう。ふざけんな客室乗務員め!このブス!と言ってもいいんじゃないか。
ところが、「じゃあこの話は止めましょう」なんて言われると、いや是非に続きをお聞かせくださいませアテンダント様ぁ、などとヒヨってしまうのだろうな。もう、堕ちる話をしてもらわないことには怖くて飛行機なんか乗れたもんじゃない程にね。
そもそも、飛行機が堕ちれば中の人たちはおよそヒトタマリも無い。過去の例を振り返っても、墜落したけれど救命胴衣とか酸素マスクのお陰で助かった、などという話は聞いたことが無いじゃないか。
つまり、堕ちたら死ぬのに、堕ちる話を聞きたがっているというわけなのだ。
本来なら客室乗務員は、救命胴衣だの酸素マスクだのを指して、「基本的に使わないものですので、使える時に使える状態にある人にだけご説明します」とだけ言えばいいのだ。勿論その時に乗務員が生き残っていることが前提だけれど、そもそも乗務員が死んでしまう程の事故なら、素人の乗客などヒトタマリもあるまいて。
だというのに乗客たちは、使いもしない救命胴衣や酸素マスクの話を聞き入り、どうかすると我が命よりも大事に扱わねばならぬとか、少なくとも隣の客の命よりも自分のための胴衣やマスクの方が大事なものなのだ、とまで思いつめてしまうのだろう。

そういう精神というのは、企業系の自己啓発セミナーに通って、逆に身も心も病んでしまったり、学んだことをそのまま世間に撒き散らして迷惑をかけたりするのと似ている。どうにもバランスがおかしいのだよね。相手のいないシーソーを無理矢理しているようなもので、そこに座っている自分よりも、向かい側に誰も座ろうとしない現実の方が間違っているように感じてしまう。
そういう、物事の順序を取り違えた感覚というのが、一般的に多くなっているんじゃないかとかなんとか、思ったり思わなかったりしながらもう眠くなった。
posted by 肉王 at 03:00| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

シカナナとヨンカシチ

やあどうも。

鵜呑みにしてませんか。
何かを。
「日本は日本人だけのものじゃない」とか「ナボナはお菓子のホームラン王です」とか「アナログ放送は2011年7月までだ」とか。
巷間流布された確証の無い噂話や、先人たちのうっかりした言い間違えとか、広辞苑に書かれた例文など、そのまま鵜呑みにして引用してませんか。
4を「よん」と読むか「し」と読むか。7を「なな」と読むか「しち」と読むか。
これは単に音読みか訓読みかという問題ではなく(いや、もしかするとそれだけの問題かもしれないけれど)、実は正しくないことをそのまま何の疑いも無く生卵は体に良いからと思い込んで10個も20個も丸呑みするような愚行であるかもしれないのだよ。

キミらくらいの年齢になれば、もう九九などは諳(そら)んじることが出来るはずだが、だからといって、40歳以上の人間であれば必ず諳んじる事が出来るわけではないのだということを考えたことはあるか。
不思議なもので、年齢とともに9の段・8の段といった順番で怪しくなってしまうのだ。このままでは45歳になるまでには2の段すら言えなくなってしまうかもしれないのだ。
と、まあそれはいい。
例えば、4の段を海に向かって叫ぶ時に「よんにがはち、よんさんがじゅうに、よんよんがじゅうご」とは言わないだろう。古来より、「しにがはちしさんじゅうにししじゅうはち」と言ってきているはずだ。
キミらの大の苦手の7の段だって「ななにじゅうにななさんにじゅうさん」とは言わない。この場合は「しち」と発音するベシと教わったはずだ。
ところが昨今では「し」や「しち」は聞き間違いを防ぐ意味で「よん」「なな」に置き換えられるケースが増えている。7時を「ななじ」と言っても、まあよし、なのである(ヒゲのベイチ氏は許してくれないが)。
特に軍隊では「し」や「しち」は明確に「よん」「なな」と置き換えられているはずなのだ。
「敵機接近、七時の方向」を「しちじのほうこう」と言ってしまうと、1時だか8時だか分らなくなるので、そこは五十六さんもその辺キビシク「ななじと言え」と教育していたはずなのだね。

それでまあ、何が言いたいのかっていいますとね。
「よん」と「し」、「なな」と「しち」って、どうやって使い分ければいいのかってことですよ。
七転八倒は「ななてんばっとう」とは言わないのに、七転び八起きはなぜ「ななころびやおい」なのか。そもそも、七転び八起きの状態って、最初は立っている状態なのか転んでいる状態なのか。八回起きるには、八回転ぶ必要があり、七回しか転んでいなければ七回しか起きることはできないのだ。
図に描いて考えれば分りやすいのだけれど、

|_|_|_|_|_|_|_|

|を起きた状態、_を転んだ状態として考えると、確かに数では七転び八起きで合ってはいる。しかし、最初の立っている状態を(左端の|)を果たして八起きの一つとして勘定してよいものなのか。ことわざの望む意味として、そこを勘定に入れてもいいのか!
「八起き七転び」ならばいいだろうが、それではことわざのニュアンスが、「人生山あり谷ありだよね」というヤレヤレな感じにランクダウンしてしまわないか。
「何度転んでも立ち上がれモマイラ!」という本来の主旨から、大きく格下げになってしまうじゃないか。
ことわざ的には、

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こう言いたいわけなんだろう。
ただ、これだと最初が転んでいる状態だから、それまでずっと寝ていたのか?という不本意な指摘を受けざるを得ないから、あえて立っている状態から始まり、「お、これだと七転び八起きでゴロもいいじゃん」と形式的な体裁を採用したわけだろう。官僚的な発想ではあるけれど、感覚的には間違いじゃない。
そう考えれば、七転八倒の転びっぱなしの苦しみの様も理解できる。
ま、以上は余談だよね(今、気がついた)。
問題なのは、「しちてん」と「ななころび」の違いだよ。
「ななてん」とか「しちころび」とは何故言わないのか。
例えば少し訛りのある人が、七時半を「ななんじはん」と言っても、「キミは岩手の出身かね?」と言われるだけで済むのに、四時前を「しんじまえ」と言ってしまうと「てめえ後で第7倉庫の裏に来いよ」などと凄まれてしまうのだ。
この辺の理不尽をクリアにするために、是非とも「よん」「し」「なな」「しち」の置き所をはっきりとさせて欲しいのだ。
そうでないと、「だいしちそうこ」だか「だいはちそうこ」だかよく聞き取れなくて、「だいいちそうこ」だったかもしれないとか、面倒くさいし痛そうだから行くのやめようとか思ってしまうのだ。
こういうことというのは、結構ストレスの溜まることだと思う。

で、そういうストレスを抱えたまま、ベイチ氏の「18日に行くからよ」という言葉を信じて待っていたのだね。
でも来なかったのだね。
最初は「17日(じゅうしちにち)」だと聞いていたから、一日中緊張して待っていたけれど結局来なかったから、「18日と聞き違えたか」と思って翌日もよりいっそう緊張して待っていたのに、結局18日も来なかった。
もし彼が「じゅうななにち」と言ってくれれば、二日間も緊張感に見舞われたまま過ごさずに済んだというわけだよ。
日本が日本人だけのモノじゃなかったり、ナボナがホームラン王だったりしても、それは信じた方の問題であるし、事実、現代の日本はどうやら日本人のものではなくなりつつあるし、ナボナは美味い。それは事実だ。
そしてまた、ベイチ氏のオレに対する厳しい仕打ちも、昔から変わらぬ真実の姿勢なのだった。
posted by 肉王 at 03:00| Comment(5) | 戯れ言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

今なら名作

やあどうも。

東北地方にまた地震が来ましたよ。
昨日の日記で「地震がさあ」って書いたばかりなのに、もう次が来ましたよ。
震度4の大揺れが、長いこと長いこと。日頃クールなボクも、ちょっとドキドキしましたね。
一人だったら知らん顔して点描でも描いていたところですが、日曜の午後とあってか、珍しく店内には女子高生などおりましたからね、二人で手に手をとって誰も追いかけてこない北の街まで逃げましたよ。
世間ではホワイトデーなどといって、浮かれ騒ぎくさってSEXだのSEXだのSEXだのに現を抜かしていたことでしょうが(この辺がバブル世代の安い価値観の発露)、神も仏もありゃしない古本屋には関係のないことですよ。
こうまで地震が続くと、来年の日本地図からは東北地方が消え去っている羽目になるんじゃないかと、今から楽しみですよ。

今日は特に書くこともないので、島本和彦の「アオイホノオ」でも読んで寝ますよ。この漫画、5年後はどうか知らないけれど今なら名作ですよ。
posted by 肉王 at 03:04| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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