2011年01月09日

騙されたけれど儲かった

やあどうも。

オレの店にある自動販売機は、ダイドーです。
一般的には地味なメーカーと言われていますが、コーヒー好きには覚えのめでたいメーカーではないでしょうか。
まあ、コーヒー以外の飲料物については、冒険が過ぎるような悪いクセがありますが、そこも含めて魅力のある会社であると思っています。

さて、この間ツィッターで書いたのだけれど、小さい詐欺に遭った。
6日の午後、ベイチさんと談笑している時に、不意に店の扉を開けておじさんが入ってきた。
「自販機のコーヒー出ないんだけど」
店の前に設置しているとは言え、基本的に自販機はオレの責任の範疇では無いのだけれど、だからと言って「それは知らん」というのも冷たい感じがするだろう。
なので、ホイホイと店先に出て、おじさんに聞いた。
「いくら入れたの?」
「120円」
「何選んだの」
「デミタス」
どれどれ、とオレがポケットから520円を出してデミタスを選ぶと、何の事は無い、普通に出てくる。そして商品をホイサとおじさんに手渡したら、「あ、オレも520円入れたっけ」などという。一瞬何かが引っかかったけれど、手拍子でお釣の400円もホラヨと渡すと、おじさんはそのまま自転車に乗って去っていった。
その様子を見ていたベイチさんが言った。
「今の、寸借詐欺じゃねーの?」
そうと聞いて合点がいった。
さっきの引っかかりとは、つまりそういう感じだったのだ。
その後念のため、自販機が不調かもしれない旨をメーカーに電話をすると、ややあって担当者が来店して「機械を見てみないとはっきりとは言えないけど、多分詐欺ですね」と言った。
その担当者によると、1時間ほど前にも同じ内容の電話を受けたとのこと。その場所からオレの店までの順路と、おじさんの風体を照らし合わせると、まず間違いなく同一人物だろうということが判った。
というように、まあ、あっさりと騙されたわけだけれど、オレとしてはこういう小さい悪党はあまり嫌いじゃない。おじさんは、デミタスと400円を手にして、「世の中チョロいもんだぜ」と笑っているだろうが、500円程度のことなら確かにチョロく立ち回れるのだ。逆に考えれば、それっポッチのこともチョロくいかないほど世知辛い世の中になってしまっては、社会もおしまいだ。
恥ずかしながらお釣で渡した400円だけは担当者の計らいで返してもらったけれど、デミタスの分は、ベイチさんの「勉強代だ」という裁定によりお召し上げとなった。でもまあ、ダイドーオリジナルのレギュラーコーヒーセット(3杯分入り)を貰ったから、むしろなんだか儲かっちゃった気分。
早速飲んでみたら、やっぱり美味かった。さすがダイドーだ。
詐欺おじさんのお陰で、僥倖に巡り合ったという次第。
世の中、小さい幸せに目を向ければ、まだまだ捨てたもんじゃない。
posted by 肉王 at 00:51| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

久しぶりの自殺教室

やあどうも。

人はしがらみに取り込まれて生きているらしい。
ちなみに、しがらみを漢字で書くと「柵」となるらしい。本当か?オレのパソコンだけがこう変換されるのかも。
さて、オレも長年テキトー人間をやってきたけれど、それなりに過去の柵がある。いや正確には柵というよりも「ツケ」なのかもしれない。
この肉王記は、以前やっていた「妄言の自動販売機」を移植したものであることは、オレのファンなら当然知っているだろう。「妄言−」を載せていたプロバイダーが閉鎖したため、よっこらしょとこちらへ引っ越してきたわけだ。
そして、その当時「妄言−」は自殺関連のコメントで大賑わいで、多くの「明日無き人々」がひきもきらずに押し寄せていた。
(参考/http://meetking.seesaa.net/article/138092493.html
お陰で「自殺 遺書」などのキーワードで検索すると、当の記事が数十万件の記事の中で常にトップに居座ることとなった。
正直な話、複雑な心境だった。自分自身、自殺の道をまっしぐらに歩いている自覚があったから書いたものだったのに、実際の反応を見ると、自分よりも自殺に直面している人の多さに驚いた。皆、今日明日の問題として自殺を考えていたのだ。
無責任と言われるかもしれないが、まさかこんなに需要があるとも思っていなかった。勿論書いたオレに100%責任がある。責任があるので引越しの際にも該当記事は削除せずに持ち込んだ。
引っ越した直後は、先のキーワードで検索しても該当記事はヒットせず(かなり下位に沈んでいたらしい)、自殺希望者の目に留まることは無かったようだが、ここへきてまたランキングが上がってきたらしい。日に数十件のアクセスを受けることもしばしばある(妄言の頃は日に百件以上)。
オレとしては、あの記事に関しては本文よりもコメント欄にこそ本意があると思っている。
多くの人間の悲痛な声をこそ読んでほしいと思っている。
半分シャレで書いた記事だったけれど、受けるコメントに返信している間に、オレ自身が自殺とはどういうことなのかを真剣に考えるようになった。多分、カネを取って相談に乗っているカウンセラーよりも真剣だったと思う。
コメント欄でオレが繰り返し書いたのは「カネのことで死ぬな」「まずは逃げろ」「気分で死ぬな」「未成年は死ぬな」ということだった。
総じて言いたかったことは、社会からはみ出すことを恐れないでほしい、ということだった。
しがらみは死んで清算する類のものではなくて、生きて楽しむものだ。はみ出してみれば判ると思うが、しがらみの無い人生など全く楽しくないものだ。人は人としか関わりあえないし、人にしか感動しない。人と人の交わりあいは決してしがらみではなくて、他人の中に居る自分や自分の中に居る他人を発見して感動するための極めて原始的で普遍的な手段だと思う。
その中にいればわずらわしいと思うことでも、手放してしまえば切ないほどに愛おしくもなる。一度社会からはみ出してみることで、それを再認識できるから、そうなったらまた戻ればいいし、それでもやはりわずらわしいとなったら、そこで初めて自殺を考えればいいことだ。
勿論、一度はみ出してしまえば自殺の理由など無くなることが多いのだけれど。
オレは他人様の遺書などあまり数多く読んだ事は無いのだけれど、少ない経験から強引に言うと、しがらみを味わえないとかそのときの気分で死んでやろうとか誰かへのあてつけで死んでしまおうという人の遺書は、内容に稚拙さが散見される。自分が死んだ後はこうして欲しい、誰それが嫌いだった、などという自殺とは直接関係の無いことが綿々と書き連ねてある。簡単に言うと、これから死のうと言うわりには、やたらに言葉が多いのだ。
日本では年間3万人以上の自殺者がいるとのことだが、その中の多くは、酔って立小便をするような感覚で死んでいる人も多いのではないだろうか。勿論、自分だけはまっとうな理由で死ぬのだと思っているのだろうけれど、本当にそうかどうかは、今書いた遺書を明日の朝に読み返してみると判るだろう。

この手の話に結論は無いのだけれど、人間はもっと大雑把に生きていいのだと思う。大雑把な人間のせいで繊細な人間が傷つけられているという意見も理解できるけれど、傷ついている部分が実はただの贅肉だった、なんてケースも案外多いのではないかとも思っている。
粗雑な人間も繊細な人間も、基本的には同じようなものを食べて好きだ嫌いだといいながら生きているものだ。それと同じように、相手の中にもきっと自分とそっくりな部分があるだろう。それを見つけることが出来れば、人は時に夢想だにしなかった感動を覚えることがある。それを味わうことをしないままに死んでしまおうなんて、まったくもったいないことだと思う。
とりあえず、いかなる重要な案件であれ、今持っている理由(どんなものであれ)で死ぬのはやめておくことをお薦めする。その内きっと気が変わるから。
posted by 肉王 at 03:00| Comment(18) | 自殺教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月03日

メーテル、また一つ星が消えるよ・・・。

オッス!

2011年だとさ。
とうとうね。
思い起こせば1980年に精通がきてから、もう30年オーバーだよ。
煙草を吸い始めてから28年、畳の上では死ねないのだろうと確信してから26年、俳優にはなれそうもないと気がついてから25年、漫画家にもなれないだろうと諦めてから2ヶ月経ったというわけです。
来年まで待っても迎えに来ないようなら、20年前に140万円で買った銀河鉄道999の定期券はやっぱりニセモノだったと納得しなけりゃいけないだろうし、今年の4月には円天も多分紙くずになっているだろう。
前途多難なオレ、今年の7月で44歳です。
posted by 肉王 at 01:52| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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