2010年07月26日

I FEEL 水



やあどうも。

謂れの無い!
いわれのない!
謂れの無い仕打ち!というものに、キミタチはどのくらい耐えられるかね。
ガンダムに乗れるのは自分しかいないとしても、こう続けての出撃では精神的に参ってしまう。
「もう怖いのヤなんだよ!」
そう言いながら目を真っ白にしてしまうような、そんなヤワなキミたちには、オレが先だって味わった謂れの無い仕打ちに耐えられる自信はあるかな。

その日(7月23日)は、宮城古書組合の交換市でしたよ。
暑い暑い日でしたよ。
立っていても座っていても寝ていても汗が流れる、暑い日でしたよ。
振り(オークションみたいなもの)に出したオレの本は、みるみる安く競り落とされ、汗だか涙だか分らないものがシタタリ落ちた。
まあ、それはいいのさ。
どうせオレなんか足元を見られる人生だからね。
交換市が終わると、みんなで会場の後片付けをする。誰がどんな役割りなんてことはなく、気が付いた人が目の前の机や椅子を片付けたりする。オレは計算とか調整とかそういうのが相撲取り並に苦手だから、誰がやってもいいけれど誰もやりたくないようなことをやるしかないわけです。まあ、早く片付くならそれでいいし、できることが限られている人間としては、自分にも出来ることが残されているのは結構ありがたいものです。奇麗事でなくてね。まあ、日頃会社でゴクツブシ扱いされている人なら、この感じは解ってもらえるだろう。
そんな仕事の一つに、ゴミ捨てがある。
昼食で出た弁当の殻や飲み物のペットボトルを持ち帰って、しかるべき場所に捨てる仕事ですよ。
これもね、できれば自分がやってしまいたい仕事の一つなわけです。正直に、全然イヤじゃない。車が多少ゴミ臭くなるけれど、一時のことだから。
それでね、その時もいつものようにゴミが出たので、いつものように持ち帰ったわけです。ただ、いつもと違うのは捨てる場所が決められていたこと。生協から取り寄せた弁当なので、生協のリサイクルボックスに捨てることになっているんだそうです。
場所は会場から近いし、店まで持ち帰らなくて済むのですから、モッケの幸いですよ。しかも、今回は捨てやすいようにあらかじめ分別されていましたから、楽勝です。英語で言うところのザッツラクショーです。
それでね、指定の場所まで捨てに行きました。
行きましたとも。
すると、リサイクルボックスの前で、お茶だか紅茶だかの屋台販売をしていました。口に入るものを売っているすぐ後でゴミを捨てるのは、なんとなく気が引けましたが、だからといって販売終了まで待っていたら、きっと生協の閉店時間まで待たされることになるでしょうから、一言断りと詫びを入れてから捨て始めました。
弁当殻も飲み物のペットボトルも、おおよそ20個ずつありました。弁当のほうはあらかじめ分別されていましたから、鷲掴みにしてそのままホールインワンですが、ペットボトルの方はそうはいきませんしたね。アレはボトルとキャップは別々に入れなくちゃイケないんだそうで、ボックスの注意書きにも、威圧感たっぷりに「分ってんだろうなオマーラ?ン?」的なことが書いてあります。しかもすぐ脇では屋台の店番をしている生協職員が目を光らせています。
その目だって、「不正行為許すまじ。犯人はお前だ。お前以外にいない。動いたら撃つかんな」と言っています。
日頃、反エコの旗を掲げているオレだって、そういう状況の中で、いやもっと本音を言えば、人が一人でも見ている前ではそんな旗をこれ見よがしに振りかざすことはしないのです。死ぬ覚悟が出来ている人間だって、率先して「殺してください」と言わないのとは違うけど似ています。
だから、一本一本取り出して、キュルキュルとキャップを外しました。
すると、ここで大問題が発生しました。
それは、飲みかけのままキャップをされたボトルの存在です。
「こ、こいつぁ・・・」
最終決戦のア・バオア・クーを前に息を飲むカイ・シデンのような心境です。
「帰る場所がなくなっちまうんじゃねーのか」
隣では、職員がギラリと眼鏡を光らせています。
こんな時、皆さんならどうしますかね。
今のオレなら、持ち帰る、という選択肢があることを知っているのですが、あの日はとても暑かった・・・。灼熱のタクラマカン砂漠で、人は皆、乾きによって判断力を失うものです。
ボトルを職員に投げつけてしまおうか。クリティカルヒットが出れば、ヤツはきっと30秒は起き上がれないはずだ。
しかし、攻撃が逸れて、反撃を食らったらどうなる。
試しにオレは職員に尋ねた。
「これ、このまま捨てるのはダメでしょーか?トホホ」
「ダメですね」
間髪入れずに帰ってきたのは、氷点下で凍らされた、釘を打てるバナナのような言葉。キンキンコンコン。
で、オレはどうしたか。
飲んだね。
誰の飲み残しか知れない、いや、古本屋の飲み残しなんだけれど、なんというかこの、言い辛いけれど、どんな病気を持っていても不思議じゃない不健康極まりない古本屋たちの飲み残しをね。
まずは半分残しのお茶を一本。
グッキグッキグッキ・・・。
YES COKE YES。
はじめーてじゃーなーいーのーさー
イマナーニーカー かんじーてーるー
グッキグッキグギギギィィィィィ
(ああ、これは一関のあの人が、自分のがどれか分らなくなったと言って放棄したヤツじゃないか。あのオジサンが放棄したヤツを、なんでスマイルビューティーが売りのオレが飲まなきゃいけないんだ)
まあ、そんなことを考えながらね、「オレは良いヤツだったけれど、生まれの不幸を呪うがいいんだろうな」と割り切って、飲み続けましたね。中には、一口か二口しか飲んでいない大物もあったりしてね。
その数、なんと5本。
ちくしょう、どいつもこいつも中途半端に残さないで全部飲めばいいのに。日本はいつからこんな贅沢な国になったんだ。ナッテシマッタンダ。嘆かわしい。今、アフリカでは飢えと乾きによって、理不尽に命のトモシビが。そしてオレの心のトモシビも今まさに消えようと・・・。
全ての事を済ませたオレに対して、職員が目に涙をにじませてねぎらいの言葉をかけてきた。しかも、流暢な仙台弁で。
「便所さなげできてもいがったんでねーの?」(日本語訳:トイレに捨ててきても良かったんじゃないですか?)
wao!なんとネイティヴな発音だろうか。SO KOOLだね。
今年の夏一番の思い出になりそうな出来事でした。

キミタチにとって、この程度のことは、謂れの無い仕打ちとは言えないのかな。オレはまだまだ甘ちゃんなのかな。
良い夏過ごせよ、みんな!
posted by 肉王 at 02:47| Comment(9) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月16日

もう10年以上ツイてない

やあどうも。

普段口の立つキミタチだが、もしも自分の間違いや破綻に気が付いたとしたらどうする。
時間が過ぎるのを待って、そっと前言のすり替えを行うか。それとも、前言そのものを無かった事にしてシラをきるか。あるいはどこか遠くへ逃げ出すか。
謝罪して訂正する、というまっとうな方法は考えたこともないか。
オレは素直に謝ろうと思う。
だが今までの嘘やデッチ上げなどまで謝るときりが無いから、オカルト方面のことについて、若干の訂正とお詫びを申し上げたい。

ホラ、オレってオカルト否定派じゃないですか。
「あーもう。そんなものは嘘だよ嘘。お前らケツ拭いて寝ろ」
なんて不逞なことをね、吐き捨ててきたわけです。
ところがね、よく考えてみるとオレは日頃当たり前のように、「運がどーたら」「ツキがこーたら」なんてことをね・・・言っていたわけですよ。
ねえ、運ってなんでしょうか。ツキってなんでしょうか。
事象や数字の偏りを運やツキというのでしょうか。
だったらそんなものに一喜一憂するのはおかしいですよね。数学的に起こり得る事を体験しているだけだとしたら、0.001%の事象が連続して起こったって、50%の当たりくじを10回連続で外したって、別に何の問題も無いじゃないか。
なのにさ、セブンイレブンのキャンペーンでAKB48のくじを外し続けたり、午後の紅茶が当たったりするたびに、若干の精神的効果を呼び起こされているわけですよ。
その昔、火や屁が出るほどギャンブルをやって、300万円近い財を残したという話をしたことがあるけれど、あの時のことを振り返ると、運やツキというオカルティックなものを抜きにしては語れないのです。
例えば、ギャンブルで勝とうとするとき、最大のポイントは「止め時」なのですが、その止め時に至る道程において、まったく運に左右されないということはありえません。勿論、自分の数学的理解の限界を超えた部分を全て大雑把に「運」と呼んでいるわけなのですが、その大雑把な中にも、本当に「運」とか「ツキ」としか言いようのないものも含まれているようなのです。
つまり、ギャンブルにおいて人為的に操作できるのは、選択(パチンコ台や、丁半など)と止め時なのですが、それ以外の部分の多くは(イカサマでもない限り)人智の及ぶところではないわけで、そこにある阿鼻叫喚の味の素は、無数の数字の積み重ねと瞬間的な変動の結果もたらされるわけですから、それを判断できない人間にとっては仮に「運」とか「ツキ」といった言葉で表現する他はないのです。
ところが、その仮の「運」や「ツキ」の中に、時々本物が混じってやがることがあります。
「本物」とは、どう計算しても数学的に辻褄の合わないことです。あるいはイレギュラーとでも申しましょうかね。
負けゲームの最中に隕石が落ちてきてノーゲームになるような。
多くのイレギュラーは「人為的なミスが絶好のタイミングで起こること」なのですが(そうでなければ問題にならないから)、どうしても人の手の及ばないところでイレギュラーが起こる事が極稀にあり、それはどうしても「運」「ツキ」としか言いようがないんじゃないかと、さっきふと思ったわけです。
勿論、それらを即、神仏的なもの、精神世界と繋がるもの、超能力的なもの、別次元的なものと同列に語ることは出来ないとしても、日頃我々が鼻で笑ってあしらっているにも関わらず、それらの一部を自分が知らないうちに常識的に取り込んでいるものが案外多いのではないのでしょうか。
ただし、だからといってすぐに精神世界を肯定するとか、霊的なものを取り入れるなどといった安易な方向には走らないのですが。
でもまあ、今後は少し言葉に気をつけないといけないなあと思うわけです。
「霊?ばかじゃねーの?おっと100円拾った。ツイてるー」
などといった矛盾に満ちた言動は、ヤツラに付け入る隙を与えてしまいますからね。

さて、今日もこんな時間です。
オバケが出るから帰りましょう。

あれ?謝罪も訂正もなかったかな。
ゴメン。
今後は気をつける。
posted by 肉王 at 03:29| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月13日

星キララ先生に励ましのお便りを

やあどうも。

選ぶ人、選ばれる人、選ばれない人、様々の人間模様が交錯するのが選挙の面白さですが、選ばれない店の店主にだけは立候補してはいけません。
今回、オレの選択肢はすっかりマジョリティに寄ってしまいました。
期待なんかしていないけれど、自民党。あんまり早く身を翻してくれるなよ、みんなの党。

さて、今日も漫画の話でもしましょうか。
前回は「浦安鉄筋家族」だったので、ギャグ漫画つながりで土田よしこの「つる姫じゃ〜っ!」なんかどうでしょうか。
この漫画は昭和50年代に週刊マーガレットに連載されていました(開始は昭和48年)。
当時のマーガレットといえば、ラブコメとお星様キラキラが中心の繊細コテコテ少女漫画雑誌でしたが、その中にあって「つる姫」は異色の存在でした。単調なコマ割り、簡単な線、スクリーントーンなど陰も形も無い仕上げ。毎週5〜7ページ程度の連載だったためか、掲載位置はいつも巻末近くで、作中でもつる姫は「しゃかりきでやってきても、次めくると目次だったりする・・・」とたそがれております。
内容は時事ネタが多く(テレビコマーシャルのパロディなどが多い)、今読むと謎なギャグも有りますが、全体的には古びない内容です。
特筆すべきはそのギャグの形式です。おならやウンコといった初歩的なギャグも多いのですが、つる姫が長い間ボケ続けた後に「そうじゃないのよ!」と自分に突っ込む「一人ノリツッコミ」が秀逸です。恐らく、少女漫画に漫才の形式を用いたという点では、ほぼ元祖に近かった存在ではないでしょうか(少年漫画では山上たつひこの「がきデカ」があった)。
先に書いたように、土田よしこは基本的に単調なコマ割りをするのですが、何故かコマとコマの間の時間の作り方が上手な作家です。
間を取れる、というのは漫画の世界だけでなく、多くの創作物に共通する肝であり、一番難しい部分です。それを、前のコマと同じ大きさのコマで、しかも余分な説明や空白を作ることなくサラリとやってのけるのです。時には次の瞬間を表し、時には数時間後を表しといった具合に、自由自在です。
ギャグというのはテンポが命ですから、それを自在に表現できている時点で作品として完成されていると言っても過言ではないと思います。
土田よしこの功績は、少女漫画の中に、後に続く「下品なギャグ漫画(岡田あ〜みんなど)」のスペースを確保したということも一点ありますが、それよりも、ギャグ漫画にとって一番の命題である「間の取り方」という問いに対し、分りやすい形で答えて見せたことではないかと思います。

どんなに難しい方程式でも誰かが答えを出してみれば、それは後に単純な公式として語られることが多いのですが、その誰かが存在しない限り、答えはいつまでも闇の中にあるものです。
その誰かは、いつでも飄々としていて(実際はそうでないとしても)、至極当然のように回答を導き出して風のように去っていってしまうので、正当に評価されることが少ないのです。
手元に本が残っている人は、もう一度読んでみてはいかがでしょうか。

註)タイトルの「星キララ」とは、つる姫が漫画家になろうとした時のペンネームです。
posted by 肉王 at 03:11| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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