2014年01月16日

正直爺さん

やあどうも。
日本でも数少ない「ベビースターサーバーのある店」の店主です。
ヤフオクで買ったわけではない、正真正銘自分の手で引き当てたベビースターサーバーです。
ベビースターサーバーを扱えるのは、ベビースターソムリエの資格を持った専門家だけであり、それを何故場末の古本屋が持っているのか、持つ必要があるのか、という問題はどうでもいい。
あと、ベビースターソムリエとはいったい何なのか、という疑問もどうでもいい。
とかく今年はどうでもいい。
去年もおおむねどうでもいいと思って過ごしてきたけれど、今年はさらに輪をかけてどうでもいい感じで過ごしたい。
半年ぶりの日記で、のっけから「どうでもいい」なんてヌカしてしまうのもどうかと思うけれど、そういうのもコミコミでどうでもいい感じだと思っていただければ、それ以上はもうどうでもいい。
去年は年末に青山純や大滝詠一が亡くなってしまって、俺の青春の道標がもうどうでもいい感じになってしまった。どうせ今までもどうでもいい感じで生きてきたのだから、ならばいっそしばらくはどうでもいい感じでいくのも悪くないのではないかと思ったり思わなかったりする。

このように、これから書くことを、読む方もどうでもいい感じで読んでもらえるとありがたいものである。

昔でも今でもどうでもいいけれど、あるところに正直者で有名なお爺さんがいたと思ってくれたまえ。
お爺さんの名前は、与平、とする。
与平は人里離れた山の中に、妻と二人で暮らしていた。二人はとても仲が良く、結婚して何十年も経つというのに、およそ喧嘩というものをしたことが無い。かつては子供も三人ほどいたが、みんな幼くして病で死んでいる。
与平は正直で働き者だが、正直者の常で、あまり金銭には恵まれない。月に何度か、藁で編んだ笠や蓑を売りに町へ降りてゆくが、収入と言えばそのわずかな売り上げ程度で、あとは畑や山の実りを当てにしての生活だ。それでも、日々食べるものはあるし、寝るところもある。贅沢をしたいと思わないことも無いが、それだって精々「あんこの餅を腹いっぱい食いたい」とか「寒い夜に酒を飲んでから眠りたい」といった程度。それを我慢できないほど、与平も妻も分別が無いわけではない。とりあえず間に合うほどのものさえあれば、あとは神さまの思し召しに任せて、正直に生きていさえすればいいと二人は思っている。
その与平の家から少し離れたところに、嘘つきで有名な老人が一人暮らしている。
名前を権助という。
権助は猟師を生業としていて、山で狩ったウサギやイノシシの肉や毛皮を売って暮らしている。銃の腕は一流で、銃身の長い猟銃を愛用し、いつも弾を一発だけ持って山へ入る。獣の習性に精通していて、幾重にも罠を仕掛け、かかった獣を一発で仕留める。狙う獲物を探し、作戦を考え、罠を仕掛ける、という作業の為、権助は一度山へ入ると七日以上家へ帰らない。家でも山でも話し相手の無い権助はいかにも暗くふさぎ込んだ性格に思われがちだが、実際には至って明るい性格である。町で肉を売った日の晩には、酒場で誰彼となく大騒ぎをし、飲むにつけ食うにつけ景気良く散財する。居合わせた客たちは多少の迷惑を感じながらも、老人の大騒ぎに付き合う。そしてこっそりと飲み代を権助につけて去っていったりする。

ある年の年末。
与平はいつもより多くの笠や蓑やわらじを持って町へ降りた。今年の冬はやけに雪が多いので、さぞや自分の笠などは売れるだろうと思っての事だった。これらを全部売れば、正月用の餅や、少しばかりの酒も買えるのではないかと腹の中で算段していた。道中踏みしめる雪のきしむ音が、餅の表面の粉のように思えて年甲斐も無く浮ついた気分になった。
町へ着いた与平は、まず鋳掛屋(いかけや)の姿を探した。
山や畑で使う鎌を鍛えなおしてもらうためだ。与平の鎌は大昔に死んだ父から受け継いだもので、普通の鎌よりも大振りのものだった。日頃の手入れで研ぎは入れていたが、数年に一度は鍛えなおしをしてもらっていた。
町角に座って道具を広げている顔なじみの鋳掛屋の姿を見つけた与平は、にっこりと笑って鎌を差し出した。
「鋳掛屋さん、鎌の鍛えなおしをお願いします。代金はこの笠を売ってきてからお支払いします」
「やあ、与平さん。与平さんの鎌は大きいからね、少し時間がかかるよ」
「ええ、分かっております。早くに用が済んだら少し買い物もしてまいりますんで」
与平は、もしも笠が思うよりも高く売れたら、少し余分に餅を買って、鋳掛屋にも分けてやろうかなどと考えながら、大通りのいつもの商店に向かった。
商店は年末の賑わいを見せており、軒先にはほうきやワラジや蓑などもぶら下がっていた。店先に蹴転がされたように飛び出ている桶やタライも、見る間に売れてゆく。商店の店主は与平の姿を見るなり、大きく笑って手招きをした。
「与平さん、そんなとこでボヤボヤしてると、間違えてお客に買われてっちまうよ。こっちへおいでなさい」
「やれやれ、こんな爺を何と間違えて買うお客もいるとは思えないが、買うならウチのばあさんも一緒に買ってほしいもんですな」
客の合間を縫い、上り框に「どっこらしょ」と背負ってきた荷を下ろすと、不意に横から肩を叩かれた。
「与平さん、久しぶりだね。元気のようでなによりで」
見ると、たった今、狩りから帰ってきたばかりの風情の権助がいた。
「おや権助さん、お隣なのに久しぶりに会うのが町ってのも変なもんですな」
「獲物のイノシシが大きすぎましてね、山で解体して、毛皮だけ剥いでそのままここへ来ました。余った肉は雪の中へ埋めてきましたんで、近いうちに与平さんにもおすそ分けに参りますよ」
「いやそんな申し訳ないことで・・・」
「まあまあ、そう言わずに。そうだ、あとで酒場へ寄りませんか。今夜はよっぴで飲んでますんで」
嘘つきの権助の言うことだから、全くあてにはならないとは思うものの、酒の誘いだけは断ろうかと与平が口を開きかけたところで、店主が急に割って入った。
「権助さん、今日の毛皮だがね、待ちかねてたお客にそのまま渡してしまいたいんだ。こっちで手を入れる事も無いから、ウチの手間賃を取らずにそっくり乗っけてあんたに支払うよ」
「いいのかい?悪いね」
「ただし、またいい毛皮がとれたら、余所へ持って行っちゃ困るよ」
与平の目の前で権助に支払われた金額は、与平の笠の何年分かに相当するような額だった。呆気にとられている与平の目線から隠すようにして金を懐に入れた権助は、少し照れたように笑いながら立ち上がり、長袋に入った銃を襷(たすき)にしょい込み「じゃあ与平さん、通りの角の酒場ですからね。気が向いたらいらっしゃい」と言い残して、客をかき分けて走り去った。
与平の持ってきた笠や蓑やわらじも全て売れたものの、受け取った金額は権助のものとは比べようもないほど少額だった。とは言え、いつもよりも多くの笠を持ってきたので、その分は確かに増えているのだ。売る物の違う他人と収入を比べるのは間違いで、いつもの自分の収入より多いことに満足しなければならない。そのくらいの分別は持っているつもりだ。なにせ権助は命がけで獣と戦っているのだ。それを考えれば、あの金額だって多いのか少ないのか分かったものではない。しかし・・・。
少しうなだれている与平の気配を察したのか、店主が機嫌を取るような口調で言った。
「権助さんの持ってくる毛皮は特別なもんですからね。どうしたって高くなるんですよ。でもね、与平さんの笠だって大したもんなんですよ。その証拠に、今まで売れ残りをほとんど出したことが無いんですから」
「ありがとうさんです。いや、こうして買っていただけるだけでも本当にありがたいことだと思っております」
「そういっていただけるとこちらも安心です。与平さんにはいつまでも元気で笠を作ってほしいと思ってますよ」
与平は店主の言葉を半分ほど聞き流していた。店主の言葉に裏表があるとは思っていないし、子供扱いされたとも思ってはいない。しかしなんだか、自分の知らないところで勝手に自分を値踏みされているような居心地の悪さを感じて、暗い気持ちになった。
少しひねくれたように馬鹿丁寧に挨拶をして商店を出た与平は、予定の買い物を済ませて、鋳掛屋の前に立った。最初に思っていた鋳掛屋への心付けは無しにした。
「与平さん、出来てるよ」
鋳掛屋が差し出した鎌は、見事に輝きを増しており、冬の鈍い陽を瑞々しく照り返していた。
「鋳掛屋さんの仕事は大したものだねえ」
「元の鍛えがいいからでしょう。こっちの腕ばかりじゃないでしょうさ」
いやあ、大したものだ、と呟きながら与平は手間賃を払い、鎌の刃にボロ布を巻いた。あの商店の店主のように気の利いたことでも言うべきかと思ったが、鋳掛屋の仕事には自分が口をはさむ余地を与えない凄味があった。あの店主には、人の仕事を値踏みできるだけの裏付けがあるのだろうが、自分にはそれが無い。その差はいったい何なのか。与平は増々暗い気持ちになり、トボトボと通りを歩きだした。
このまま歩けば、やがて権助のいる酒場の前を通る。そこで権助に見つからず声もかけられなければ、そのまま家へ帰れるだろう。むしろ今の気分なら、そうなってくれた方がありがたい。ましてや、嘘つきの権助と酒を酌み交わすなど、本来自分は望んではいないのだ。権助という男は全く本当に嘘つきで、正直一本で通してきた自分にとっては、はなはだ迷惑な人間だ。あんな男と付き合っていては、こちらの信用まで無くしてしまうに決まっている。権助は獣の血を奪って生きる下等な人間だ。その下等な人間がふるまうゲスな酒など、きっと生臭くてかなわないだろう。そもそも、金は天下の回りものなどというが、それは下等な人間が物欲しさをごまかす為につく嘘だ。結局は自分の懐にも金を入れたいと言っているだけなのだ。だとしたら正直者の自分には縁のないものだと思えばよろしい。清く、神さまの思し召しに従って生きている自分は、天下よりももっと高い所にいるはずだ。高い所にいるからこそ、下々の者の考えなどいちいち気に病むことも無い。あの商店の店主が自分の仕事を値踏みしたのは、自分が天の高みにいることを知らなかったせいだし、鋳掛屋の仕事に言葉が無かったのも、下界の仔細に興味が湧かなかったからだ。
そう考えながら歩くうちに、与平はだんだんと胸を張りたい気分になり、さらには今胸の内で思っていることを周囲の誰彼となく言って聞かせてやりたい気分にもなってきた。
その時、ちょうど通りかかった酒場から、大きな笑い声が漏れてきた。それと同時に網暖簾から権助が首を出して、通り中に響き渡るような大声で与平を呼び止めた。
「素通りはいけないよ、与平さん。まあこっちへどうぞ」
「いやあ、ばあさんも待っているし」
「そんなこと言わずにね、一杯だけでもお付き合いくださいよ」
酒場からは相変わらず喧騒が漏れている。皆、恐らく権助のお相伴に与ろうという者たちだろう。与平はその浅ましさにまみれた店内を想像し、眉をひそめた。権助が与平の顔色に頓着することなく強引に腕を取ると、それを合図に店内から二三人の若い衆が出てきて、権助に手を貸した。与平はあっという間も無く店内に引きずり込まれてしまった。
店内は酒と肴と男たちの汗の臭いが充満していて、思わず飛び込んでしまった与平の心を一気に砕き散らせてしまった。こんなところに長居してしまっては、せっかく買った餅や味噌が臭くなってしまうのではないかと思わずにいられなかった。
与平の前に茶碗が無造作に差し出され、権助がそこへ並々と酒を注ぎこんだ。
「与平さんまずは一杯空けてくんなさい」
「はあ、いや、しかし」
与平の躊躇を先回りするように権助が遮る。
「お代の事なんか気にしないでくんなさいよ。今夜は全部あたしの奢りです」
「そんなわけにはまいりません。いただいた分はきちんとお支払いしますよ」
「まあそう野暮なことは無しにしてくんなさい」
早いところ一杯空けて、代金を払って退散しよう。そうすれば権助は満足なのだろう。下等な人間など、軽くあしらっておけばそれでいいのだ。なんだ、こんな酒など、一息で飲み干してくれる。与平は卑しく顎を出さないように気をつかいながら茶碗に口を付けた。喉を鳴らさないように慎重に酒を飲み干すと、そっと茶碗を置いた。
「いい飲みっぷりで。さ、もう一杯お願いします」
言い終わらないうちに、権助は酒を注ぎたした。いやもう結構、という与平の言葉が、店内の喧騒にかき消された。溢れんばかりに継ぎ足された酒を困ったように見つめている与平に、権助が囁いた。
「時に与平さん、いつも笠や蓑はあの商店に卸してるんですか」
全く予期しない問いに、与平ははっと顔を上げた。
「ええ、さいです。でも、何故そんなことを」
「いやまあ、そのね。与平さんは正直な方だから、こんな話をするのもアレなもんですがね」
「正直がアタシの自慢ですが、だからって口が軽いのとは違います」
「あ、いや、気を悪くされないでくんなさい。そういうことじゃないんで」
「じゃあ、もう少しはっきり分かりやすくお願いしますよ。アレだのそれだのじゃあ、全く分かりませんですからね」
与平は二杯目の酒を少し乱暴に半分すすった。そこへ突然、店の若い娘が大きな皿を差し出してきた。皿の上には焼きたてのホッケが乗っていた。権助が「なんでえネズミなんぞ出しやがって」と娘に毒づいた。しかし与平は久しぶりの焼き魚の匂いの虜になった。娘が口をとがらせて権助に言い訳をしているのを尻目に、与平はまだ煙の立ち上るホッケの身に箸を立てた。それを見た権助は、すぐに口を閉ざした。
「ネズミ、結構。天の上の上のそのまた上から見れば、人の世の中は全て等しく下等なんです。それで、お話の続きは何ですかね」
「まあねえ、与平さんはあの商店の買い値をどう思ってますね」
「買い値ですか。アタシは余所に買ってくれる店を知りませんのでな。比べようもない以上、安いのか高いのか考えたこともありませんな」
「なら、他に高く買ってくれるところがあれば、そっちへ持ってきますか」
「これまでの義理がありますからな。なかなかそうもいかないでしょうな」
「義理かあ、義理ねえ。確かに、不義理はいけませんやね。けど、店側がアタシらに義理立てしてるかどうかってことはどうなんでしょうかね」
それは・・・。与平は権助の指摘に返す言葉を探した。そこでふと気が付いた。これは権助の嘘なのだ。権助は自分に嘘をつくことで、なにか利益を得ようと画策しているのだ。あの時懐に入れた金額は生半可なものではなかった。あれだけの金の、一体どこに不満があるというのか。その証拠に、ここでこうして大盤振る舞いをしているではないか。きっと、この少しの酒と下魚で自分を油断させて、口を滑らせようという算段なのだ。その言質をあの商店に持っていって、自分を貶めることで、店主からなにがしかの涙金をせしめようとでもいうのだろう。下等な人間にお似合いのなんと卑しい行いか。
与平は茶碗の酒を一息に飲み干して、きっぱりと言ってのけた。
「アタシは、そんな下等な話には興味ありません」
権助の表情がぎゅっと締まったようだった。与平は一瞬、恐怖を感じた。しかし権助はすぐに表情を緩ませて、呵呵大笑をした。
「いや、すまんこってした。確かに下等な話で。忘れてくんなさい」
与平は、帰るなら今だ、と思ったが、権助がさっと酒を注ぎ足した。足されてしまうと、「喧嘩になりそうな雰囲気が和んだばかりで、かえって今席を立つのもよろしくない」と思えて、また茶碗に口を付けた。
権助は、「ちと、あっちの機嫌を伺ってきますんで、与平さんも気の済むまでやってくんなさい」と言い残して、酒場の真中の喧騒へ向かって行った。与平はその背中を見つめながら、下等な人間の下品な罠にかからなかった自分を誇らしく思っていた。あんな人間に血を奪われるのは獣だけだ、と心の中で思い切り蔑んでホッケに何度も箸を刺した。

う、と自分のうめき声で与平は目を覚ました。
今、自分は夢を見ていた。
遥か昔、子供の頃によく見た恐ろしい夢だった。
それはまだ生々しい実感を持っていた。
咄嗟に股間をまさぐったのは、人間の悲しい習性なのかもしれない。何歳になっても、寝小便の恐怖を心のどこかに残している。ましてや年老いて我が身の制御がままならなくなっているのを自覚しているから尚更だ。
果たして、与平の手には生暖かい感触があった。
やってしまった、という焦りと同時に、ここは一体どこなのだという疑問がわいた。
小便はもう止まっているので、その後始末をしなければならない。そのためにも、ここがどこなのかを判断しなければならない。とは言え、与平はもううっすらと気が付いている。隣から聞こえる高いびきは権助のものだ。であるから、ここは酒場の二階なのだ。自分の家ならばまだしも、こんな得体のしれない場所で失態をおかしてしまうとは何事か。酒のせいとはいえ、自分のしでかしたことだ。どう言いつくろっても恥をかくのは間違いがない。
闇に目が慣れて起き上がると、掛布団がずり落ちて、その下からほのかに小便の臭いが立ち上った。
このまま逃げても、きっと明日には皆の知る所となるだろう。ましてや後始末すら他人任せにしたら、今後、笠を売りに来るたびに、ほらあの爺さんが寝小便のさ、と指を刺されるに違いない。
では、正直に寝小便を申し出たとしたら、どうか。多分、誰もがこの失態は胸に納めてくれるだろうが、自分はその羞恥に耐えられるのだろうか。
恐らく自分はもう金輪際この町には降りられず、笠や蓑はもっと遠くの町へ卸しに行かねばならないだろう。だとしたら、商店に対する義理もなにも無いではないか。
昨日、自分はあれだけ気高いことを胸の内で何度も何度も叫んだのに、今はこうして同じ胸の内で寝小便の事ばかり考えて呆然としている。
枕もとを見ると、自分の荷物がきちんと並べてある。餅も味噌もわずかな干物も、何一つかけることなく置いてある。自分は昨日、酒を飲むうちに荷物の事を忘れていたが、周囲の人々はきちんとそれを見守っていてくれていた。山で待っている妻はきっと心配しているだろうが、それについては全く自分の不徳だ。誰を責めるべくもない。
「与平さん、起きなさったかね」
権助がいつの間にか起きていたらしい。いきなり心臓を掴まれたほど狼狽して、とっさに与平は荷物を抱きしめた。
「山へは若いのを使いに出しておいたよ。だから心配なさんな」
その言葉を聞いて、与平は思った。
天の高みにいるのは自分ではない。権助でもない。商店の店主でもない。鋳掛屋でもない。妻でもない。この世の誰でもない。自分たちは皆、等しく下等なのだ。下等なものが下等なものを蔑んで何が悪い。下等なもの同士がお互いを値踏みをしあったところで何が分かる。下等なもの同士が血を奪い合い、己の毛皮を剥いで生きていくのがこの世の中だ。
「権助さん、下等なもののすることだと腹に収めて勘弁してください」
与平はそういうと、鎌に巻いたボロ布を勢いよく剥ぎ取り、まだ虚ろな風情の権助にしがみついた。
権助は驚いた顔をしていたが、与平には権助の鼻がひくひくと動き、それが濡れた股間に向けられているような気がした。
与平は、権助の髪の毛を力一杯掴み上げ、首筋に鎌の刃をからませた。
ぞっく。
鎌の刃はすんなりと肉に咬みついた。
おうん、と権助の口から下卑た咳のような音が漏れた。
ぞっくぞっく。
鎌を引き、肉を裂く。藁の束を裂く時とは全く違う手応えだが、鋳掛屋の仕事のお蔭か、刃にかかる不快感も無く鎌が動く。
液体の吹き出す音が布団にぶつかっている。
それは小便が布団に当たる音と似ているに違いない。
ぞっくぞっくぞっくぞっく。
権助の首が胴から切り離され、与平の手も顔も胸も股間も温かいもので満たされた。
山で待っている妻には申し訳ないが、恐らく自分はもう山へは帰れまい。
もうじき夜が明ける。
自分は役人に捕まって調べを受けるだろう。
そうしたら、自分の胸の内にあるものを洗いざらい正直に話そう。
正直者の自分の中には、どこをどう探しても権助を殺す理由が見つかるはずがないので、何故自分がこんな面倒なことになってしまったのか、役人に教えてもらおう。
posted by 肉王 at 03:39| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。