2010年11月16日

寝た時間に起きる

やあどうも。

先週7日に、岩手古書組合の大市があったので、貧乏人のクセに開催地の大沢温泉まで行って参りました。
仙台市から出たのは1年以上前かな。その時も確か岩手組合の市じゃなかったかと思う。
朝5時半に起きて空を見上げると、そこにはいつも見慣れた光景が広がっていた。それは何もオレが日頃早起きをしているというわけではなく、いつも寝る時間がその頃だということです。
いつも寝る頃に起きて車の運転をしなければならないということは、その日に限って行動を8時間前倒しにしなければいけないということで、いつも晩飯を食べる頃には床に就いていなければいけないことになり、もっと言うといつもの開店時間には店を閉めてしまわなければいけないということである。
普段の生活が以下の通りだとすると、
12時(起床)-13時(開店)-20時(閉店)-22時(夕食)-05時(就寝)

当日は以下の通りにしなければいけない。
12時(起床)-13時(閉店)-15時(夕食)-22時(就寝)-05時(起床)

何せ前日は普通に営業して普通に生活をするわけだから、起床時間の12時は動かせないのに、その後の行動だけを8時間程度前倒しにしなければいけないのだから、開店すらしていない店を閉店することろから始めなければいけないという矛盾が発生してしまうのだ。
しかしながらその矛盾を解決してしまおうとすると、6日7日と続けざまに店を休んでしまうことになってしまうので、それはすなわち「あの店、とうとう・・・」という風聞が流布されることになりかねない。
結果、20時閉店-飯食ってすぐ帰って風呂入って24時就寝-05時起床というハードスケジュールを強行せざるを得なかった。分りやすく説明すると、寝る時間を削ったわけである。こういうツケは後のどこかに回ってくるかもしれないけれど仕方が無い。
日頃からボンヤリしている人間が睡眠時間を削ると、よりいっそうボンヤリすることになるので、車の運転にだけ集中して岩手へ向かった。
途中一関でダストボックスという「今日明日にもつぶれそうな店(店主本人・談)」で、宮城の同業者と合流し、会場の大沢温泉へ。
いやあ、初めて参加しましたが、大市は面白いですね。人も物も盛り沢山です。
フリ(競り)の途中に、8時間のツケのせいで眠くなったりチンコをいじりだしそうになったりしましたが、まあそこは大人ですから、周囲の迷惑にならないように眠ったりいじったりしていました。
市の方は、持って行った物は売れたし欲しいものも買えたので、結果には満足でした。
他所様のお店の状況なども盗み聞きできたし、自分の店の嘘情報も伝えられました。
他にも、ここでは書けない様な収穫もありました。
非常に面白かったです。
そしてあれから1週間も過ぎたのに、まだ眠かったりいじりたくなったりしているんです。
posted by 肉王 at 02:30| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月02日

座ったら最後

やあどうも。

失われつつある文化。
という言葉を聞くと、胸がざわめくことがありますね。
文化に限らず、ことが何であれ、
「失われつつあるのだ」とにじり寄られると、
「それはマズイ」と思ってしまいます。
そもそも、文化に限っていえば、今まで数多くの文化は人為的にでも自然淘汰的にでも失われてきたので、今更一つや二つが失われたとしても大騒ぎすることはありません。
ただそれが、宮城県色麻町の「団地新妻ひねもす祭」が、年々の過疎化による団地の減少に伴って開催を危ぶまれている、などというとってつけた理由と主催者の都合が渾然となった時に、「文化が消失しようとしている」という定型文的謳い文句で文字通り祭り上げられるのは、どうかと思う。
人為的に文化が消失する時には、必ず何か理由がある。
本来の目的を見失った、人間がいなくなった、官憲の手が入った、法律で禁止された、オレももうハタチだしいつまでもバカやってらんねぇな、など様々な理由が。
無くなるものは無くなるべくして無くなるのであるから、無くなると経済的に困るとか何とか言ったって仕方が無いのである。
一方では、この世から消えて無くなれと世間から言われながらも残るものもある。麻薬・ロリコン・酒煙草・博打・ヤクザ・古本屋・不倫・左翼・右翼・米軍基地・民主党など、数え上げたらキリが無い(一部文化で無いものも何故か混在)。
とは言え、上記のものの幾つかは、いずれ淘汰されていくだろうし、そうなっても別に惜しくもなんともないものばかりだ。
オレが昨今危惧しているのは、「立ちション文化」だ。
立ちションとは、男が立って放尿する由緒正しいスタイルのことである。
立ちションの話といっても、男なのにトイレで座って小便をするというド腐れの話ではない。あんなものは、要求する女もそれに応じる男もまとめてくたばってしまっていいものだ。そんな下らない話題は語る価値も無いので無視する。
オレが言いたいのは、街角や電柱でする軽犯罪のほうだ。
女と違って男にはホース状の放尿器がついているので(サイズについては個人差が激しい。また、ただの放尿器の役割りしか持たないものとそうでないものがある)、その気になればいつ何処でもわりと気軽に放尿欲を満たすことが出来る。
故に古来より男は電柱、壁、橋の上、広瀬川、部屋の隅のペットボトル、好きな女子の自転車などに、思う様放尿してきたものだ。
それはまさに男の特権であり力の象徴であり、小林一茶も「北風に 負けるなチンポコ 稚内」と歌にしたためたほどの風物詩でもあったのだ。
なのに近頃、立ちションをしている男をとんと見なくなった。
何故なんだろうか。
現代の男がそれほどお行儀が良くなったのかというと、日々のニュースでも分るとおり、むしろ恥を忘れたといって良いほどの無軌道ぶりだし、では監視の目が厳しくなったのかというと、他人のことになど関心すら持たない風潮に拍車がかかっているではないか。
言うなれば、現代こそ立ちションに適した時代はないのである。勿論、写メなど撮られてしまう不測の事態もあり得るけれど、だとしてもケータイ電話如きに立ちションを抑制するほどの効果があるとは思えない。もう先っちょまで出掛かっているときなど尚更だ。
なのに何故なんでしょうか、ワトソン君。
まあ、街のあちらこちらにコンビニが増えたってのが大きな要因なんでしょうけれど。
確かにオレ自身、あと少し行けばコンビニだと思えば、無闇矢鱈に屋外で性器を露出することはありません。もともと露出させる目的ならば別ですが。
しかしねえ、たかがコンビニ如きで、世の中から立ちションが減ったなんて、あるのかなぁ・・・。
なんかもっと、陰謀めいたものがあるんじゃないのかなぁ。
コンビニの数が少ないところでは、まだまだ立ちション文化が生きているのかな。
宮城県花山村の皆様、してますか?

とか何とか書いてからYOUTUBEを見てみたら、結構上がっていた立ち小便動画。
幾つか見てみたけれど、あれは・・・ちょっとアレだね。
駄目だね、屋外での立ちション。
みっともないわ。
というか、みっともないヤツの立ちション動画しかないんだね。
もっとこう、英国紳士風のさ、ドラマ「相棒」の杉下右京のような人の立ちションじゃないと愛敬が無いわ。
ホントにすいません。見識を誤りました。
posted by 肉王 at 01:32| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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