2006年03月16日

自殺教室(正しい遺書の書き方)


人間は猿ではない。
猿に近いとしか思えない人間や、少なくともおじいちゃんの代までは猿だっただろうと思える人間や、猿に育てられたと断定できる人間もいるが、基本的に人間と猿には様々な面で決定的な差がある。
一つ一つを語る時間はないので、一番の違いを挙げると、「自ら死を選ぶ」という行為に帰着する。言ってみれば自殺するかどうかということである。勿論、自殺をしない人間が猿だといっているわけではない。遺伝子の中に自殺という選択肢を持ちうるかどうかという問題である。
近頃では、若者の間で「自分は猿ではない」ことを主張しようとして、集団で自殺をする行為が目立つ。それは全く頼もしいことで、彼らの将来が楽しみである。
しかし、その一方で気になるのは、遺書の書き方がまるでナッチャいないこと。

例えば、妙にメルヘンチックなもの。
「僕の魂は 空間に解き放たれて いつまでも時間の裏側で 独りぼっち」(15歳:男子)
全く意味不明であるが、これを敢えて添削すれば、「ボクは独りぼっち」となる。

例えば、ひどく呪いに満ちているもの。
「私が自らの命を絶つのは●●のせいだ 私の肉体は滅びても いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも●●の隣で死へのいざないを続けてやるつもりだ いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも(以下127行略)」(18歳:女性)
効果は満点だが、遺族の身にもなってみるといい。

例えば、とんでもなく優柔不断なもの。
「死ぬかもしれないのは分かっていると思う でも 多分 この先も生きていくのはとても辛そうだと思わなくもない気がするので 死ねるのならば 死んでみたいと思います」(20歳:男性)
様々な場面で損をしてきたタイプと言えるだろう。

例えば、大きく勘違いしているもの。
「社会が荒んでしまったのは 僕のせいです 死んでお詫びします」(19歳:男性)
思想は立派だが、行き過ぎだ。

遺書で一番大切なのは、何故死ぬか、ということ。次に、誰に宛てたものであるか、ということだが、特に宛てたい人物がいない場合は特定しなくても良い。他に、どこでどんな風に死ぬか、死んだ後はどうして欲しいかなどありますが、自殺するくせにあれこれ書き残してはいけない。ある程度の節度は意識するべきだ。また、長々と謝罪を連ねる書き方もいけない。以前、「正しい謝罪の方法」を記したが、正しい謝罪において「死」は禁じ手であるから、遺書に謝罪を含めてはいけない。
さて、遺書を書くにあたっての大きな流れであるが、簡単に記すと以下のようになる。
(1)簡単に自分の人生を振り返る
  (一言で語るのが最善だが、初心者は2・3行になっても構わない)
(2)自殺に至る大きな原因について触れる
  (紆余曲折は割愛すること。核心から逸れる恐れがあるから)
(3)原因から決意に至るまでの心の動きを語る
  (矛盾が発生する可能性があるので、曖昧に)
(4)最後に一言
  (辞世の句が最善。宛先・人は特定しないほうが上品)
(5)日付と名前
  (忘れると心残りで死にきれない)

書こうと思えば自由な書式が許されるのが遺書の長所であるが、これからもっと自由な世界へ行こうという人間が、この世の最後の仕事まで自由にやってのけるのは残された人々に対して大変に失礼なので、できれば「頑張って書いた感じ」を出すことをお勧めする。そうすれば、「ヤツも最期くらいは頑張ったんだな」と思ってもらえる。

さて、以上の点に留意しながら、私の遺書を公開する。勿論、今日明日にでも自殺をしようというのではない。確定申告を終えたばかりの私は、そう遠くない将来に於いて必ずや全てにおいて逼迫するであろうことを悟ったのである。このままいけば、いつ発作的に首をくくってもおかしくは無い。
自殺には勢いが必要であり、自殺の前に落ち着いて遺書など書きしたためられるほど私は豪胆ではない。きっと、「アワワワ」と慌てふためきながら首を切ったり手首を吊ったりと大きな過ちを犯しつつ狼狽するに違いないので、今のうちに書いておこうというわけだ。
なお、今回は便宜上ワープロ形式での遺書となるが、実際に遺書を書く際には必ず手書きでしたためること。最期の文章くらい、手書きのもので残す気配りが必要だ。


「遺書」

今まで何もいいことがありませんでした。
それだけでも充分に死を選ぶ理由になるかと思いますが、将来にささやかな希望を持ち、今まで生きながらえてまいりました。
しかし、折からの経営難に、とうとう資金繰りの目途が立ち行かなくなりました。資金を借りる当ても無く、またその努力をする気力もありません。自由な生き方を愛し、好きな本に囲まれて、人生の後半はとても幸せでしたが、好きなことだけで生きていけるほど「自由の責任」は軽くありませんでした。
苦境に立たされたとき、相談できる友人もおらず、慰めてくれる恋人もおらず、何があってもただじっと歯を食いしばるだけの人生は、とても寂しくありましたが、今となってはそれのおかげで誰にも迷惑をかけたり悲しまれたりせずに済むのが幸いに思えます。
最期に、辞世の句でも詠めればいいのでしょうが、そんな教養もありませんので勘弁して下さい。
夜が明けそうなので、そろそろ行きます。

○○○○年○月○日 川村光貴


あまりのデキの良さに、思わず本気で死にたくなった。一行目で既にロープを探した。危ないトコロだった。私はいつも咄嗟の行動に脈絡が無いので、注意が必要だ。
もっと詳しく遺書の書き方について知りたい方、あるいはもう少し細かいパターンで例が引いてあるものを望まれる方は、いずれ掃苔文庫さんが「遺書目録」を作成してくれる手筈になっているので、そちらをお待ちいただきたい。同業者間でもっとも死に近いといわれている方なので、きっと真に迫った素晴しく使い勝手の良い例文を作成してくれるはずだ。
乞うご期待。

第2話はこちらへ
posted by 肉王 at 23:59| Comment(350) | TrackBack(0) | 自殺教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おれ・・・3月9日に卒業式がああるんです・・・そこで自殺しようと考えています。。。
Posted by 和樹 at 2007年02月28日 22:49
3月9日に自殺か?
あと8日しか生きないということだな。

一つ聞くが、キミは生きている間に、様々なルールを守って来たか?
多分、キミ自身にとって都合のいいルールしか守ってきていないだろうと想像する。
言っておくが、自殺は止めないが、自殺にもルールがあるぞ。
まず、人に迷惑をかけるような死に方はするな。
次に、出来れば人の役に立ってから死ね。

キミはまだ子供だから少し分かりやすく書いてやろう。
卒業式に自殺をすれば目立つ。多分、色んな意味でそれがキミの目的だろう。
だがしかし、卒業式という晴れの日に自殺をすると、キミの好きな友人や女の子の想い出に泥を塗る結果となる(どこで死のうとも同じだ)。
そうなるとキミの死は、友人や女の子の中では、非常に忌まわしい記憶となる。ひいてはキミ自身の存在が忌まわしいものとなる。自殺者の記憶と言うヤツは、ドラマや小説のように美しい想い出になんか、絶対にならないことを知っておいてくれ。
また、キミが死ぬと、当然葬式が行われるが、その前に警察で検死をされて、遺体はバラバラにされる。内臓を取り出したり、チンコを切られたりする。その後に家族は葬式を出すのだが、その費用を誰が負担するのかというと、当然キミの両親だ。
ちょっと考えただけでも、以上の2点で人に迷惑をかけることとなる。
仮に電車に飛び込んだりしようものならば、JRなどから請求される損害賠償は莫大なもので、普通の家族には耐えられない。
キミ自身にそれを賄うだけの経済力があれば問題はないが、無理な話だろうと思う。

つづく
Posted by 牢名主 at 2007年03月01日 02:11
コメントが全部表示されないな。
全文は2007年3月1日の日記に書いておくから、興味があれば、そこを見なさい。
Posted by 牢名主 at 2007年03月01日 02:15
Posted by な at 2008年03月23日 23:24
た?
Posted by 牢名主 at 2008年03月23日 23:34
まだ死にませんが参考になりました。
Posted by 銀乃 at 2008年07月27日 14:32
オレのほうが先に死にそうだぜ
Posted by 牢名主 at 2008年07月29日 01:21
貴方の思想、突っ込み等に共感しました。

今年、21になった人間:牡型タイプCです。

世の中の裏切りに耐えられず、自殺を考える

普通の大人な訳だが…

自殺をするさいの適した場所、やり方

おすすめがあればききたい
Posted by NULL at 2008年09月17日 22:11
たった21歳で自殺を考えるようなヤツを大人だとは思わないが、まあ特別にオレがやろうとしている方法を教えよう。
簡単だ。
荷物をまとめて山奥の川の上流へ行き、そこでしばらくスナフキンのような暮らしをする。
そして熊に食われるのを待つ。
人生最後に食物連鎖の輪の中に入れていただこうということだ。
気が変わったら山を降りてもいい。
とても簡単だろ?
Posted by 牢名主 at 2008年09月18日 01:13
簡単だが、
捜索願いをだされたりしたら
金がかかるじゃん
それに、恐怖、痛み等はどうする?
Posted by NULL at 2008年09月18日 18:28
死ぬんならアレコレ心配しなくていい。
そもそも捜索願を出された段階では金などかからん。

怖いのや痛いのがイヤなら、病院で死ねる歳まで生きてなさいよ。

死ぬ時は痛さ苦しさを我慢して、何も残さずこっそり死ぬのがマナーです。
Posted by 牢名主 at 2008年09月18日 18:36
とても良い参考になりました。
こういう事、教えたり話してくれる人ってなかなかいないから・・・

「死ぬ」って面倒な事なんですね・・・
・・・残されたものにとっても、死ぬ奴にとっても・・・
Posted by 某学生 幾太 at 2008年09月23日 23:32
ま、確かに面倒ではありますよ。
でもねえ、本当に死ぬ理由がある人もいるから、
なんでもかんでもヤミクモに生きるのだけが正しいことではないのだよ。
まあ、時間があったら「自殺カテゴリ」の他のも読んでみてくれ。オレは決して「自殺否定派」じゃないから。
Posted by 牢名主 at 2008年09月24日 13:14
H20’5’26
フリーアナ故川田亜子さんは自殺ではありません。不自然な点が多すぎます。
Posted by アマ記者 at 2008年09月28日 18:09
じゃあ自然に死ねば自殺なのか?という子供のような突っ込みはコッチ側に置いといて。
だがしかし、それでも「だから何だ?」と言いたいのだけれども。
Posted by 牢名主 at 2008年09月28日 18:20
感動しました。これを読んでから、どうやって自殺をしようか結論が出てきました。自分の晴れ舞台を作れます。ありがとうございました。そして、ありがとう。
Posted by 長畑ひろむ at 2008年10月13日 18:13
>長畑ひろむ

やぁ。
キミは真面目なんだな。
だがおかしいな。
真面目なのに、自殺を「晴れ舞台」というのか。
オレも死ぬことに対しては随分と真面目に考えているつもりだが、晴れ舞台とはついぞ考えなかった。
まあ、慌てて死なずに、「自殺教室」シリーズは他にも書いているから、それも読んでみてくれよ。
Posted by 牢名主 at 2008年10月13日 22:16
とても考えさせられました。ありがとうございました。

自分ももう死んでしまおうと思うことがしばしばあります。ですが、そんな時心の片隅で、誰かに心配されたい、誰かに気にかけてもらいたいと思っている自分に気づくんです。自分が繰り返す自殺行為はただ誰かにかまってもらいたいだけのものなんですよね。幼稚なんです。
Posted by はじめ at 2008年11月15日 22:23
まあ、幼稚ってことはないよ。
多分、自分が何故死ぬのか良く判っていないだけだろう。
どうあれ人間いつか死ぬことだけは確実なのに、その死については人類共通の認識は(納得できるものは)ないように思う。
だからみんな、慌てて結論を出さずに、オレの様に41歳くらいまでゆっくり考えてみるのも一つの方法だ。
Posted by 牢名主 at 2008年11月17日 01:44
はじめまして。
自殺肯定派の26歳の男です。
今日、遺書を書こうと決意し何を書くべきか
悩んでるところココにたどり着きました。

以前自殺を決行しようと遺書を自分なりに書いたことがありますが、思い出を思い返しながらそれを書き綴ってて、書いている最中涙がとまらず、勢いが萎えてしまい結果未遂に終わってしまいました。

遺書をかくにあたってここで得た知識はとても参考になり、ありがたいものです。
どんな遺書を書こうと肉親は絶対に自分の自殺を受け入れられないと思いますが、毎日が不安で将来に対しても希望が持てないで生きている辛さを少しでも解ってもらえればと思います。
ありがとうございました。
Posted by タヤ at 2008年11月22日 01:49
>書いている最中涙がとまらず、勢いが萎えてしまい結果未遂に終わってしまいました

こんな良いヤツが死んでしまうのはもったいないな。
気が変わる、勢いを失う、しくじる、というのは人間の魅力的な部分。
そういう意味でもキミは最高に魅力的だ。
将来の不安についてはこちらで書いているので、死ぬ前に時間があったら読んでみてくれたまえ。
http://jailhousebook.bg.cat-v.ne.jp/article/417441.html
Posted by 牢名主 at 2008年11月22日 13:21
御返事ありがとうございます。
昨日書き込みした後、他のモノも読ませていただきました。ブラックジョークが混じっていて思わず噴き出す場面もありました(笑)
将来って何なのか初めて考えさせられました。周りの目を気にしすぎてるんです僕は。周りに生かされている感覚すらあります。
一人で生きていける収入があって、仕事も良い意味で忙しければ少しは気が紛れたんでしょうが、現実は厳しいです。希望が先なのか努力が先なのか、どちらにせよ何かをする気力はもう出てきそうにありません。
Posted by タヤ at 2008年11月23日 02:15
まあ、多くの人間は確たる気力も無くおめおめと生きているものだよね。オレなんかもそうなんだけれど、結局は無神経に出来ているから、おめおめしている自分に気が付かない。
繊細な人は周囲のことがよく見渡せるから、自分自身の在り方に対して厳しくもなるんでしょう。
そうなると、オレなんかもう何も言えません。
ただまあ、一つだけ言えるのは、周りによって生かされているってような感覚があるってことは、少なくとも今いる環境の中に自分の居場所があるということを、(無意識的にしろ)認識しているってことでしょ。
しかし、それで自分が外部からの動力で動いているロボットのようにしか思えなくとも、悲観するようなことじゃないようにも思うよ。
案外、ずっと上からの目線で見てみると、みんな同じようなものなのかもしれないしね。
気が付くか付かないかの差しか無かったりしてね。

あと、希望が先か努力が先かということになると、希望が先だと思う。
希望が無い努力は、さすがの無神経人間にも耐えられないから。
でもまあ、いきなり無闇に希望を探すよりは、とりあえずバッティングセンターで100球くらい打ち込んでみては如何か?
オレは若い頃、気が滅入るとよくやった。
すると不思議に、今までにないスイッチが入ったりしたよ。
自分のペースでやるゴルフの打ちっ放しよりも、有無を言わさず放り投げてくる機械相手のほうがいいみたい。
Posted by 牢名主 at 2008年11月23日 23:05
今日死ぬが遺書は簡単に「迷惑を掛けてすいません」とだけ書いた。死ぬに際し何も考えられない。死ぬ前から用意したほうがいいな。

じゃ お先に
Posted by あさ at 2008年11月29日 15:44
うむ・・・。
今頃はもう死んじゃった後かな?


お疲れちゃん!
Posted by 牢名主 at 2008年11月29日 23:40
遺書の書き方、参考にさせていただきました!
まだ時期的に死ねる時期でもないし、
今すぐ実行できないですが、いずれは必要となるので、とてもありがたかったです!
ありがとうございました!
Posted by 名無し at 2008年12月02日 21:47
備えあれば憂いなし。
とはいえ、書くと死ぬ気が失せるのもまた遺書。
誰に読まれても恥ずかしくないものをレッツライト。
Posted by 牢名主 at 2008年12月03日 13:02

>繊細な人は周囲のことがよく見渡せるから、自分自身の在り方に対して厳しくもなるんでしょう

なるほど!と思いました。
私は自分に厳しい、自爆型です。
他人にも厳しいので、他人が許せないことがあります。そんなのに疲れてしまい、自殺したいとしょっちゅう思います。周りに生かされているのに自分にも他人にも納得できないから嫌気がさして否定的になって、自殺したくなっての繰り返しです。私はこんなに(仕事)頑張ってるのになんでそんなにヘタレなんだ、無神経なんだって悶々としてる毎日です。
今までの自分を振り返りながら遺書を書いてみようと思います。
何もせずうだうだ考えてても仕方ないので。
Posted by まめ at 2008年12月04日 20:32
なんか、典型的な秘書タイプですね。
あなたが女性なら、ぜひオレの秘書になって欲しいものです。
オレは怒られるとすぐに謝るから、秘書のしがいがありますよ。

これまでの自分を振り返りすぎると、とても正直な遺書は書けないんじゃないかと心配です。
特にオレなんかは、過分に嘘をまぶして美しくでっち上げないと、死んでも死に切れないよ。
遺書の前に、私小説を書いてみるといいかもしれないね。
そうすると、今までとは違う価値観に巡り合えるかもしれないよ。
Posted by 牢名主 at 2008年12月06日 01:52
見て下さるかは分からないですが、お早うございます。
牢名主さんのブログを読んでいると小説を読んでいるような気持ちになれます。密かにファンです。

インターネットでではなくて牢名主さんのお店で本を買ってみたかったです。
Posted by m at 2008年12月23日 07:49
やあオハヨウ。
今朝の紅茶はいかがだったかな?
ボクは買ったばかりの午後の紅茶を、
うっかり転んで全部こぼしちゃったよ。

なにやら最後に過去形で書いてあるのが
ちょっと引っかかるね。
ひょっとすると、ボクのお店が早晩なくなり
そうなことを予見しておられるのかな。
キミはちょっと鋭いよ。
店で直接とか、悠長なことを言っている閑は無いよ。
軽いタッチで沢山クリックしてくれたまゑ。
Posted by 牢名主 at 2008年12月23日 16:10
わ、返信ありがとうございます。
すみません、紅茶は飲めないので水を飲んでました。

過去形なのは自分の命的な意味でです(多分ジョークです)
あえて買うなら銀色夏生さんの詩集か、牢名主さんの書いた本を読んでみたいです。
Posted by m at 2008年12月23日 19:12
>牢名主さんの書いた本を読んでみたいです
お世辞でも嬉しいです。
先日、20数年前の日記が出てきましたが、
あなたは買ってくれますか?
常連客には「ゴミになるから」と断られました。
Posted by 牢名主 at 2008年12月23日 23:04
ちょっと書き遅れましたが遺書の書き方、参考にさせて頂きます。ありがとうございました。
日記が買いたいとかいうと危ないひとみたいですが、200円くらいでなら買いたいです。
Posted by m at 2008年12月24日 08:02
に・にひゃくえんでハジなんかさらせるもんかぁ!
Posted by 牢名主 at 2008年12月24日 16:06
すみません。じゃあ、ごひゃ…さんびゃくえんならどうでしょう。

遺書の下書きをしてみたけれどどうも本心を吐露してしまいそうで恐いです。
Posted by m at 2008年12月24日 20:37
値下げすんなや・・・。

まあ、遺書だってなんだっていきなり完璧なものは書けません。
一度、思いのたけをありったけ書きまくることです。何枚でも何枚でも。自伝でも書くつもりで。
一度人生をつぶさに振り返ることで、気持ちがすっきりしたり、違うものが見えてきたりします。
人生には、恥ずかしい人生とかつまらない人生とか意味の無さそうな人生とか、色々あるさね。
慌ててつじつまを合わせることも無いと思うが、どうかね。
Posted by 牢名主 at 2008年12月25日 02:19
すみません。給料が出たら550円くらい出せるかもしれません。これ段々値段上がってr

そう言われればそうですね…。自分の死を想定して書くのに冷静でいられる筈もない。
慌ててつじつまを合わせることもない〜辺りで視界が滲みました。
私はその違うものが見えてくるその感覚が怖くもあります。何か怖がってばっかりですが、ちょっとやってみます。
けれど諦観混じりにそれでも行き先は同じだ、と思ってしまうのはやっぱりどこかで思い詰めてるからなんでしょうね。
Posted by m at 2008年12月26日 00:05
すみません書き忘れていました。メリークリスマス。
Posted by m at 2008年12月26日 00:08
メリークリスマス・・・ちょっと遅かったかな。

>違うものが見えてくるその感覚が怖くもあります

見えてないから死にたくなるのか、死にたくなるから見たくないのか、死にたいから見たくないのか。
そこ、結構重要よ。アンダーライン的なことね。
他人のことならいざ知らず、自分の本音も良く分らないままに事をすすめるなんて、そりゃあキミ自身が可哀想というものだよ。
オレの請求書と違って、締め切りがあるようなもんじゃないんだから、ゆっくりやるといいよ。

(ここ数回のmさんとのやり取りで、昔のことを思い出しました。)
Posted by 牢名主 at 2008年12月26日 01:59
おはようございます。返信ありがとうございます。

どれかと言えば、”死にたいから見たくない”のだと思います。もう、10年近く考えていると分からなくなってきました。本当は確たる死ぬ理由なんて無いのかもしれません。
理由は分からなくても、漠然と終わらせたいと思っているのかも。

昔を思い出されたことでもし不快な思いをされてしまったとしたら申し訳ありませんでした…。
けれど少し気になったりもしています。
Posted by m at 2008年12月26日 08:07
全然不快じゃありませんよ。
人間誰しも同じような気持ちに支配されることがあるんじゃないでしょうかね。
Posted by 牢名主 at 2008年12月26日 23:15
それなら良かった…。

今までの心境を書こうとやってみたけれど手が頭の中に追いつかなくて上手く書けないようです。全部紛い物に見えてしまう。
なんにしろ、見苦しくない程度の気持ちを書こうと思います。

ここ数日コメ欄を随分耕してしまってすみませんでした。そしてありがとうございました。
牢名主さんとお話し出来てよかったです。
Posted by m at 2008年12月27日 21:57
時々思い詰めることがあって、今回は思いつめた末に遺書でも書いてみるか、と思い書いていたのですが、
最後まで書いたところで、結局自分は無いものねだりでわがままなだけなんだと気付いてやめました。
ひとまず適当に生きてみます。
また思いつめて遺書が書きたくなったら参考のため、ここに来たいと思います。
Posted by sac at 2009年01月06日 18:28
>ひとまず適当に生きてみます
結局これが極意ですよね。
これが出来るキミは大丈夫だろうと思います。
Posted by 牢名主 at 2009年01月06日 22:40
生きることはこんなにも辛いことなのか?・・・上の人からプレッシャーと責任を課せられ、それは期待の裏返しだと言われる。それは本当なのか?自分が生きていることが他の人に影響を与え、迷惑を被ると考え始めると止まらなくなる。
何度も自殺を考えるが、実行に移すほどのことはできないで、ここまで生きてきてしまった。
しかし、これ以上、生きていても、また新しいひとを傷つけ、迷惑をかけることは、目に見えている・・・。
生きていても迷惑、死を選ぶことも迷惑・・・
死を選ぶのは、最大の逃げといわれたが、そうなのか?
それでも生きていくべきなのか?また、終わりのない悩みの無限ループに入っていく@@@@@@@@
Posted by いつからか at 2009年03月09日 21:22
期待の裏返し、という言葉を便利に使う人たちがいます。
主に自分の都合で他人をこき使う時に、偉い人たちや優しさの無い人たちが好んで使うようです。
「期待しているのならば、わざわざ裏返すな!」と、私などは思ってしまいます。
ただ、それと「他人に迷惑をかける」ということは、あまり直結しないケースがほとんどです。
かけられた期待という名のプレッシャーと真正直に戦うあまり、火の粉が周囲に撒き散らされているように錯覚して、とても辛い気持ちになるでしょうが、火の粉程度で火傷する人間などあまりいません。
ざっくばらんに言ってしまうと、火の粉程度の迷惑ならば、誰にかけても全く問題はありません。
かくいう私は、周囲の人間に、(恐らく)あなた以上に迷惑をかけているはずですが、「申し訳ないなあ」と思う程度にとどめています。
時々、「いつも迷惑かけてすいません」と謝ってみますが、皆さん「別にそれほどでも」と言ってくれます。
楽観的に考えると、どうやら周囲の人々は「こちらが思っているほど迷惑を感じていない」ようです。
私が思うに、この日本で一番人に迷惑をかけているのは、地方自治体であり、行政です。
もしあなたが、そのどちらにも属していないのならば、何も気に病むことはありません。仮にどちらかに属しているのならば、人に迷惑をかけるのが仕事なのだから、これまた気に病むことはありません。
なんにせよ、誰にも迷惑をかけないで生きていられる人など一人もいません。
それでも、人に迷惑をかけることが気になるというのならば、まずはあなたがかけている迷惑を受け入れてくれている職場を愛してみることを心掛けてください。そうすると、今までとは違った風景画見えてくると思います。

また、逃避の手段が自殺だけとは限りません。
日常の中で、瞬間的に身を隠すことができる場所を見つけてみてください。
Posted by 牢名主 at 2009年03月10日 02:03
おはようございます。返信ありがとうございます。
読んで心に響く文章でした。

僕は、行政ではないので、牢名主のいうところのひとに迷惑をかけている職業ではないのかもしれない。

何人かいる上の人は、よってたかって、ぼくがやったことに関して、あるいは、やってできなかった事に関して、とやかく責めてくる。現在の立場は、中間管理職てきなものかと・・・上司から下の子の面倒をみろと、それが君の未来にとって重要だ。君はひとのうえに立つのだから、いまは修行と。
それで下の子の指導の仕方、下の子の失敗、すべて僕の責任にされる。
理論的には、あっているのかもしれない・・・が・・・そんなによってたかって何人もの上司?!から言われたら、そんなに強くない僕は、おれていく。
やはりそれもまた、期待しているから怒られる、そういうものなのでしょうか?社会とは・・・。

もし、これがいまの社会構造上、当たり前のことならば、自殺者が多くなるのも無理ないのではないでしょうか・・・。

まずはあなたがかけている迷惑を受け入れてくれている職場を愛してみることを心掛けてください。・・とても納得できるいい文章でした。
いまのこの職場に、僕は受け入れられているのでしょうか?
Posted by いつからか at 2009年03月10日 13:11
なんか、学校の先生みたいに理詰めで責めてくる上司ですねえ。
どんな場面であれ、「キミのためだから」といわれると、返す言葉がなくなるものです。しかしながら、「オレのためだというのなら、オレのためになる部下だけを育てる」という反論もアリなんじゃないでしょうか。
もちろん、立場的にそんなことは言えない場合もあるでしょうし、文面から察するにあなたの職場は営利だけを目的にした企業でもなさそうなので、「自分のためになる人間だけ育てる」と言った瞬間、社会的立場を失う危険性もあるのかと思います。なので、ついつい口が重くなり、それが日頃の言動も重くする・・・。
発言する、というのは、つくづく勇気なんだなと思います。
「出来る」「出来ない」「いる」「いらない」「好きだ」「嫌いだ」
簡単な言葉ほど、発する時には勇気が必要になりますね。でも、言わなきゃいけないことは、やはり勇気を持って言うべきなんでしょう。
ただ、その上司が、やはり「自分の将来のため」と思ってあなたを育てているのだとすれば、それは大きな誤解で、本来は下の子を育てる時には「自分の将来のため」などというお粗末な考えは捨てるべきなんだと思います。
誰のためでもなく、ただ次の者に伝える役割を全うする。それ以外は瑣末なことだ、と。
そういう気持ちでないと、下の子にはどんな言葉も通じないんじゃないかと思います。
言葉が通じれば、人間的な理解も深まるし、そういう関係になればお互いに多少の迷惑をこうむっても、恨みも何も抱かずに受け止められるようになるんじゃないかと思います。
私の思い込みも大分入っていますが、どんな人間であれ、思い切り場違いな場所に立っている、ということはないようです。思い込み半分だとしても、自分は受け入れられてこの場所に立っている、と考えても間違いではないようです。安心して居座ることを自信を持ってお勧めします。
Posted by 牢名主 at 2009年03月10日 14:17
始めまして。
WEB上を漂流しておりましたら何故かこちらへと辿り着き、じっくりと閲覧させて頂きました。

貴殿は、大変暖かい心の持ち主様であると容易に推測されますね。

それでいて時には厳しく、時には共感し、様々な本質を見事に指摘し、的確に助言する能力は、ある種何かのきっかけで達観されたのであろうと覗えます。

さて、私も貴殿と同様、資金繰りに詰まった愚かな経営者です。残念ながら、私が死ねば様々な人に迷惑を掛け、悲しませるのは確実であります。

ただ、死ぬ事で得られる代償は(要はお金ですな)喉から手が出る程欲しいものです。

私の命と引き換えに、私の愛する従業員やお取引先と、それらに携わる家族を一瞬でも豊かにしてあげたいと思う邪念が私を此処へ導いたのだと思います。

貴殿の一語一句が胸に突き刺さり、私のような愚か者が、愚行から一歩踏みとどまるキッカケになってるわけです。

今後のご活躍を期待しておりますね。
ありがとうございました
Posted by 多聞天#881888188818 at 2009年03月21日 20:30
御意見、謹んで拝見いたしました。
多聞天さんのように、家族や従業員や取引先のことを一番に考えている経営者の方が苦しんでいる現状について、いつも心を痛めています。
一方で、従業員や取引先を痛めつけることで自社の経営を優先させている大企業の在り方について、疑問を持たない国民はいないと思っています。
私は瑣末な人間ですので、命を代償にしても残せるおカネがありません。
つまり、おカネで何かを清算しようという手段が発生しないため、ただただ周囲に迷惑をかけ続けています。
みっともないことこの上ありません。

命と引き換えにして残したおカネは、遺された人間にとってはとても使えるものではありません。
しかし、日々を生きるために使わざるを得ない。
その度に、心が痛む。
おカネと一緒にそういう辛さも遺してしまうのだと思います。
風向きが変わるまで、大声出していきましょう。
特に貸付窓口で。
Posted by 牢名主 at 2009年03月23日 02:55
コメント有難うございます。
早速今朝は金融機関の渉外担当に大声を張り上げてきましたよ(笑)

さて、私はいよいよ崖っぷちに立たされた模様です。前向きに歯を食いしばり、日々耐え忍んできたつもりですが、いよいよ運転資金が回せなくなってしまいました。

30代で個人資産がMAX4億もあったのが私の少ない自慢のひとつでしたが、この不況下でいよいよ個人資産はマイナスに目減りし、今まで腰の低かった金融機関は手のひらを返した様に貸し剥しを徐に断行してきました。

私は輸入雑貨のお店を東京・大阪で7店舗営んでいるのですが、現状全店黒字経営をしております。しかし、我々輸入代理店という商いは、仕入れを行わなければ商売になりません。

輸入製品の仕入れをするには、ある程度まとまったお金が当然のように必要なのですが、そのお金が支払えなくなってしまえば、売るものが無くなってしまいます。ただでさえ消費の低迷が著しい今日では、仕入れなくして商売は成り立ちません。銀行も当然その仕組みは理解しているのですが、今は新規融資を一切出来ません!の一言で立ち去ります…

一度借入れを全額返済すれば新規に組みなおすって言ったじゃない…?

あぁコイツらは我々の血税で生かされているくせに、自己保身しか考えていない詐欺集団なんだと気が付き、己の馬鹿さ加減に今まで味わったことの無い絶望感と己の不甲斐無さに怒りすら感じました。

なんとかノラリクラリと半年は食いつないで来たのですが、状況はさらに悪化し、いよいよ自己資金も底をついてしまい手詰まり状態に行き着きました…

出来る限りのことは自分なりにして来たつもりですが、やり残した沢山の事やWBCの行方が気になります。

しかし、私に残された手段は2つ…

すぐにでも己の生命を絶ち、引換えの代償を手に入れ、後世に私の築き上げた代物を託すか、従業員や関係取引先にも同じ絶望を共有してもらい、多くの人々の生活を不安に落とし入れるかいずれです。

私はやはり従業員やお取引先を痛みつけてでも生き残る事を選択する立派な経営者には成れませんでした…

38年間の短い人生でしたので、悔やみ事は沢山ありますが、己の美学は貫き通して人生を全う出来る達成感はあります。


妻や子供達・両親には申し訳ないのですが、頂きに立つ責任というものを理解して貰うしか他ありません。

私はこれから自ら命を絶ちます。

しかし、それは己が弱いから逃避するわけではなく、大人ってこんなに強くなきゃいけないもんだっていう証明を私の愛する子供達と従業員にしてもらう為です。

もちろん本音はまだまだ生き続けたいのですがね(笑)

明日はぜひとも日本代表に勝利してもらい、少しでも日本の景気を上向きにしてもらえるようなニュースを流して頂きたいと切に願います。

牢名主さん、これからも一人でも多くの自殺志望者に教えてあげてください。

人生の儚さと尊さについて

では、これを以って私の遺書とさせていただきます。
短い間でしたが有難うございました。
Posted by 多聞天#881888188818 at 2009年03月24日 01:54
ちょっと、ちょっと、
人生の尊さとかWBCが気になるとかいってるくせに、
どうしてそんな悲しいことを言いますか。
私は経営者の責任というものはわかりえませんが、
経営者という肩書とか、お金とか、
そんなもので人間をはかることなんてないと思います。
いまのまま『人間的』に生きて悪くないと思います。
覚悟っていうのは、
死ぬ覚悟ではなくて、
どんなときにでも生きていられる、
そういう覚悟だと思います。
どうか・・・

すみません。
どうとられるか心配ですが、
黙ってるのは気が引けました。

牢名主さん、
余計なこと言ってしまってたら
ごめんなさい。
Posted by エス at 2009年03月24日 10:18
うわぁ〜
まだ生きていますよね?

カッコつけても事態は改善しませんよ!牢名主さんがいってる通り、残された人たちが遺してくれたお金を使う時の気持ちを考えてみてください。

お子さんが泣きじゃくる姿を想像してみて、改めて考え直してみてください。
Posted by ユベントス at 2009年03月24日 13:48
昨夜、多聞天さんのコメントを見てから、ずっと考えておりました。

実は、遺書を手渡されるのは今回が初めてではありません。
コメント欄をさかのぼって見れば一目瞭然ですが、ここだけでも結構な数の人たちがそれらしきことを書き残しています。
他にメールで頂くものもあり、それらをあわせると、(半分が冗談だとしても)結構な数になります。
今回の件に限らず、それぞれに思うところは色々あるのですが、「人が死ぬ」ということについては語るべきことが多すぎて、何から手をつけていいものか分りません。

私は自分のことであれ他人のことであれ、「人の死」というものについて、至極無責任です。
そんな私の如き人間にも、あるいは私の如き人間だからこそなのか、このようにすれ違いざまに遺書を手渡してくれる人がいます。それはその人の人生の中でもかなり最後に近い言葉です。
なので、それがどんな言葉であれ、たとえ道端に吐き捨てたようなつもりで残したものだとしても、大事に拾い上げてやりたいと思います。
そして、そういことを繰り返している私の目には、この世の中がどんな風に映って見えているのかを、これからも書いていこうと思います。
ではまた。
Posted by 牢名主 at 2009年03月24日 18:51
牢名主さん初めまして。いつも興味深く拝見しています。
実は結構以前から読ませて頂いているのですが、コメントを書くのは今回が初めてになります。

以前友人が遺書を残して他界をしまして、それから私も私なりに自殺について考えるようになりました。
極論ですが、私は自殺否定論者です。綺麗事かも判りませんが、まだ人生を歩める資格があるにも関わらず、自分でその歩みを止めてしまうのは良くない事だと思うからです。

悩みや苦しみ等様々な要素が融合して、自殺というひとつの手段を選ばれる人が居るのは理解できます。でもその手段を選ばなくとも、何か解決出来る選択肢が必ず他にあるはずなのに、あえて自殺を選択するのは理解が出来ませんでした。

でも、多聞天さんの遺書を拝見したら涙が溢れ出て止まりません。

>もちろん本音はまだまだ生き続けたいのですがね(笑)

この一文が私の理論をひっくり返しました。さらに、私の自殺に対する概念は一気に崩れてしまいました。もう否定すら出来ません。

そこで感じたのが、人員整理を当然にように行っている多くの大企業や、貸し渋りや貸し剥がしを流行のように行っている銀行等がのさばっている我が国の実態に深い疑問が生じました。
果たしてこれが豊か国なんだろうか?

なんて考えてしまいます。
Posted by &。t at 2009年03月24日 20:08
>&。t さん

やあどうも。

>果たしてこれが豊か国なんだろうか?

この疑問が、大事なんだと思います。
話は少し逸れますが、私が普段「反エコ」だとか「自殺やむなし」と言っているのも、元はこういう疑問が出発点だったと記憶しています。
「なんかおかしいんじゃないか?」と、心の隅では思いながらも、声に出せないまま、周囲の意見に合わせてしまう空気が社会全体にありますよね。
なにせ、敵の言葉は綺麗ですから。
「命は地球より思い」とか「未来の子供たちのための環境保護」とか。
そこに異を唱え切り込もうとすると、どうしても言葉の綺麗さで負けてしまう。
で、多くはそこで負けて、不和雷同してしまう。
そういう空気が漂っている中で、真面目に生きようとすると、どこかで辻褄が合わなくなってくる。
真面目になればなるほど、その空気の異常さに耐えられなくなる。
貸す時も剥がす時も嘘をつく銀行。
エコが蔓延すればするほど儲かる企業。
公務員のためにしか使われないような税金。
自らの主張のために捏造してでも情報を流すマスコミ。
そして、自分のためのことならば何をしても罪悪感を感じない人々。
そういう空気の中では、真面目に生きている人も自殺を選ぶ人も、理由が同じになってしまうのはムベなるかな。
だって、漂っている空気そのものが嘘なのだから。(多聞天さんが、死ぬけれど本音は生きたい、と言っていたのも、それに近いと思います)
そして、同じ空気の中で我々も、実は死と混在一体。
自殺者に対する言葉は、実は自分に向けられているものかも知れません。
また、(本意ではないにせよ)言葉とは逆の意味を生み出していることもあります。
つまり、自殺者に対して「生きろ」と言うと、相手は空気の中に嘘を感じている人だから、逆の意味を感じ取ってしまう場合もあるわけです。
一生懸命生きている人に「頑張れ」とはおいそれと言えないことがあるように、死にたい人に「生きろ」は禁句でもあるのではないかと思っています。

ああ、でも、これらは極論なのかもしれません。
私自身、「これが正しい」ということは未だに何一つ掴めてはいません。
ただもう、すれ違ったな、ということを感じるだけです。
けれど、すれ違ったと言う事実を捻じ曲げずに、本当に確実にすれ違ったんだということは、嘘偽りなく申し述べて生きたいわけです。
そして、こう思った、ということも大事にしたいわけです。
Posted by 牢名主 at 2009年03月24日 21:59
早速のコメント有難うございます。
とても共感する部分が多く、読み応えがありました。私は某私立高校の教師をしています。


私もエロには興味ありますがエコには全く興味がありませんし、命の重さを謳うならば、動物や植物も同列に考えなければアンフェアだと思っています。

私の偏見かもわかりませんが、大方の“自殺志望者”と言われる人々は、ここの記事の上の方に登場する“おバカ”な子供たちに代表されるように、概ね(それで死ぬんかい?本当にそれが原因で死ぬの?)的な事を平然と口にし、周囲の迷惑を一切顧みず、言わば小規模の【自爆テロ】を行います。
※自殺教室(正しい遺書の書き方2)
これは是非とも一読して頂きたいですね

でもこれらの輩は悪気が無いから余計にタチが悪い。

だから私は、ある自殺志望者の生徒に対して『自殺をするのならば、自分のご両親にお伺いを立てて、(あぁ死んでいいよ)って許可して貰ってからにしなさいよ!アンタにゃまだ自分で死ぬ権利なんて無いの!!』
て言ったことがあります。

しかし、多聞天さんの様に【自分に携わる人々を守るため、自らの命と引き換えに代償を得て未来を託す】って行為は、仮に多聞天さんがご自身の親御さんにお伺いを立ててれば、ご両親は何と言われるのでしょうね?

私はあまり世間が悪い・社会が悪いと言う言葉を発するのは好まないのですが、多聞天さんの様に従業員の雇用を死守する経営者が身を投じ、多くの従業員を使い捨てカイロのように切り捨てる大企業の経営者達は何の罰も受けない。
どちらが立派な経営者だと思うかを生徒たちに今日聞いてみました。

>漂っている空気そのものが嘘なのだから
これについては子供たちも感じている様子です。政治であったりメディアであったり、惹いては私たち教師の言動すら信じていません。

やはり、これが豊かで未来ある国だとは到底思えません。
Posted by &。t at 2009年03月25日 20:59
すいません。投稿して読み返してみたら文章がメチャクチャでした

現代の子供達の精神構造は、私たちとは大きくかけ離れています。それは偏に【教育】の所為だけではありませんが、社会や家庭内における環境に大きく影響されているものだと私は考えています。

多聞天さんの【遺書】が私にとってあまりにも衝撃的だったので、私の受け持つクラスの子達に感想を述べて貰いました。
結果、絶望的な意見が多数を占め、これからの日本を本当に危惧しています。

最も多かった意見は『競争社会で敗れた経営者は、淘汰されるべき存在』
です。経営とは会社を発展、存続させることに意義があり、舵取りを見誤った自己責任の結末なので同情の余地はなし

が圧倒的多数です。

少数派には『武士道精神を持っている立派な経営者だと思う。派遣切りをしているような会社の経営者はまず自らが切られるべき存在』というのが全体の1/4程度でした。

私は後者の意見が一番しっくりくるのですが、現代の子供達は米国の一番悪いところが根底にある感じがしました。

私は、こんな風潮の日本が大嫌いです。なるほど。。。死にたくなりますね
Posted by &。t at 2009年03月25日 22:01
どうもこんばんは。
御意見、拝読いたしました。
率直な感想は、「やあ、やっぱりまだまだ高校生だな」というところです。加えて、まだ充分に成長の余地を感じ、少し安心もしています。

「敗北者は淘汰されるべき」と言う意見などは、感受性はあっても、現実的な想像力はまだなく、自分自身の未来に挫折や敗北感を予感していないが故の意見ではないかと思います。
ただ、その裏側には、「カネを掴めなかった者は敗残者である」という偏った価値観が見え隠れしているのが興味深いです。
今時の子供たちは、小さな頃からきちんとカネの価値を把握していて、驚かされることが良くあります。
最近では、「定額給付金を貰ったら、アレとアレを買う」と、きちんと計算されています。
「じゃあ、100万円貰ったら何を買う」と聞くと、「とりあえず今欲しいもの全部買っても100万円にはならないから、貯金する」と、血も涙もないことを言えるのです。
私が子供の頃は、100万円あったらアメリカくらいは買えるんじゃないかと思ったものです。
で、何故今の子供はカネの価値を正確に把握しているのかと言うと、恐らく親が子供の目前で金勘定をするからではないかと想像しています。
それがいい事なのかどうは分りかねますが、ただそのお陰で、子供たちはおカネの多寡で大人の(親を含む)優劣をつけることが出来るようになったのではないかと思います。
マスコミなども人間を金持ちの順番に並べるようなことをしますから、子供たちは自分の予想の答え合わせをしやすくなるのでしょう。
「ホラ、やっぱりビルゲイツが一番偉かった」と。

ところが、多くの子供たちはまだ自分で稼ぐことを知らずに、ただカードゲームのように集めたものの多さだけに価値を置いていますから、集めたものの使い方や、いつの間にか本位ではない形で雲散霧消する現実とは別のところで意見を言っているのだと思います。
若いうちはそれでいい、と私は思います。
「舵取りを誤った云々」のくだりについては、一見、血も涙もないように聞こえますが、人の死に対して現実感がないのも年齢的にやむを得ないと思います。後々、若い頃の考え方の誤りに気が付くのも、心ある大人になるための条件だと思うのです。
彼等の言葉が、決して無感情に発せられた意見ではないと期待するのも、大人の役割かと。

一方で私が気になるのは、前者の意見も後者の意見も、「断罪について言及している」点です。
どちらの意見も、「死をもって引責した」ことに対して肯定的ではないですか。
現時点で多聞天さんが亡くなったかどうかは分りませんが、彼がとるべき責任とは、果たして「死であったのかどうか」という点を私は重視したいです。
彼の生命保険で得られる金額で、遺族や社員や取引先の生活が恒久的に補償されるわけではありませんし、会社の負債を全て清算できるとも思えません。あくまでも一時を凌ぐだけのものであり、彼には酷な言い方かもしれませんが、同じ社会に生きるものとしては、やはり「自己満足の域を出ないものである」と評価せざるを得ません。
それでも彼の死を引責として認めることが出来るのかどうか。もっと言えば、カネでの失敗は死をもって償う以外に方法はないのか。
ホリエモンや村上ファンドだってカネで失敗しているのに、現実的に手元にカネが残ったから死ななくても良くて、カネを失った人だけが死ななければいけないなんてのは、おかしなことです。
しかし、これが社会の答えなんでしょう。
カネを持っている人間は、たとえ犯罪者でも価値があり、カネのないヤツは聖人君子でも価値がない。
その人間に、愛すべき価値があるかどうかはテストの結果で決める、という。
我々のような中年は「人の価値はテストの結果やカネの有る無しで決まるものじゃない」という理想を未だに持っていますが、悲しいかな自分の子供の前では金勘定をして、テストの結果で子供の能力を測ろうとしてしまいます。
理想はよその誰かに実現してもらうとして、自分の子供にはそれを求めない。もしくは、理想なんてものは単に自分への言い訳だったり。

なんだか、コメント欄の狭い窓で長い文章を書くと、文脈が見えなくなりますね。
私の返信もきっと的外れになっているかもしれませんが、これらは継続案件として、長い目で見てください。
なんにせよ、若者たちが一時の感情で物申した意見には、そんなに絶望しなくてもいいと思います。
全員は無理でも、多くの子はちゃんと心ある大人になってくれると信じます。
Posted by 牢名主 at 2009年03月25日 23:50
こんにちわ
14歳の麻美です。
私は最近の新しい携帯が欲しくて援に手を出してしまいました。
そこで関わる事ができた人に個人情報を教えてしまい今では脅されています。
もう恥ずかしくて生きていけません。
自分の人生やり直す事が出来ないのならば死のうかと考えています。
私の選択は間違っているのでしょうか・・?
Posted by 麻美 at 2009年03月27日 12:08
イタズラ投稿だとは思うけれど念のため。
人の噂も75日。
選択肢そのものが間違っている。
Posted by 牢名主 at 2009年03月27日 13:42
牢名主さんこんにちわ

>どちらの意見も、「死をもって引責した」ことに対して肯定的ではないですか。

確かに前提は『何も死ぬ事はないのに・・・』がある筈だと思っています。現在春季休業のため、たまたま登校していた少数の生徒からしか意見を聞いていなかったため、新学期が始まってから全員にもう一度聞いてみようかと思っています。


しかし、何か子供達の感覚がズレてきている感じがするのです。

それは何かとはっきりとは申し上げられませんが、この感性は危険な香りがして止みません。

>なんにせよ、若者たちが一時の感情で物申した意見には、そんなに絶望しなくてもいいと思います。
全員は無理でも、多くの子はちゃんと心ある大人になってくれると信じます。

私も教育者の端くれですから当然同感ですが、何か不安が先に立ってしまいます。

牢名主さんが子供達に聞いてみたい事が何かありますか?
新学期が始まったら早速聞いてみます。
Posted by &.t at 2009年03月31日 15:16
子供に何か聞きたいことがあるかと言われると、なんか難しいですね。
大人になったら何が出来るようになりたいのか。
ということを聞いてみたいですかね。
若いうちは大概、今だって何でも出来ると思い込んでいるだろうけれど、「でも、まだこれが出来ていない」というような自覚を持っているかどうか気になります。
「人の役に立てるようになりたい」とか、「歴史に残りたい」なんて答えもあるのかなぁ。
まあ、端的に「どんな大人になりたいか」ってことでしょうか。
いや、すいません。
自分でも良く分っていません。
Posted by 牢名主 at 2009年04月02日 01:16
はじめまして、死ぬために生きている者です。
数十日前まで高校生でしたが、こんな時間にこんなサイト見てるってことは中退したってことです。(でも今はまだ春休みか)
予定としては50年後ぐらいに死のうと思っています、病気や事故がなければ。
即ち、死ぬ気で生きています。

私は自殺という行為が不思議でなりません。
自殺は神秘的にさえ感じられます。
人間は人生の中で物を創り、子供を作り、色々なことを表現しますが、自殺をしたという事実は、その人の最後の表現で、体をはったメッセージです。
唯々ぼんやりとした不安だろうと、自衛隊基地を占拠して割腹しようと、その人はもう動かないんだから、自殺したという事実が一人歩きします。

死に方にもよるでしょうが、実際の自殺現場はどれも惨い状態で、周りに迷惑もかけるでしょう。
ですが「自ら命を絶った」という話だけだと、ただ惨いだけとは思えません。(他人事だからこそ思うことがある)

私は自殺するまであと半世紀あるんで、自殺したという人を聞いて、嗚呼なんと根性のある方なんだろう・・・と思います。
特に10代の自殺は大変興味深いです、母親のアソコから生まれて10年やそこらしか生きていない少年少女が自殺なんて画になるじゃないですか、戦争で玉砕する兵隊さんにように画になります。
脱サラして起業して失敗して一人自殺するオッサンより何十倍も美に値します。
小学生がマンションから飛び降りた、中学生が教室で首吊った、などのニュースを聞くたびに、死ぬ前に話を聞きたかったと毎回思います。
鬱状態でこの上なく不安定でしょうが、今の気持ちとか何故死ぬのかとか、大変シンプルな質問ですがじっくり聞きたいです。
しかしそんな質問をして自殺を思い止まりでもされたら、その話自体嘘といわれかねません。

死のうとしてる人間が、自ら他人に「今から私は死にます!」と言ってるのは、胡散臭いと思われても仕方ないですよね。
まぁ「○○さんの記事に感動したので今から死にます!」ってのはどうかと思いますが・・・。
死のうとしてる人間に、努力して口を開かせて、そしてその後その人が自殺してこそ、何か特別な事が感じ取れると思うのです。

身の程知らずの私のようなゆとりが他人のそういう話を聞くなんて100年早いんでしょうね!

人の心配より自分の心配をした結果がこれです。

死にます。(50年後に)

死ぬまでは、レコード聴きながら本でも読んで暇をつぶしたいと思います。

↑読み返してみると「だから何?」って返事が今にも液晶画面のドットに浮かび上がってきそうです。
Posted by あゝ高校三年生 at 2009年04月03日 13:30
芥川や三島の例を引き、CDではなくレコードを聴き、そして名前が「あゝ高校三年生」ときては、もうキミは充分に死んでいるといってもいいのではないかと。
読みようによっては、小賢しい少年が我々オッサン連中を揶揄しているようにも取れるし、「みっともないから早く死ね」と言っているようにも取れる。
いずれにせよ、キミは私にとってはとても興味深い意見を持っています。

自殺が魅力的行為だと言っていますが、そもそも自殺と自然死の違いは何でしょうか。
死んで骸になるという観点からは、どちらも同じで、単に手段が違ったということでしかありません。
しかしながら、自殺した遺体と、自然死での遺体を前にした時、それを見た人の感想にはかなりの差異があります。
それは何故なのでしょうか。
キミの言葉によると、まだ50年の猶予があるらしいので、ゆっくり考えてみてください。
受験に失敗した若者であろうと、脱サラに失敗したオッサンだろうと、自殺した理由には等しく意味があるはずです。
自殺するまでにも、自然死する直前までにも、人には人生があり、そこには美醜などで語ることの出来ない物語があったのではないでしょうか。
その辺を想像しながら、優しい気持ちで考えてみてください。

ただ、あと50年を猶予として生きるとなると、50年かけて死ぬ自殺のようになるので、できればもう少し有効な人生の使い方をしてくれることを望みます。
Posted by 牢名主 at 2009年04月03日 21:27
なるほど
これが噂のゆとり世代ね。

50年もの歳月を経て“死”を迎えようとはおこがましいにも程がある。自殺を選択するのは老若男女問わず、全ての人間に与えられた自由だとは思う。年端も行かない子供達が死を選択するのも、死を間近に迎えた人間から見ればただの(贅沢)でしかないことを覚えておくと良い。

自殺を選択したことに価値なんかは無いもんだ。三島由紀夫しかり太宰治しかりだ。

理由は様々だろうが、結果絶望の淵に辿り着いただけでしかない。

逆に絶望に直面しない限り、君は50年後ものらりくらりと生きているだろう。

50年も生きるつもりならば、生きる覚悟が必要だ。死ぬつもりの人間が50年もの時を耐え抜くことが出来るものか。


なーんて思ってしまう

死ぬ気で生きるのならば、まずは失った時間を取り戻せるように努力したまえ。三度炊く飯すら硬し軟らかし思う侭にならぬ世の中、死なない様に生きる事が“美”だとは思えないもんかね?

主の言う様に、小賢しい少年が我等オッサン宛てに「みっともないから早く死ね」と言っているのならば一考の余地はあるが。
Posted by ユベントス at 2009年04月04日 03:12
昨日、返信してから「あゝ高校三年生」さんの書いた意味をもう一度考えてみましたが、もしかすると彼は「普通に生きる」ということを言いたかったのではないかとも思いました。
また、「あゝ高校三年生」さんはどう考えてもいわゆる「ゆとり世代」ではないように思います。世代的はそうなのだとしても、人間的にはむしろ我々に近いと思います。もしかすると、もっと上の「新人類」と言われていた世代(現45歳くらい)に近いかもしれません。
ユベントスさん、「ゆとりゆとり」と侮ると、痛い目に遭う相手かもしれないので要注意ですよ。
Posted by 牢名主 at 2009年04月04日 13:24
どーも
牢名主さんはそう感じましたか。
ゆとりの定義がイマイチはっきりしないのですが、私なりに感じるのが「生に対する希薄さ」があると感じています。

我々の世代が子供の頃は(大人になる=生きる)って物凄い大変な事だと根拠無く感じていましたよね?
実際大人になるとその大変さが痛切に感じ取れます。要は大人になる「覚悟」みたいなものを、幼い頃からある程度持ち合わせていないと、苦境に立たされたときに「リセットボタン」を探すのが根底にあるのが“ゆとり世代”ではないのかなと思っています。

良くも悪くも我々世代は「粘りの美学」を少なからず持ち合わせていると思います。それが微塵も感じられないのが彼らの世代で、良し悪しは別としても全ての物事に対する「可能性」を認識せず、投げ出してしまう傾向が強くあるとみています。
侮るなんてとんでもない。

逆に危惧していますよ。自らに残された「可能性」を無駄にしてしまうことを。
Posted by ユベントス at 2009年04月05日 11:45
どうも。
私自身、若い頃にはあまり生に対する意識が高くなったもので、今の若者たちとの差が良くわかっていません。
また、教育スケジュールや遊び道具の違いで、人間の本質がそれほど劣化するということもないんじゃないかと思っています。
むしろ私は団塊の世代にこそ問題の本質があるのではないかと、根拠もなく睨んでおります。
Posted by 牢名主 at 2009年04月06日 15:48
とても参考になりました

自分には友人も、必要と思ってくれる方も知人もたくさんいるのに自殺を考えている自分は我儘で傲慢、浅はかなんだ思いました

けれど小さい頃から今も尚両親に酷い中傷的な言葉や虐待をされ、精神病に追い込まれ薬剤治療中なせいか何かを言われる度にこんな生活がもう御免だと自殺ばかり頭に浮かびます

鬱病のせいにして何もかもやろうとしない今の自分を何とかしたいくせに、未だ治るどころか悪化していく病気にどうすればいいか思い悩み、最終的に自殺という逃げ道に縋る自分が一番嫌いです
Posted by 遼 (16) at 2009年04月07日 20:03
>遼さん

やあどうも。
キミは「自分が一番嫌い」なんじゃなくて、「自分を嫌いだと思わせる」今の状況が嫌いなんじゃないのかなと思います。
親子の問題と言うのはとても難しくて、今は何も言えないけれど、周りにいる友人たちを大事にしてください。あと、学校にもなるべく行くようにするといいようです。どんなに退屈なところであれ、居場所があるというのは精神的にもとてもいいものです。
(16)というのは多分、年齢のことだと思いますが、まだまだ先に楽しいことがあります。彼女なんかも出来るでしょう。
人間いつかは死んでしまうものですが、16歳ではまだまだもったいないです。
客観的に比較して、世間一般よりもかなりみっともない41歳のオレでさえ、図々しくも「まだもったいない」と思いながら生きています。
鬱病は大変だろうけれど、明るい性格ばかりが健常な精神じゃないしね。落ち込みやすい暗い性格だって、立派な精神だと思うよ。そんなものまで他者と比較する必要も無いんじゃないかと思います。
Posted by 牢名主 at 2009年04月07日 22:59
初めまして。
多分同い歳ではないかと思います。
お答えが深すぎて自分が子供に感じます。
が、敢えて質問させてください。
復讐のために死を選択するのはおかしいですか?
Posted by DEAD OR ALIVE at 2009年04月07日 23:23
通り過ぎてしまったかも知れないけど、多聞天さん、どこかで生きていてくれていたらいいなって・・・今でもそう思っています。
Posted by sakura at 2009年04月08日 03:32
>DEAD OR ALIVEさん

復讐のための死というのは、決闘以外はありえません。分りやすく言うと、時代劇の仇討ちです。こっちが死ぬか相手が死ぬか、正々堂々と勝負するのです。
もちろん、現代の法律では決闘すらも認められておりませんが、殺さない程度に決闘をすれば、罪も軽く済むかもしれません。
「誰かを困らせるために自殺してやる」というのでは、「生きている方の勝ち」だと知ってください。
私自身、誰かが私を困らせてやろうと言う意図のもとに自殺をしても、あまり気になりません。たとえ遺書に明確に私の悪行が記されてあったとしても、知らぬ存ぜぬで通すことが出来るからです。証人たる本人が死んでいるので、白を切るほうが得策だからです。
はっきり言っておきますが、死んで得をする人間はほぼ皆無です。逆に得をするのは生きている人間です。
復讐のための死は無駄死にだと思ってください。
かと言って、無理に決闘などもする必要はありませんので、とりあえず今はどんな手段を使ってでも現状から逃げてください。
勝負は腕力や学力だけではありません。いつかトータルで勝てるように、力を蓄えるべく、今は逃げなさいよ。逃げることは別に恥ずかしいことでも負けでもないぞ。いつか勝てばいいんだから。


>sakura さん

家族のことを考えると、私も同じ思いです。
もしまだご存命だったら、一報頂きたいものです。
Posted by 牢名主 at 2009年04月08日 13:42
お忙しい中お返事ありがとうございます。
さすがに深いというか自分には絶対に出てこない発想で少々感銘すら受けました。時には逃避も必要なんですね。
思い返せば只々石橋をを叩き跳ね返されを繰り返してきました。
最近では叩き方さえ判らなくなり嫌がらせのようになってしまい自分で行っているにもかかわらず、後で振り返った際そんなことをしている自分が嫌でチョイとお教えをいただいた訳です。
警察沙汰にもなったことだしもう相手も十分に判っているだろう、これだけアピールしてから死ねば心に深い傷を負うだろうと。
あらかた間違いではないにしろ今度は方法を替え呪怨にします。
結果はついてこないにしろ付近住民への迷惑や警察のやっかいにはならないでしょう。
別に反論する訳ではないのですがこれもある意味「逃避」ですよね?

乱筆御免
Posted by DEAD OR ALIVE at 2009年04月08日 16:15
呪怨ですか?呪詛じゃなくて?
まことに失礼ながら、あくまでも文面から察するだけですが、あなたは時間を無駄にしているように感じます。
「人を呪わば穴二つ」といいますが、これには因果応報という意味の他に、いつまでも過去に囚われるなという戒めも含まれているかと思います。

これまでに呪いの相談を受けたことがなく、いささか返答に窮しておりますが、ぶっちゃけ言いますと、あなたも書いておられる通りで、呪いなんか効かないし時間の無駄だからやめときなさい。
ほ・他になんでも楽しいことあるじゃないか。
Posted by 牢名主 at 2009年04月08日 18:01
牢名主さん、はじめまして。

先日大学生になったばかりの若造です。

親からの虐待を受けて、自殺しようと何回も考えましたが、勇気が出なかったり失敗したりしてダラダラと生き恥をさらしてきました。
食事を何ヶ月も与えないのは日常で(友達の弁当を分けてもらってました)、寝込みを襲われて何百発も蹴り飛ばされたり、小学生低学年の頃に背中に火をつけられて10年経ってもケロイドが治らないし、水を張った洗面台に無理やり頭を押し付けられて溺死させられそうになったり、目が合っただけで”何だその目は?”と殴られたりと、近所の方が警察に通報するほどの虐待をされました。
ほかにも真冬の雪が降る夜に、部屋着のまま(GパンとTシャツのみ)で靴もはかさずに一晩中放り出されたりして、警察に駆け込んだりしましたが、”教育”の一言で警察も反論できなくなり、お咎めなしの上に、後に親に警察に駆け込んだことで殴られたり。
勿論、僕に一切非がないわけではないのですが、テスト期間中に勉強してて少し疲れたのでテレビを見たり、無茶なことを言われたのでイラついてタンスを蹴ってみたり・・・てな些細なことでこのような憂き目に。
何か正論をもって反論すると、学費を払わないと脅されます。
親に迷惑がかかる方法として電車に飛び込んで自殺しようかとも考えましたが、死に際して赤の他人に多大な迷惑をかけたくはないですし、何より大好きな弟がいて、弟が苦しむことになると考えると論外であるという結論になりました。
確かに学費を出してもらっているのは自分で稼いで学校に通っている方々から見ればとてつもない贅沢なのかもしれません。
勿論そこには感謝してはいます。
しかし、

>だから私は、ある自殺志望者の生徒に対して『自殺をするのならば、自分のご両親にお伺いを立てて、(あぁ死んでいいよ)って許可して貰ってからにしなさいよ!アンタにゃまだ自分で死ぬ権利なんて無いの!!』
て言ったことがあります。

と&。t さんがおっしゃってられましたが、”勝手にしね”といわれました。

じゃあOKじゃね?

また、某Sキャンパスに通っているのですが、家から遠いので、うちの大学直属の某Hキャンパスのそばにある寄宿舎に入寮しました。
しかし、通学時間が長く、また上級生への挨拶が上級生一人当たり一時間、その用意に二時間くらいひつようで、それのために授業のガイダンスや授業自体に出させてもらえませんでした。
そこで、寄宿舎を退寮したのですが、親父に、
・大学やめろ。
・家には帰ってくるな。
・支援は一切しない。
・大学に払い込んだ100万を一年以内に返せ
といわれて窮地に立っています。

金返せってことは払い込んだ100万は俺のものだろという勝手な理論でいまだに大学には通っていますが、そろそろ死なないと、金を用意できそうにありません。

なんだか生きるのに辛くなって来ました。

どんな方法がいいのか考えてる最中ですが、遺書は書けそうです。
ありがとうございます。

まぁ、ゆとり世代の甘ちゃんがなにをほざいてんだって感じかも知れませんが(笑)

文章下手だし、なんかダラダラと愚痴をこぼしただけのような気がしてならないのですが、読んでいただければ幸いです。
Posted by forest at 2009年04月30日 20:40
やあどうも。
読みましたよ。何回も読みましたよ。
ゆとり世代とか、そういうのは関係ない。オレはそういう世代間論争のようなものは好かんよ。

いくつか腑に落ちない点もありましたが、読み取れた部分から想像してお答えできるところだけを述べさせてもらいますよ。
間違っている部分もあるだろうと思うので、そこは容赦なく突っ込んでくれたまえ。
オレは間違いを指摘されても絶対に逆ギレしないから大丈夫だ。

家庭内での虐待があったものの、大学の寮に入れたので助かったと思ったら、そこの居心地も良くなかったわけだ。
そこで、実家と寮を天秤にかけて、実家を選んで退寮したと言う解釈でいいのかな。
だとすると、forest君は家庭の中で虐待を受けてはいたけれども、それなりに対抗手段も持っていたのではないかと想像します。まあ、反抗的な態度をとっていたということでもあるしね。
最初に君の文章を読んだときには、「この子は外圧に弱いのかな」という印象を受けたのだけれど、案外そうでもないんでしょう。
なんだかんだの中をくぐりぬけて受験に成功したわけだから、やられっぱなしでもヨシとするタイプではないよね。
そういう人間が、何故自殺を考えるのか。
多分ね、君がしたいのは自殺ではなく、打開・打破なんじゃなかろうか。
本当は、面倒くさい状況や人間関係をぶっ壊したい。しかしその手段を見つけられないから、いっそ逆に自分の方をぶっ壊そうとしているのではなかろうか。
そういうヤケクソな感じは、オレも身に覚えがある。
だがそこでヤケクソな死にかたをしてはいかんのだな。
わざと親に迷惑をかける方法で死ねば、キミも書いてある通り、多分その影響は弟にまで及ぶことになる。それだけでも自殺を思いとどまる理由の一つにはなるだろう。
あと、文中からは母親の影が感じられないが、それはもともと母親がいないのか、それとも関係がうまくいっているのか、あるいは母親が無関心の立場をとっているのか。
最悪のケースとしては、両親が揃って同じことを言っている場合か。でも、その場合は親を一括りに考えてもいいのか。そこがちょっと見え辛いな。スマンが、そこはオレには分らない。
また、キミは虐待を受けていたと書いているけれど、文章からは、父親の方もキミが自覚している以上に、キミから何らかのプレッシャーを受けているようにも思える。
もしもその辺に心当たりがあるのなら、そこに関係改善の手掛かりがありそうだとは思わないか。


基本的に、親に出資してもらった学費なんかは返さなくてもいい。
確かに、過去に自分の子供に対して養育費返還の裁判を起こした親がいたけれど、それはもう(結果は忘れてしまったけれど)社会的に非難の的になったものだ。
裁判所だって、そんな訴えは余程の正当性が無い限り却下してしまう。
親に返すカネがあるならアパートでも借りた方がよっぽどまともだよね。
現在、寮も出て実家にも帰っていないのならば、どこにいるのかな。友人のところか、ネットカフェか。どこにいてどんな風に落ち込んでいるのかを想像すると気の毒になるな。

ちょっと思いつくまんま書いちゃったから、ワケ分らないだろうが、勘弁してくれ。
まあ、もっと大雑把に考えてもいいと思うよ。
子供が自分のやりたいことをやろうと思うと、親が邪魔になるのは今も昔も変わらない。
たとえ親子であろうとも、どこかでお互いに無視したり切り捨てないと、何も出来ないよ。過去に何があったとしても、全部水に流すくらいじゃないと、自分の未来も切り開けないだろ。人生には、どう頑張ってもけじめのつけられないこともある。そういう時は、邪魔なものだと割り切って、捨てるしかないよ。人間いつまでも同じ場所にはいられないし。
なんにしろ、18歳かそこらでカネのために死ぬことは無い。カネなんか無視して、現状打破の事を考えたらいいんじゃないかなあ。
オレももう少し考えてみるから、キミももう少し考えてみてくれ。
Posted by 牢名主 at 2009年04月30日 23:35
牢名主さん、ご返事ありがとうございます。

なんであの短い文章を読んだだけで僕以上に僕のことがわかるのか不思議でならないのですが(笑)
確かに、
>多分ね、君がしたいのは自殺ではなく、打開・打破なんじゃなかろうか。
本当は、面倒くさい状況や人間関係をぶっ壊したい。しかしその手段を見つけられないから、いっそ逆に自分の方をぶっ壊そうとしているのではなかろうか。

かもしれないなぁと思います。

今は、高校時代の友人の家でお世話になっています。
そして、3日からは、寄宿舎で知り合い、僕と同じ頃にやっぱり退寮したやつとルームシェアする予定です。

勿論親にルームシェアの話はしてません。
身分証明は相方に丸投げしてしまいました(笑)
印鑑証明とかは親に言わないととれないですからね。


ちなみに母親は親父の怒りのブースターです。
何でも自分の都合のいいように拡大、捏造して話し、親父も盲目的にそれを信じるのでたまったもんじゃないです。
しかも大筋は正しいからタチが悪い。
何とか間違いを訂正しても、”そんな瑣末なこと”と切り捨てらてしまいます。



勿論、親と別れる事も考えました。

しかし、祖父のツテを使って弁護士などとも話しましたが、二十歳になる若しくは年収が100万(だったかな?)を超えるまでは親の親権保護下にあり、アパートひとつ借りるにも親の印鑑証明がいるし、奨学金も親に連帯保証人になってもらわなきゃならないとの事。


めんどくさいですね、世の中って。
親がフツーであること前提で世界が進んでる。


僕なんかは、二世帯で同居していた祖父母が陰ながら支えてくれたので、餓死もしなかったし、高校二年の時には四ヶ月くらい叔母の家でお世話になることもできました。
思えばその四ヶ月が一番気楽で、幸せでした。


でも、半期分の学費はありますが後半の分はありません。

一人暮らしをしながら奨学金なしで私立大学の学費を稼ぐ方法など、そうそうおもいつきませんしね。

・・・・・・ハァ。

一応これでも将来やりたいことはあるんですよ。

僕は重度の食物アレルギー体質で、小さい頃は米と野菜と白身の魚とお茶以外何も食べられませんでした。
今は卵アレルギー以外は治りましたが、間違って摂取して血を吐いたことも一度や二度じゃないです。
これを治療したい!という夢があって、AO入試で、アレルギーについて調べて発表し、入学しました。
遺伝子工学のプロフェッショナルになりたかったんです。

でもそんなものは大学を出てないとお話しにならないし、その上、カリキュラムの都合上半年か一年間山形にあるキャンパスにこもらなきゃならないそうです。
・・・・・・なんかそろそろ大学が特定されそうなのですが(ry
山形に行くとなればそれ相応の金が必要でしょうし。

その上悲惨な事に、うちのキャンパスではノートPCを各自が持っていて授業の板書などはPCに書くことが前提なのですが、入学祝いを使って親が勝手に新中古(売れ残り)をネットで探してきたのが、買って二週間で壊れまして、それなりにPCに自信のある僕でもどうしようもないくらいになってしまい、現在はお世話になっている友人のお父様が貸してくださったPCのハードディスクを入れ替えて使っていますが、それも二日まで。
3日から(正確には休日明けの7日から)は授業を受けられません。
出欠確認すらwebで行う所ですから、PCないと何もできません。


やはり大学も夢も諦めるしか・・・と思い、自殺を考えてるワケです。


先ほどおっしゃっていた、”腑に落ちないところ”などもどんどん聞いてください。

そうやって返信を書くうちに自分の状態を客観的に見れたら、せかいも違って見えるのではないかなとおもっています。
Posted by forest at 2009年05月01日 01:02
やあどうも。
こんな時間になっても、まだ店にいるオレは、果たして働いているんでしょうか、それとも遊んでいるんでしょうか。

さて、先ほど言った「腑に落ちない点」は、今回の書き込みでほぼ解消しました。
実は、虐待をしたという事実と、入学金まで出している、という事実がどうしても繋がり辛かったのですよ。
ご両親の姿がイマイチ見えなかった。
ただし、オレはキミのことが分っているわけじゃない。文章の中からにじみ出ているキミの姿を必死で想像しただけなんです。
だから、間違っているところも沢山あるから、そこはまた鋭く指摘してくれ。

まず、キミに対する両親の愛情というものを想像してみてくれ。
キミにしてみれば、「そんなもの無い」と現段階では言うかもしれないが、まずは「あるかもしれない」と仮定するだけでいい。
食べ物のアレルギーをもった子供を育てるというのは、大変なことだよね。本人も大変だけれど、実際に子供にモノを食べさせる立場の親は、そりゃあ神経質になる。なんたって、命に関わることだから。
アレルギーを持たない子供が相手だって、毎日食べさせる苦労といったら並大抵じゃなくて、「なんでこう毎日毎日腹減らすんだろうね、このガキは」と思ったことのある親がほとんどだ。
そこへきて、キミは重度のアレルギーだ。
普通の人間なら(人類の多くは普通の人間だ)、極度にストレスが溜まるだろう。それは多分、キミの両親とて例外ではなかっただろう。
普通に健康な子供として生まれてきて欲しかったけれど、運悪くそうはならなかった。でも、親はそういう時には「自分が悪い」と考えるものだ。だからなんとしてでも立派に育ててやりたいと思う。
そういう気持ちで毎日キミの命と向きあったんだよ。
そこに愛情が無かったとは、なかなか言えないんじゃないか。なにせ、今もなおキミはこうして生きているわけだから。

しかし、キミの両親だってキミと同じ人間だ。
毎日ストレスと向き合うことで、時には緊張感のタガが外れてしまうこともあっただろう。
そこでキミへの虐待が行われたとしても、それは普通の人間であるが故の、感情の発露だっただろう。
しかしそれは、誤った行為だ。ゆえに両親もきっと大きな罪の意識を背負い込んでしまったことと思う。多分、今でもその罪の意識は消えていないだろうな。
今のキミが少しヤケクソになっている気持ちで、死んだろかいな、と思ってしまったのと同じような感じ、と言えば分りやすいかも。
ただ、キミは自殺なんかしやしないが、逆に両親は誤ってしまったんだよ。
それはねぇ、人として誰でも持っている弱さでもある。けれど、そこに甘えてはいけないものでもある。だからほとんどの人間は、何度も弱さに飲み込まれながらも、それでも戻ってくる。なんとも無意味で悲しいようだが、事実その繰り返しだ。多分キミも感じたことがあるだろうし、これからも一生感じ続けることだろう。

さて、そこで次に、キミがAO入試で(さっき調べた)大学へ入ってまでアレルギーのことを学びたいと思ったのは何故か、と考えてみた。
まあ、考えるまでも無いのだけれど、考えたといった方がカッコいいからな。
アレルギーのことを学びたい、という言葉に答えがあるようなものなんだけれど、それはもう、両親の影響なんじゃないか。
両親が自分のために食べ物を工夫している姿を、幼いころからキミはちゃんと見ていたんだろう。
だからこそのこの言葉じゃないかとオレは思ったよ。
そこんところ、もう一回考えてみてもいいんじゃないか。

両親はキミに対して、引け目がある。アレルギーのことで心配もしている。だからこそキミに望む生き方がある。
キミは虐待の恨みがある。両親の要望を理解していない。自分の望む生き方を正直に伝えきれていない。
これらを一度に解決する方法となると、かなり難しいけれど、どうだろうか、ここは一つ、キミのほうから譲歩してみては。
まずは虐待の事実を許してやってもいいんじゃないか。いつかは許してしまうことだ(これは断言できる)。早いうちに「許す」というカードを切ることで(キミしか持っていないカードだ)、お互いの距離感が縮まるのではないかと思う。そうでなくとも、確実に何かが変わるだろうと想像する。
勿論、大上段に構えて「許す」なんて言わないことだ。
自分がアレルギーの勉強をする気になったのは、子供の頃にあなたたちが様々に工夫して食事を与えてくれたからです。と言えば、きっと分ってくれるだろう。

もしも、今はどうしても両親と距離を詰めたくない、というのならば、奨学金に頼らざるを得ないだろう。
奨学金は、なにも連帯保証人の必要な民間のものばかりではなく、大学独自のものもあるし、市町村でもやっている。大学や市町村のものは審査もヌルく、叔母さんが保証人でもいいようだ。
大学の窓口か、近くの役場に行ってみるといい。
あと、ノートパソコンは、大学に余っているものがきっとあるはずだし、友人知人をくまなくあたれば何とかなる。なんだったら、パソコン同好会のようなサークルへ行って事情を話すか、入会するから余ってるのを貸してくれと言ってもいいじゃないか。
カネやモノは、動けば必ず何とかなる。
そして、予想外の展開や人脈にもつながることもある。
何でもいいから動け。
その上で、仮にうまくいかなかったとしても、それでも腐らずに、いろんなことを許してやるということも覚えて欲しいな。
Posted by 牢名主 at 2009年05月01日 04:21
牢名主さんこんにちは。

ご返事ありがとうございます。

確かに、アレルギーの件に関しては、おっしゃる通りだと思います。
辛い思いをしたのは僕かも知れませんが、一番苦労したのは両親、特に母親だと断言できます。


本当に僕を憎んでいたり、アレルギーの子育てが面倒くさくなったら、簡単に不注意という名目で殺せちゃいますから、今僕が生きているのは苦労して食事に気を遣い、僕が勝手に食べないように気を配ってくれていたのでしょう。

かつては愛情が無かったわけでは無いと思います。
ただ、僕の反抗期や母親の更年期障害や反抗期への無理解などが重なって、お互いを嫌い、憎んでしまったのかなと思います。

本来の家族なら、それでもお互いに歩み寄り、乗り越えていくのでしょう。

ただ、うちの親は早々に僕を見切り、弟に金と愛情をつぎ込むことに決めたようです。

中学に入った最初は、やる気があるなら私立の大学院まで行かせると言っていたのに、喧嘩するたびにだんだん条件が厳しくなっていき、最終的には国立大学のみ、私立なら最初の半学期のみ学費を払い、浮いた分は弟に使うと断言されました。


譲歩して歩み寄ったこともありましたが、”僕にも非があった、だから暴力も多少は仕方ない”的なことを言ったら、”そうだ、お前が絶対的に悪い”とか調子に乗り始めたので、キレてしまいました(笑)


親は、自分たちがなしえなかったものを、自分たちの代わりに僕らにやらせて満足しようとしてるように思います。

親父は、東工大に落ちて慶応の商学部で妥協してしまったので、僕に東工大を受けるように小さい頃から洗脳してましたし(早々にAOで受かってしまったので東工大は受験すらしませんでしたが)、母親は血が苦手で医者を諦めたので小学生の弟に医者を目指せといまからピーチクパーチクさえずってますし。

僕も弟も、両親の奴隷じゃなければ玩具でもありません。
親の自己満足を満たすために生まれ、生きているのではないですから、やめてほしいといっても、金を出しているのは両親だったのでどうにもなりませんでした。

本気で殺そうとしたことも、殺されそうになったのも一度や二度じゃないです。

なんとか独立したくても、親権保護下にある間はどうにもならないと、弁護士のお墨付きです。

牢名主さんが教えてくださった奨学金やPCは調べてみます。

しかし、ルームシェアも一年だけという条件ですし、住むところが無ければ奨学金だって無理でしょう。

住居だけは、印鑑証明がどうしても必要ですしね。

一年後はまだ19です。

どっかで未練たらたらでのたれ死ぬぐらいならいっその事・・・と考えてしまいます。


どっかのゲームに、人間は生まれは選べないけど死に様は選べるってのがありました。

その通りだなぁと思う今日この頃。
Posted by forest at 2009年05月01日 13:02
やあどうも。
キミの気持ちが分る、とはいえないけれど、いいたくなる気持ちは分るつもりです。
ただ、言葉っていうのは、それがそのまま真実を語っているわけじゃないことは分るだろ。
同じ言葉でも、発するタイミングによって意味が180度転換してしまうことだってよくあるし、語調や表情によっても捉えられ方が変わる。中にはそれを意識的に利用する人間だって大勢いる。
例えば、文中に何度か登場した弁護士さん。
別に弁護士さんのことを悪く言うつもりはないけれど、彼等の言葉の使い方なんかも独特だ。
「嘘は言わない」
でも、嘘を言っていないからといって、本当のことを言っているわけじゃない。
これは分るよね。
仮に彼等に、「ポストって何だ」と問うと、「黒くない場合もあるもので、それを利用して髪を切ることは出来ない。沢山ある場合もあるし、少ない場合もある」とか言うんだな。
つまり、街頭設置の郵便ポストと家庭用のポストを一緒くたにして、さらに色や形状に関してはなるべく曖昧に表現するわけさ。
確かに外れてはいないけれど、それだけ聞いたら何のことか分らない。
今回の弁護士さんは、キミの立場を法律的な一側面から見てのアドバイスをしただけで、それがキミの全ての可能性じゃないことは、分っているだろう。
弁護士さんの言葉の裏に「ただの親子喧嘩だろ。子供は黙って親元にいろや。メンドクセエ」という本音が見えているじゃないか。
だって世の中には、18歳で自立している人間も沢山いるんだから。そういう人たちが全員法律を踏み越えているとは思えないでしょ。

まあ、現段階で親と理解しあうのが出来ないというのならば、キミは今の立場を一旦降りることも視野に入れるべきなんだろう。
無収入の若者が、誰からも支援を受けずに大学へ通うのは難しいからね。
中にはそうやっている人もいるけれど、カネの問題に振り回されて自殺を思っている今のキミには多分無理だ。
だったら、一度休学するなり退学するなりして、ある程度の収入や貯金を得てから、再度挑戦するという手もあるじゃないか。
巨人の桑田のように、40歳を過ぎてから大学に入りなおして、勉強するという人も多くいる(彼もAO入試だったはずだ)。
親と理解し合えないというのは大変なことだけれど、それとキミの実力は関係の無いことだ。
「親がこうだから、自分も駄目になる」というふうに直結して考えないことだよ。

>どっかのゲームに、人間は生まれは選べないけど死に様は選べるってのがありました。

オレも以前にそういうことをこのブログで書いたけれど、みんなから「お前は子供か!」と一蹴されましたよ。言われた後でよく考えてみたら、とっても恥ずかしくなったよ。

住居に関しては、あまりいいことも言えないけれど、住むところがないから即、野垂れ死になんてありえないよ。そりゃあホームレスに失礼だ。入居条件がほとんどないようなボロアパートなんて、探せばいくらでもあるし。大家がそばにいて、管理会社を通さずに直接交渉できるところを探せばいいだけ。
とにかくそういうのも動かなきゃ見つからないし、1年の間にいろんな人に声をかけておくと、何とかなるもんだ。
若いうちはいちいち法律や規則のことなんか気にしないで、もう少し世の中をなめてかかってもいいと思うよ。それで怒られたら、そん時にまた考えればいい。最初から怒られないようにしてたら、手段が限られるからすぐに煮詰まるよ。
今回のは少し説教臭かったね。ごめんよ。
Posted by 牢名主 at 2009年05月01日 16:38
牢名主さん、おはようございます。

貴重なご意見、ありがとうございました。

弁護士の一件に関しても、そのとおりだなぁと思います。
まだまだ僕も若造ですね(当然なのですが(笑))

これから、奨学金やPCや住居も含め、ありとあらゆることをトライして、駄目ならまぁ仕方ないですけど休学して金を蓄え、一人で生活できるだけ立派になったら復学をしようと思っています。

何も挑戦しないで腐ってても何も始まらないことにようやく気がつきました。

牢名主さんのおかげで生きる決心がつきました。

ありがとうございます。
Posted by forest at 2009年05月02日 02:50
やあどうも。
あまり役には立てなかったけれど、お互い頑張って気楽にいきましょう。
またね。
Posted by 牢名主 at 2009年05月02日 22:16
大変お世話になりました。

またちょくちょく見に来ます。

それでは、失礼します。
Posted by forest at 2009年05月03日 00:26
牢名主さんはじめまして。NAです。

自殺ということについて考えているうちにこのサイトに行き着きました。

現状精神を病み薬に頼るものの7ヶ月の投薬の後、明日から休職することになりました。

何故精神を病むことになったのか?と問われるとよほど自分自身馬鹿なことをしたと思われますが。

私が今の会社に入社してから多くの方が去っていきました。私にも退職を勧める方もいたのですがせっかく入社したのだからすぐには退職する気にはなれない。という旨を伝えました。

一人また一人と去っていくなかで私には考えないこと、逃避することが変わらぬ日常を乗り越えるための手段になっていきました。

>バッティングセンターで・・・

と別の方のコメントに牢名主さんもおっしゃっていましたが私は平日はギャンブル、週末は球技をかじっておりました。

使えば使うほどきりがないものでギャンブルは怖いもので・・・。

気づけば、いや気づいていたというべきですが膨れあがっていたわけです。

今は私の愚かさが身にしみております。

ですが明日から休職する身。周囲に迷惑をかけるのも心苦しくどうすべきか。

明日から日雇いの仕事を探すつもりですが。

どうにか工面し、精神科にも通いたいと考えております。

会社から提示された休職条件は3ヶ月でその後退社する心づもりです。

その後は故郷で仕事を探そうと思っています。

不思議なもので今こうしてコメントを書かせていただいていますと少し気持ちが落ち着いています。

一方的にだらだらと書かせていただいて恐縮ですがこのサイトを拝見でき感謝しております。

牢名主さんの貴重なお時間とは存じますが何かしらコメントをいただけると幸いです。
Posted by NA at 2009年06月11日 00:15
>NAさん

やあどうも。
文章から察するに、NAさんはもう今後どうしたいかが分ってらっしゃるようなので、ほとんど心配がないように思えますね。
自殺する人って、限りなく錯乱しているか、お坊さんのように落ち着き払っているかするものですが、NAさんは全く普通に現状を認識し、全く普通に後悔をしてしょんぼりしている風に見受けられます。
とても精神を病んでしまうようなタイプには思えないくらいです。

さてさて、ギャンブルとは全く恐ろしいものです。
資金に余裕のある人のお遊びならともかく、われわれ一般人が、心の空白(穴)を埋めようとしてうっかり手を出すと、墓穴という名のもう一つの大穴を空けてしまうことにもなりかねません。
古来より、飲む打つ買うは男の三大道楽ですが、どれもこれも死に直結する危険性をはらんでおります。まあ、だからこそ男の魂を揺さぶるのではありますが。
NAさんの場合は、幸いなことに命までは取られず、借金で済んでいるという状況ですね。
状況で言うと、心の穴はそのまま残り、借金という中穴が一つ増えた、そして会社は辞める予定。
心の穴と退社は、直結した一つの要件として捉えるべきなのかもしれませんが、NAさんとしては、全く別のものに感じられているのではないかと想像するので、別々に考えて見ましょう。

まず借金ですが、NAさんはこれにより人に迷惑をかけるのが厭だと考えているようですが、人間は借金の有無に限らず他人に迷惑をかけたり、掛けられたりしながら生きるものです。
借金のことだけでは迷惑を掛けたくないという心意気は良く分りますが、そういう心意気は借金をする以前から持ち合わせておくべきであり、いざ借金を背負ってしまえば、それはもう迷惑を掛けてしまうことは避けられません。
なのでこれからは、「自分も他人に迷惑をかけてしまったのだ」ということだけを良く覚えておいてください。そして、(ここが大事なのですが)「いつかその人達へ恩返しをしよう」などとは間違っても考えないでください。
もちろん、そういう気持ちはとても大事なものですが、残念ながら恩というものは受けた人にはなかなか返せないものです。だから、もしいつか自分に余裕が出来た時に、誰かに迷惑を掛けられても甘んじてそれを受け止められるような準備や覚悟を持てる人間になってください。
それさえ分れば、あとは誰に迷惑を掛けても仕方が無いことだと割り切って構わないと思います。
そうすれば、そこに生じる恥や憂鬱も我慢できたり、受け入れることが出来たりするでしょう。そうなればもう、借金の面はほぼ解決できます。

次へ続く
Posted by 牢名主 at 2009年06月11日 17:25
前の続き

次に会社のことですが、その会社というのは、経営不振か何かでリストラを敢行しているのでしょうか。社員が次々辞めていく会社というのは珍しくありませんが、そんなに多くの人が辞めて行くというのは、何か理由があるのでしょうね。
退職する人が「君も一緒に辞めないか」と囁くのは、社員同士に何か共通した意識があるということなのでしょう。NAさんも、その意図が良く分るから、辞めようか残ろうかと心が揺れ動くわけですね。
しかし、もしそのその会社が非合法組織だとかいうのでなければ、無理して辞めることもありません。むしろ、悩むくらいなら辞めない方がいいと思います。
どんな仕事かは分りませんが、その仕事が原因で心を病み、結果借金を負ったのですから、ある意味その仕事は仇です。
その仇に負わされた深手を引きずったまま、第二の人生へ向かったとしても、しばらくは傷の影響と付き合っていかなければならないわけです。それじゃあ、全然第二の人生じゃない。
だったら、仇である今の仕事をガンガンこなして、そのカネで借金を返した方が、余程すっきりするんじゃないでしょうか。
仕事というヤツは、追いかけられて厭々やっていると、確かに心を侵す病原菌的な側面もありますが、逆に叩き潰すつもりでコンニャロコンニャロとやっていると、苦痛も何も感じないことがあります。むしろ、どうすれば効率よく潰せるかなどを考えることもするようになるので、飛躍的に能力が上がったりします。

あと、心の件ですが、人には色んな心があるので、一言では言えないです。
別に明るく前向きな心だけが正常な心ってワケではないでしょう。いくら暗く後ろ向きだからといって、それを薬で無理やり明るく前向きにすることが、果たして正常な行為なんでしょうか。
楽天の野村監督などは、あれだけ暗くて後ろ向きな人なのに、だれもそれを異常だと言う人はいません。
一方、テレビのタレントなどは皆、明るく前向きを装っていますが、四六時中あんな風な人が果たして正常と言えるかどうかも甚だ疑問です。
人にはそれぞれ、もって生まれた性質や育った環境などで生育される精神があるのでしょう。それには誰も点数をつけたり評価をしたりすることは出来ないはずです。けれど、それを人為的に左右することが出来る薬が出たお陰で、我々はそれぞれ新しい病気を背負ってしまっただけなのです。多分、私も病院にいけば、何らかの薬を処方されるでしょう。もしかすると、入院までさせられてしまうかもしれません。
ただ私は、自分の心は41年かかって出来た自分の財産だと思っているので、例え他人に馬鹿にされてもアレコレ言われても、無理に変えようとは思っていません(結構色々言われてきましたが)。
私なんかも、これまで散々他人様に迷惑を掛けてきました。恩も受けてきました。そして、どれもこれもろくなお詫びもできず、恩も返せずに来ました。全く恥ずべき人間です。さっき、受けた恩はその人には返せない、と書きましたが、それは当時その恩を受けた人に言われた言葉です。「だから、次に人に返すんだよ」と。次の人に「施す」ではなく、「返す」というところに、感銘を受けました。

で、最近思うことは、心なんて、四六時中大事に抱え込む必要なんかないんじゃないかということです。
肝心な時に、ちょっとだけあればいい。
いつまでも良心さえ失わなければ、道を踏み外すこともあまり無いでしょうし。
みんな、心を一番大事だと言いながら、その心を常に前面に押し出すから、すぐに傷ついたのなんのと諍いが起きる。大事なものなら奥の方にしまっておけばいいのにね。

というわけでNAさん。どうでしょうか。
ここは一つ、心の問題は脇に置いて、今の仕事でジャンジャンバリバリっとカネを稼いで借金を返すと、そんでそれ以外の問題は、返し終わった時に改めて引っ張り出して考えてみるという方向では。
案外、その時はそれ以外の問題まで解決しているかもしれませんよ。
Posted by 牢名主 at 2009年06月11日 17:26
牢名主さんこんばんは。早速のコメントありがとうございます。昨日このサイトを拝見して牢名主さんのコメントに大変感銘を受けました。それでついつい私事を書かせていただいたのですが、書いているとはじめはここまで深く書くつもりはなかったのですが書いている私がいました。何度もサイトにきてはコメントを確認し、そのうちにコメントを消してしまおうかとも思ったものです。正直どのようなコメントがかえってくるのか不安でした。自分の問題を多く見抜かれ指摘されるのではないかと・・・。ですがここまで私について考えていただける方にネットの中でお会いできるとは考えていませんでした。大変感謝しております。


借金についてですが、そうですね。牢名主さんのおっしゃるとおり他の人に迷惑をかけるのが厭なら当然持ち合わせておくべきことがありました。よくよく考えて行動すべきだと後悔しております。勢いで行動すべきではないですね。昨日から今日このコメントを拝見するまで恩返しをしようと考えておりました。なので文章を読んで思わず
牢名主さんのコメントにハッとされました。他の人の迷惑を受け入れられるような準備や心構えをこれから考え学びたいと思います。

会社については先月新しく工場が建ちリストラを敢行していません。今まで勤めてきて思うのはやはり部署内の幹部クラスに問題があるのではないかということです。もちろん私たちにも問題はあるのでしょうが。彼らはある意味無関心なのです。私が入社する前は非合法な事にも手を染めているとかいないとか・・・。とあるサイトではたくさん叩かれています。
私は仕事を厭々していました。半年前に最後の同期がいなくなってからは毎日朝がくるのが苦痛でそのうち体調を崩しました。今は会社の面々を見るのが苦痛です。生理的にあわないんじゃないかという医師もいましたが生理的にあわないという言葉が具体的に理解できないのでその言葉が正しいかどうかはわかりません。1年半前は悩んでいましたが今は会社を続けるかどうかに悩みはないと思います。牢名主さんのおっしゃるとおり会社でバリバリ働き仇を潰せたらどんなに痛快でしょうか。きっと胸がスッとするんでしょう。

心についてはそうですね。投薬することが最良の道とは私も思いません。病院に行く度に意味があるのかと疑問に感じることがあります。今は休職するにあたり疾病手当てを申請するので多少の意味はあるのですが。仮に故郷で第2の人生を歩むとすれば病院にはきっと行かないでしょう。

恩を返せないというお話、その方も何かのきっかけがあり気づかれたのでしょうか。牢名主さんが私にこの言葉を聞かせてくれたことは忘れません。私も誰かに伝えられたらいいと思います。

牢名主さんの考えは確かに全てを解決してくれるような気がします。私が今まで考えていた視点とは違いなんというか前向きと申しますでしょうか。すぐには答えを見つけられないと思うのでもう休職中に少し考えてみたいと思います。

牢名主さんコメントありがとうございます。
Posted by NA at 2009年06月12日 00:50
はじめまして、「遺書の書き方」で検索してて、ここにたどり着き、みなさんのログを拝見させてもらった者です。私は49歳の会社員です。
いままで本当に好き勝手やって来ました。
幼児性が抜けないのか、本能(欲望を制御できない)で動くのか、人間として何か足らない感情があるのか?とにかくとてもずるがしこい、最低な人間だと、前から感じてましたが、今は確信しています。
家族(女房・子供2人(社会人・大学生)とも、親とも兄弟とも、仲良くやっています。
ただそれもすべて、10年らいになる嘘の繰り返しで、そう思わせているに過ぎないと。
自分の遊び金や家庭の生活の為、多額の借金や会社業務の偽りなど色々隠してやってきましたが、ちょっともう無理そうです。なんでこんな事を書き込む気になったかわからないのですが、ひとつだけ意見をいただきたいのが、

死ぬよりも、生きてる方が家族にはいいですか?

まだ、この期に及んでも、やはりずるがしこい最低の考えが芽生えるのですが、はたして死ぬ勇気も無いのかもしれないのに、また自己を悲劇のヒロインに祭りあげて、逃げようとしてるのかも知れません。
遺体が発見されるなら、失踪してでも、生きてる事がわかるほうが家族には楽なのでしょうか?
所詮ずるがしこい人間の考えですね。
 
Posted by やす at 2009年07月01日 14:32
>やす さん

あなたは49歳にもなって、家族の気持ちすら推し量れないのでしょうか。
自分のしたことのけじめもつけようとしないで、「死ぬよりも、生きてる方が家族にはいいか」とは、どういう思考なのでしょうか。
嘘をついたこともいいでしょう、借金を作ったこともいいでしょう。そんなことはどこにでもあることです。それらを放り投げて、どこかでこそこそと生きるのも、それだっていいと思いますよ。
でもね、自分の残した負債のけじめを家族に押し付けるわけですから、その後、ご家族がどんな思いで生きるのかくらいは、容易に想像できるでしょう。
少しでもあなたに恥ずかしいという事を知る心があれば、とても他人に聞けることじゃないですよ。
本当はあなたは家族の気持ちなんかどうでもいいんじゃないですか。
自分の身の振り方さえ決まればそれでいいと思っているんじゃないですか。
そして、自分の身の振り方すら自分で決められないから、家族の動向を知ってからどうにかしようとしているのではないですか。

もしも家族の気持ちを知りたければ、ご自分でけじめをつける努力をすることをお勧めします。
私にはそれしか言えません。
Posted by 牢名主 at 2009年07月01日 20:01
牢名主さん
お返事ありがとうございました。
怒りが込められた文章ありがとうございました。
嫌味で言ってるわけではありません。
おっしゃるとおり家族に感情が無いのかと思います。

「死ぬよりも行方不明でも生きてるほうが残された家族は楽ですか?」
と、これだけを問うべきでした。

残された家族に借金を背負わすつもりなどありません。それだけの資産はありますし、家族に影響が行く借金ではありません。
もちろんそれは、自分の為と家族子供の世間体の為に世間をだまして作り上げてきたものかもしれませんが。
やはり、私の考えはどこかおかしいですか?
本当にみなさん、結婚して子供が生まれて年齢を重ねる事に満足しているのでしょうか?
結婚した相手が一生の伴侶だと思うのですか?
子供が居るから、がまんするのですか?
経済的に恵まれていたらどうなんでしょうか?
家族になに不自由させなくて、それでも遊べるチャンスと余裕があったら、どうするんだろう。
個人は法を犯せば捕まるし罪を償いますよね、
でも、会社組織は法を犯しても、逆に法を逆手にとってもっと好き勝手やってませんか?
私は共同経営で相手を社長にして散々お金を個人資産に流用した挙句、いきなり倒産させられました。長年お付き合いしてきた取引先に、その会社に頼まれて商品を掛売りしました。その5日後ぐらいに倒産しました。すべて担当者は会社だから関係ないで終わりました。人間ってそんなもんでないのですか?いまでも彼らは平気で暮らしてますよ。
そして、今まったく同じ事を私が取引先にするように指示されています。しかも昔、私をだました会社の社長に・・そこの社員ですから・・今は。
私はこれだけ好き勝手やってきたので、その報いがいま来たのか、と思い最初の文章になりました。

ものすごい支離滅裂な文章でごめんなさい。
なんか壊れてますね、私は。
もう、書き込みもしません。 ありがとうございました。
Posted by やす at 2009年07月02日 22:20
>やすさん

安さんの書き込みを見て、私の判断の方に間違いがあったのだと言うことに気が付きました。
すみません。
やすさんの疑問には、ある種の真理が含まれているようにも思います。

人間はいつまでも変わらずに生きられるか。

誰だって結婚する時には、今の相手が生涯の伴侶だという決心の元に結婚しますから、その後の心変わりに我ながら動揺してしまう。そういうことって必ずあるんだと思います。
ただ、それをそのまま受け入れて、刹那的な感情のままに行動するかどうかは個人次第なのでしょう。
まあ、夫婦間の我慢はお互い様なので、自分が「この相手でよかったのか」と思っているときには、相手も同じようなことを思っているというようなこともあるかもしれません。

さて、人間は組織に入ると簡単に組織の色に染まります。やすさんが今、自分は好き勝手にやってきた人間だと思うなら、それは多分、属している組織がそうだからだろうと思います。
そこで違和感や嫌悪感を感じているやすさんは、至ってまともな人間であろうと思います。
そのまともな人間が、「嫌だな」と思うことはなるべくやらない方がいいです。
過去に誰かに同じ目に遭わされたのだから、自分も誰かを同じ目に遭わせてやるとか、ここで引いたら自分だけ損だとか、そういう打算はくだらないことだと割り切って、きっぱり手を引くのが一番いいと思います。
そして、そういうことは家族の方に洗いざらい打ち明けるべきなんじゃないでしょうか。
「不正に手を貸すのが嫌だから、仕事を辞める」と言われて、納得しない家族はあまりいないのではないかと。
もしかすると、「生活の為に不正に手を貸してでも仕事を辞めるな」と言わるかもしれませんが、そこから先は多分、やすさんが家族と本音で対決できる良い機会になっていくのだと思います。
死んだり行方不明になったりするのは、その後のことではないかと。

時には組織のために命を掛ける事も必要かと思いますが、不正と知りつつ納得のいかないままに命を掛ける事はありません。
社員に不正を強いるような組織は、いずれ我が身の毒で自滅します。そんな所といつまでも付き合う必要は無いじゃありませんか。
飯を食うために多少は法を犯しても仕方が無いのだ、と言うのは、負け犬の理屈です。
「今までは多少の不正に手を貸してきた。でももうやりたくない」という気持ちは、立派なものです。
過去はどうあれ、人間はやはり変わっていくものなのです。
なんだか私の方も、支離滅裂になってきました。
すいません。
Posted by 牢名主 at 2009年07月03日 21:22
今年の初めに死のうと思い、ここに辿り着きました。

今は夏です。
ここに書き込まれた、みなさんの葛藤や、牢名主さんの言葉を、自分の心に問い、何とか死なずに、今を生きています。

それでも、たまに死にたくなってしまって、自分でも、いつ行動を起こしてしまうかわかりません。
だけど、とりあえず今年いっぱいだけでも、生きてみようかと思います。

どうしてこんなこと書き込んだかというと、みなさんが遺書のつもりで書いた言葉は、遺書でもあるけど、関係のない誰かの(私の)助けにもなっていたからです。遺書ではない相談も、形は違えど、困難な状況に私と変わりがないように感じられました。

それと、牢名主さんも、死にたい人間に物を申しても、報われない気もするかと思いますが、私みたいに、戻ってきちゃう人もいるので、ご自分の負担にならない程度に、見知らずの誰かの声を聞くことを、やめないで頂けたらと思います。

意見を知りたい時もあるし、誰かに話を聞いてもらいたいだけの時もあるから、しがらみのないところで、自分の気持ちを話して整理がつけられるこの場所は、必要なところかと思います。

牢名主さんが思っている以上に、書き込みをしていった方以外にも、助けられている人もいることを、知って頂きたく書き込みしました。

なんだっていいから、やり過ごすことができて、もう一度、次の季節を感じられたら良いなと、あがいている最中です。当面の目標は、夏を感じて秋を迎えることです。ちっぽけな目標ですみません。

秋を迎えられたらご一報致します。
Posted by sakura at 2009年07月21日 05:02
やあどうも。
最初はシャレのつもりで書いた文章でしたが、シリーズで何度か書く続けるうちに、想像以上の反響を受けることになり、だんだん真面目に考えるようになりました。
こういういい加減な人間ですから、ひと様からの相談に乗れるような資格など無きに等しいのですが、コメントを頂くたびに心にズシンズシンと響きすぎるので、七転八倒しながら真剣に対応しています。
しかし、私はいつも見当違いの答えばかりで、アドバイスをするつもりが、逆に教わることばかり多いように思っています。

生きるか死ぬかと言うような問題は、なんだかいつも大きな問題のように見えてしまいます。
しかし、生きることも死ぬことも、どちらも「取り返しのつかないこと」という点では、等しい価値があり、であるならば何故人は日々生きている中での「取り返しのつかなさ」について大騒ぎをせずに、死ぬことの「取り返しのつかなさ」ばかりを大問題として捉えるのかというところが大変に疑問ではあります。
直感でモノを申すのはあまりよろしくはないのですが、どうやら人の死と生というのは、どちらも同じもののようで、生と死を常に同じ重さで考えていれば、我々はもう少しおおらかに生きたり死んだりできるような気がします。
生きているうちは生きていればよくて、死ぬ時がきたら死ねばいい。
ただそれだけのことに、意味や価値などは無用なのかもしれません。

さて、私は夏生まれのくせに、夏が嫌いです。
暑いし虫が出るし食べ物が腐るからです。
早く秋になり、冬になればよいと思っています。
お互い、季節の変わり目ごとにこうして会えるといいですね。
Posted by 牢名主 at 2009年07月23日 02:57
追伸

かつては相談を受けることで、報われない気分になることもありましたが(結局死んでしまったらしい人が何人もいたので)、今では全くそんなことはありません。
それはなにも無責任になったわけではなくて、そういう虚しさを背負う覚悟が出来たからです。
遠慮なく放り込んできてください。全部面倒を見るとは言えませんが、無視することはありません。
Posted by 牢名主 at 2009年07月23日 03:04
牢名主さん

やあどうも。
ご返答ありがとうございます。

そうですね、生きることも死ぬことも、些細な出来事のように思います。生きているうちは生きて、死ぬ時がきたら死ぬ、私もそうしたいです。それができたらいいなと思っていて、あがいてます。物事を気楽に構えてからは、何とかやっていける感じになりましたが、時折死にたくなってしまいます。

とりあえず今年は、図々しく、何があっても死なないつもりではいます。ハードル低いけど、こなせそうな目標で良いかなと。


昨日は隅田川の花火が綺麗で、友人宅の屋根に上って枝豆にビールに焼きそばでした。友人のおばちゃんの作る焼きそばが、なんか美味しいので、いつも食べ過ぎてしまいます。大の大人が、裸足で屋根によじ登る様が、可笑しくて好きです。


私も暑いのは苦手です。虫も苦手。素敵な夏をお過ごしくださいませ。
Posted by sakura at 2009年07月26日 11:31
死にたい・・

こんなはずじゃなかった・・
親に迷惑かけて、泣かせて、失望させて・・
いつ日か父親に「死ね」「親不孝」「お前が自殺したらお父さんたちは近所の人たちに陰口をたたかれるんだぞ」といわれました

これを聞いて涙がとまりませんでした
お母さんはとっさに否定して、「違うのよ、お母さんたちはあんたがしんだら悲しくて生きていけないのよ!!」
っていったけど。。
実際の意見はお父さんですよね
それがもう頭にはいって・・
もう誰も信じられなくなりました・・・・

親も、友達も。なにもかも。・・

自分の存在も信じられなくなりました
生きていたらみんなに迷惑かけてしまう

こうなるはずじゃなかった

なのに生まれてしまった

気づけば人を殺めたくなってきました

人殺しになって、死刑にでもなってくれればいいです

せいぜい最期まで迷惑かけたくないけれど・・・


わたしは中3の女子です

親は受験から逃げるなとかいってきます・・

逃げてるんじゃない・・・

ただ怖いだけなのに・・

信じてくれない
いえない・・

何も考えられない
無気力になる

わたしは逃げてるだけですね。・・・

それでも誰かに愛されたかった
Posted by sakura at 2009年10月22日 19:59
親だって人間だから、動揺すればワケの分らないことを口走ることもあるよ。
受験だろうと何だろうと、自分のことは自分でやらなきゃいかんのだ。
怖い気持ちも分るけど、受験に失敗したところでなにか失うワケじゃなし、どこへも行けなくなるわけでもない。
普段は親の言うことなんか聞きもしないけれど、口が滑った時の言葉だけ問題にしてるわけじゃないよね?
親の言葉を気にするんなら、他にどんなことを言ってるのかも良く聞いてみるといい。
そんな気が無いなら全部聞かずに自分の受験のことだけ考えてればいい。
受験が怖いなんて、実は怠け者の言い訳だったりもする。そういうのを人の言動のせいにしてないで、来年3月までは自分のことだけ考えると良いと思う。
死ぬのは来年4月まで待ってみた方がいい。
Posted by 牢名主 at 2009年10月22日 21:56
牢名主さん

さんまの美味しい季節になりました。7月21日のsakuraです。秋を迎えられました。生きてます。大分元気になりました。

同じネームですが、10月22日のsakuraさんと私は別人です。


10月22日のsakuraさんへ

プレッシャーを感じる日も多々あるかと思いますが、どうかご自分の将来のために、今は勉強に集中してみてください。愛されたいと思えるなら、まだ死ぬには早すぎます。


個人的には、さんまには醤油ではなく、かぼす派です。
Posted by sakura at 2009年10月29日 02:35
どうもお久しぶりです。

また書き込みしてくれて本当にありがとうございます。
一度書き込みをしてくれた人から、再度連絡を貰うのは大変嬉しいものです。

ところで・・・。
さんま、いいですなぁ・・・。
私もさんまは大好きですが、あまり機会には恵まれません。せいぜい缶詰程度でしょうか。
私は醤油と大根おろしでジャブジャブにして食べるのが好きです。

なんにせよ、美味い物を食べて元気になるのはいいもんですなあ。
私も頑張ります。
Posted by 牢名主 at 2009年10月29日 17:18
牢名主さん


牢名主さんのお話やアドバイスは、的を得ていると思いますし、何より読み応えを感じます。

生きていることの中での取り返しのつかなさ、わかってはいたけど、人様から言われることで、改めて考えるきっかけになりました。考えるのは自分であって誰でもないことは以前と変わりはありませんが、死にたいなんて、人には言えなかったから、大変助かりました。←真面目ちゃんなコメントですみません。もうちょっとセンス磨いてきます。

さんま醤油おろしじゃぶじゃぶ、こちらもいいですね。ご飯が美味しいのは元気な証拠。またどうしても辛くなったり、いっぱいいっぱいになった時は、愚痴こぼしに来るので、その時は思いの丈聞いてください。

寒くなってきたので、風邪など引かぬようにお体大切になさってください。私もほどほどに頑張ります。

7月22日のsakura
Posted by sakura at 2009年11月05日 02:33
7月22日じゃなく21日のsakuraです。
記入ミスです・・すいません。

sakura
Posted by sakura at 2009年11月05日 02:38
sakuraさんを始め、皆様方からのコメントに励まされているのは私の方なのです。本当にいつもありがとうございます。
私もみなさんと同様、いつも「明日から頑張ろう」と思いながら生きています。
今すぐに出来そうなことを積極的に探すような人騒がせな忙しさとは、明日から付き合おうというスタンスです。
「このダメ人間め!」とは言わないでくださいよぅ。
Posted by 牢名主 at 2009年11月05日 17:36
牢名主さん、はじめまして。
遺書の書き方を検索していてたどり着いたクチです。
私も自殺肯定派です。どちらかというと。

世の中には生まれてこなかったほうが良かったのではないかと思わされるような、非常に残念なタイプがいますね。

まあ私がまさにその一人なんですが。
ですから、似たようなタイプの方に遭遇すると、心から胸が痛みます。
陰口をたたかれ、疎ましがられ、何をやってもダメで、性格もひねくれていて・・・
でも本人は結構ふてぶてしく生きていたりするのですが・・・笑
まだ希望を捨てていないか、自分の姿に気づいていないのか・・・

私は20代で自分の残念さに気づきました。
変わる努力をしたり、「周りはわかっていない」と転嫁してみたりしていましたが、いささか疲れてしまい、嫌になってきてしまいました。

所詮他人の益になれなくて、誰からも愛されることなく孤独に生きなければならないなら、なんで生きているのかと思うことがあります。

「他人の益になりたい」とか「他人から愛されたい」と思わなければ良いのでしょうけどね。でも何の病気かわかりませんが、私はこれを渇望しているのです。

自分の周囲は親切です。
誰も「死ねおめー」なんていいませんから。(別れた亭主にはよく言われていましたが笑)
仕事を与えてくれ、首にもせず給料を払ってくれ、そこそこコミュニケーションもとってくれます。

そうですね。贅沢です。贅沢病?

人はペットショップで犬を選ぶとき、かわいらしいお顔立ちで、毛並みがよく、元気があって尻尾を振り、芸を教えればすぐ覚え、トイレはそそうをせず、病気もなく健康なのを選びます。

そうではなかったために売れ残った犬は、「これでも自分は生まれてきた意味があるし、生きててもいい」と思わなければいけない?

選ばれたい病?笑

私は自分のことは「性行為の結果」としか見てません。

私のことを「環境汚染だから飯食うな。そして息も止めろ」とはっきり教えてくれたのは別れた主人と元彼だけですが、今となっては全くその通りだと思います。

なんだか好き勝手に不快な文章をダラダラと書き込んでしまい、すみません。
書いているうちにバカバカしくなってきました。

自殺は一度失敗して、その時に死ねない自分に失望しているのでしないと思いますが、災害や事故で亡くなった方のニュースを見るたびに、どうして自分に降りかからずにこの人たちが・・・という思いで生きています。

読んでいただいてありがとうございました。
Posted by ね子 at 2009年11月27日 01:09
やあどうも、はじめまして。

ね子さんは理路整然としていて、しかも自分の姿を俯瞰してみることが出来る方ですね。
仰っていることには間違いが無いようです。
なので、ワタクシからはご意見に反論するところがありません。

とはいえ、一点だけワタクシの考えを述べさせてください。
「世の中には、生まれてこなかったほうが良かったのではないかと思わされるような、非常に残念なタイプがいますね」
とのことで、ね子さんはその例として、以下のように仰っています。

陰口をたたかれ、疎ましがられ、何をやってもダメで、性格もひねくれていて・・・
でも本人は結構ふてぶてしく生きていたりするのですが・・・笑
まだ希望を捨てていないか、自分の姿に気づいていないのか・・・

でも、よく考えてみてください。
この例に引かれた人がもし実在するとしたら、とても個性的で魅力的な人ではありませんか?
確かに一般的な価値観で言えば、社会的には不適合かもしれませんが、しかしだからこその魅力があるとは思えませんか?
例えば過去の偉人や、歴史に名を残して今も愛されているような人物は、全ての人々が容姿端麗で性格も良く頭も切れて誰からも愛されるような人物ばかりだったのでしょうか。
時代の空気に合う、周囲の環境に合う、何においても重宝される、そういうようなプラスの要件を備えた人物ばかりが愛されるとは限りません。
身近な人間に愛される人が、全ての人に愛されるとも限りません。
価値観と言うのは、時代に反映されて、ごく短い期間でコロコロと変わってしまうものです。
しかしワタクシは、人を愛する、人に愛される、というのは今現在持ち合わせている一般的な価値観だけで決定されるべきではないと考えています。
人を見るときには振り幅を大きく取った価値観で見ると、どんな人間でも魅力的に見えるものです。
そうすると、その魅力は、とても「価値観」などという安っぽい言葉では言い表せなくなってくると思います。
そうして他人が「残念な人」に見えなくなれば、きっとご自分のことももう少しマシに見てやることが出来ると思います。
ね子さんはご自分のことを「性行為の結果」だと仰っていますが、それは全人類とも同じことです。
であるならば、自分をただの性行為の結果に終わらせるかどうかは、ね子さんが自分自身をどのように全うさせてやるか次第ではないかと思います。
そんな時に参考になるのは、きっとそれまで「残念な人」扱いしていた誰かの姿かもしれませんよ(ワタクシかもしれません)。

なんかちょっと和尚さんの説教みたいでスイマセンでした。
Posted by 牢名主 at 2009年11月27日 02:58
深夜にお返事をいただけて嬉しいです。
私の手の付けられないネガティブトークをまともに考えてくれる人が周りにはいないものですから・・・笑
もう少しお話させていただいてもよろしいでしょうか・・・?

>そんな時に参考になるのは、きっとそれまで「残念な人」扱いしていた誰かの姿かもしれませんよ(ワタクシかもしれません)。

牢名主さんは「生産する人」だと思うので、私の目にはちっとも残念には映りません。
残念ながら笑

突き詰めて考えると自分は、個性、自分らしさを殺してでも他人から愛され必要とされたいと思っていると思います。
でも取り繕うことすらできないヴァカだというのが現状ですが。

「生理的に」っていう言葉使いますよね。
「なんとなく」とか「直感的に」「理屈抜きで」
とか・・・

自分にもいいところがあるとは思います。
20代までは自分で認めてあげることができていました。

だから「周りはわかってくれない。わかってくれる人だけわかってくれればいいもん」的な生き方をしていました。

でも実は周りも私のいいところ、頑張っているところはわかっている。

ただ「生理的に」それを認めたくない。
「理屈抜きで」嫌な人。

それが私。

だから愛されない。
そのことがなんせ苦痛で苦痛でなりません。

牢名主さんの言うように、現代の価値観にそぐわない不運な体質なだけだとしても、
本当は私が魅力的な一面を持っているのだとしても、「やっかいなやつ」として生きていかなければいけないのなら結果としてそれは「非常に残念な人」ということになるような気がします。

だって孤独なんだもの。


>自分をただの性行為の結果に終わらせるかどうかは、ね子さんが自分自身をどのように全うさせてやるか次第ではないかと思います。


人間て、最低限親からは愛されて大事にされる必要がありますでしょう。
私の親は、生んでみたはいいけれど、粗暴で口の悪い子供に手を焼いてうんざりしていたようですね。
幼い頃からなんとなく感じていました。
母の話では、私が生まれた後に二人目を妊娠したけど「もういらない」という理由で堕胎したそうです。

あ、親のせいにしているんじゃないんです。
自分は生まれつき他人にとってやっかいものだったという話です。
捨てたり子殺ししたりしないで育てたのは、世間体です。
世の中にはそういう親もいます。ほんとに。

自分自身を全うさせてやるとはどういうことなんだろう・・・
難しいです。
出家でもしたいです笑

牢名主さんのように、誰かの心に何かを残すような「生産者」になれれば生きていて良かったなとも思えるのでしょうけど・・・

長々長々すみません。
いい年して思春期みたいな話し方して・・・恥
思春期から精神年齢成長できません笑

こんな私にオススメの本がありましたらご紹介ください。牢名主さんのお店から買いますから。
(聖書は私もちょっとばかし詳しいですよ笑)
Posted by ね子 at 2009年11月27日 12:00
新着記事見ました爆!!

さっき投稿した私のコメントの最後の言葉は決して「トクシカ」を気取ったわけじゃないですからー汗

やー偽善的だ・・・
Posted by ね子 at 2009年11月27日 12:06
生理的に厭なもの、について考えてみました。

ワタクシ自身が、生理的に嫌っているものは何か。
・団塊の世代
・植物の気孔の拡大図
・豚ばら肉の脂身
・煮魚の皮
・不必要に声の大きい女性
・不必要に声の小さい男性
日頃不意に出くわしただけで即ギブアップしてしまいそうなのは、以上6つです。

ただ、これらは「嫌いな理由を説明すると長くなる」というだけで、厳密には生理的とは言えないと思います。
長く説明するのが面倒だから、「生理的に嫌い」と片付けているだけです。
そもそも「生理的に云々」という言葉は、女性が多く使うもののようで、男性の間ではほとんど使われることがありません。
多分女性の場合は、論理的に説明をすることが苦手なために、生理的という言葉で片付けようとしているのではないかと思います。
実際、物事を論理立てて説明することが得意な女性は、あまり生理的という言葉を使わないようです。
おそらく、性別には関係なく、人間のすること思うことには何かしら理由がつけられるのだと思います。
ただ、いちいちそんな理由などを探したり説明したりしていては日常生活が成立しないために、感覚的に処理したりするのでしょう。
ワタクシはそれが「コミュニケーション」というものなのではないかと思っています。
その中には多くの相互理解があり、一方で同じくらいの誤解や曲解があり、それを時と場合によって使い分ける能力を持ったものが「人間」ということなのではないかと思います。
「本当は分っている。しかし自分の感情を納得させる処理をしたいとか、体面を維持したいがために敢えて誤解をする」
そういうことをした経験が、誰にでもあると思います。
不思議なことに、そういう心理的な処理による誤解をしていることは、相手にも伝わっているもので、これまた誰にでも経験のあることだと思います。
「ああ、この人は今、体面を保つために必死で嘘をついている(あるいはわざと誤解をしている)のだな。ではこれ以上追い詰めるのはよそう」
と相手のことを思いやって、なあなあで済ましてしまった経験は、誰にでもあるものです。

ね子さんは、自分で自分の嫌いな部分を良く分っていながらも、敢えて目をつむり「生理的」で済まそうとしているのではないでしょうか。
勿論それはそれで全く問題は無いのですが、もし何かを欲する場面で「生理的なもの」が邪魔をしてしまうのならば、何がしかの解決はされなければならないことでしょう。
Posted by 牢名主 at 2009年11月28日 02:14
(続き)

間違っていたら申し訳ないので、先に謝っておきますが(ゴメンね。間違ってしまって申し訳ないです)、ね子さんは「思考するクセ」がついてしまった人なのではないでしょうか。
それは非常に良い事だと思うのですが、それと同時に「途中で考える事に飽きてしまうクセ」もついているのではないでしょうか。
思考をする場合は、自分の感情を徹底的に排して、出来る限り最後まで考える必要があります。もしもその途中で感情が邪魔をしたら(多くの場合はここで軌道がずれて、その結果飽きたり間違った方向にいくのです)、本題を一旦脇に置いて、湧き上がった感情について考えてみることが必要なのだと思います。
そうすることで、物事が自分の思考のどの部分に触れると「生理的な嫌悪感」を生むことになるのかが分ると思います。

ワタクシの「団塊の世代嫌い」はつとに有名ですが、ワタクシ自身ではその理由は一通り解決済みです。
間違っているかいないかはともかくとして、自分なりに理論的に説明することは可能です。
しかし、それを人に語って聞かせるときには、なるべく感情的に話すようにしています。
そうすることによって、内容以上の効果が得られるからなのですが、ただしこれはアドルフヒトラー的な話芸に過ぎません。本来、正しい思考の発露にはなるべく感情は排斥されるべきだからです。
しかし、人間対人間の会話においては、感情的であることが重要であると思います。要はいかにその感情的な部分を不快感を生むことなく伝えられるか、ということです。
それには、感情にかかる部分(生理的嫌悪感を生む部分)を言葉にしてみることが必要なのだろうと思います。
それは自分自身の中に眠っている言葉を掘り起こすことであり、それによって現れるまだ見ぬ自分との遭遇の可能性でもあります。
ワタクシにとって「自分を全うさせる」というのは、そういう一面もあります。

なんが長々と分ったような分らないようなことを書き連ねてしまいましたが、面倒くさかったら読み飛ばしてしまうことも必要です。それも人生においては大事なことです。

聖書は結局全部読んでしまいましたが、読みようによっては「詐欺の手引書」のようでもありました。つまり、古来から変わらない人間の根本的な心理の動きが良くわかると言う・・・。詐欺師にとって必要な情報が全部入っているんですね。
まあ、そんなゲスな読み方をしてはキリスト教徒に殺されてしまいそうですが。

さて、お薦めの本ですが、ワタクシはあまりお堅い本を好みませんので、漫画の紹介をさせてもらいます。
哲学的な思考でありながらも、感情的な表現を得意とするジョージ秋山が、ね子さんにはお薦めです。
とは言え、ここで『アシュラ』を読みましょうと言ってしまうと、日本全国から「おい!こら!」と突っ込みを受けてしまうので自重。
でも、「浮浪雲(はぐれぐも)」は、言葉になりにくい人間の根本的な感情をよく表現した名作だと思います。
100巻くらいあって大変ですが、少しずつ買っていけば楽しみが長く続くという利点もあります。
時には少し説教臭いのですが、それが丁度良いという精神状態の時もありますし。
あと、初期のころの浮浪雲はただのチャンバラ劇のようなところもありますので、1巻の後、ずっと飛ばして50巻目あたりを読んでみてもいいと思います。別に続き物ではないのでほとんど違和感はありません。
「浮浪雲なんておっさん漫画は厭だ」というのであれば、「こうの史代」の「この世界の片隅に(上中下の全3巻)」もいいですよ。
どちらも古本屋で探すこともできるし、ヤフオクで買うことも出来ますが、出来れば新刊書店で買ってあげてください。
そして読み終わって、不要であると判断したらワタクシに売ってください。
Posted by 牢名主 at 2009年11月28日 02:15
お付き合いいただいて恐縮です。
嬉しいですけど。

>ああ、この人は今、体面を保つために必死で嘘をついている(あるいはわざと誤解をしている)のだな。ではこれ以上追い詰めるのはよそう

はい。私の心の声の口癖ですね。
私の言い方だと
「ああ、要するに私のことが嫌いなんですね。了解ー♪」

>ね子さんは「思考するクセ」がついてしまった人なのではないでしょうか。
それは非常に良い事だと思うのですが、それと同時に「途中で考える事に飽きてしまうクセ」もついているのではないでしょうか

謝らないでください笑。全くその通りです。
人からもよく言われます。
「考えすぎだね(呆)」
あと、「あー嫌われたんだね」で終わらせて考えるのをやめたりしていますね。

私は他人からなぜこのような嫌われ方をしてしまうのかわかりません。
話し方なのか、表情なのか、声なのか、言葉の選び方なのか、行動やしぐさが気持ち悪いのか・・・

わかっている部分は努めて改善するようにしてきましたが・・・わかっていても改善できないところのほうが多いですけど・・・

牢名主さんとお話させていただいて一つ気づきました。
私は自分が嫌い、というより、「他人から生理的に嫌われる自分」が嫌いなんだと思います。

他人の感情に振り回されているのはみっともないかもしれませんが、ここ数年でたどり着いた持論は
「八割がたの他人の評価と二割がたの自尊心」
みたいな・・・

この考えは間違っているんだとは思うんですけど・・・

でも私にとっては他人の評価が自分の真実だと思っています。(全ての評価がそうとも思っていないんですけどね。そういうのはスルーできるんです。)

多分、昔から長い時間同じ環境にいたことがないからより統計が取りやすいんですかね。
どこに行っても同じことが起き、同じように言われ、どんなに環境が変わっても・・・

ですから私にとっては他人の評価は信憑性バツグンです。
自分自身は自分大好きの自己中なんだと思います。

人から愛されたければ今牢名主さんにお話したような考え方を全部やめて、前向きに健全な自尊心を持って明るく生きればよいのでしょうね。

しかしいったいどうしたらそんな考え方になれるのかもわかりません。
怠け者だからいけないのかなあ・・・

たった一人でも「アンタは本当にどうしようもないよね。でも自分はアンタが好きだ。」なんてこと言って一緒に居てくれる人が居る。
そういう人間でいいのにな。なにも立派な、それこそ「トクシカ」になりたいってわけじゃないのに・・・


本の紹介ありがとうございました。
浮浪雲好きです^^
全部読んだ事はありませんが、ビックコミックを愛読していた頃読んでました。

「この世界の片隅に」という作品は知りませんでしたが読んでみます。

牢名主さんのお店にないんですか?
こんなにお時間と労力を割いていただいたので、わずかばかりでもお役に立たせてくだされば「生きてて良かった」と思えるんですけど笑
それとも「お前のようなヤツに『お買い上げありがとうございました』は言いたくないから買わないで」?

↑冗談です。私の思考癖を牢名主さんとのやり取りでわざと表してみました。こんな感じです。
やっぱりめんこくないね。

まずお店のHPにお邪魔させていただきますね。

牢名主さんのお話の中にヒントが隠されているとは思うのですが、盲目の私にはもうちょっと噛み砕く時間が必要なようです・・・

ですので、お返事が不十分になってしまっているとは思いますが、読み飛ばすことなく全て読ませていただいています。
失礼をお許しくださいね。

またおかしくなったときにお邪魔させていただくかもしれません。
でもネガティブは移るからやめたほうがいいのかな?汗

ROMはすると思います。

ありがとうございました。
Posted by ね子 at 2009年11月29日 00:20
人が口にしない言葉の全てが誰かの悪口というワケではないんですよ。
他人の心を想像する時、もしくは他人を思いやる時に、自分を貶める言葉を持ち出すのは相手に対して失礼なことだと思います。
人間の言葉と言うのは、どんなに咄嗟に出てきた言葉でも、表層的な感情によってのみ発せられたものではないと思います。
もっと心の奥深いところから出ているのではないかと思います。
ね子さんは、ご自分の心を吐露するという勇気を持つ一方で、他人の心を思いやるという勇気を持ち合わせていないように思います。
相手を怒らせれば本音が見える、とよく言いますが、それは他人を思いやれない自己中心的な人間が使う卑怯な方法だとワタクシは思っています。
自分のことで汲々としいている人間は、「人は本当に嫌いな相手にたいしては怒ることもしない」ということを見失ってしまうのではないでしょうか。
人間は自分の感情を大切にします。なので、例え怒りの感情であっても、嫌いな人には見せたくないと思ってしまいます。
なので、自分に対して感情をアラワにしている人の心を勝手に想像して悪感情ばかりを抱くのはもったいないことだと思います。
それは、ネガティブであるとかボジティブであるとかいうこととは全く無関係です。
電化製品ならばオンかオフかで判断できますが、人間はそう簡単に判断は出来たモンじゃあありません。
さしずめ、眠っている間にもこっそりと確実に動いている目覚まし時計とでもいった感じでしょうか。毎朝不愉快な起こし方しかしないから腹が立つのだけれど、それを忌々しいヤツと捉えるか、自分を起こしてくれるために24時間誰に見守られるでもなく仕事をしてくれるヤツと捉えるか・・・。
これは余談ですが、目覚まし時計ってのは大事ですよ。
費用対効果の面から見ても、目覚まし時計のお陰で正常な社会生活を送れている人は多いでしょ。
会社に遅刻しない→仕事が出来る→給料がもらえる→生活が成り立つ。
そう考えると、人生で一番大切なのは目覚まし時計だったりするんじゃないかとか・・・。
まあ、それはどうでもよくて。

「この世界の片隅で」はワタクシも持っていますが、これは今現在売り物とは考えていません。
ワタクシは好きな作家、ミュージシャンのものは定価で買うことにしています。
例え微々たる力でも、好きな作家が創作活動を続けていけるように願っているからです。
そういう意味で、他の人に薦める場合でも定価で買うように言っています。
別に悪気があるわけじゃありません。
古本屋で買う本は、定価よりも高いものを買いましょう。
Posted by 牢名主 at 2009年11月29日 16:55
それとも「お前のようなヤツに『お買い上げありがとうございました』は言いたくないから買わないで」?

↑これは本気で言ったわけじゃないですよ。汗
牢名主さんに対してこういう感情を抱いたわけではないです。すみません。

でも人とコミュニケーションをとるときよくこういう考え方をしてしまいます。
それをわかりやすく実用してみたんです。
気分を害されたら申し訳ありませんでした。

単純に牢名主さんのお店から買おうと思いました。でも本に対する牢名主さんの愛情も理解しましたので、提言通り定価で求めます。

だいぶ自分のことがよくわかりました。
やっぱりお話できてよかったです。

失礼しました。
Posted by ね子 at 2009年11月30日 00:18
焦らなくとも大丈夫。
ちゃんと分ってますから。

定価で買ってみると、結構気持ちがいいですよ。
ではまた。
Posted by 牢名主 at 2009年11月30日 00:32
個人的には「死に責任を持て」という概念へと偏った考え方には賛同致しかねますが、そういう考え方があるのもまた事実ですので、否定する事は出来ません。

しかし、それがさも正しいかの様な文体になる事は、表現方法として問題だと思えます。

そこで問題となりえるのは、「このホームページを見てそれに感化される人が居る」という事であると考えますが、
しかし、「感化されるか否か」「感化された事によって行動に変化が現れるか」といった事もまた自己責任ですので、そこも決定的な文句を付ける事は出来ないと私は考えます。

私は自由に行きます。責任も持ちます。

最後に、ホームページ作成お疲れ様でした。
Posted by 名無し at 2009年12月03日 09:10
やあどうも。

名無しさんの意見はもっともな意見です。
ですが、世の中の問題を遡上にあげて語るときには、偏った意見というのも必要であると考えます。
社会の意見が「自殺はいけないもの」という意見のみでは、それもまた偏った考え方になってしまっているとも言えます。
例えば、核兵器でも「持たざるべき」か「持つべき」のみの意見では、どちらも偏っている意見となってしまいます。
それをどちらが正しいという証明のし合いになっても、どちらにも理があるため中々解決が出来ません。
中立的な意見で、「持ってもいいし持たなくてもいい」「持つべきときには持つべきで、持たなくてもいいときには持つべきではない」といった意見は、偏ってはいないけれど何も言っていないのと同じです。
意見と言うのは、(それぞれの立ち位置を踏まえた上でも)ある程度の振り幅が必要であり、それが民主主義であり言論の自由でもあるのではないでしょうか。
名無しさんの「自由に行く」という決意と、「責任を持つ」という覚悟は尊敬に値すると思います。
では、自由とは何か、責任とは何かということも重要ですよね。

また、「このホームページを見てそれに感化される人が居る」という意見ですが、私はそれほど人間を馬鹿にしてはいません。
確かに、現実問題としてはそういう人もいることは否定いたしませんが、それを「自己責任」という意味不明の日本語で一括りにしてしまうほど無責任ではないつもりです。
とは言え現実にそういう甘ったれた考えで死んでしまう人間の面倒を見る立場にもありません。
その辺は過去のコメントから判断していただく他はありません。
Posted by 牢名主 at 2009年12月03日 12:48
はじめまして。
少しお話を聞いて頂きたくてここに書き込みしました。

私は現在、精神病を患っています。
この病気でここ何年間かまともに仕事についておりません。
精神科にも5、6年近く通って薬も服用していますが、あまり効果を実感できていません。
数年間このような状態で、恥ずかしい話ですがひきこもりの様な生活をしています。

自分で稼ぐことも出来ずに、親に依存して生きていますが、もう数年もそんな状態で、いいかげん生きていくことに苦痛を感じるようになってきてしまいました。

きっと誰もがこの文章を読んで甘えだとおっしゃるのでしょうが・・・
いい年をして生きていく為の最低限のお金もろくに稼げないような人間は、もう死んだ方がいいのではないか・・・とここ最近そんなことばかり考えてしまいます。

なんだかすごいマイナス思考の暗いコメントをしてしまって、ごめんなさい。
牢名主さんのような方ならどのように考えるのか聞いてみたかったのです。

率直にご意見頂けると嬉しいです。
Posted by fuyu at 2009年12月03日 20:42
>fuyuさん

はじめまして。
返事が遅れて申し訳ありません。

精神科に長年通い、薬も常用しているにもかかわらず効果が感じられない。
さぞや苦しいことでしょう。
そもそも何が原因で精神科へ通うことになったのか分りませんが、ひょっとしたら現在では初期の原因は解決されているのではないでしょうか。
fuyuさんが今一番気に病んでいるのは、社会に出られないことと親に依存しているということなのではないのでしょうか。
となると、現状がそのまま病因ということなのではないかと想像します。それでは通院も服薬も、それそのものが精神的に負担になっているということになりかねません。
親が望むもの、社会が望むもの、医者の指示、そういうものと折り合いがつかないというのはよくあることです。
私事で申し訳ないのですが、私は幼い頃から親や社会の要望に応えられず、医者の指示にも従ったことがありません。むしろ、言われることと逆のことばかりしてきたようにも思います。
そのせいでか、他の人と同じで安心した、という気持ちになったことがありません。しかし、一方で、色々なものから孤立しても平気でいられる鈍感さを手に入れたような気がします。

fuyuさんがどんな病状でどんな薬を飲んでいるのかは分りませんが、薬を飲んでいる時のfuyuさんが本当のfuyuさんの姿なのでしょうか。
多分、薬を飲んでいない時の姿こそが本当の姿であるにもかかわらず、「その状態は病気なのだから」という理由で薬を飲み、敢えて実態から目を逸らしているだけなのではないでしょうか。
私は医者でもないし近親者でもないので、薬を飲んでいない時に、どんな危険な状況になってしまうのか分りませんから、不用意なことは言えないのですが、薬を飲んでいない時の自分自身の声と真正面から向き合うことも必要なのではないでしょうか。
自分にとって厭なものや出来ないことを無理に課すことはありません。
おカネを稼ぐ、ご飯を食べる、寝る、遊ぶ、どれをとっても人生に必要なことですが、方法論に規格はありません。どんな形でも問題はないはずなのです。世間一般のスタイルに則ることだけが正解ではないのです。
私は社会の外れ者ですが、どれもこれも自分に出来る形でこなしています。
というよりも、自分に出来る形でしかこなせないのです。なので、どんなことであれ自分に出来ることには敏感であろうと思っています。
他人と同じことが出来ないからといって、自分に出来ることもしない、というのだけはやめようと思っています。
まあ、何もしない、というのは過激で素晴らしい事ですが、なかなかそこまで達観できないというのが正直なところでしょうか。

最低限のおカネすら稼げない自分に苛立ちを覚えていらっしゃるようですが、あの鳩山首相ですら、自分に必要なおカネを全て自分で稼いでいるわけではないので、我々庶民が全てを自分でまかなうことが出来なくて何の問題があろうか、という程度に開き直ってもいいんじゃないでしょうか。

あまり的を射た回答になっていないかもしれません。ごめんなさい。
Posted by 牢名主 at 2009年12月04日 20:17
お返事ありがとうございます。

鳩山首相の話の所は、笑わせていただきました。私もあんなお金持ちの家に生まれたかったです(笑)そしたらこんなに悩まなくてすんだかもしれませんね。

通院や薬の服用の件は、確かにそれ自体が精神的に負担になっているというのはあるかもしれません。
精神科というのは、まったく健康な(精神的に)人からすればあまりいいイメージの所ではありませんから。
私も未だに病院に足を踏み入れる時、知り合いに見られるんじゃないか・・とビクビクしていたりします。

私の病気のことを詳しく話しても、「どうしようもねーな・・・」と思われるでしょうが、少し話してもよろしいでしょうか?
病名は社交不安障害といいます。ある状況下で異常なほどの不安や恐怖を抱き、次第にそういう場面を避けるようになり生活に支障をきたすようになります。
私の場合は、大勢の人の前で(あるいは数人でも)発表したりすると声が震えだし、しまいにはかすれ声になってしまい非常に情けない状態になります。電話に出る時やかける時もこんな感じで、家の電話が鳴っても居留守してしまいます。手が震えることもありますし、緊張がひどいと吐き気を感じたりもします。動悸も自分病気なんじゃ・・というくらいひどいです。
こんな状態ですのでバイトの申し込みの電話すら気軽にできず、さらにその先の面接に怯え、結局何も出来ずにひきこもるという負のスパイラルです。

書いていて、ホントに情けなくなってきます。甘えてると言われてもしょうがないですね。
こんな自分にも出来る事ってなんなのでしょうか。出来れば誰かの役に立って死にたいと思いますが・・・

「ただ生きていればいいんだよ」と姉に言われた時、ホントに嬉しかったけれど、世間はそんなに甘くはないのでしょうね。

長々と書いてしまってすみませんでした。
Posted by fuyu at 2009年12月04日 23:48
またまた返信が遅れてしまいました。
重ね重ねスイマセン。

さてさて、「社交不安障害」というのは、「あがり症」の重いやつなんでしょうか。
まあ、大勢の前での発表は誰でもガクブルになるし、バイトの面接だってみんな似たようなモンですよね。
かくいう私もあがり症で、人前で何かするのが大嫌いです。ずっと以前にバンドをやっていたときも、人前で演奏するのが死ぬほど厭でした。

fuyuさんは、人にどう見られるかを気にし過ぎる傾向にあるんでしょうか。
人前であがっている人に対しては、日本人はあまり悪い感情は抱きませんよね。そりゃ笑う事はしますけれど、だからといってそこにマイナスの感情はないですよ。
他人に笑われるのが極端に厭だというならばどうしようもありませんが、誰しも多少なりとも他人様に笑われながら生きるほうが幸せなんじゃないでしょうか。だって、それだけ人から気にしてもらってる証拠でもありますからね。
まあ、答えにはなっていないかもしれませんが、そういう幸せもあるってことも知っておいて損はないと思います。
Posted by 牢名主 at 2009年12月07日 01:47
返信遅れても全然気にしないでください。
お忙しい所、お返事ありがとうございます。

そうですね。私は、人に「良く見られたい人間」なのだと思います。プライドが高いんでしょうか。

人に笑われても、自分のありのままを見せることを恐れずにいれる人はホントに強い人間ですよね。尊敬します。

私も人に笑われても、あまり気にしない強い人間になりたいです。10年か20年もすれば、人間もっと図太くなるといいますから、その時は【笑われてなんぼ】くらいの人になれるといいな・・・

究極、笑われて快感得られるくらいになりたいです。
Posted by fuyu at 2009年12月07日 11:03
こんばんは、遺書の書き方を検索してたどり着きました。

今年25になったばかりの若輩者です。
諸事情がありまして、ホームレスになるかどうかの瀬戸際です。
体を壊すつもりで行動して、それでも結果が出なかったときのために、ここを参考に遺書を用意しました。
参考情報(?)、ありがとうございます。

事後では遅いので、今のうちに。
私が先に逝きますので、皆様はゆっくりしてからきてください。
Posted by 佐野 at 2009年12月20日 02:21
ホームレスになるから死ぬなんて、ホームレスに失礼な話ですよ。
数年後にホームレスになるオレにも失礼ですよ。
家なんかなくたっていいじゃない。
何かを失うのが怖いから命を失うなんて、なんか矛盾してますね。
住処を失ったり体を壊すのが死ぬより上なんて、なんか勘違いしてるんじゃないでしょうか。
不健康で家のないことは悲しいことだけれど、それでも他に出来ることもあるんじゃないでしょうか。
まあ、生きるも死ぬもオレ如きが無理強いは出来ませんが。
オレはホームレスもしっかり堪能してから、寒空の下、栄養失調で死のうと思っています。
そうして、オレが先に逝って部屋を温めて食べ物を準備しておくから、キミはオレの後に死になさい(あと18年後)。
Posted by 牢名主 at 2009年12月20日 19:53
自分の思い通りにするために人を貶し 自分の思い通りにならないものは批判し続ける たとえそれが誰であっても 常に脅し文句を大切に握り締めて 人の過ちを待ち構えて 自分という忌わしさを化粧と愛想笑いで隠し 他に弱みをつかれると 時にヒステリックをおこし すべて人のせい なにがなんでも都合をつける 世渡り上手 世間知らず ぶってるだけ こんな田舎で
Posted by hh at 2011年08月23日 21:22
自殺した後なんて自分には分かりません
Posted by のん at 2011年08月26日 15:35
もう亡くなられてるかな?

素敵な遺書ですね
まさに自分の人生と同じです
泣きそうになりました
発狂する前に自殺したいと思います。
Posted by (ピンク) at 2012年01月02日 21:33
最近、何もかも捨てて、死にたいと思うことが多くなってきた。
Posted by 悪魔 at 2012年02月29日 13:57
>悪魔さん
捨てるほどのものがあるのなら、一度捨ててからもう一度考えてみてはいかが?
Posted by 肉王 at 2012年03月01日 01:25
決心が付きました今から書いて明日行こうと思います
ありがとうございます
Posted by at 2012年04月16日 23:52
はい、どうも。
Posted by 肉王 at 2012年04月22日 13:39
はじめまして
死について考えたとき
このサイトにたどり着きました

人間いつしか死ぬとは
頭では理解していても
それがいつなのか
いま死んでも後悔はしないと
思うのですが自殺する
勇気がありません
Posted by 鞍 at 2012年05月27日 13:03
>鞍さん

お返事遅れてゴメンナサイ。

死について考えるのは重要なことです。
自分の死や他人の死の区別無く、深く深く考えるべきテーマと言えるでしょう。

お説の通り、人間はいつか必ず死にます。
鞍さんは今死んでも後悔しないとのことで、何よりだと思います。
それが人生の充足の結果なのか、失望の果てのやけくそなのか。
どちらにせよ、自殺する「勇気」がないのなら、とくに自殺をする必要はないと思います。
多分、鞍さんのなかに「まだ何か満ち足りない部分」か「かすかな希望」などがあるということでしょう。
自殺することに勇気が必要だとは思いませんが、だからと言って「自殺すること」についての思考を止める必要も無いと思います。
人はどうなれば自殺を選ぶのかということは私もずっと考えています。
Posted by 肉王 at 2012年06月05日 02:01
(4)だけで十分。
てか、(1)(2)(3)(5)を書く時点で恥。

謎は多いほどカッコいい。
Posted by 19才・女 at 2012年10月05日 18:34
>19才・女さん

自殺に「カッコよさ」を求めるのならば、遺書など必要ないかなと思います。
みっともない自分を少しでも装いたくて、人は遺書を書くのではないでしょうか。
Posted by 肉王 at 2012年10月13日 23:15
大変、参考になりました。
そうか、私にはまだ希望があるのかもしれない。
でも、ひとまず、書くだけ書いてみます。
書けば、方向を見いだせるかも。
Posted by at 2012年10月14日 22:39
書いたら一週間後くらいに読み返してみてください。
その後、散歩にでも出かけてみてください。
何か違うものが見えるかも。
Posted by 肉王 at 2012年10月15日 20:02
書いてみました。涙が止まらなくなりました。
死ぬと言うことの恐怖と未練。
早く脱ぎ捨てねばと思いました。
Posted by at 2012年10月16日 08:42
古いコートは脱ぎ捨てましょう。
誰も非難はしません。
Posted by 肉王 at 2012年10月21日 02:00
自分は今までおおむね順調な人生を歩んできました。肩で風を切って歩いてきました。内心では必死でしたが。
半年ほど前にすっ転びました。
立ち上がる気力はありませんが、這いずって生きることは臆病な自尊心と尊大な羞恥心のために耐えられません。
まっすぐ歩いていた自分の姿が周りの人々の記憶に新しい今のうちに死にます。

誰かに聞いてほしかっただけです。
Posted by at 2012年11月07日 00:21
>這いずって生きることは臆病な自尊心と尊大な羞恥心のために耐えられません。

這いずって生きたことがないのに、何故それが自尊心を傷つけるほど恥ずかしいと言えるのでしょうか。
私は地べたを這いずるように生きていますが、これまで悔しいと思うことはあっても恥ずかしいと思ったことはありません。私にも自尊心はありますが、他人様より少々鍛えてあるので、そう簡単なことでは傷つかない鋼の自尊心になっているようです。
多分、長い間地べたでこすっている内に余分なものが削げ落ちて、一番丈夫な中心核がむき出しになったものと思われます。
そんな自尊心が欲しかったら、あなたも少し地べたを這いずってみませんか?
Posted by 肉王 at 2012年11月10日 01:25
正しい遺書の書き方。
参考にさせていただきます。

15年3ヶ月の今。
決心がつきそうです。

自殺はこっそりとがいいですよね。

最後に心から愛している人に
さようならと告げることは
いいんでしょうか?
それとも、言わずに静かに
眠ったらよいのでしょうか?
Posted by いちご・オレ at 2012年11月15日 21:13
友人だと思ってた人や、家族から、「(質問者自身が)生きてる意味がわからない。教えて」
と問われることがあるのですが、そんなの私の方が知りたくて、実家暮らしだけれど生活費を払うために(仕事はしてます)ローン組んで、体調も崩してて病院に通って、ローン返済と病院代と生活費を稼ぐ為だけに働いて、そんな中私のことでないにしろ、生きてる意味を問われるのは「お前なんて死んでしまえ」と同義で、ほんの12時間ほど前にドアノブに首を括ってみたけど最後の一歩も踏み出せなくて、とりあえず遺書くらいは書いておこうかなと思いました。
支離滅裂ですみません
Posted by at 2012年11月16日 12:51
他人に対しても自分に対しても、安易に生きる意味を問う人は愚かです。
そもそも、生きることに意味を問う行為自体が愚かです。
人は何千年も前から生きる意味を問うてきましたが、未だに答えは出ていません。
恐らく、答えのない問いなのでしょう。
もしくは考えること自体が無駄な問いなのかもしれません。
人は、自分が生きていることで自分や他人にとって重要な意味があると思いたいために生きる意味を考えてしまいがちです。
しかし、本当に考えなければならないのは、自分にとって大事な誰かが生きていてくれることの重要性なのではないでしょうか。
単純に言えば、大好きなあの子が今日も元気で生きていてくれる事の幸せをかみしめられる喜びと、それを感じられる自分が今日も生きていられる幸運だけで、十分に生きている意味があるのではないでしょうか。

「お前なんか死んじまえ」と言われるのは、確かにいい気分じゃありませんが、人に罵られながら生きるのも一つの生き方です。
「そういう風に聞こえる」というのなら、何も気にする必要はありません。人間とはそもそも無神経なものですから、愚かな人は言葉を選ばず安易に質問をすることがしばしばあります。
人は人にしか心を傷つけられることはありませんから、誰の言葉で傷つくか、その相手くらいは選びましょう。愚かな人間の言葉をいちいち飲み込むことはありません。
私はそういう感じで生きています。
Posted by 肉王 at 2012年11月18日 01:17
>いちご・オレ さん

ごめんなさい。見落としていました。
直前のコメントでも書きましたが、心から愛している人がいるのに自殺ですか?
それも15歳で。
その相手には、自分が心から愛しているのだということはちゃんと伝えましたか?
あるいは伝えた結果が思わしくなかったから死にたくなったのかな?
的外れな想像だったらごめんね。
なにせ、失恋すると死ぬほど辛くなるのはよく分かるもので。
よく、訳知り顔のオジサンたちが、「失恋は人生の糧だよ」なんて偉そうに言うけれど、それは質や回数にもよるよなーと思う。オレのように、振り返ると無数の恋心が死屍累々となっていると、とても糧だなんて言えないんだ。まさに恥の歴史。中には「アタシ、あの男に告られちゃってさー。もうサイアクー。人生の汚点って感じ」なんて感じで酒の肴にしている人もいるんだろうなと思うと、しょんぼりしてしまう。
そんな45歳。
失恋なんか何の役に立つんだ、と思うこともあるけれど、失恋して死にたくなる人の気持ちがよく分かるようになったし、一緒にしょんぼりしてあげられるようになったので、まあヨシ、かな。
キミはね、好きな人がいるのなら、その人より先に死んじゃだめだよ。それが人を好きになる条件だと思うよ。愛したってならなおのことだよ。
ましてや自殺の前に別れを言うだなんて、言われた方の気持ちを考えなさいよ。それは好きな人に対する誠実な行為と言えないでしょ。
で、キミは失恋なの?違うの?
違ってたら、オレはまたさらけ出さなくてもいい恥をさらしたことになるの?
ちゃんと答えてくれよ。
Posted by 肉王 at 2012年11月18日 02:46
コメントをくださりありがとうございました。

失恋です、多分。

付き合っていた彼氏を私は愛していました。
けど、遠距離で会いたい気持ちが当時には
すごくあったんです。
けど、友人から聞いたのですが、
私の彼氏とほかの女性がラブホに入って行った
という情報を聞いて、彼に連絡したんです。
彼は「するわけないじゃん」と言ったのですが
後日、女の人と仲良くドライブをした
というブログを見つけて。
ショックで立ち直れなくて。いっそのこと死んでしまおうかと考えてました。
でもコメントを読んでいくと私何もできてないなって思って...。
死ぬ前になにかをやり遂げてからの方がいいんじゃないかって思って。
それにまだ受験生で高校に受かる可能性は低いのですが、せめて二十歳にはなろうと思ったんです。
死んだ後、親にも迷惑をかけてしまうし、残された人が一番辛いと思って。
遺書を書こうと思ってここへ訪れたのですが、なんかアホらしくなっちゃって。
なんか迷惑かけちゃってたらすいません。
でも、ここのサイトへ訪れてみてよかったなって思うんです!
なんか落ち着くというかリラックスできるというか、肉王さんのコメントを見てたらなんだか励まされてる気持ちになってすごく元気になれるんです!
心から感謝してます。

あの...またくじけそうになった時とか死にたいとか思ったときはここへ訪れても良いのでしょうか?
お返事待ってます。
Posted by いちごオ・レ at 2012年11月22日 18:20
>いちごオ・レ さん

若い頃の失恋については、私らおじさんやおばさんは黙って聞いてあげる事しかしません。
それは、みんな似たような経験を持っているからというのと、その後にどんなことが待っているのかを知っているからです。
失恋が出来るのは恋をしていた人だけだし、それに本気になれるのはとても良い事だと思っています。
長い人生、一人の人としか出会わないわけじゃありません。多くの恋をするのも、決して不誠実というわけでもありません。
いつまでも古いコートを引きずらないで、季節ごとに脱ぎ捨ててゆくのも素敵です。
そうして、いつかキミの友達が失恋をして悲しんでいたら、一緒にしょんぼりしてあげられるようになってください。

ここへはいつでも来てくれて結構ですよ。私は必ず返信します。
でも、いつかはこんなところが必要ないくらいに元気になってくれると嬉しいです。
Posted by 肉王 at 2012年11月23日 00:01
はじめまして。
流れついてみなさんの書き込みを拝見させていただきました。

死にたくなる感情。
私にもありますね。
よく考えてみると思春期くらいから思っていたような気がします。
私の場合はすべて甘えからきています。
大事なことは後回しで、
気付いたらてんやわんや。
自分でケツを拭くのがイヤだからいっそ死んでしまおうかと。。。

でも、自分がてんやわんやと思っているだけで、
あとから考えると大したことないことばかり(笑)
生きていて良かったなぁ。
とは思わないけど慌てて死ななくて良かった。
と思うことはありますね。

そんな私は映画に助けられています。
見たい新作映画が次々に現れるものですから、生きていないと鑑賞できません。
現在もブルーですが、12月1日からは「007」の新作が上映。
死ぬならこれを観てからでいいか。となります(笑)
こんな感じでこれからも生きてまいります。

世間ではタブー視されている話題を、気軽(?)に意見交換できる場を提供くださった肉王さんに感謝です。

42歳男性

追伸
私からのおすすめの映画。
トム・フォード監督作品「シングルマン」


Posted by 電気くらげ at 2012年11月29日 12:03
>電気くらげさん

>生きていて良かったなぁ。
>とは思わないけど慌てて死ななくて良かった。
>と思うことはありますね。

まさに私もこんな感じです。
多くの人はそんな感じなんじゃないかなとも思います。
生死の事も大事ですが、それよりも好きなものの事を考えていきたいものです。
お奨めの「シングルマン」をいつか観てみます。
私は「ブルースブラザーズ」が大好きです。
Posted by 肉王 at 2012年11月29日 16:13
肉王さん、お返事ありがとうございます。
今日は物凄くブルーです。
身近な人達には心配をかけるから、
なかなか本音をぶちまけることができません。
見苦しくてもなんとか生き抜いていこうと思います。
肉王さんのお返事を読んでホッとできました。
ありがとう。

「バグダットカフェ」を観ながら。
Posted by 電気くらげ at 2012年11月29日 21:17
>電気くらげさん

身近な人には上手に本音を伝えてみては?まあ、全部じゃなくても。
いつも本音ばかりじゃ疎まれるかもしれないけど、全く本音が出てこないのも心配をかけるかも。

「バグダットカフェ」は甲本ヒロトも好きな名画ですね。私は途中で寝てしまって、それっきりでした。まだ若かったから・・・ということにしておいてください。
Posted by 肉王 at 2012年11月30日 02:48
初めまして。

遺書の書き方を検索していたら、こちらのサイトにたどり着きました。

子供の頃から自殺願望はあったのですが、リスカするにしても、薬摂取するにしても、苦しい・痛い思いをして死ねなかった時のことを考えると、死ぬ勇気がなく今まで生きてきました。

死にたいと思う理由は子供の頃は主に虐めが原因でしたが、最近は親子の間で埋める事の出来ない溝があり、その事が原因で死のうと思いました。

私は小さい頃から、親に誰か(親・兄弟・いとこ・友人・全く知らない赤の他人)と比べられ私という存在は否定され続けてきました。最近じゃ、否定される事が嫌なのに自分自身で人と比べてしまい自分を否定してしまうんです。

昨日、両親とちょっとした口論から始まり、口論の中で何かが自分の中で切れて、両親を殺そうかと思ってしまう程でした。

最終的に親を殺しても、親は苦しまないで自分が苦しむけだと切れているにも関わらず、どこか冷静な自分がそう判断し、親を苦しめるなら私が死んだ方が苦しむだろうと思って遺書を書こうと思ったんです。

正直、本来なら病院や施設のスタッフに助けを求めれれば良いのですが、時間外の連絡先を知らず死にたいって願望だけが強くなってしまったんです。

結局、私は誰かに死ぬことを阻止してほしいと思っているんですよね。
だから、ここのサイトにも書き込んで甘えているんだと思います。

甘えた考え方で、此方のサイトに書き込んでしまい申し訳ございません。ちなみに、今日遺書は書きました。両親あてに恨み辛みをつづった内容、兄弟にはこれまでの経緯と親との問題に兄弟を巻き込んだ事の謝罪のないようです。
Posted by 空 at 2012年12月16日 03:29
>空さん

こんにちは。
人間は多かれ少なかれ、幼い頃から死にたい理由を持っているようです。
理由は様々ですが、主にロマネスクな理由が多いと思います。
空さんの書き込みを見ていると、死にたいと思う心よりも、生きていたいという心の方が強いようです。

親御さんが我が子を誰かと比較するというのは、ごく当たり前にあることで、同じ経験をしている人は沢山います。かく言う私もそうでした。珍しくテストで100点をとっても、兄と比較されて冷たくあしらわれるばかりでした。
親にしてみれば、我が子はもっとできるはずだという思いがあるので、なまけていないでもっと頑張ってほしいと願うからなのでしょう。

親の言葉というのは、子供にとっては重荷になりがちですが、実は親にしてみれば、案外軽い気持ちで言っていることが多いのです。一見無責任に思えるかもしれませんが、それだけ我が子を信用しているということでもあります。
親の言葉は年を取ってから思い出してかみしめることにして、今は自分のやりたいように、生きたいようにしたほうがいいと思います。
少なくとも、誰かへのあてつけで安易に死んだりしないようにしてください。
それは人間として一番つまらない死に方です。
Posted by 肉王 at 2012年12月17日 15:15
お返事有難うございます。

親に誰かと比べられ否定されているのは私だけじゃないと分かっただけで気持ちが楽になりました。

私の兄弟は小さい頃とても病弱で、親は常に兄弟につきっきりでした。

何をするにしても兄弟を優先し、私がお願い事をすれば『あんたは健康なんだから我慢しなさい』といわれ、学校行事で私服が必要になった時『学校行事で私服が必要だから買って』とお願いすれば、『あんたは女で色々な物を買ってあげてるでしょ!』と言われた時には『なんで、この人達は私を生んだのだろう?兄弟だけが大事なら、女の私は産まなきゃ良かったじゃん。女は嫌でもお金がかかるのは解っていたはずじゃん。そんなにお金をかけたくなければ施設にでも預ければ良かったのに。』って思いました。

私の死への願望は親への当て付けです。

言葉にするより、文章にした方が本当の自分の気持ちに気が付かされました。

肉王さんの言う『我が子を信用しているということでもあります。』は私に当てはまるかは判りませんが、親の為に死ぬのは止めようと思います。

取りあえず、死を考えるより親から逃げようと思います。

生きたいという気持ちがあると理解してくださった上で、自殺願望があった私を思いとどめさせて下さり有難うございました。
Posted by 空 at 2012年12月17日 18:53
>空さん

>取りあえず、死を考えるより親から逃げようと思います。

これを機会に、自立してしまうのが良いかもしれません。
自分の暮らしを自分で作り上げることで、色々と精神的には楽になりますし、楽しいこともたくさんあります。
中でも恋愛などが最も良いかと思います。
Posted by 肉王 at 2012年12月17日 23:36
お返事有り難うございます。

一時期、実家と同じ市内で一人暮らしをしていたのですが、実家とあまり変わらない状態でした。

今度実家を出る時は、かなり離れた場所(実家から車での移動は困難な場所)に住みたいと思います。

本当に有り難うございました。
Posted by 空 at 2012年12月19日 16:44
とても参考になりました。
遺書など書かなくていいかと思っていましたが
案外もう一度人生について考え直すことができました。
Posted by at 2013年04月15日 23:29
お役にたてて良かったです。
Posted by 肉王 at 2013年04月18日 15:11
大変参考になりました、ありがとうございます
これで心おきなく逝けそうです
Posted by 如月 at 2013年06月27日 08:28
遺書もこれくらいセンスあるといいな
俺も考えてるんだがどうもまとまらない
俺の頭ではこれが限界だ…

とうちゃん かあちゃんへ
今まで育ててくれてありがとう
なんで、こんなことを言うのかっつうと
唐突ですが、僕は遠くへ旅に出ます
どっか遠くまで行きます
山とか登るし、海外にも行くつもりです。
云わば冒険者です。
命の保証はありません
だから先に言っておきます
とうちゃん かあちゃん
ありがとう。あとお元気で
ついでに長く太く生きてくらさい
別れの時までもうぐちゃぐちゃの挨拶でごめんなさい
あとお馬鹿で自分勝手でごめんなさい我儘ですいません
でも忘れません
遠い空を見上げたら時々僕の事を思い出して下さい

では、さらば

ついしん
いもうとと犬によろしく

さらば…

これくらい軽い感じだと良いのかなって思う
Posted by at 2013年06月30日 00:42
もうひとつ
俺は宇宙の○○に呼ばれた
もう帰る事が出来ないが今までの事は忘れないってのがある

どっちにしろ探されないで緩やかにもういない事を受け入れられるのがいい

いっそ正直に
氏に魅入られたから黄泉への旅に出る
何も残せない(死体も)けど冥福を祈ってほしい
僕の事を忘れて欲しい

って書いた方がいいのか

結局のところ正直に書くしかないのか
もういっそのことふざけたのも含めて遺書を何枚も残していくべきなのか

なかなかに迷うぜ
Posted by at 2013年06月30日 00:49
俺が死ぬことで親父は大丈夫そうだと思うんだけど母ちゃんだけが心配なんだ
何言っても自分の事とか悔いそうだし
ここでこんなこと言ってもしょうがないんだけどね

それだけが心残りだ
Posted by at 2013年06月30日 00:57
別れの挨拶ってのもなかなか難しいね
Posted by at 2013年06月30日 01:00
>名無しさん

返信遅れてごめんなさい。

旅ってのは、帰ってくる場所があることを言うんだぜ。
君の帰る場所は、どうやら温かいところのようじゃないか。
帰ってこいよ。
Posted by 肉王 at 2013年07月05日 02:32
近いうち逝こうと考えている者です。
非常に参考になりました。
ありがとうございます。
Posted by 青 at 2013年08月06日 01:59
>青さん

こんなページを参考にして何をしようっての?
やめときなさいって。
Posted by 肉王 at 2013年08月07日 01:58
自殺を簡単に考える神経疑う。
Posted by at 2013年08月11日 07:22
簡単に自殺する神経とどっこいどっこいですよ。
Posted by 肉王 at 2013年08月12日 19:50
私もここへ書いてもいい人間なのかな…私もう疲れた
涙も泣きすぎて血の涙が流れそう。どんな時でも涙は枯れない
Posted by 白夜 at 2013年09月11日 20:39
大家に勝手に自転車を移動され
自転車に嫌がらせ、いたずら

ブレーキレバー内側に曲げられる
自転車の車体を逆さまにされる
カゴを大きく変形させられる
サドルに傷を沢山つけられる

これらを 文句 と解釈し

そんな文句言うなら出てって

と言われる始末。
挨拶は私だけ無視。
むしろ挨拶すらしてくれません。

約2年間我慢してきました。
歯を食いしばってきました。
もう我慢の限界です。
疲れました。

この大家が原因で私はこれから
自ら命を絶ちます。

遺書の書き方、参考にさせて頂きました。

ありがとうございました。
Posted by 大家に酷い嫌がらせを受け自殺する♀ at 2013年09月12日 21:38
>白夜さん

返信遅れてごめんなさい。
泣くほどの気力があるなら死ぬことはないですよ。

>大家に酷い嫌がらせを受け自殺する♀さん

こちらも同じくごめんなさい。
原因は大家じゃなくて自転車とその管理方法なのでは?
その自殺はただの当てつけで全くの無駄死にですから考え直してみてはいかが?
Posted by 肉王 at 2013年09月15日 01:22
稚拙な遺言だな。回りくどいし、長い。もっと端的に書けないのか?
Posted by at 2013年11月08日 03:35
稚拙な遺言だな。もっと端的にかけないのか?馬鹿みたい
Posted by at 2013年11月08日 03:36
本気で引用したかったのでしょうか?
もしそうなら、遺言や遺書の文面は自分で考えましょう。
Posted by 肉王 at 2013年11月11日 22:57
すごいウチもそれにする〜 チュッ
Posted by at 2013年11月21日 23:38
なげーんだよカス

今から死ぬやつに対して的確かつ簡潔にまとめろや

1行目で読むのがだるくなったわ
Posted by at 2013年11月24日 02:07
>1行目で読むのがだるくなったわ

本当は死ぬのが怖くなったんでしょう?
Posted by 肉王 at 2013年11月24日 13:57
死にたいと考えたのは何度もあるけれど、
遺書まで書きたいと思ったのは初めてです

でも遺書を書くって何を書く?

死ぬこと謝りたいなら生きて謝ればいい
うらみつらみは書き残したくないし
遺書って残された人にっとて必要なんだろうか?
Posted by まる at 2013年12月18日 20:36
>まるさん

遺書に書くことが見当たらないということは、特に死ぬ理由も無いってことかもしれませんよ。
ただ、それでも死ぬ気があるのならば、せめて分かりやすい言葉で死ぬ理由を書くことが、残された人たちへの気配りというか優しさなのだと思います。
でもそんな優しさや気配りは、生きてこそ伝えられるべきものなのかもしれません。無理に死ぬより、無理に生きる方が楽ですよ。
Posted by 肉王 at 2013年12月23日 01:07
長い!
死ね!
Posted by one at 2013年12月29日 02:58
長い!
Posted by one at 2013年12月29日 02:58
もしもの時のための遺書なのですが
主治医の先生宛ての遺書で
ぜひ入れておくべき項目があればお教えください。
記事にあったように、謝罪は入れないほうがよいのですよね。
病苦も一因ですが、それでも先生を責めない形に仕上げたいと考えております。

感謝に重きをおいたほうがよいでしょうか。
Posted by 推敲中 at 2014年01月02日 01:06
>推敲中さん

はじめまして。
主治医の先生宛てというのは難しいですよね。
身内以外で親身になってくれた人ですから、言葉も慎重に選びたいものです。
できるなら無言でいきたいものですが、そうはしたくない気持ちの方が強いのでしょう。
私なら、多分何も書かないと思いますが、それでも無理矢理一言書くとなったら、きっと先生の気持ちの負担を無くすための嘘を書くと思います。
嘘を書くことでこちらの気持ちに濁りはできてしまうでしょうが、そのくらいの責任は負ったまま死ぬのが礼儀だと思います。
Posted by 肉王 at 2014年01月02日 18:27
新年でお忙しいなか、早速アドバイスをいただきまして、誠にありがとうございます。

>できるなら無言でいきたいものですが、そうはしたくない気持ちの方が強いのでしょう。

さすが肉王さん、よくおわかりですね。
嘘に関してはなるほど、と思う説得力のあるアドバイスでした。
記事も活用させていただいております。
良い遺書と悪い遺書、大変よくまとめておられますね。
Posted by 推敲中 at 2014年01月02日 22:18
>推敲中さん

これが良い意味でのアドバイスなのかどうか。
私には書いた記事に対する責任があるので、一つ一つのコメントに真面目に考えて答える義務があります。
最初は自分に対する罵詈雑言のつもりで書いた記事ですが、いつの間にか当初とは全く違う気持ちで皆さんの心中を必死で想像しながら返信している自分がいます。
最初の内はむやみやたらに自殺を止めたいとばかり考えていましたが、いつしか「それでも死んでいく人」への礼儀に欠けていたことに気が付き、さらに必死になっています。

ただ、今でも若い人の自殺はやめてほしいと思っています。
若い人の場合は、死の動機があまりにも稚拙であったりロマネスクであったりで、40代半ばの中年男にとっては、たまらなくやりきれないものがあります。
あと5年、もしくは10年たてば忘れてしまっていそうな軽い動機でも、死を考えてしまっているようです。
もちろん、大人になればどうでもいいようなことでも、若い時には重大事件にしか考えられないのは分かるのですが・・・。
ただそれもこちらが中年になったからわかることであって、それを若い人に気軽に伝えるすべがないのです。
できればこの点に関して、推敲中さんからのアドバイスが欲しいです。
Posted by 肉王 at 2014年01月03日 01:07
とても誠実なコメントをいただきましてありがとうございます。

>ただ、今でも若い人の自殺はやめてほしいと思っています。若い人の場合は、死の動機があまりにも稚拙であったりロマネスクであったりで、‥
私自身二十代後半ですが、その思いには共感いたします。死にたい思いが自分にあっても、やはり他の人の死の動機を聞くと止めたくなってしまいます。

>ただそれもこちらが中年になったからわかることであって、それを若い人に気軽に伝えるすべがないのです。
私はまさに肉王さんが記事の中でおっしゃっている「正しく誠実な遺書を書くこと」が自死を防ぎうる・決行の時期をのばすことがあるのではないだろうかと思っております。
これまで、もう限界だと思った時にその思いを遺書として書くと、案外スッキリして生き延びられた、ということを重ねてまいりました。また、遺書を書いているときに相手の方の顔が浮かび、葬儀でではなく生きてもう一度会いたい‥そんな気持ちになりました。遺書には冷静になる効果もあるため、肉王さんのようなブログの存在は大切だと個人的に思うのです。
Posted by 推敲中 at 2014年01月03日 23:58
>推敲中さん

返信ありがとうございます。

本気で遺書を書いてみることが、自死を防ぐこともあるという指摘、なるほどと思いました。

ある時に本気で書いた文章が、とてつもない傑作だと思っていても、あとで読み返すととんでもない駄文だった、ということが当たり前にありますからね。

嘘偽りなく遺書を書き、それを客観的に見ても納得がいくかどうかを、もう一度判断してみる。
もし少しでも嘘があったのなら、そこを解決するためにもう一度、生きてみる。
どんなに辛くとも、人は嘘を抱えたまま生きるのは心が安らがないし、ましてや嘘を遺して死ぬのでは悲しすぎる。
一方で、嘘をつかなくては生きていくのが辛いのは事実で、その嘘をいつか誰かに告白したいとも思う。
告白することで何もかも解決するわけではなくとも、それで自分の中に一つだけでも真実が出来れば、それにすがって生きていくこともできるかもしれません。
私は推敲中さんに、「遺書に嘘を書く」と申しましたが、やはりそれは間違いなのだと思います。
もしも、推敲中さんの遺書に嘘があったとしたら、例えそれが人の為だとしても、多分あまり意味をなさないものになってしまうのかもしれません。
推敲中さんも、もう少し大事な誰かと話し合ってみてはくれませんか。
Posted by 肉王 at 2014年01月04日 03:05
肉王さん
先日はご丁寧なお返事をいただきありがとうございました。温かいお言葉をありがとうございます。

おかげさまで
なんとか生きながらえている感じです(苦笑)

遺書に関してお役に立てるかもしれない(?)情報があるのですが、

次にお送りする私のコメントをHPには非表示で
肉王さんだけにお見せするということは
HPの機能・構造上可能なのでしょうか?
返信などで必要がございましたら
私のメールアドレスを記載させていただいても
かまいません。
Posted by 推敲中 at 2014年01月17日 22:33
>推敲中さん

こんにちは。
コメントを非表示にしようとおもったのですが、どうもその機能が無いようです。
なので、以下のメルアドにお願いいたします。
orutyet05676@yahoo.co.jp
Posted by 肉王 at 2014年01月18日 00:21
肉王さん
お返事遅くなり申し訳ございません。
非表示試みてくださってありがとうございました。大丈夫ですよ。
それより、大切なアドレスを表示していただいてごめんなさい。
なるべく早めにお送りしますね。
Posted by 推敲中 at 2014年01月24日 01:37
肉王さん
送信させていただきました。
ありがとうございました。
Posted by 推敲中 at 2014年01月25日 12:14
>推敲中さん

ありがとうございます。
早速読ませていただきました。
私なりに思うところもありましたので、
いつかそれを文章にしてみたいと思います。

メルアドについては、全く何の被害も無いので問題ありません。
Posted by 肉王 at 2014年01月26日 01:57
自殺とは己の命を唯一コントロールし、死への恐怖を忘れ克服する、いわば人生で自分が作れる最後の晴れ舞台。

そしてそれに伴う潔さで書いた遺書とは真実のみを語った輝ける文書である。私も今自分の遺書をなるべく達筆に書いています。(完成はいつになるのやら笑)

見直す点がいくつか見つかりました。ありがとうございます。
Posted by 哲学 at 2014年02月10日 00:46
>哲学さん
清々しいですね。
達観してらっしゃる。
素直に御見それいたしました。
Posted by 肉王 at 2014年02月10日 13:45
夜分にお邪魔します。
突然ですが、少し話をさせてください。

私は今年で27才、このたび、4度めの大学4年生になることが決まってしまいました。
つまり留年です。

病気でもなんでもなく、ただ億劫でだらだらしているうちにこんなことに。
傍から見ると、お前はアホかとハリセンを入れたくなりますね。

が、本人にとっては深刻で、親になんて言えばいいのか、友人になんて言えばいいのか。

親のため息が怖く、「どうしてこうなったんだ」と聞かれることが怖く、世間の目が怖く、暢気に泣いてる自分のアホさが怖く。いや泣きたいのは親だろう、と(ツッコミ)

親も姉妹もとてもまっとうな人たちなのに、なんで一人だけこんなアホがいるんでしょう。

生きていても死んでも申し訳なくて困ります。
皆、都合よく私のことだけ忘れてくれたらこんな有り難いことはないのですが。


Posted by 並 at 2014年02月28日 03:04
そうだ。遺書の話でした。
長いばかりで記事に関係のない話になってしまうところでした。
続けてのコメントを失礼します。

読んだ家族が、決して自分を責めない、
あいつはどうして死んだんだ、と悩まない、
それなら仕方ない、手間だけど葬式くらい出してやろう、と。

そう言ってくれる遺書が書けたらいいのですが。
Posted by 並 at 2014年02月28日 03:12
>並さん

そんな都合のいい遺書なんかありませんよ。
もしあるとすれば、特攻隊の遺書がそれに近いかもしれませんが、それだって遺族にとっては納得のいくものなんかじゃないでしょう。
大体、留年したからと言って、死ぬほどの事じゃないでしょう。
私の友人は8年間も大学に通いましたが、今ではちゃんと社会人になっています。
誰だって若い頃には何かと人生にツケを負いがちで、それを少しずつ返すような生き方をしている人も大勢います。
並さんの場合は、就職の面接などでそれを味わうことになるでしょうが、それでも社会人になって3年もすれば、無事にうやむやになっていますから安心してください。
今はただ、平身低頭し、あるいはほふく前進しながらただ風をやり過ごし、卒業と就職を目指すか、古本屋などの自営業を目指すといいのではないでしょうか。
まあ、だとしても一回くらいは本気で家族に謝ってください。
本気の謝罪は必ず人の心を打ちます。
それでも許してもらえなかったとしたら、その時にもう一回考えればいいじゃないですか。
ただ、「許してもらえなかったから死にます」は絶対ダメですよ。自分の怠惰を家族のせいにすることになりますからね。
結果が知りたいので、またコメントください。
待ってますから。
Posted by 肉王 at 2014年02月28日 22:39
私も死にたいと思ってます… まだ12歳なのですがね…。 ちょっと色々ありまして… 遺書も書いたのですが4日後卒業の小6には文才が無いようで、寂しく三文字「飽きた」で終わってしまいました。「飽きた」には自分なりに意味を込めた言葉です。主は、人生に飽きた、疲れた、ですが。まんまですね。遺書の書き方を参考にいい遺書を書くよう努力します。
Posted by 匿名 at 2014年03月20日 17:50
>匿名さん

こんちわ。
子供も子供なりに色々ありますから、死にたくなることもあるでしょう。
私も子供の頃は、ほぼ毎日死にたい気持ちで過ごしていました。
結局、死なずに今まで生きているわけですが、あの時死にたかった気持ちは30年以上たった今でも覚えています。
基本的に自殺の遺書というのは「かまってちゃん」が書くものです。
それは、子供でも大人でも同じです。
「かまってちゃん」というのは、心が大人になりきれない人のことです。
もしキミが12年の人生に飽きたというのならば、それは多分、心が少し大人になってきて、今までと同じことをしていたくないということではないでしょうか。
下手くそな文章で遺書を書いて死んでしまうくらいなら、いっそ今までとは違う楽しみを見つける努力をしてみたほうがマシなのではないでしょうか。
一生の内で「退屈な日」は何日もあるけれど、「退屈な人生」なんか絶対にありません。
古いコートをぬぎすてて、自分の新しい才能とか、一緒に大人になれる友達を探してください。
世界は想像以上に広くて面白いよ。

最後に一つ。
どんなに辛かったり悲しかったりしても、子供には自殺をする権利はないと思ってください。もしも死にたくなるほどの事があったら、周りの人に相談してください。キミの周りにいる友達や大人は、そのためにいると思ってね。もちろん、キミにも友達の為に相談に乗る義務があるよ。
Posted by 肉王 at 2014年03月21日 00:25
そうですね。 まだ12歳ですし、色々相談したり、楽しみを見つけてみます。有り難うございました。  P.S 今は1つだけ、楽しみがあります。3DSが楽しいんです。このコメントも3DSから打っているんですよ。ネット上でしか、あまり友達いないので。 死んだらお墓に一緒に3DSを入れてもらおうかと思った位でした。 ごめんなさい、話がずれましたね。 本当に有り難うございました。 
Posted by 匿名 at 2014年03月21日 10:07
>匿名さん

3DSを投げ捨てられるくらいになったらまた会いましょう。
Posted by 肉王 at 2014年03月22日 23:36
遺書の書き方を調べていて、このサイトに巡り合えました。

私は三十路前のまだまだガキで、自分の思い通りにならないことに屈折して、うつになり、死にたいなぁと思っていますが、父親を早くに亡くしているため、母親より先に死んだら親不孝だと言われ、思いとどまっている状態です。
迷惑掛けずに楽に死ねる方法があればいいのに、と、日々思っています。

最初のコメントからずっと読んでいたのですが、すごく共感したり、考えさせられたりすることが多くて、少し活力をいただけました。
ありがとうございます。
また疲れたらここに寄ります。
Posted by 涙 at 2014年03月25日 23:52
やっぱり駄目ですね。
疲れたら、なんていいながらすぐに気分が落ち込んで、何で自分が生きているのかわかんなくなってきました。私がいなくても世界は回るし、悲しむ人がいてもきっと死んでくれてよかったって思ってくれる。
そんなこと考えてたら、今日は一日中、泣きじゃくっていて、今も涙が止まりません。
なんでこうなるかなぁ。
明日は仕事が朝からあるから、気持ちを入れ替えないといけないけど、その切り替えがなかなかできない。仕事辞めたいなぁ。
ずっとこんなこと考えて人生過ごしていくのかぁ。ホント、何で生きてるんだろ。死んで、ドナー提供者になっている方がよっぽど意味がある気がするわ。
Posted by 涙 at 2014年03月26日 21:15
>涙さん

はじめまして。
お返事が遅れて申し訳ありません。

自分の思う通りにならないことに屈折しているというわけですね。
多くの人たちは、「自分の思い通りにならない事なんて当たり前だ」と言うのでしょうが、実はそれは「思い通りにならない事から目をそらしている」ということでもあると思います。
対象が何であれ、自分の思い通りにしたいと願うことは人として当然のことであって、それを最初から訳知り顔で放棄しているのはみっともないことだと思います。
歴史上の偉人たちの多くは、世間から迷惑がられたり笑われたりしながらも、何とか現状を打開して自分の理想に向かって突き進んできました。
この世とかあの世とか世間とか常識とか、普通の生活とか老後の安心とか、そういう煩わしいものを振りきって、ただ自分の望むままに前進することの一体何がいけないというのでしょうか。
私は、人間の命なんて、生きている本人にしか意味のないものだと思っています。その本人が自分の命をどう扱おうと勝手なのかもしれませんが、自分にしか分からない意味を問うことすら無く終わらせてしまうのは、悲しい事です。
自分にしか分からない意味を問い続けて、自分の思う通りに生きて死ぬことで、初めてその死が他者の中で意味を産むのだろうと思っています。
涙さんは、自分の思い通りにならないのではなく、自分の思う通りにしていないのではないでしょうか。
理由は沢山あると思います。社会の中に生きていれば、自分の思う通りにできないことだらけですから。
しかしそんな中にあっても、一点だけでも絶対に譲らないことを見つけてみてはどうでしょうか。
新しく探すのではなく、今自分の心の中にあるものを見つめなおす感じで。

仕事はいつでも辞められますが、自分を見つめたり掘り下げたりしているうちは黙って給料をもらっておきましょう。
自分の食い扶持を自分で稼ぐのも、自分の自尊心を支えるための大事な作業です。
Posted by 肉王 at 2014年03月28日 16:32
お久しぶりです。冬の頃に、こちらにコメントした者です。
そろそろ、桜の花も咲いたころでしょうか。

その節はお騒がせしました。
どうにか、元気に生きてます。

あちこちに頭を下げて回り、今は細々とバイトをしながら、卒業の準備をしています。

就職でまた苦労しそうですが、なんとかやってみます。

励ましてくださったこと、本気で謝りなさいと言ってくださったこと、待ってますと言ってくださったこと、ありがとうございました。

無事に卒業して仕事に就いたら、また報告に伺わせてください。
Posted by 並 at 2014年04月11日 11:26
〉並さん

やあどうも。
返事が遅れて申し訳ありません。
遅まきながらPCの乗り換えなどして、操作やらなんやらにてこずっておりました。
一か月前に買えば消費税も5%で済んだものを、8%になってからようやく腰を上げるというありさまですよ。
このように、人間は「アカンでえアカンでえ、このままではアカンのやでえ」と思いながらも、日々を無為に過ごしてしまうものです。
まあ痛い思いをするのも今のうちだけで、そのうち何とかなるものです。
誰だって人生一度や二度は「やらかしてしまう」ものです。
ところがそんなことは、海に浴槽一杯分の泥を投げ込んだようなもので、一瞬は台無しになってしまったように見えても、いつかは希釈されてまたきれいな海に戻るものです。
太宰治じゃないけれど、「希望を持て。なんとかなる」の気持ちでいきましょう。
並さんは卒業までまだ一年もあります(油断しなければ)。そして人生はその何十倍もあります。
必ずなんとかなるでしょう。

こうやって、一度書き込んだ人から明るい続報をもらうのは、私自身とても励みになります。
皆さんと一緒に生きているなあ、という気持ちにさせられます。
また来てください。
待っています。
Posted by 肉王 at 2014年04月14日 01:13
こんばんは。
僕も遺書の書き方を検索してここを見つけました。
そう遠くないうちに逝くつもりなので、参考にさせて頂こうと思います。

高校中退で頭は悪いし字も下手なので、携帯電話のメモ機能か、鍵をつけられるブログにでも手短に書いてしまおうかなと思っていたんですが、やっぱり最後くらいは時間が掛かっても手書きにしたほうが良いかなと、この記事を見て思いました。
流石に「僕の魂は空間に解き放たれて〜」みたいな厨二病的なことは絶対に書かない自信くらいはありますが、何分アホなので、変な事を書いてしまわないように気をつけます(笑゙
Posted by トゥレッター at 2014年04月20日 22:08
>トゥレッターさん

返信がかなり遅れてしまいました。
20日の時点でコメントには気が付いていたのですが、22〜23日まで不在にしていたため、ころりと忘れてしまいました。
まったく申し訳ありません。

高校中退なんて今時珍しくはありません。ましてや中退だから頭が悪いというのもあり得ません。
かくいう私は高卒ですが、それでも頭はこの程度です。
正直言って、今では筆算での割り算や掛け算はできなくなっています。
特に小数点とかいうアレはいったい何なんでしょうか。

それはともかく、遺書を書き始めたきっかけは何だったのでしょうか。
世の中に絶望したのでしょうか、自分に失望したのでしょうか。
私は日々、そのどちらも感じながらも、のうのうと生きています。
日頃、世の中からは「早く死ね死ね」と言わんばかりに責め立てられ、そのたびに自分の無能さに絶望してしまうのですが、私はひねくれ者なので、他人から死ねと言われている間は絶対に死にたくないのです。
自分が死ぬ時や場所や理由は自分で決めるのが、無能な人間なりの誇りだと思っています。
もともと世の中や自分には何も期待していないので、そのどちらもが自分にとっての死の理由にはならないのです。
もちろんこれは詭弁、屁理屈の類かもしれません。
しかし、世の中も自分もいざという時には全く役に立たないものなので、そんなに本気で寄り添ったりおもねったりする必要はないのです。

そもそも遺書なんて、書くだけは自由です。
たくさん書いてください。書いて書いて書きまくっているうちに、何か真理のようなものが見つかるかもしれません。
その時、トゥレッターさんがどんなすごい見識を持っているようになっているのか、とても楽しみです。
Posted by 肉王 at 2014年04月28日 02:15
こんばんは。
遺書の書き方参考にさせていただきまして、とりあえず下書きしてみました。
肉王さんのように、わかりやすく書けず文章もだらだらと長くなってしまいました。
遺書を下書きしてみて少し驚いたことがあります。
もっと恨みや周囲に対する文句が出てくるであろうと思ったのですが、それが少しも出てこなかったのです。
頭の中ではぐるぐると渦巻いていたのでしょうが、文章にすると不思議と今までの謝罪と自殺することで生じる面倒事に対する謝罪ばかり。
読み返してみますと最初の3行以外はすべて謝罪と言ってもいいくらいでした。
遺書を書いてみると面白い発見がありますね。
恐らく書き直すとは思いますが、次はもう少しわかりやすく端的にを心がけようと思います。

ところで今コメントさせていただいている記事は2006年のものですが、肉王さんの遺書は更新されたのでしょうか?
私は何度も更新して最終的に出来がいいやつを選ぶだろうと思います。
もし更新された最新版の肉王さんの遺書があるならば是非拝見させていただきたいです。
それでは。
Posted by at 2014年05月15日 22:57
>無名さん

こんにちは。
遺書を書くと、何やら少し落ち着きますからね。
恨みつらみよりも謝罪の方が多いのは、あなたは嫌いな人間より好きな人間の方が多い人だからだと思います。
そういう人は、何度も書き直しているうちに気が変わるかもしれませんよ。

ご指摘の通り、私の遺書は全く更新していません。
本当は時々、「いっちょ新しいのを書いてみるか」と思うこともあるのですが、今まで大勢の皆さんのご相談に乗らせてもらっているうちに、大きく気が変わってしまいました。
死ぬのは怖いからいやだ。
でも、いずれ自分で決着をつけなければならない日が来るだろう、選択肢が一択しかなくなる日が来るだろうということは覚悟しています。
もし私が遺書を更新するとしたら、そのタイミングで更新し、皆さんの目にさらそうと思っています。
Posted by 肉王 at 2014年05月17日 02:51
>無名さんへ(その2)

さっき、「死ぬのは怖いからいやだ」と書きましたが、よく考えてみると、何が怖いのかが抜け落ちていました。
人が死ぬのは当たり前のことなので、それはそれでいいのです。
ただ、具体的な心残りが有るか否か、ということで、その恐怖心の内容も変わってきますよね。
まだ何もしていないという気持ちと、あと一歩及んでいないという気持ち。
両者にはものすごく差があるように思います。
46歳にもなると、さすがに「まだ何もしていない」とは思わないです。
しかし、「あと一歩及んでいない」と言えるほどまで精進してきてもいません。
その中途半端なところで、薄らぼんやりと生きているのです。そうすると、死ぬことも生きることも、結論を先延ばしにできるからです。
全く救いようのないほど卑怯なことです。
この件に関しては、もう少し考える時間をください。
ではでは。
Posted by 肉王 at 2014年05月17日 02:57
すごくお久しぶりです。
覚えてないかもしれませんがね。
ネット上の友達ですが、相談にのってくれる方が見つかりました。
今までそういう話をしたことがなかったので、話をするときすごく緊張したんですが、
何だかんだで私を泣かす程励ましてくれました(笑) 
もう大号泣でした。
初めて相談にのってくれた嬉しさとか、励ましの言葉が暖かすぎる、とかで。
最後に「貴方に会えて良かった」って言われたとき、私の涙腺がぶったぎられました(笑)
また相談にのってあげるっていってくれたので、もう此処には来ないかもですね。 有難うございました。心より感謝申し上げます。 ちなみに私、13歳になりましたよ^^*
Posted by 匿名 at 2014年06月30日 03:22
>匿名さん

お久しぶりです。
13歳になったってことは、3DSの人ですね。
どんな形であれ、友達ができたのはいいことです。
昔と今は違いますから、友情の形だって時代によってまちまちでいいんだと思います。
友達は大事です。
そして自分も大事です。
友情を長続きさせる秘訣は、友達のことも自分のことも等しく大事にすることだと思います。
ここに来ないことなんて気にしなくていいんですよ。
古いコートはドンドン脱ぎ捨てていきましょう。
それこそが若さの特権です。
元気でね!
Posted by 肉王 at 2014年07月01日 13:38
はじめまして。肉王さん。
DAISUKEと申します。今年が最後の20代になります。

「人生」「死」について考えていると、こちらに辿り着きました。

人生の四半期は生きてきたことになると思いますが、ここ数年、「おれって何してんだろうな」って思うことが多くなってきました。

私の将来の夢は「漫画家」でした。ただ単に小学生のころから絵を描くことが好きだったからです。
ただ、当時は「周囲の視線」を気にしてしまい、親にも友人にも「漫画家」になりたいということができませんでした。
心のどこかで、「漫画家」=「オタクっぽくてキモイ」と思われるのがいやだったのかもしれませんね。

私は現役で大学に合格できなかったのですが、その時に絵の専門学校に進むことを考えました。
ですが、そこでもまた「周囲の視線」が気になり、普通の大学を目指すことにしました。
「大学受からなかったからって専門学校行くのかよ」みたいに思われるのがいやだったのだと思います。

自分でもひどく偏見的だとは思います。

「漫画家になる」目標のために、何か頑張ったのかと問われると、胸を張って頑張ったとはとても言えません。
本気でなろうとしている人たちの足元にも及びません。
でもいまだに「漫画家」の夢は捨てきれず、
中途半端に生きています。

最近、仕事も休みがちになってしまい、会社に迷惑をかけていると思います。
今の仕事がいやで仕方ありません。働かなきゃと思うのですが、気持ちが全然ついてこないのです。

いっそのこと今の仕事を辞めて、本気で夢を目指そうと考えるのですが、今の収入を捨てて、ゼロから始める勇気がわきません。

もうなんだかこんな中途半端な自分に嫌気がさします。
このまま40、50歳になって、人生を振り返った時、死にたくなるのではないかと思っています。(今も時々思ってしまいます。)

とりあえず、こちらのHPを参考に遺書を書いてみようと思ってます。
自分の「人生」について、何か見えてくるものもあるかもしれないので。

なんだかただの独り言のようになってしまいましたね・・・。

長文失礼しました。
Posted by DAISUKE at 2014年08月19日 09:18
このサイトを見てよかった。
Posted by at 2014年08月22日 00:21
>DAISUKEさん

こんにちは。
返事が遅れて申し訳ないです。

自分のやりたいことをできないから悶々としているんですね。
周囲の評価を気にしてしまうから、自分の思う道に進めなかった。
多くの人たちは、そんな感じで人生を過ごしていると思います。
岐路に立つたびに、みんながどちらへ行くのかを見極めてからでないと、不安で仕方なく、好きな道も選べない。

でも、もしDAISUKEさんがみんなと同じ道を歩んでいるからと言って、周囲の人々が果たして正しくDAISUKEさんを評価しているかというと、決してそんなことはありません。
ざっくり言ってしまうと、DAISUKEさんがキモかろうとオタクっぽかろうと、あるいはそれとはまったく逆であろうと、みんなが本当にそのようにDAISUKEを見ているわけではないのです。
DAISUKEさんがどんなに周りの評価を気にしようとも、DAISUKEさんの望む形での評価をしてくれているわけではないのです。
そう考えると、いちいち周囲の評価など気にして生きるのがバカバカしくはなりませんか。
私は、それがどんな道であれ、自分が一番情熱を持てる道を選ぶのがいいのではないかと思います。
自分の個性を最大限に輝かせることのできる生き方にこそ魅力を感じます。
その結果、他人様からキモイだのオタクっぽいだの言われるのならば、納得して受け入れることが来ます。
他人の評価など、時代の価値観によっていくらでも変わります。そのたびに気に病んでいたのでは、自分の人生を全うするのに邪魔になります。
今、思い、感じているのはまぎれもなく自分自身であるという実感を大事にしてください。
仕事を休みがちになってしまったのは仕方がありません。それは、浮ついた気持ちで仕事はできないという責任感の表れでもあります。
出来れば仕事は辞めずに、漫画と両立させてください。辛い中で必死で漫画を描き、仕事をこなすことはその後の糧になると思います。
多分、今のままでいけば、「あの時仕事を辞めて漫画を選んでいればよかった」と思うでしょうし、仕事辞めてしまえば「やっぱり辞めなければよかった」と思うでしょう。
マンガの道だって、それで収入を得るようになれば、それが新しい仕事になるのです。仕事で辛くなるたびに職業を替えていては、人生を見捨ててしまうことにも等しいです。
辛さ、あるいは苦行とでも言いましょうか。そういうものの中でこそ輝く自分と出会うチャンスかもしれません(宗教的な意味ではありません)。
遺書なんか書いている場合ではありません。
今から漫画を描いてください。
Posted by 肉王 at 2014年08月27日 02:51
はじめまして

遺書の書き方を知りたく検索をしていたら見つけて参考にさせて貰いながら遺書を書きました。

私は仕事でミスをしてしまい損害を出してしまったが、妻が二人目の妊娠中の為に転職が難しく板挟みになり追い詰められていて自分勝手な事は分かっていながらも自殺を考えています。

参考にして書いた為にたいした教養もない私が情けない遺書を残す事がなくなって安心しました


Posted by j.s at 2014年08月27日 10:59
>j.sさん

こんにちは。

その仕事のミスは重大なものなのでしょうか。
通常、仕事のミスは仕事で返すしかないものですが、命で弁償しなければ返しきれないほどの大きなミスだったのでしょうか。
あるいは、退職すれば帳消しになるような責任の軽い仕事なのでしょうか。
私はj.sさんがどんな仕事をしているのか分かりませんが、本気で仕事をしている人ならば、自分の仕事にもう少し誇りをもって向きあう方がいいのではないかと思ってしまいます。
今の仕事をなかったことにして転職をすれば、それで過去のことがご破算になるとは思えません。
ミスはミスとして認めてしまい、今度はそれを取り返すように頑張ってみてはいかがでしょうか。
おまり大きなことは言えませんが、自分の責任を全うするには、地道に前に進むしかないのではないでしょうか。
仕事も家族も捨てて逃げ出してしまっては、何の責任も果たさずに投げ出してしまうことになってしまいます。
そんな恥ずかしいことはやめてください。
刀折れ、矢が尽きるまではしつこく踏みとどまってください。
Posted by 肉王 at 2014年08月28日 03:17
おはようございます
はじめまして
本日、遺書というワードでこちらを拝見いたしました。
私は、仕事がら自殺をされたかたを、目にする機会が多いです。
直後は、何故こうしなければならなかったのか?
例えば、電車に飛び込んだ中学生、ひきこもりである日、部屋でハングした女性。公園のブランコ、橋でハングした男性。車の中での練炭。
老若男女、様々です。
でもまさか、自分がここまで精神的においつめられるとはおもっておりませんでした。
一昨年から始まった、体の変調(痛風・盲腸・椎間板ヘルニア・腰椎椎間板症)体を鍛え続けた結果、体を壊してしまったのです。現在、仕事はしておりません。朝、起きる時から腰に激痛が走り、同じ姿勢では何十分も持ちません。
こういうことが自分に起きて、始めて自分のまわりに、誰もいないことのつらさを、痛切に感じております。
軽く生い立ちを記してみます。乳児園に捨てられてから、施設で育ち、天涯孤独で身内と呼べるものが、だれもおりません。
人様の世話には、極力なるまいと一人で生きてきましたが、動けなくなってしまえば、それもかないません。先にまったく希望が見えません。これ以上。人様の世話になるよりは、さらに毎日の激しい腰痛、ヘルニアの後遺症の神経過敏症から解放されるのに、この手段を取るしかないのなと思案し、生前、世話になった人で借金で苦しんいる人に保険金を渡してほしいと思い、遺書というワードがでてきたのです。



Posted by 秀 at 2014年10月01日 05:57
>秀さん

はじめまして。
人の死を目の当たりにすることが多いなんて、大変なお仕事をされていたのですね。
さまざまケースでの死と出会う機会や、体を鍛える必要があったということは、公務員関係のお仕事だったのでしょうか。
生い立ちが厳しい環境であったにも関わらず、あなたは、その厳しさに屈することなく、多くの人の為に生きてこられたのでしょう。
なかなか出来ることではありません。
きっと心がものすごく強いのだと思います。
そして、その強い心を支えていたのが、鍛えられた体だったのではないでしょうか。
その心の支えがオーバーヒートしたせいで、今はすこし心が揺らいでいるのではないでしょうか。
病気は辛いです。孤独も辛いです。
両方が一度に来たら、それはもう死にたくなるほど辛いでしょう。
自ら死を選ぶ人たちは、そういう辛さの中にあって死んでいったのかもしれません。
しかし、秀さんはそれらの遺体を見たときに、どのように感じてこられたのでしょうか。

ひょっとして秀さんは今、「何かに負けてしまった」ような感覚になっていませんか。実体は無くて、なんだかぼんやりしたものを相手に負けてしまったような感覚というか・・・。
それを人は社会というかもしれないし、世間というかもしれません。
今まで頑張ってきたのに、体を壊したために、もうそれまでの実績を無にされてしまったような敗北感に襲われてはいないでしょうか。
全く素人の私見なので、的外れだったら申し訳ないのですが、これまで自殺の相談をされる方の多くが、そういう実体のないはい敗北感を抱えて、それを受け入れられないで混乱している方が多かったものですから。
主に、仕事で頑張ってきた方に多いように感じています。
もしそうなら、一度徹底的に体を治すことだけに専念してみてはいかがでしょうか(外科的な方から優先的に)。
多分、体が良くなるにつれて、少しずつ考えも改まっていくのではないでしょうか。
どんな頑丈な家だって、長く住めば傷んでくるのは当たり前ですし、そのたびに少し補修したり、あるいは無理せず大事に住もうとするものです。
それを人は甘えだとかわがままだとか言うかもしれませんが、そんなことは気にしなくてもいいのです。人間は多少なりとも甘えたりわがままを言ってもいいのです。
誰だっていつも他人の甘えやわがままを受け入れて生きていますし、時には逆に自分もそれらを振りまいているものです。そうやって人を愛したり愛されたりしているのが、世の中なのではないでしょうか。
先に敗北感の話をしましたが、仮にそれがはっきりとした敗北であっても、それだって何ら恥じることではありません。
プロ野球で400勝をした金田正一は298敗(日本記録)していますし、イチローの4000本安打の裏には累々たる凡打の山があります。
彼らの価値は、どんなに負けても勝負の場に挑み続けたことであり、決して勝利の数だけが評価の対象ではありません。
一流の人間は、負け星も誇ることができるのです。
彼らだって、何度も体の故障を乗り越えてきたのです。
どんなに傷ついた体でも、今まで鍛えてきた苦労を思い出して、それに耐えてきた自分の体を信じてやってください。
これまで、心を支えてきた体が、今度は心に支えられる番です。

借金で苦しんでおられる知人の方には申し訳ないけれど、「不慮の事故で死ぬまでまってくれ」と言うしかありませんが。また、もし仮にそうなったとして、その方が保険金を受け取るとは思えませんが。

ちょっと的外れなことばかり書いてしまったかもしれません。
申し訳ありません。
私は暇な人間なので、こんな形でもよかったら、いくらでも書き込んでください。
待っています。
Posted by 肉王 at 2014年10月03日 03:08
はじめまして。
友達関係に疲れた中学生です。
私が生きていても、まわりに迷惑をかけるだけなので、逝こうと思います。
心残りは、恋がしたかったことくらいです。
今月中くらいには逝く予定です。
頭の出来が悪いので、変な遺書になるかも知れませんが、参考にさせていただきます。ありがとうございました。
Posted by ぬこ at 2014年10月03日 17:49
>ぬこさん

こんにちは。
友達関係というのは、時とともに季節のように移り変わるものです。
その中でも、親密になる人とはより親密になるし、疎遠になる人とは自然と疎遠になっていくものです。
若いころの友人関係というのは、ただ集団の中で孤立するのが怖くて、お互い無理に友達であろうとしているだけというケースが多いです。
しかしそれは中学校とか高校とか、ごく限られた中での現象にすぎません。
世界は気が遠くなるほど広いので、そんな狭い場所での孤立を恐れる必要はありません。
友達関係に疑問があったり、嫌々付き合って神経をすり減らすくらいなら、堂々と孤立していればいいのです。
そういう状態を昔から「孤高」と呼びます。
孤高と孤独は違います。
周囲の媚びず、自分の意志で誇りをもって毅然と孤立していれば、きっと恋の一つや二つは簡単にできるでしょう。
それでも駄目だったら、そこではじめて「死んじゃいたいなー」程度に考えてみるといいでしょう。
もう一度言いますが、世界は驚くほど広いです。
そしてその中に飛び込むと、人生はすさまじく面白いものです。
どうせ死ぬなら、その面白さの中でゲラゲラと笑いながら心置きなく死んでください。
若い人は、その面白さを知る前に死んではいけません。
Posted by 肉王 at 2014年10月04日 01:00
肉王さん、ありがとうございます。
すごく嬉しかったです。
孤高になって、もうちょっと頑張ってみたいと思います。ありがとうございました。
Posted by ぬこ at 2014年10月04日 10:36
>ぬこさん

俺も頑張るます。
お互い、楽しく行こうよ。
またいつでも来てくださいね。
Posted by 肉王 at 2014年10月05日 01:58
はじめまして、こんにちは。
今、高校1年生の16歳です。
私は遺書を書くつもりでこのサイトを訪れたわけではありませんが、少しコメントをさせていただこうと思います。
小さい頃から感受性が強いせいか、些細な事で悲しみや苦しみを味わうとても精神の弱い人になってしまいました。
実際躁鬱病などの心因性の病気になって引きこもっていました。
自己否定が激しく、疑心暗鬼で周りには偽の笑顔ばかり。こんなので私は自分の人生楽しいのか?と何度も自問自答してきました。近所の池で溺死とかリスカとか、ほんとに色々考えました。
でも生きることをやめていないのは、この先に何が待っているのかが気になるからだと思います。
まだ引きこもりだった頃の私に、こういう言葉をかけてくれた人がいました。
「今どんなに辛くても、自分の体がまだあるんだからきっと大丈夫。いつか人生のリセットチャンスが必ず訪れるはずだから。生きることを恐れてはいけない」
この言葉を初めて聞いたとき、正直あまりいい印象はありませんでした。でも今になって、やっとわかったような気がするんです。気がするだけですけど。
まだ子供で酸いも甘いもわからないし、人生の本当の辛さも良くわからない。ここで遺書を書いて死のうとしている人達は私よりも辛い経験をしているからかもしれない。いやきっとそうだろうと思う。
でも私は、下を見て涙を流すよりも上を見上げて、空が綺麗だと言える人になりたい。あの全身が泥につかっているような感覚の毎日はもう嫌なんです。
この記事を見て、私はまだ生きたいと願っている人なんだと再確認しました。
何が言いたいのかわからなくなってしまった…支離滅裂で本当にすみませんでした。
Posted by 藍 at 2014年12月23日 12:12
牢名主さん

お久しぶりです。
2009年に、お世話になったsakuraです。
ちゃっかり生きています。
あの当時は、生きてきた中で一番辛い時でした。
何とかやり過ごそうと過ごし、ここでお話をして、死なずに生きることができました。
ただの死にたい人の独り言にならずに済んだのは、牢名主さんがお返事をくれたことも大きいです。
ここを通り過ぎる沢山の人達の言葉も、胸に刺さりました。
死にたいという言葉は、言われた相手にすれば、とても重い言葉で、
それがわかっているからこそ、どこにも相談する場所がなかったことも思い出します。
死にたいと思ったことも真実で、それと同じくらい、できることなら生きたいと思ったことも、相反するの感情に、息詰まり泣きました。
そんなこと、そんな日々を繰り返して、死なずに生きることができました。
ありがとうございます。

sakura

追伸
寒いので、温かくして、お体大事にお過ごしください。
また、お邪魔させてください。
Posted by sakura at 2014年12月24日 07:45
はじめまして。
自殺しようと思いたち、遺書の書き方を調べていた時に貴方のサイトを見つけました。

私はとある私立の中高一貫校に通っています。そこでは、高校から国公立大を目指すコースとと私立大を目指すコースに別れるのですが、そこで私は、その国公立のコースに落ちてしまいました。昔から近くの難関国公立に行くよう言われてきましてそれを目指し頑張ってきました。その目標に向かう道を絶たれ、自殺しようと思いたったわけです。
いつもこんなかんじなのです。私が通っているこの学校ももともと滑り止めなのです。本命に落ち、この学校に通っています。正直、本命の学校の偏差値よりはるかに低く、目指していた大学もギリギリ行けるかなって程度でした。私が通うことになったコースはもう大学にはいけません。家計的に私立なんて行けませんし、それなら、自殺したほうがいいのではと思いこのサイトを見つけました。

私は痛いこととかが苦手なので、死ぬかどうかはわかりませんが、参考にさせていただきます。

遺書には書けないことを言いたくて、コメントさせていただきました。支離滅裂ですみませんん。お目汚ししてしまい申し訳ありませんでした。
Posted by かなり at 2014年12月24日 13:40
皆様、お返事が遅れて申し訳ございませんでした。
何ら気の利いたことの一つもできない私が、こういう事もおろそかになってしまっては全く生きる資格もありゃしません。
お天道様にも、皆様にも、深くお詫び申し上げます。


> 藍さん

と、いうわけで、どうもはじめまして。
生きる辛さに年齢は関係ありません。
オジサンにはオジサンなりの、老人には老人なりの、そして若者には若者なりの辛さがあり、それはすべからく平等にのしかかってくるものだと思います。
人は誰でも自分の辛さや苦労こそこの世で一番だと思ってしまうので、他人の辛さに心から寄り添うことができないものです。
よく言う「今時の若者は・・・」というヤツと構造は似ていると思います。
だから、落ち込んでいるときには他人からのアドバイスは耳に入りづらいのだと思います。

しかし、藍さんが「人生のリセットチャンス」のアドバイスに違和感を覚えたのは、それとはまったく違っていて、藍さんがとても理性的であることを証明していると思います。
自分の人生を心の深い所で愛おしく思っているから、リセットなんかしたくないし、そもそも人生はそんな簡単なものではないことをちゃんと知っているのでしょう。
私も、人生にリセットなんかあり得ないと思っていますし、仮にそれができるチャンスが訪れたとしても、きっぱりと拒否します。
良いことばかりをかき集めるのが人生は無いし、悪い事ばかりにまみれるのもまた人生ではないでしょう。
良いことも悪い事も含めて、人生はそれそのものに価値があるのです。
もしも「リセットチャンス」という言葉に他の意味を求めるとすれば、「それまでの全部を受け止めて、改めて人生を愛おしく思えるようになるほどの出来事に出会える日が来る」、ということかと思います。

上を向いて流す涙も、うつむいて流す涙も、同じように愛せると、きっと空の輝きも違って見えてくることと思います。

なんだか私も支離滅裂になってしまいました。
藍さんは、16歳の高校生らしい素直な感性を持った人だと思います。
そして、文章がとても上手い。
出来る事なら、今思っていることやこれまで思っていたことなどを全て文章にして残しておくことをお勧めします。
思考をそのまま言葉に表すというのは案外難しいのですが、若いうちにその訓練をすると、自分の中のわけのわからないものがだんだん整理されてきて、視界が明るくなることがあります。
視界が明るくなると、理不尽なことも、イレギュラーな出来事も、楽しく受け入れられるようになります。
ぜひ、お試しください。
Posted by 肉王 at 2014年12月25日 02:08
>sakuraさん

お久しぶりです。
こうして返信を貰えると、とてもうれしいです。
私は相変わらずアリの巣の奥のようなところでグズグズと生きています。
先日は国道6号線を通って、原発事故で無人になった街を見てきました。
すげえなぁ、なんて他人事みたいな感じでした。
何シーベルトだかわからない量の放射線を目いっぱい浴びて、歴史ってやつを体験してきましたよ。
でも、心の中に湧き上がってきたのは、意味のないノスタルジーのようなものだけでした。
自分の町じゃないから、とか、自分の住んでいるところとは無縁だから、ということなのでしょうか。
自分でもまだよく分かっていないので、今ぼちぼちと考えている最中です。
ひどく廃れた街を見ながら、ひょっとして本気で死にたいという願望を抱えている人の心の中というは、こんな風景なのかもしれない、と考えて、胸がザワザワしました。
でも、そんな街の中にも雑草は沢山生えていたし、鳥も沢山いました。
まだかすかにでも救いはあるのだと思いました。
それが何なのかはまだまだ分かりませんが。
お互い、僅かでも何かに救いを見出して生きていきましょう。
まだ、何かはあると思います。
Posted by 肉王 at 2014年12月25日 02:39
>かなりさん

こんにちは。
受験らしい受験をしたことのない私は、その辛さを推し量ることが苦手です。
世の中には、受験で失敗した人が大勢いて、いやむしろ失敗した人の方が圧倒的に多くて、国立大学以外の出身者ばかりの世の中です。
また、仮に国立大学を出たとしても、そのスキルとは全く無関係な道に進んでいる人も多くいるようです。
そういう人たちを見ていると、学歴って一体何だろう、なんて考えてしまいます。
チープな言い方をすると、「学歴だけじゃ」ってところなのでしょうが、それを学歴の無い人間が言うのは筋が違うのですよ。
今まさに受験の真っ最中にいる人、そのために何年も努力をしている人に言うセリフじゃないのです。
かなりさんは、かつての目標から少しづつずれてしまって、本当は火星に行くべきところを、木星付近にしか行けない状態なのですよね。
それはもう、ずっと前から「木星にしか行けないだろうな」ということには気付いていたけれど、何となくごまかしてきた結果、やっぱりここは木星行きの航路だという現実を突きつけられて焦っている。
火星行きの装備しかもっていないから、木星へ行くことが即ち死を意味するような気がする。
そう考えると、かなりさんが感じている恐怖は、よく理解できます。
自分の持っている地図に行き先が載っていないような気がすると、人は誰でもうろたえてしまうものです。

でも、かなりさんは大事なことをいくつか見落としていると思います。
まずは、その目標の国立大学で、何をするのかということ。
入学したあと、そこで学んだことで将来何をするかということの方が重大なことではないでしょうか。
入学だけが目的なら、入学式の翌日に退学してもいいということになります。
それともう一つ。
こちらの方が私は気になったのですが、かなりさんは今在学している学校をに価値を見出していませんね。
今自分がいる場所を「くだらない場所」だと思っていて、こんなところにいる時点で、もうすべては無駄なのだと思ってきたのではないでしょうか。
そういうスタンスでいたせいで、勉強にも身が入らなかったのではないですか。
その結果、成績も思うように残せず、だから自分は駄目なんだと卑下してしまってはいませんか。

「その目標に向かう道を絶たれ、自殺しようと思いたったわけです。」
と書いていますが、実がその道を断ったのは、今の自分なのかもしれませんよ。

と、厳しいことばかり書いてきましたが、実は世の中の人の多くはそういう思いをしてきた人たちばかりなのです。
人間誰だって、実力以上のところに目標を置いて、夢を描きます。
プロ野球の選手になりたいとか、医者になりたいとか、官僚になりたいとか。
でも、ほとんどの人がそのための努力はおろそかにします。そのくせ、夢がかなわなかったといって忸怩たる思いだけを一丁前に持ってしまうのです。
その点、少なからずその努力をしてきたかなりさんは、それだけでも偉いのです。
目的地へたどり着くための地図は描いてあったのですから。
ただ、その地図はまだまだ空白地帯が多いようです。
木星経由で火星に行くルートがあったっていいじゃないですか。
なんなら、土星回りだっていいかもしれません。
家計の問題は子供が心配することじゃありません。
それだけはきっぱりと親の責任です。
いくら親とはいえども、子どもに学歴を要求するなら、それ相応の資格というものが必要です。
「自分は貧しい出身で、大学に行かせてもらえなかったから、お前には何としても頑張ってもらいたい」というようなことを言う親がよくいますが、それを言うのならば経済的な負担は子供に乗っけてはいけません。
「大学行きたいなら国立。それ以外なら働け」というのならば分かりますが。

私ができるアドバイスとしては、かなりさんはまず、今自分がいる場所を正確に認識すること。
それが今の自分なのだから、それを安易に否定なんかしないで、もっと自分と周囲の環境を好きになってください。
そうでないと、ただわが身が悲しいだけです。
そして、自分が行けそうなところで魅力を感じるところを探してみてはどうでしょうか。
どんな場所であろうと、行ってみれば想像以上に楽しいものです。
世界は広く、人も物も多く、キリがありません。
星の名前も草木の名前も、まだまだ何も知らない自分に気が付けば、自殺なんかしている場合じゃないです。
どこへ行っても学ぶ機会はあるし、何を学んでも終わりはありません。
まだまだです。
世界も人生も、キミも私も、誰も彼も何もかも全てがまだまだなんです。
だから、何も心配はないのです。

受験は大変だけれど、親の期待なんか(ある程度)無視して進むしかないでしょう。自分の人生は自分の物ですから。
ただし、今やるべきことは、今だけでも頑張っておきましょう。
理屈抜きでやらなきゃならない時もあるものです。
Posted by 肉王 at 2014年12月25日 03:40
肉王さんありがとうございました。
火星の例えは、ものすごく的を射ている言葉でした。私は、国公立に行くことしか頭に無く、今どうしたら良いのかわからなくて、安易に自殺しようとしました。

>実はその道を断ったのは、今の自分なのかもしれませんよ。

そうだったのだと思います。自分の努力不足とか認めたくなくて、何も見ないふりを続けてきました。

>今自分がいる場所を「くだらない場所」だと思っていて、こんなところにいる時点で、もうすべては無駄なのだと思ってきたのではないでしょうか

思ってきました。入学当初からずっと。私の学校はミッション系の学校なのですが、やはりミッション系らしい入学祝いの言葉が胸に刺さってそのせいで、この学校がなんだかくだらないところのように感じていました。言った先生には悪意はなかったのでしょうが、私はその言葉が喉元の小骨のように気にかかっていました。神が私達をこの学校に導いたという旨の言葉だったのですが、この学校に来たのは神の導きとか、私が本命に落ちることも神の導きだったのかっていう。ただの逆恨みですが、ものすごく腹が立ちます。

また愚痴っちゃってすみません。今まで親の言うことを聞いてきたけど、これからは自分の夢も追っていきます。

本が好きなので、おすすめがあったたら教えて下さい。お体にお気をつけて。

長文、乱文すみません。ありがとうございました。

Posted by かなり at 2014年12月26日 13:33
家族への感謝を書こうとすると、涙が出て書けなくなります。
でも迷惑かけてばかりだから…
…どうしませう
Posted by JILL at 2014年12月27日 10:27
死ぬの辞めよう。
コメント欄見てたら俺なんか死ぬ理由がバカバカしすぎる。

すみません、ありがとうございました
Posted by JILL at 2014年12月27日 10:32
>肉王さん

たまたまコメント欄を開くとお返事が来ていたので、嬉しくなりました。わざわざお返事ありがとうございます。

実は肉王さんの返事を見る直前に親と少し喧嘩してしまい、頭痛を起こしているところでした。
でも肉王さんからのお返事を見て、なんだか頭痛が吹っ飛びました。というか逆に泣いて頭が痛いです。
記事やコメント欄を見ていると肉王さんが自虐的な思考や発言をよくなさっているのを見ますが、そんなに自分を卑下しないで欲しいと思います。
だけど今私がこう言っても自虐的な思考はやめられないと思うし(私がそうだから)、言われるのも鬱陶しいと感じているかもしれませんね。
コメント欄を見て思ったのですが、肉王さんはとても人の話を聞くのが上手で、その返しも上手ですね。
一人ひとりの発言をちゃんと汲み取って、そしてテンプレじゃないお返事をしている。とてもじゃないけど私だったらできません。
肉王さんは心が優しくて暖かくて、言葉の選び方にセンスがあるとても素敵な方ですね。何度もお話をしたくなるような魅力の持ち主です。少なくとも私はそう思います。
肉王さんのお返事を見て、いつか自分の人生まるごと好きになれる時が来たらいいなと思いました。なんだか自分に対して前向きになれた気がします。ありがとうございます。
本当はもっとたくさん素敵な感謝の言葉を肉王さんに贈りたいのですが、うまく言葉にできません。
肉王さんとのやり取りがここのコメント欄だけで終わってしまうのはとても惜しいです。もっと色んな話を聞けたらいいのにな、と自分勝手に思ってしまいました。すみません。
お返事の言葉を受けて今日から日記を付けることに決めました。良いアドバイスをありがとうございました。
長々と失礼しました、肉王さんのこれからが素敵な色で満ち溢れる事を祈っています。

追伸
肉王さんは本がお好きな様なので、私の好きな作家を紹介しておきます。
伊藤計劃という方で、若くして亡くなられているので作品数は少ないですがとても面白いです。SFが主です。お時間があれば読んでみてください。
Posted by 藍 at 2014年12月28日 21:30
牢名主さん

こんばんは。
いつも丁寧なお返事ありがとうございます。
すぐにお返事を読んだのですが、文章を書くのが不得意で、いつも投稿するまでに時間を頂いてしまいます。

随分前になりますが、死にたいとご相談した後、何とか生きれないかやり過ごしている時に、突然震災が起きてしまい、その時、死にぞこないみたいな状態な精神のくせに、牢名主さんが東北なのはわかっていたので、大丈夫なのか気になって、何度もこちらにお邪魔したのですが、一言も声をかけることができませんでした。ごめんなさい。

生きたくても生きれなかった人達の前で、無事に生きたけれども、大変な境遇にある人の前で、なんと言えば良いのか、考えても考えても、その時の情けない自分では、言葉が出てきませんでした。
同時に、心の底から申し訳なさを感じ、何でも良いから一歩ずつでも、歩みを進めたいと、強く思いました。

お返事に、無意味なノスタルジーだけでした、とありましたが、きっと人は自分の力だけではどうにもできないことに遭遇してしまうと、他人事のように思うしかないという気持ちが働くのではないかと思います。
何も感じていないわけではなく、無力さを思い知らされて、心がそれ以上に考えることを止めさせようとして、思考がある意味で自動的にストップをかけているのではないかと思いました。

決して他人事ではなく、自分のできることは何なのか?、どうしたら良いか?という気持ちが同時進行で揺らぎながら、そこに存在しているような気がします。
考える時間を、心が必要として、客観的な距離感のような立ち位置、スタンスを取ってバランスを取ろうとしているような気がします。

今はもう生きていくつもりで、日々も過ごせるようになりましたが、死にたかった頃には、実は食べ物の味がほとんど感じられなくて、砂を食べているような感じでした。生きていくのが辛いので、ご飯を食べるのが苦痛というか、必要性すら感じなられなくて。

こちらにお邪魔している時に、おばちゃんの焼きそばが美味しくてと書きましたが、当時は砂のような味で、美味しく感じていたのは死にたいと思う前の話で、何も知らないおばちゃんが、いつも食べるのが好きな私に、以前と同じように沢山お皿に盛ってくれる気持ちを、美味しいと表現するだけで、それは過去の思い出の味覚であり、心が死んでしまうと、感覚も心も、心臓は動いていても、あらゆる物、事が止まってしまうのかもしれませんね。

味も色も失ってしまった世界は、その風景やそれと似ているのかもしれません。牢名主さんのお返事を読んで、あの時の感覚を思い出しました。個人的な気持ち、見解なので、全然違うのかもしれませんが。今はそれも受け入れて生きているので、こうやってお話しても辛くないです。

数年が経過して、ただ一つ言えるのは、思っていることを、自分の外側に出し、文章にして、客観的になることで、いっぱいいっぱいの時には見えなかった、新しい違う一面が見えてくることもあるのだと思いました。
時間は必要かと思いますが、いつか雑草を刈って、そこに建物が立ち、住む人がいて笑う人がいて、そんな毎日を過ごしながら、大変だった出来事もあったし、言葉にできないくらい辛い時もあったけれどと、今は大丈夫だよと、そう言えるような、そんな風景が見たいです。
無理やりじゃなくてて、そう思える日が来るようにと、遠いところに住んでいますが、心からそう思って願っています。

追伸

寒いので、風邪などひかぬように、温かくしてお過ごしください。嫌なことがあったら塞込んでみたり、めんどくさいことには寝たふりしてみたり、ご無理せずに、心も体も大切にしてください。
人生にはくだらないこと、くだらないけれど面白いことが沢山必要ですね。
Posted by sakura at 2015年02月02日 03:40
>かなり さん
>JILL さん
>藍 さん
>sakura さん

皆様、こんにちは。
長い間、放置してしまってすいませんでした。
コメントは読んでいたのですが、特に急を要する様子でもないと思っていたら、あっという間に時間が経ってしまっていました。
その間私は何をしていたのかと言うと、お金がすっかり無くなってしまったために、泡を食った生活をしておりました。
私はジェイルハウスブックと言うフザケタ古本屋を経営しているのですが、古本屋というやつはこれで結構お金の出入りが激しく、2か月余りもボンヤリしていると、すぐにケツに火が点いてしまいます。
なので、何とかお金をナニしようとしてアレコレやっておりました。
そろそろブログも(1年ぶりに)更新したいし、皆さんとも落ち着いてお話をしたいので、あと二週間ほどケツの火を消さないでいます。
必ずまた戻ってきますので、今しばらく時間を!
Posted by 肉王 at 2015年02月04日 02:58
牢名主さん

気を遣わせてしまい、すみません。
私の場合は、死なずに済んだというお礼のご報告なので、お気になさらずに。

生きていくにはお金が掛るので、私も頑張って働いてきます。

ケツに火、笑ってしまいました。
ではでは。
Posted by sakura at 2015年02月18日 00:57
Posted by つばき at 2015年05月01日 09:49
はじめ
批判させていただきます
自殺を考えてる人は動物どうのこうの依然にまともな精神状態ではないんです
まして実行を現実にしたということはそれほど切羽詰まった状態なわけでして「こう書いたほうが望ましい」と言った教育が介在する余地が持ち合わせていない方なんです
もう死ぬしかないから死ぬとご決断されたはずです
せめて死ぬ言葉ぐらい耳を傾けて下さい


Posted by つばき at 2015年05月01日 10:00
>つばきさん

はじめまして。

自殺する人がまともな精神状態ではないということについては、全くその通りだと思います。
まともな精神状態の人は、自殺を考える前に色々な手立てを考える事でしょう。
そして、まともな精神状態であれば、このようなサイトには縁がないことでしょう。
しかし、日頃どんなに冷静な人でも、何かの拍子に錯乱してしまって、こんなところへ紛れ込んでしまったりするものです。
そういうのもまた人間なのです。
そういう人たちに、「まぁまぁ、いつものように冷静になりなさい。ほら、あなたは今、少し錯乱しているだけなんですよ」と諌める効果がこのサイトにはあるようです。
その証拠に、(おこがましいようですが)ここから上に沢山書き込まれた、大勢の人達のコメントを全部読んでみてください。
多分、つばきさんは皆さんのコメントを全く読まずに、真っ直ぐこのコメント欄に書き込まれたのだと思います。
私自身も、時々心が追いつめられたときにはここのコメント欄を読むことにしています。
すると、みんなの少し迷った心が沢山置いてあって、その心の底から吐き出したような言葉の数々に救われたりします。
もとは半分冗談で書いた文章ですが、いつの間にかいろんな人との交流ができるような効果を生んでいます。
もしもつばきさんも少しうろたえているのら、ぜひみんなの言葉にも耳を傾けてみてください。
Posted by 肉王 at 2015年05月04日 02:38
はじめましてこんにちは 僕は今年高校の受験をすることになった中学三年生です。 自殺というものを考えるようになったのは小学校の中学年位になってからでした。 その時は嫌なことがあって死ねたらどれだけ楽なのかと軽く思っていただけでした。 しかし、年齢を重ねるに連れて死にたいと思う頻度が多くなってきました。 少しの事で死にたいと思うようになり、いつしかは口癖が「死にたい」となっています。 これは、ネタでつかう「あー勉強おおいー死にたいー」とかでは無く本気で死にたいと思っていました。 友達関係は良く自分でいうのもなんですが、仲の良いグループの中心人物です。 勉強も上の下といったところでしょうか。しかし、親の存在がとても嫌なのです。 親といっても父の方です。 DVは小さい頃から受けてきたので当たり前の様に思っていました。むしろ、皆さんが親から暴力を受けていないのが不思議なくらいです。 生きているだけで痛いのを味わうぐらいならいっそ死んだほうがましかなと思い、このサイトにたどりつきました。 しかし、手首を切るにも躊躇してしまい雀の涙ほどの血しかながれでません。 飛び降りるのも怖いし、首を吊るのも苦しそうで嫌なのです。  こんな臆病者に自殺などできるのでしょうか。 こんな自分に希望はあるのでしょうか。 自分が死ぬよりも自分の死を利用して父に自分と同じ位の痛みと苦しみを与えてやりたいのです。   もう人を殴る人間を許せないのです。    
Posted by のろ at 2015年08月29日 15:13
>のろさん

はじめまして。
受験勉強真っ盛り、大変でしょう。
この時期は、勉強だけでなく精神的にもきつい時期です。
焦りや不安でストレスは高まり、はけ口の無い日々に怒りすら覚えていることでしょう。
周囲の同級生も多分同じ思いでいます。

さて、自殺の件ですが、小学生の頃からの口癖がだんだんリアルになってきたとのこと。それは私も経験があります。半分冗談なのは心の片隅で理解しているのに、頭がそれに反応せず、より実感的な方向に思考が流れてしまう。
これは人間なら当たり前のことで、一種の洗脳とでも思った方がいいでしょう。宗教を信じている人が、ことあるごとに念仏やお題目を唱えて、それで自身の安定を図ろうとする行為に似ているのです。
子供の頃にロマネスクな意味での死を逃避の方法に選び、その時に少し心が安らいでいるもので、それが癖になると、少し大人になっても受験などでストレスを感じたときに「死ねば楽になる」と考えて、心の安定を図ってしまうのです。
でも、本当にそこまで思い詰めているわけではないので、現在そんなに心配することは無いと思います。
実際、実行に移そうとすると痛そうだったり苦しそうだったりして嫌になっているでしょう。
それがあなたの本音ですから、その本音の通り生き続けた方が良いのです。
ただ、その思考の癖はいずれ直した方がいいので、「死にたい」という言葉を他の言葉に置き換えたり、そう思うタイミングで死とは無関係に思える映像を想像したりするといいと思います。
私は「死にたい」と考えるタイミング(これは人それぞれ違う)で、月面から見た地球を想像し、そこからぐーっとカメラをズームアップさせて、チョモランマの頂上に立ち、さらに野原に咲くひまわりの群れの中までを想像するようにしていました。
かなり時間がかかるのですが、かえって時間がかかる方が深い落ち着きを得られてよかったように思います。

さて、お父さんの話。
ダメダメな男ですな。
お父さんは恐らく、心が非常に弱い人です。
辛いことや悲しいことに真正面から向き合ってこなかった人だと思います。
自分に自信が無いので、色んな問題から逃げ続けてしまった人なのではないでしょうか。
そんな自分の器の小ささに気が付いているから、自分より弱い人に対して高圧的に振る舞ったり暴力を振るうのでしょう。
他人様の親を悪しざまに罵って申し訳ないのですが、率直にそう思います。
そういう人に対して、あなたが自分の命を投げ出すことはありません。
もっと言えば、あなたが死んでも何も解決しません。
DVがあったという事実が消えるだけかもしれません。
中学校3年生と言えば、これからまだまだ良いことも楽しいことも沢山あるのですから、それを棒に振ることなんかありません。
あなたが女性か男性かわかりませんが、現在では体力的にも親を上回っていますから(女性だと同格くらいでしょうか)、殴られた時に殴り返すくらいでもいいかと思います(ただし、手加減は絶対に必要)。
あなたは理知的な人ですから、暴力は嫌いだという気持ちも良くわかりますが、やむを得ない場合というものもあるのではないでしょうか。
警察や児童相談所へ行くという手もあるのですが、それで父親が反省するとは考えられません。むしろ余計に頑なになりそうな気がします。

今考えたのですが、暴力でなく、言葉でもなく、効果的に自分の意思をぶつける方法として、水をぶっかけるという手はどうでしょうか。
1.寝ている父親に
2.父親が大事にしているものに
3.食事中の父親に
これらのどれかに、バケツにたっぷりの水を(心臓マヒの可能性も考えて、ぬるま湯がいいでしょう)ぶちまける。その際あなたは、一言も言葉を発せず、表情すら変えてはいけません。
暴力を振るわれた日か、その翌日にこれを実行すると、どんなに駄目な人間でも少なからず反省するでしょう。
かなり突飛な行動なので、あなた自身かなり躊躇するでしょうが、あなたが父親を軽蔑しているという意思は十分に伝わるはずです。
これは決してふざけて言っているわけではありません。
あなたが死んだり、不条理な暴力に耐えるなどという、理不尽な日常と決別する方法として、もっとも理性的な手段なのではないかと思っています。
ただし、暴力がおさまったら、絶対に継続してやらないでください。
水をぶっかけた後、何故こんなことをしたのかと問い詰められたら、「バットやナイフだったら死んじゃうから」とでも答えておくといいでしょう。
あと、最初の内は、ぶっかけた後にかなりドキドキしたり興奮したりするでしょうから、すぐさま家を飛び出し、落ち着くまでコンビニで立ち読みでもしていましょう。
その後家に帰っても、知らん顔をしていましょう。
興奮したまま顔を突き合わせていると、変な勢いがついて事態がさらに悪い方向へ向かってしまう危険性がありますから。
疑問があれば、またコメントしてください。
これ以外にも良い方法があるかもしれませんから、解決するまで一緒に考えましょう。
Posted by 肉王 at 2015年08月31日 03:29
>肉王さん  ありがとうございます。 とても親身になって考えてくれていて嬉しかったです。 いつから自分はこんなに涙もろくなっていたのか… 死にたいと思う時に別の事を考えるというのは実践してみます。 もっと心が強ければいいのですが、親に仕返しをするなど到底できそうもありません。 それも、5年位前から父は単身赴任で家に2週間に一度2泊ぐらい帰ってきます。 父の機嫌を損ねると姉や妹、それに母からも冷たい目で見られ孤立してしまいます。 中一位の時に殴られたときに殴り返した事はあるのですが、やはり心が弱く躊躇しあまり効いていなかったようです。 そのあと顔色ひとつ変えずに僕の腹に拳を放った父を今でもわすれません。 それで終わればよかったのですが、やはり父のご機嫌取りのみんなは僕を冷たい目でみます。 なので手を出すという点ではもう不可能に近いと思います。 いや、不可能です。 時間はかかりますが、たくさん勉強して父を見返してやろうかと思います。 こんなに親身になってくれたのは本当に嬉しかったです。 これから、自分は死にたいと思うことはまだたくさんあると思います。 またここに愚痴や他愛もない事を書き込みにくるかもしれません。 その時は、「生意気な中房がまた来たな」程度に流して貰っても構いません。 心の居場所を見つけたので。 
Posted by のろ at 2015年09月02日 22:45
>のろさん

やあどうも。
返信ありがとう。
お父さんが殴り返してきたのは、「今ならまだ勝てる」と思ったからにすぎません。勝てるときには絶対的に勝っておこうという、打算です。恐らく内心では、いつ反撃をされるかと心配していることでしょう。
でも、あなたが暴力での解決を望んでいないのであれば、勉強で見返すのが一番良いでしょう。
あと、姉と妹とお母さんから冷たい目で見られるというのは、女性には我が身の安定を真っ先に考える習性があるためです。
家内での立場が逆転すれば、それまでの冷たい視線はお父さんへ向かうことになります。
まあ、女性の視線ばかり気にしすぎると、男は負け犬根性が付いてしまうので気をつけてね(経験者として自信を持って言えます)。
人間の一番の武器は知性と理性です。
暴力が無用な世界は、それはそれで大変ですが、どんな世界であれ最後にモノを言うのは明せきな頭脳と冷静な心です。
それさえあれば、人間は多少レールを外れても自由に生きていけるものです。
ずるい事をせず、保身に走らず、友達を大切にしてください。
多少生き難いくらいでも、人生は程よく楽しいと思えるものです。
またいつでも来てください。
私の頭がボケたり寿命が来たりしないうちは、いつまでも待っています。
Posted by 肉王 at 2015年09月03日 03:19
こんにちは、私は一応進学校に通っている高校二年生です。
今日あったほんの些細なことから以前から考えていた「自殺」を本格的に?考えるようになりました。

私の担任のK先生は私の一番大事な友達を追い込みました、精神的にです。そいつは特待生でしたが、中三の頃先生に自分の今までの人生など何もかもを否定され、とうとう去年学校をやめてしまいました。今でもそいつとは連絡したり遊んだりしていますが、やはり私も彼も根底に「死にたい」という気持ちがあります。

確かに私たちも学校のルールを破ったりしました。それはいけないことだとは思うのです。ですがあまりにもやりすぎなのではないのかと思っています。自分のお気に入りには寛大で嫌いな生徒のことは徹底的に追い詰めるのです。正直耐えられません。

この間、体育大会がありました。その予行練習で私は棒取りという競技で頭に棒が落ちてきてけがをしました。私は家から学校に通っておらず、家から学校までは3〜4時間かかります。
なのでまず親に連絡をとって先生に病院に連れて行ってもらおうと思いました。ですが病院に連れて行ってもらう道中の車の中でK先生は私に「そうやって親をすぐに頼ることしかできないのか情けない」などの嫌味を延々言ってきました。先生が親へ生徒を預かる機関としての説明責任をはたしてもいないのにこんなことを言われなければいけないのは何故なんでしょう。やはり単に私のことが嫌いなんでしょうか。

このような些細なことが沢山積み重なって私は自殺を考えました。

私には唯一の幸運であったのは私のことを好いてくれる女の子が居た事です。
その子と先ほど書いた私の一番の友達は私の話を自分なりに理解しようときちんと頭を使って話を聞いてくれます。それだけが私の心の支えでした。今まで生きてこれたのはその2人のおかげだと思っています。
女の子は私が「死にたいんだ」と言ったら「なら私も死ぬ、私も一緒に行けば寂しくない」といったことを私に言ってくれました。その子には死んでほしくはありませんが私のことを大事に思ってくれる人が居て嬉しかったです。
その子が私の後を追わないようにするためにはどうしたらいいかアドバイスがいただけると嬉しいです。

上記の2人は私の話をきちんと聞いてくれる人達でしたがほかはそうでもありませんでした。
何を話しても生返事だったり適当なことを返してきました。
最近親戚のちょっとした集まりもありそこに出席したのですが、私の言うことを頭ごなしに否定せずきちんと話を聞いてくれたのはおばさんだけでした。祖母や父は私たちのことを、特におばさんのことをゴミを見るような目で見ており、私は悲しくなりました、おばさんに迷惑をかけてしまったのも後悔の念しかありません。

ごめんなさい、途中から感情的になってしまって自分でも何を書いているのかわからなくなってしまいました。
ですが申し訳ありませんがここに吐き出させてください。
Posted by さむ at 2015年09月05日 21:00
>さむさん

こんにちは。
あなたが何を言いたいのか理解するまで、少し時間がかかってしまいました。
文章はしっかりしているし、起こったことも具体的に書いてあるもかかわらず、その上であなたが何故死にたいと思うのか、私にはわかりませんでした。

なので、これから書くことも、あなたにとっては的外れな意見になってしまうかもしれません。
しかし、最後まで読んでください。他人に相談した以上、最後まで意見を聞く責任がありますからね。

私が感じたことは、いたって単純です。
まず、あなたは理不尽や不運と言ったものに対する耐性が希薄であるということです。
人間は、多かれ少なかれ理不尽なことや不運に見舞われます。それを乗り越える方法として、嵐が過ぎるのをじっと待ったり、頭(知識)を使ったりします。どの方法を選ぶかは、その人の好き好きであったりするのでしょう。
しかしあなたは、理不尽や不運に対して全く無防備に立ち尽くして、誰かが助けてくれるのを待っているかのようです。
ましてや、自分でルールを破ったという自覚があるにも関わらず、罪と罰の軽重の差を問うのは本末転倒であり、相手の先生にとってはそれこそが理不尽であったりするわけです。
あなたは物の見方が一方的で、多面性に欠けます。
あなたが嫌う先生も、他の生徒にとってはいい先生かも知れません。
それは、あなたが慕うおばさんが、おばあさんやおとうさんから嫌われていることと同じ構図です。
そのおばさんだって、もしかするとあなたの見えない所では誰かに冷たく当たっている可能性だってあるのです。
あなた自身も、大事に思っている友達がいる一方で、誰かを軽んじているかもしれません。
高校2年生にもなれば、その辺の理不尽さをよく理解し、その上で人を大事にする気持ちを持てる年齢です。
理不尽なことを「こんなものさ」と達観して呑み込めと言っているのではありません。
この世には理不尽なことも不運なことも不幸なこともあると理解したうえで、人生を楽しんでほしいのです。
人間は誰でも心の底に「死にたい」という気持ちと「生きたい」という気持ちを同居させています。それもまた、理不尽な一面です。それでも、時には楽しく、時には悲しく生きていくのが人間です。
あなたの彼女が、死にたいというあなたに付き合うと言っている、でもあなたは彼女には死んで欲しくないと思っている。
だったらどうするべきかなど、考えるまでもないことではないでしょうか。
あなたが自分のしたことや考えたことに責任を持つように心がければ、今とはもう少し違う視点で物事や社会を見ることが出来ます。
それを一言で言うと、「覚悟」になります。覚悟を持てば、人は少し大人になり、魅力的になります。これは他人と比べる事ではありません。あくまでもあなた自身の問題です。
世の中には覚悟の無い大人も沢山います。そういう人と我が身を比べてはいけません。覚悟の無い大人はただずるいだけの、歳を取った人間に過ぎません。そういう人と比べると、自分ばかり損をする人生に思いがちですが、覚悟さえ持てば、損得勘定などしなくても充実した人生をおくれるものです。

なので、まずはあなた自身が理不尽や不運に見舞われても、平気で(何とかギリギリでも)乗り越えていけるだけの覚悟を持った人間になるように努力してください。
その一歩として、どんな人間にも多面性があるものだということを知ってください。
死にたいとか生きたいとか言う話は、そのずっと後にしましょう。
Posted by 肉王 at 2015年09月07日 15:39
肉王さん、大変参考になりました、ありがとうございます。

もう少しいろいろ考えてみることにします。
Posted by さむ at 2015年09月08日 17:29
>さむさん

偉そうなことばっかり書いてごめんね。
でも、本音です。
Posted by 肉王 at 2015年09月12日 01:49
あまりにも自分の今までを言い当てられたかのような遺書の内容に笑ってしまいました。
将来自分で書く日が来た時にパクってしまわないか心配になるほどです。
遺書にもセンスが必要なのだと肝に銘じておきます。
ありがとうございました。
Posted by 通りすがり at 2015年09月22日 20:47
>通りすがりさん

こんにちは。
私が描いた例文と近い内容の遺書になるなら、無理に死なない方がよいかと思います。
なんか、「え?こんな理由で?」って笑われそうですから。
Posted by 肉王 at 2015年09月24日 15:39
はじめまして。

現在36歳。
安月給ながらも会社員として働いています。
年上の妻と、妻の両親と共に暮らしてます。

自殺を最初に考え出したのは20代の前半で
その時は、SEをやっていたのですが
周囲のレベルの高さについていけず
回りから若いのにダサいみたいな目で見られてる感じがなんともイヤで
当時まるっきり冷めきった1度目の妻がいる
家に帰るのもつらく
どこにも自分の居場所がない感覚から自殺を考えたのが
最初のきっかけでした。
その後最初の妻とは離婚し、SEを辞め、トラックドライバーとなり
割と自分の時間、自分の居場所的なものを見つけ
心にゆとりができてきたころは一時的に自殺は考えなくなりました。
SE時代は妻がいたものの、給料的には割と良く
遊べるお金にたいした苦労はしてなかったのですが
トラックドライバーになって給料が減りながらも
遊ぶ時間が取れ、SE時代の浪費癖が直らず
借金を抱えるようになりました。
最初は小額の借金で、給料日に返済し、給料日前にまた少しつまむという感じでしたが
次第に、返済しきれなくなりなり、借金額が増え
今や多重債務者となってしまいました。
そんな折、今の妻と付き合うことになって
借金のことは言い出せず、ズルズルとなって行き
しかしながら年齢も年齢なので相手からしたら身を固めたいという意思もあり
結婚してしまいました。
ひどい男ですね。私は。
そして今、借金額は300万ありこずかいを利息分返済にあて
自分に使えるお金は1円もないような生活を
隠し通すだけの作り笑顔だけの生活です。
すべてをゲロしてみればいいのでしょうが
十数年と蓄積させてきてしまった状況をゲロってしまうことは
死ぬことよりもつらく、逃げるようで本当に申し訳ないけど
もう人生から逃げたいのです。
体裁だけを繕ってるこんな自分の人生がいやなんです。
死んで償うとか死んで詫びるとかそんな感覚でなく
ただただもうイヤです。

Posted by 死と志 at 2015年11月16日 09:08
>死と志さん

はじめまして。
私の知り合いに保険屋さんがいまして、
その人に聞いた事があるのですが、
借金苦で自殺を考える人の例というのを
聞いた事があります。
それによりますと、最初は80万円で一度自殺を考え、
それを乗り越えると、次は300万円でまた考えてしまうそうです。
家のローンなど将来自分の物になる資産の場合はそんなことは無いのでしょうが。
死と志さんの場合も、やはり300万円という数字なので、何となく保険屋さんの言葉を思い出してしまいました。
このまま死と志さんが自殺してしまった場合、命の値段が300万円と言われてしまうのでしょう。
それが高いのか安いのか私にはわかりませんが、おおむね人の命というものは金額に換算したらその位なのかもしれません。
もちろんそれも、自殺によって借金が清算されたらの話です。
死んでも借金が残り、その後始末を遺族の方々が肩代わりした場合、死と志さんの命はもっと安かったということになるのかもしれません。
ちなみに、私の命の値段は貰える保険金200万円から葬式代や店の後始末にかかる経費を引いた分として、1000円から2000円程度と予想しています。
そう考えると、私がお金の問題で死を選んでも全く無意味であることになります。
死と志さんは、現在借金を返す努力をほとんどしておらず、問題を先延ばしにしているだけのようです。
もちろん人間誰だって、そのような環境に置かれれば似たようなことになってしまうものでしょう。
親や妻や親戚に頭を下げれば300万くらいは何とかなるはずだけれど、恥もかきたくないし、責めの言葉や、その後の針のムシロ状態のことを思えば、とても言い出せるものではありません。
世の中には同じ悩みを抱えている人は沢山沢山いる事でしょう。
その人たちはどうしているのか。
私の友人は、120万円の借金を抱えて弁護士に相談し、債務整理の結果80万円になった借金を3年で綺麗にしました。
またほかの友人は、300万円の借金を3回親に助けてもらい、4回目は70万円の借金になったところで我に返り、5年かけて清算しました。
以上の事から、一番楽な方法は、まずはこっそりと弁護士に相談し、借金の額が減ったところで家族に相談するのが心の負担が軽くて済むのではないかと思います。
借金というのは不思議なもので、借り続けている時には死にたくなるのに、借りるのをきっぱりとやめて、ただ返済だけしている時にはほとんど心の負担が無いそうです。
もちろん、その楽になった心にまた悪魔が忍び込んでくることもあるので、強い意志が必要なのでしょうが。

年齢的な視点からは、死んで楽になるのも一つの手ですが、その前に一度弁護士に相談して、実際どこまで減るものなのか知っておくのもいいのではないかと思います。

あと、あまり今回の事とは関係ないのですが、昔の自分と今の自分を並べて、死にたくなった記憶を思い出すのはやめた方がいいです。
私がひどく死にたくなる時に陥る心理状態がまさにそれで、何十人もの死にたくなった自分の声がやたらと耳元で気分の悪い事をささやいてくるのです。
そういうのはどうにも対処しきれないし、対処したとしても自分が自分である以上、いつまでも逃げ切れるものではないようです。
私は心がアップアップしてきたときは、星空を見上げながら深呼吸をすると、少し楽になります。
Posted by 肉王 at 2015年11月19日 02:47
>肉王さん

ありがとうございます。

おっしゃる通り返済の努力はしておりません。
努力する意思から逃げてきた結果が
今なんだと思ってもいます。
最低な人間。それが私なんだと思っています。

弁護士に相談するという考えも
何度も頭にありましたが
その都度、家族にバレたら、会社にバレたら
友人にバレたら・・・と怯えて
相談することもしてきませんでした
誰にもわからずできるものなのでしょうか?

本当にこんな最悪な人間にアドバイスをして頂き
ありがとうございます。
最後の「星空を見上げながら深呼吸・・・」という言葉に
救われた感じがあります
実際に昨夜かみしめながら夜空に向かい深呼吸をしたら
涙がとめどなくこぼれました。
Posted by 死と志 at 2015年11月20日 08:20
>死と志さん

弁護士には厳しい守秘義務がありますから、誰にもばれずにすみますよ。
最初の相談料も5千円程度と聞いています。
弁護士が返済計画なども立ててくれますから、その通りにすると数年で綺麗になるということです(弁護士の手数料も込みです)。
実際私の友人はそうやって清算しましたし、その間も特に無駄遣いをしなければ普通に暮らせると言っていました。
死と志さんの場合は額が少し大きいので、年数がかかるかと思いますので、減額された金額で親や家族に相談するのが良いかと思います。
200万や300万の失敗は、多くの人が経験していることなので、さほど大怪我ではありませんから、余り心配することは無いと思います。
むしろ、清算された後に同じことを繰り返さないことの方が大事かと思います。
お金の問題で死んでしまうなんてバカバカしい事です。
恐らく今はそんな風には思えないでしょうが、清算された後にはきっとそう思えることは間違いないです。
私の周りでは、借金問題でずっこけた人間の誰一人として死んでいませんし、清算後には生き生きとしています。
絶対大丈夫なので、安心してください。
Posted by 肉王 at 2015年11月20日 22:11
こんばんは、遺書の書き方参考になりました!
読んでいて、とても落ち着きました(笑)
つい最近、仲の良い友達とトラブルがあり、死んでもいいかな〜、死ぬなら遺書でも書こうかなと思いここにきましたww
とりあえずもう少し生きてみますが、相談に乗って頂けると嬉しいです。私は、どうしようもないかまってちゃんなのでw
Posted by アカツキ at 2015年11月26日 20:35
>アカツキさん

返信遅れて申し訳ないです。
友達とのトラブルで死にたくなるってことは、その友達に対しても「死ねばいいのに」とか思ってしまいませんでしたか?
命はもう少し大事に考えてください。
人間には死に所と言うものがあります。どんな死に方をしても、みんなはすぐにあなたの事を忘れてしまいます。
ならば少しでも人生を全うして、みんなに大事にしてもらった方がいいですよ。
Posted by 肉王 at 2015年12月02日 01:42
二児のシングルマザーです。
もぅだれも頼れる人もいないし
子供達も鬱病の私に育てられるより
まともな人に育てられた方が
幸せなのではないかと考え
遺書を書こうと思い検索して
ここにたどり着きました。

去年親に縁を切られ鬱病になりました。
先日DVの情緒不安定な彼のせいで
唯一頼れる存在だった祖母、叔母にも
もう合わせる顔がなくなり
だれも頼れる人がいなくなりました。

彼とは別れました。

でももうだれにも頼れない。
子供達もこんな母親で可哀想だとしか
思えなくなってきて…。

人って不思議ですね。
本当に死を覚悟すると
驚くほど心が静かです。

主さんの遺書参考にさせてもらいます。
乙こめすみませんでした。
Posted by 死にたい at 2016年01月04日 12:30
>死にたいさん

どんな親でも親は親。
本当の親以上に自分を大切にしてくれる存在はありません。
だから子供にとって親は何より大事なものです。
自分が大切に育てられたという記憶があれば、その辺は分かるはずです。

あなたの「子供達も鬱病の私に育てられるより、まともな人に育てられた方が幸せなのではないか」という言葉は、あなたが育児を放棄したがっていることの表れなのかもしれません。
多分、疲れてしまって自分の事を考える以外の余裕がないのでしょう。
どんな立派な人間でも、自分に余裕が無ければ、他のことなど考えられないものです。
ましてや我々凡人ならなおのことです。

まずは自分にとって何が一番問題なのかを考えましょう。
うつ病とDVについて書いてありますが、DVの彼とは分かれたのならば、そちらは解決なのでしょうか。
DVの彼のせいで親戚と疎遠になったのならば、今はもう親戚に会えるのではないですか。
恐らく、DVの彼のせいで親戚と疎遠になったのではなく、親戚と疎遠になったのを彼のせいだと考えているだけで、本当の理由は違うところにあるのではないでしょうか。
まあ、そんなことはどうでもいいことでしょう。
分かれたのならば解決したことにするのが一番楽です。

死にたくなった理由は、二児を抱えて生活するために働くのに疲れたのではないですか?
今まで、親や彼に頼って生きてきたため、自分で生活費の全てを稼ぎ出すのが辛くなったのではないでしょうか。
子供を育てるのは大変なことですし、仕事も限られる今の世の中では女性一人で二人の子供を育てるのは至難の業と言ってもいいでしょう。
そういう人たちのために、役所には様々な相談窓口があります。
試しに「福祉事務所 相談」で検索してみてください。住んでいる地域も入れると、すぐにたくさんの情報が出てきます。
生活やシングルマザーの悩みなど、専門的に相談に乗ってくれる窓口があるのです。
そこには、同じような悩みを抱えた人たちがたくさん来ていますし、悪いようにはされないと思います。
「子供は国の宝である」と言います。あなたはその宝を二人も持っているのですから、もっとおおらかな気持ちで生きた方がいいのです(わがままになれというわけではないです)。
母親がゆったりとおおらかな気持ちで生きれば、子供たちも明るく生きていけるものです。
福祉を受けるのは、子供たちの為には当たり前の事であり、面倒くさがってはいけませんし、恥ずかしいと思うこともありません。
普通に暮らすことが出来れば、うつ病も改善されるかもしれません。
死ぬ前に、福祉事務所に行ってみてください。
Posted by 肉王 at 2016年01月05日 01:15
肉王さん、はじめまして、おはようございます。

コメント蘭最初から拝見させて頂き、僕よりも人生の先輩だとお見受けしました。
その上で肉王さんから見て僕の遺書を添削して頂ければ幸いです。



【一枚目】

人の幸せを見るたびに絶望する

仕事もまともにできない、好きで大切な人も幸せにできない、全部が全部駄目なんだから


誰かの励みになる存在でもなく、去られるだけの人間、そんな人間は生きていたら駄目だ。



【二枚目】



「誰か身近に大切な人が亡くなる前に、誰にとっても大切ではない僕の命でその人の事を助けて下さい。」

人が死の直前に思うこと、行動

・人を憎む、恨む感情がなくなります。

・SNSで頻繁にプロフィール写真を変える。一番綺麗な形や好きなもので最後を飾りたいからです、頻繁に変えるのは最後を決める物なので中々決まらないからです。

・普段掃除しない部屋を掃除する、親族が処分に困るからです。

・突然育った故郷や実家に帰る。自分が今死ぬべきなのかを確かめるためです。

・好きな音楽や、懐かしい音楽を今まで以上に頻繁に聞く。干渉に浸るためではなく、自分の心を落ち着かせるためです。死にたい気持ちを無くすためではありません。好きな音楽で最後は死にたいからです。

・色々なサイトで楽な死に方を探し始める。その時に目にした、自殺を止める数々の助言も役に立たなくなる。一番必要な言葉がないからです。

・死ぬ事を悟られないため、行動は少し慎重になります。

・物欲がなくなります。

・感情の変化が激しかったのが、すごく穏やかな気持ちになります。嬉しいと思う気持ちも、悲しいと思う気持ちもなくなるので今まで感じた事がないぐらいに穏やかです。

・笑う事が無くなる。

・死への恐怖心、死ぬ瞬間の痛みへの恐れが無くなります。

・確実に死ねる方法を探します。

・死ぬ日など綿密に計画を立てます。

・最後にまだ頑張ろうとします。



以上の事は、ほぼ時系列で自分自身に起きた事です。


僕の場合は死が頭をよぎった1月頃、ここ4、5年前の事から現在を思いだし、泣いたり笑ったり感情の起伏が大変激しくなりました、この時点ではまだ自分は死なないだろうと自分自身、高をくくってました、その一ヶ月後(2月中頃)今までとは違う、冷静な目で死を考えるようになります。
34年生きてれば死にたいと思う事は誰にでもあるかもしれません。皆さんもきっとそうでしょう。
しかし、今まで感じていた死の恐れが薄くなっているのに気付いてきます。
雲っていた空が晴れていく感じです。

何度この気持ちが沸き上がってくれば、自分は本当に死ぬのでしょうか。
それが今日かも知れません。

僕は「死ぬ」、と、周りに触れ回りませんでしたが、人によっては周りに「死にたい」と言って本当に行動を起こす人を僕は1人知っています。幸いその方は助かりましたが、構われたいだけではない場合もあるので注意して下さい。



僕が今まで死ななかったのは単に運が良かったからです、そう考えればここまで生きてたのは幸せな事だったと思います。

「かすり傷なら薬を塗れば戦える、致命傷なら死を覚悟しなければならない。」今はその心境です。

最後の連絡相手は、お世話になった親友、最後の恋人に連絡を取ります。
死の間際には直前に幸せな気分になって死にたいからです。或いは引き返せる可能性を少し考えているからです。
これは完全に僕(自殺する者)の最後の我が儘です、これについては本当に、当てはまる方には許して欲しいです。

ここまで書いて涙も出ない。
こういう時に、いけるんだろうな。


最後に、この手紙で、「誰かの誰か大切な人の命」が「誰にも大切でない僕(自殺する者)の命」で救えたなら、きっと人生の中で一番役に立ち、その時初めて「誰かの大切な命」に変わるかもしれません。


そうなれば本望です。

僕の力不足です。

皆さんは幸せになって下さい。

心からの、お願いです。




Posted by やかやめ(るか at 2016年02月14日 10:54
すみません、投げ込んどいて、添削を待たずに行きそうです。
Posted by やかやめ(るか at 2016年02月14日 19:56
>やかやめ(るか さん

はじめまして。
まだ間に合っているでしょうか。
間に合っていないとしても、書かせていただきます。
私はあなたの死を認めたいと思います。
認める、などと書くといかにも上から目線でいやらしいので、少し嫌なのですが、他に適当な言葉が見つかりませんでした。

人間の自殺の原因は当然ながら全て過去にあります。
現在から未来を想った時、なにかが(あるいは全てが)暗く思えるのも、過去の原因を抱えたまま未来を想うからでしょう。
あなたも書いている通り、自殺したくなる時に人間は必ず過去を振り返ります。
そこには一度ならず「死にたい」と思った自分が立っているので、当然その自分と向き合うしかありません。
誰だってそんな自分と語り合えば死にたくなるものです。
あなたは冷静に自分を振り返ったのだと思いますが、そもそも過去の自分を振り返ること自体、死へ向かう自分を肯定したかったからではないでしょうか。
ただ、あなたの遺書を読む限りでは、まだ自分と折り合いがついていないというか、死の理由の整理がついていないような気がします。
正直に言うと、私はあなたの死の理由が分かりませんでした。
あなたの遺書には自分に関する未来が書いていないので、私にはあなたを引き留めることが出来ません。
「自分の命で誰かの命が救われれば」と言うのは、臓器提供のことかと推測しましたが、それが唯一あなたの遺書の中から感じ取った未来です。

人間には過去もなく、未来もなく、ただもう漠然と今があるだけなのではないかと考える事があります。
意味もなく生きて、意味もなく死んでゆく。
ただし、生きる目的があるかないかで、そこに意味が発生したりするようです。
当たり前の事ですが、目的と言うのは過去には向かわず、いつも未来にしか向かっていきません。
もちろん、昔たてた目的が、今現在そこかしこに無残に転がってもいるのですが、それでも無責任にまた目的を持ったりしてしまいます。
私も無責任な人間なので、そういう残骸を踏みしめながら無様に生きています。

私もしょっちゅう死にたくなりますが、それでも踏みとどまっていられるのは、多分過去を適当に切り捨てているからだと思います。
48歳にもなると、未来への目的なんて、何も明確なものは持ち合わせていませんが、少しでも新しい価値観や発想とは出会いたいと願っています。
その程度です。
その程度でも生きていけるというのは、案外気が付かないけれど一つの価値観だとは思います。
すいません、詭弁かも知れませんね。

私はここで皆さんと言葉のやり取りをするたびに、人の生命について考えますが、いつも答えが違っているような気がします。
人の命の在り方が、個々によって違うからなのかもしれません。
そうなると、人の命について考えることはキリの無い事だったり、無意味な事だったりするのかもしれません。
ひょっとすると、あなたが提供した命を拾い上げた人や貰い受けた人も、無意味に捨て去ってしまうかもしれません。

最後に、あなたは好きな人や他人の幸せを望んでいますが、死ぬ行く人にそれを託されるのはいささか荷が重いです。これからも生きていく人たちは、皆一様にみっともない思いや無様な思いや悲しい気持ちすらも味わいながら生きていくのです。そこには綺麗ごとだけでは済まない覚悟が必要なのです。あなたの近しい人たちは、あなたの死をも抱えて釈然としない思いを抱えて生きていくことになるのです。
そんな人たちの幸せを望むなら、あなたは何故死ぬのか。
まだ死なずにいてこの文章を読んだら、ぜひ回答を願いたいです。

もうじき朝が来るので、また後で。
Posted by 肉王 at 2016年02月15日 03:49
丁寧にご回答ありがとうございます。

正直に言いますとここでの肉王さんの真摯に付き合って頂いてるやりとりを見かけて、ちょっと羨ましかったりもあって投稿した、勢いもあります。

肉王さんが言われている通り、死へと向かう折り合いはまだついておりませし、自分の死が臓器提供とは思ってもいませんでした 。誰か身近な知り合いそれこそ、力が及ばなく少しでも幸せにしたかった人。を自分の死ぬ間際の心境を少しでも汲み取って頂き、その方、本来自分が大切にしたかった人
Posted by やかやめ(るか at 2016年02月15日 04:59
すみません、途中送信な上に支離滅裂な文になってしまいました。


僕の最後にとった行動で、周りの誰かが異変に気づき別な人の命が救えれば本望かと。
臓器提供も良いかもしれませんね。

>最後に、あなたは好きな人や他人の幸せを望んでいますが、死ぬ行く人にそれを託されるのはいささか荷が重いです。これからも生きていく人たちは、皆一様にみっともない思いや無様な思いや悲しい気持ちすらも味わいながら生きていくのです。そこには綺麗ごとだけでは済まない覚悟が必要なのです。あなたの近しい人たちは、あなたの死をも抱えて釈然としない思いを抱えて生きていくことになるのです。
そんな人たちの幸せを望むなら、あなたは何故死ぬのか。
まだ死なずにいてこの文章を読んだら、ぜひ回答を願いたいです。


僕の遺書では、確かに釈然としませんね、ただ、最初の一枚目だけで死を選ぶには十分な内容かと思います。二枚目はいらないかもしれませんね。
未練たらしく託す事はないかもしれません。


ただ最後の最後に命を散らす事によってしか、自分の命の意味を見いだせないのです。

昨日はまだ準備が不充分でした。
死ぬ時くらいは万全の準備で死にたい物です。
Posted by やかやめ(るか at 2016年02月15日 14:46
>やかやめ(るか さん

こんにちは。
どうも私の理解が足りませんでした。
臓器提供などとずれた勘繰りでした。

自殺と言うのは究極的に個人の問題です。
そこに他人様を巻き込むことはしない方がいいでしょう。
一枚目の一行目にある、「人の幸せを見るたびに絶望する」という感情は、私にも理解できます。
これは多くの人が持つ感情で、お互いがお互いを見て、同じことを思っていたりする場合もあるようです。
もちろん、そういう感覚を全く持ち合わせない人もいるのですが。
こういう感覚的なことが死の理由としては十分に成り立つのですが、一方では、よくある感覚に飲み込まれて抗いきれずに死んでいくというのも納得できないと思う事があります。
他人様と価値観が共有できなかったり、自分の生理的な部分が社会の常識の中で満足できずに、自分にも社会にも嫌悪感だけを募らせてしまい、最終的にはごくありきたりの感情に飲み込まれてしまう。
自分は案外安っぽい人間なんだということに気が付くのに、どうにかそれ以外に自分を解釈出来はしまいかと、むやみに言葉を並べ立ててみる。
これを繰り返すと、自己評価がどんどん低くなり、いよいよ自分は生きる価値のない人間なのではないかというところまで行きついてしまう。
本来ならば、そこへ行きつく前に死んでしまった方が潔かったものを、タイミングを逸してしまったために、さらに言葉を求めてしまう。
言葉の根拠は過去へばかり向いて、原因探しの途方もない旅が始まり、やがて疲れて、本質からは外れている予感を持ちつつも適当と思われる原因と手を打ってそれを理由としてしまう。その時には身も心も疲弊しているから、足が一歩も動かない。これ以上過去へはいけないし、さりとてもう元の場所へは戻れそうにない。ここで感じる絶望感は、他人の幸せを見たときに感じたそれとそっくりで、もうただ自分一人が孤立している感覚で満たされてしまう。

しかし、人生はレールの上を走っている汽車ではないのだから、現在どこにいようとも、そこから90度に曲がってとんでもない所へ行ったとしても何の問題もないのではないかとも思います。
他人と同じような幸せを手に入れるのも人生だし、自分にしかわからない幸せを手に入れるのも人生。屋根が無くても着る物がボロでも蔑まれても、友達がいなくても、明日をも知れぬ命でも、幸せは幸せです。
もしもあなたが今日か明日に死んでしまうとしても、幸せを感じて死んでほしいと思います。
願わくば、何が自分にとって幸せなのか、それが分かってから死んでほしいと思います。
Posted by 肉王 at 2016年02月17日 00:32
肉王さん

こんばんは。
僕が自殺に行き着くまでの、心の動きも、今現在に至るまでの心境も、全く肉王さんの仰る通り同じで驚いています。

その時は動悸も激しくなり目眩、食欲不振もあったりかつてないほど身体の異変を感じました。

死の覚悟は出来ました。
しかし、肉王さんの言葉を頂いたり、自分の周囲を見渡した時。自分は生きる覚悟は足りていないのだと気づきました。
「幸せ」という永続的でないもの。「死」という不変的なもの。二つを天秤にかけ両者等しく思った時、何か別の生きる覚悟が見つかりそうな気がしました。

まだ少し頑張って見ようかと思います。


支離滅裂な文、最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。

次は吉報を運んでくるよう努力してみたいと思います。
Posted by やかやめ(るか at 2016年02月18日 02:01
>やかやめ(るか さん

私は自分の言葉には全く自信が無くて、時には何を言いたいのかが分からないこともあります。
人から言葉を投げかけられたとき、とても自分のものとは思えない言葉が出てきたりします。
そういう時は、私に言葉を投げかけた人の本音が、(どういう作用かで)私の口から出て来ただけのような気がします。なんだかとてもオカルティックで、私の主義には合わないのですが、
今回のお話はまさにそれでした。
しかし、それで私自身も新たな価値観を得たようで、はっと目が覚めたりします。

みんなと同じ道を追随すると、ぬかるんでいたり荒らされて凸凹だったりして、とても歩きづらいです。
誰にも踏み荒らされていない道を悠々と歩くのも気持ちが落ち着いていいものです。
もしくは、クラゲのようにゆらゆら漂うのもオシャレかもしれません。
やかやめ(るか さんのように、色んなものが見えたり感じたりしやすい人は、多少目や耳をふさぎつつ歩いた方が、本来の能力を発揮しやすいと思います。
幸せは自分の価値観でしか図れないし、他人と比べる術もないものなのだと思います。
時間はまだまだありますから、50歳か60歳くらいになってから幸せについて考えてみるのもいいかもしれません。
私自身、自分にとっての幸せが何なのかはまだ分かっていません。
いつか死ぬ時に分かるのかもしれませんが、それまではお互い、ゆらりゆらりと日々をやり過ごしていきましょう。
Posted by 肉王 at 2016年02月18日 03:00
こんにちは 2015年8月29日に自殺したいと書き込ませていただいたのろです 私立高校は受かったのですが、今さきほど合格発表で公立高校に落ちてしまいました 両親はどちらとも私立なのですが、僕が私立に行くとなるととても責められました 怒られました わざと聞こえるように「お金を振り込みにいかなくちゃいけない」とか言います なので死のうと思うのですが痛いのは嫌です 飛び降りも自分が住んでるところは田舎なので高い建物もせいぜい6階ぐらいで未遂で終わるのがこわいです もう生きることが本当に嫌です 姉がその高校に受かったこともあり本当に辛いです 死にたいです 包丁を刺すのも痛そうで嫌です 眠るように永遠の眠りにつきたいです もう本当に 自殺したいです もう疲れました 死ぬと楽しいこともできないといいますが、死ぬと楽しいことをしたいと思いません いい自殺の仕方を教えてください できるだけ迷惑がかからないような もう本当に 親に孝行もできずくそみたいなガキの書き込みですがあの時親身になってくれたあなたしか、もう頼れません 同じ高校受かった友達がみんな敵に見えてしまいます 死にたいです いますぐにでも
Posted by のろ at 2016年03月17日 11:03
>のろさん

お久しぶりです。
受験の結果が出ましたか。
本命には落ちてしまったので残念ですが、それで君の居場所がなくなったわけではないでしょう。
以前は親からのDVに対抗する手段の話などしたと思うのですが、まだ実行はしていませんか。
君は親との折り合いが悪いのに、親孝行せねば、と思っているのが面白いです。
多分、世間の常識とか親からの教育で思い込みが強くなってしまっているのではないかな。
親の都合や周囲の空気で自分の考えを決めているから、本当の自分の希望と現実の折り合いがついていないような気がして錯乱しているのではないかな。
君がどんなに親の都合や希望を聞き入れたとしても、親は最終的には君の人生の責任は取ってくれないからね。
だから子供は親の都合で自分の人生を決めてはいけないのだよ。
本命の高校には落ちてしまったけれど、行く道がふさがれてしまったわけじゃないんだから、これも運命だと思って、これから行く先々で友達を作ったり新しい価値観を見つけたりして人生を楽しんだ方がいいですよ。
これからは無理矢理でも視野を広げてください。
楽しいこともあるけれど、辛い事にまみれるのもまた人生。
子供は親の束縛を振り切って、自分勝手に生きるのが基本です。
それでも君のように、親の束縛が無いと生きていく自信がないと思い込んでいると、どこにも行けないし何もできないままで人生が終わってしまいますよ。
高校なんて大した問題じゃないし、親だって大して立派なもんじゃないんです。
そういうことに縛られているのは、多分君自身がそれらからの束縛を望んでいるのではないかと思います。
誰かの言う通りにしていれば、上手くいかなかったときに責任を取らなくて済むし、覚悟を決めなくていいから決断も必要が無い。
死にたいけれど、人に迷惑をかけたくない、痛いのは嫌だ、苦しいのは嫌だ、でも死にたいから楽に死ねる方法を教えてくれと君は言う。
残念だけれど、そればかりは教えられない。
君がもし本当に死ぬというのならば、最後の死に方だけは自分で決めるべきだと思うから。
でもね、いちいち将来の心配なんかしないで、せいぜい「明日なにしようかな」と考えるくらいで生きていた方が、死ぬよりは楽だと思うよ。
Posted by 肉王 at 2016年03月19日 00:40
ありがとうございます 確かにどこかでそういう気持ちはあったと思います DVはもうほとんどありません やっぱり死ぬ勇気がないかまってちゃんみたいになっちゃいますね 高校は特に自分が行きたかった! ここしかない!と思ってたわけではなく、自分は受かってたらいいなぐらいの気持ちだったのでそこまでは落ち込んでないですが私立に行くとお金が本当に心配です 前話していただいた水をかけるというのはやっていません、、 しかし死にたいと思った時に遠くから自分を見つめるというのはやらせていただいてます     なんか心の底で言ってほしかったことを的確に言っていただいた気がします 夏の書き込みを覚えていてくださったのが何よりも嬉しいことでした ただの数ある書き込みの中の1つなのに覚えてくださったことに本当に感謝です また死にたくなったら来ます 勇気はないので口に出すだけのかまってちゃんですがね… 本当にありがとうございます 元気が出ました  
Posted by のろ at 2016年03月19日 02:35
>のろさん

落ち着いたようで何よりです。
人間は構ってちゃんでいいんだよ。
他人に対しても、その位の距離感を持っている方が自然なんです。
あと、若い時は自分が払う訳じゃないカネの心配はしなくてもいいです。
カネの心配は親の責任です。
いずれ自分も親になり、その心配の役目を負うもの、とだけ心得ていればいいんです。
親や友達や、あるいはもっと広い範囲での世間といってもいいかもしれませんが、それら周囲の無責任な意見に怯えていると、自分勝手な物の考え方は罪悪のように感じられてしまうかもしれません。もちろん、他者に対して愛の無い行為や言動は非難されて当然ですが、自分の人生を考えるときには、人はもっと自由でいいように思っています。それすらも自分勝手だと非難する権利は誰にもないのです。
まだ10代の君には、もっともっと自由に生きて欲しいと思います。

またいつでも来てください。
風邪をひいて熱がある、と言っているのに、歯医者で抜歯されて、熱と頭痛でヨレヨレなので、大した話もできなくてすいませんでした。
でも、人生はこういうバカバカしい災難を楽しむものでもあるらしいです。
Posted by 肉王 at 2016年03月19日 18:56
自殺の遺書をどう書けばよいのか分からず書き方を探していたらここにたどり着きました

すごく参考になりました
うまくまとめられました
本当にありがとうございました
Posted by 薫 at 2016年04月01日 17:30
>薫さん

このところ体調を崩して病院にばかり行っていて、ここを確認しておりませんでした。
昨夜3時頃、私の家の三軒隣りのマンションで自殺がありました。
何が悲しいのか、何が苦しいのか、何に追い詰められたのか。
他人には分かならい事が沢山あるのですが、だからと言って無視して通り過ぎる人ばかりではありません。
自分ばかり愛し、自分ばかり大事にし、自分ばかり信用する人は、自分以外を害悪の種に見てしまう瞬間があります。
もちろん人間には多かれ少なかれそういう部分があるものなのですが、だからこそ、自分も他人も大差無いと考えれば、もっと楽に生きることもできそうです。
自分を愛するあまり、自分を守ることばかり考えてしまうと、逃げ道を失ってしまう事があります。
自分を愛するならば、自分を支えてくれるものにも目を向けましょう。
それは、家族かも知れないし、仕事かもしれませんし、趣味かも知れません。
それらに気が付けば、どんな理由があろうとも自分で死のうなんて思わないで済むのではないでしょうか。
Posted by 肉王 at 2016年04月04日 23:35
初めまして
自分の存在価値がわからず、死んでしまいたいとここに来た者です
私は、中学2年生になります。
4年生の頃くらいから、「死」について考えるようになりました
その頃は、テレビのニュースなどを見て家族と「何で自殺するのか」ということについて考えていました。
当時の私には、自殺をするということが理解できぬものでした。
しかし、5年生になった頃母の嫁姑のトラブルがあり家族内でよく揉めるようになりました
母は、死のうとインターネットで自殺方法を探します。
結局、自殺はしませんでしたが…
その時、父はなぜか怒っていて私が声をかけただけで怒鳴られるようなピリピリとした雰囲気につつまれていました。
そのせいで、母と父はよく喧嘩をしていました。
私の家は2階建てで、自分の部屋もあるのですがそこまで声が聞こえるほど二人の声は大きく…
しかも、両親共に物に当たる性格だったためよく大きな音が突然家の中に響いていました。
最初は、ああまた喧嘩か、と流せたもののそんな日々を送っていくと親の声を聞くたびに怖くなっている自分に気づきました。
時々、親に私の意見を求められ意見を言うと「子供は口を出すな」と矛盾したことを言われました。
ある日は、「金払うから施設に行け」と言われたこともありました。
冗談かもしれないとわかっていましたが、さすがに私は耐えられず…
学校の先生に相談しましたが、解決しないまま卒業してしまいました。
そして、中学校に入った今は両親のトラブルは落ち着いています。
しかし、今度はクラスメートと部活でストレスを背負うことになっています。
クラスの中で聞こえる悪口など、本当は放っておくべきなのかもしれません。
しかし、私はその悪口をもろに聞いてしまい一人で悩んでいる状態です。
さらに、私は友達の相談役もやっています。
友達は私に相談できるのですが、私はただでさえ苦しんでいる友達をこれ以上苦しませたくないと相談できていません。
部活も、先輩とうまくいかず…
結局その部活は転部しましたが、同級生から何か言われそうで怖いです。
私は、カウンセラーに通っていますがなかなか悩みを解消できず…
リスカする友達を止めていた自分まで、何故か血がほしいという衝動に刈られアームカットをしてしまいました。
傷は浅かったので、治りかけていますが…
やったあとは、自分をさげすむ気持ちしか残りませんでした
そして、それを友達には話さず自分自身は頭痛と強いめまいで倒れそうになっています。
さらに感情もなくなってきて…
「自分」がわからなくなってきました
いっそ、存在価値も分からないし死のうと思い…
私は、もう出遅れでしょうか?

長文失礼しました
Posted by No.04 at 2016年04月07日 18:50
すみません
出遅れではなく手遅れでした
Posted by No.04 at 2016年04月07日 22:27
>No.04さん

はじめまして。
遅くなってすいません。

自分の存在価値とは一体何でしょうか。
この世に暮らす多くの人々は、自分で自分の価値に気が付かずにいると思います。
もちろん「それ」についてはみんな考えたり悩んだりするのですが、結局自分では答えを見つけることが出来ないまま、一生を終えてゆきます。
価値と言うのは、自分で決めるものではなく、他者が決めることです。
時々、他人が決めた自分の価値に酔いしれたり、それを盾にして横暴に振る舞ったりする人がいますが、そういう人の価値は次第に暴落していきます。
他人から大事にされること、大事にされ続ける事は、自分の努力によってなされますが、自分を無為に貶めたり他人を蔑んだり社会や集団を乱したりする人は、誰からも「無価値な人」とされて大事にはされません。

どんな偉業をなした人でも、個人と言う点では、ほとんど役に立たない事が多いです。
分かりやすくするためにモデルとしてイチローを取り上げてみますが、彼は野球選手として大変に尊敬されている人ですが、それはチームの中に所属して、チームのために精一杯の努力をしているから尊敬されているのです。
もし彼がどこにも所属せずに、一人でバットを振っている人だったら、誰からも相手にされないでしょう。

人間と言うのは、どこまで行っても集団の中でしか生きられないので、その中での自分の役割だったり相互の関係だったりで悩みが発生してしまいます。
よく、「個性が大事」とか「個性を前面に出せ」などと言いますが、それらは根拠のない虚言であることが多いです。個性に重点を置こうとばかりすると、自分の個性について悩み、それが行き過ぎると自分の存在価値についての疑問を大きさせてしまうことにもつながりやすいです。
ところが、個性がないとか乏しいとか他人に言われると、自分には全く価値が無いように考えてしまったりするので困りますよね。
先に、「自分の価値を決めるのは他人」と書きましたが、その他人から個性がないと言われると、それが自分の評価の全てのように聞こえてしまいますから。
しかし、そういう評価と、個人の存在価値と言うものは全く別の物だと考えてしまえばいいのです。
人間の評価や価値と言うものは、一つの事や、狭い集団の中だけで全部が決定するものではないからです。

誰かに「お前なんかいらない」と言われても、他の誰かには「君は大事な存在だ」と言われることも多いです。
学校中の人から「無価値」と言われても、社会に出てから「大事な人だ」と
言われることだってあります。
会社では無能と言われても、家族から愛されることも。
家族から疎外されても、世界中の人から尊敬されることもあります。

人間には、「こうすればこうなる」という絶対的な公式はありません。
人のために良かれと思ってしたことが逆効果になることもあれば、いじわるのつもりでしたことが結果的に人を救うことになったりすることもあります。
ただ言えることは、「(他人も自分も含めた)人間を大事にしない人は、誰からも大事にはされない」ということでしょうか。
もちろん、ギブアンドテイクのような簡単なものではないので、大事にしたのに裏切られたり、嫌っているのに好かれたりなどということもあります。
そういう時には「まあまあ、そういうこともあるものだから、いいじゃん」とだけ考えていれば、ほぼ万事うまくいくものです。
人間関係でいやな事があって、絶望的になっても、それでもしつこく、人間だけは大事にすること、人間より大事なものを作らないこと(お金とか)を心がけていれば、自分にそれほどこだわらなくなるので、自分の存在価値などというものにも振り回されなくて済むようになります。

もう手遅れでしょうか、ということですが、手遅れどころか、ほかの人たちと同様に、まだ入り口の付近でウロウロしているように思います。
若い人特有の悩みなので、誰にでも思い当たることです。
全然問題ないと思います。

あと、一つアドバイスなのですが、他人の悩み相談に乗るときは、話半分くらいで聞いてください。
多くの相談者というのは「ただ単に自分の話を聞いてほしいだけ」なのです。
あまり本気で聞くと、その問題が解決した時に、「あいつに相談してしまったので、自分の弱みを知られた」と考えて、距離を置かれてしまったりするからです。
そうやって距離を置いてくる人というのは、後にあなたに対していわれのない攻撃をしてきたりすることがありますから。
Posted by 肉王 at 2016年04月10日 20:08
初めまして。
つい最近うつ病を克服して退院したのですが、また再発?してしまいました。
いや、最初から克服してなかったのかもしれません。入院中は、いつも病室でぼーっとしていました。私は一体誰なのか?私は何で生きているのか?私が生きている意味はあるのか?等々考えていました。

私は生まれてこの方心の底から信用している人が居ません。信用したくても信用できないんです。父も母も兄もクラスメイトも信用できないんです。ずっと建前で生きてきました。だからなのか自分の本音が分からないのです。自分のことがよく分からないのです。


私は幼少期から小学生を卒業するまで柔道をやっていました。そのせいか、兄とはいつも喧嘩ばかりしていました。
私に物心がついたときから両親は共働きでした。その為、夜はいつも兄と二人きりでした。兄からはいつも練習という名のいじめを受けていました。柔道の練習から帰ってきて、夜の11時までいじめられていました。朝起きると痣が身体中に出来ていたときもありました。その事を母に言ったのですが、仕事が忙しいからと相手にしてくれませんでした。それでも、辛かったので仕事の空き時間に話しました。でも母は、貴女のためにやってくれてるんじゃない?と言ったきり何も兄に注意をしてくれませんでした。それからだと思います。私が人間不振になったのは。
それからというもの、兄は私のことをこき使うようになりました。あれをやれ、これをやれ、あれ持ってこいなど…今思い出しても忌々しいです。家族が大嫌いです。そんな弱い自分も大嫌いです。
少しだけ言いたいことが言えたのですっきりしました。ありがとうございました。
…乱文失礼しました。
Posted by せい at 2016年04月12日 21:51
>せい さん

はじめまして。
返信遅れてごめんなさい。
入院生活から解放されて、気分はどうですか。
ひょっとして、入院中の方が楽だったりしませんか。

自分の事って、自分では分からないものです。
自分の価値なんて、他人が決めることですが、そんなもの、実は大して重要なものではありません。
あなたは恐らくそういうことが分かっていながら、他人が下す自分の評価に納得できないから、他人を信用したくないと思っているのかもしれません。
そうであれば、もう少し大人になると、いつの間にか心が落ち着いてゆくので安心です。

もしかするとあなたは、「自分を大切にしてくれない他人が嫌い」なのではないのでしょうか。
だとしたら、あなたとお兄さんの間には、もう少し込み入った問題があるのではないでしょうか。
蹴ったり殴ったり以上のことはありませんか。
もちろん蹴ったり殴ったりも大問題ですが、それはお兄さんが自分で解決しないといけない問題を抱えていることになりますので、親の介入でよい方向へ行くこともあります。
しかし、事態がそれ以上だった場合は、お兄さんの方を病院に連れていく必要があるように思います。
今起こっていることを、正直に親に話すか、それでも聞き入れてくれない時は、かかっている病院の医師に相談する必要があるような気がします。
いずれにせよ、一人で抱え込まないでください。
ここへの書き込みで気がまぎれたとしても、私の言葉など気休めにしかなりませんので、問題解決の手助けがしてあげらないのがもどかしいです。

どんなことであれ、問題が解決した時、人は死にたい気分から少し解放され、明日もまた生きていたくなります。
変な思考にとらわれる前に、もう一人誰かに言葉をかけてみてください。
Posted by 肉王 at 2016年04月15日 01:36
>肉王さん

返答ありがとうございます
遅くなってすみませんでした
確かに、私は人の相談に乗るとき本気で聞いていたのかもしれません。
男子女子関係なく相談を受けていて、全部本気で聞いていたがために体がもたなくなってきたのかなぁと思いました。
感情移入せずに話を聞くことは難しいと感じました
一つ質問なのですが、インターネットなどに載っているうつ病や総合失調症の診断は信じていいものですか?
前に何回か調べたところ、可能性があるので医者に行けと出たことが気になっていて…
Posted by No.04 at 2016年04月15日 21:44
>No.04さん

感情移入せずに、というよりは、聞いた話を明日には忘れている程度に受け取る感じだと思ってください。

ネットにあるうつ病診断についてですが、ある程度は真理を突いているのかもしれません。
しかしそれは、「信じたいと思っている人にだけ通じる」というものではないでしょうか。
自分はうつ病でありたいと思えば、そういう診断結果になるであろう答えをしてしまうし、うつ病なんかでありたくないと思えば、そうはならないような答えをしてしまうでしょう。
初めに自分の希望があって、その通りの結果になるように答えてしまうのが普通です。
故に、信じたい人にしか通用しない診断に過ぎないし、診断結果が必ずしも正しいとは思えません。

テストや診断について、相手の希望に沿うような答えを出すことばかりに腐心するのは、誰かの相談に乗って相手と一緒に沈没してしまうのと同じ心理です。

人の心には、色々な要素が混在しています。
暗い部分もあれば明るい部分もあり、時と場合により、それが入れ代わり立ち代わり現れるもので、とてもとても複雑なものなのです。
とてもじゃないけれど、100や200の設問に答えた程度で、病んでいるか健康であるかなど分かるはずがありません。
ましてや、暗い性格だから病気だとか、明るい性格だから健康だというような単純なものでもありません。
ネットの中にある、誰が作ったのか分からない情報に左右されず、自分が本当に楽しいと思えることに没頭してください。
夢中になれるものがあれば、人は幸福感に満たされるし、その間は健康な心でいられるはずです。
心配の種をわざわざ探して育てることなどないのです。
Posted by 肉王 at 2016年04月16日 01:43
>肉王さん

コメントありがとうございます
ここまで答えてくれたのは、肉王さんが初めてです
周囲にこのような話をすると心配されるので…
ここで話を聞いてもらって、自分でもう一度考えてみましたが
自殺は、まだやめることにしました
肉王さんの話を聞いていると、自分が小さいことに悩んでいたなぁと思いました
自分で自分の首を締めていたのかもしれません
また、相談したいことがあったら来たいと思います
最後になりましたが、本当にありがとうございました
そして、返答が遅くなり申し訳ありませんでした
Posted by No.04 at 2016年04月21日 17:40
>No.04さん

何があっても、何もなくても人生は中々に面白いものです。
美味しい物だけが良いものではありません。
存分に味わってみてください。
Posted by 肉王 at 2016年04月24日 13:57
初めまして、24歳の女です。
自殺の際に遺書を書こうと思い検索したところ、ここに辿り着きました。

両親や親戚と同じお墓に入るのは嫌なので、発見されにくい場所で死のうと思うのですが、やっぱり山でしょうか?
虫が苦手なので死ぬ時に鬱陶しそうな気がしますが、我慢するしかないですかね。。
発見されてしまった場合に、遺書に無縁仏として葬ってほしいことを書くつもりですが、身元がわかってしまったら無理でしょうか?
遺書以外は何も持たなければ身元不明になれるでしょうか?
指紋を焼いたりしないと難しいですかね。。

突然ここでいろいろ聞いてしまってすいません><
知恵袋などで聞くと、死ぬなとしか言われなさそうで。。
Posted by みお at 2016年05月05日 18:03
>みおさん

農業集落排水施設などの巨大浄化槽の曝気槽(ばっきそう)なら誰にも発見されません。
ただ、ものすごく汚い死に方なので覚悟が必要です。生活排水や、し尿の汚水にまみれるのです。
私だったら、死んだ後に放り込まれるならまだしも、死に場所としてはゴメンこうむります。
どんな死に方でも、死ぬというのはみっともない事なのかもしれません。
だったら少しはマシに生きてみた方が、死ぬよりスッキリするようです。
私には、綺麗な服を着て自殺を選ぶ人よりも、汚い服を着て段ボールハウスに住んでいる人の方が美しく思えます。
人を恨むという感情も、生きているからこそとも言えるのでしょうが、そんなものに支配されて目も耳も塞いで生きるより、自分の品格を向上させれば、雑音を振り切って前進することが出来るように思います。
私は「死ぬな」という言葉よりも、「もっと全力疾走で積極的に生きていろ」という言葉をあなたに伝えたいです。
Posted by 肉王 at 2016年05月05日 20:22
ご回答ありがとうございます。

肉王さんはとても優しい人なんだろうなと思います。
生きていろと言っていただいて、とても嬉しかったです。
Posted by みお at 2016年05月05日 21:46
Posted by たお at 2016年05月17日 00:02
こんばんは。
自分は幼い頃から虐待に悩まされてきました。
それだけではなく幼かったため虐待のストレスを周りに振りまき、最低なことをしてきました。
その傷つけた方々への謝罪の意と自分が生きている必要性がないと感じたため死にたいと思っています。卒業まで生きていたかったですがもう限界です。
しかし、自分には奇跡的に心を許せる友人が4人ほどいますがその中の一人に自殺願望があると悟られ、○○が死ぬなら私も死ぬと、言ってきました。それはとてもありがたいのですが残念ながら私はその程度では心は動きませんでした。
我儘ですがその友人には生きてて欲しいのです...
まだ子供でコミュ障なので文がわかりづらいですが....
要約すると、友人に知られずに死にたいです。卒業まで待たないとだめですか?
Posted by たお at 2016年05月17日 00:04
>たおさん

はじめまして。
キミは中学3年生くらいでしょうか。
虐待を受けた憂さ晴らしをしてしまったことを後悔して、死んで詫びたいというわけですね。
「生きている必要性が無い」と感じるのは、それだけ申し訳なく思っているから、というよりは、「できれば何も責めずに許してほしい」という心境をとりつくろっているのではないでしょうか。
私が子供のころは、恥ずかしい思いをしたときに、自分が死んでしまえばみんなの記憶から自分の事を消してもらえるんじゃないかと思ったものです。
その時にした恥ずかしい思いは、時間が解決してくれるということもなく、30年以上たった今でも鮮明に残っていまして、やはりまだ恥ずかしいままです。
キミが今抱えている後悔も、生き続けている内は、そうやって一生残っていくかもしれません。
「許してほしい」と思っても、絶対に許してもらえないかもしれませんし、「一生責め続けて欲しい」と願っても、忘れられてしまうかもしれません。
キミに限らず、どんな人の思いも、誰にも正確に伝わることは無いような気がします。
キミの悩みや願いが友達にうまく伝わらないように、友達の悩みをキミが正確に受け止めることは出来ていないでしょう。
だからキミは、友達がどんな思いで「キミが死ぬなら自分も死ぬ」と言ってきたのかも分かっていないのです。
心を許している、とキミは書いていますが、多分そうではありません。
本当はキミに心を預けてくれている友達に対して、もっと大きなものを要求しているように感じてしまいます。
でなければ、命も投げだそうと言う友達に対して、「その程度」などという言葉が出てくるはずがありません。
それは傲慢ではなく、ただの身の程知らずです。
後悔の念や、羞恥心と言うものは、まともな人間にとってとても大切なものです。それを持っているキミに、心を許せる友達が四人もできるのは当然のことでしょう。
少なくとも君の友達四人は、キミがまともで良い奴だということをよく分かっている人達です。
その友達を置き去りにして死んでしまうことは、とてもひどい裏切り行為です。恐らく、キミが今までしてきた酷い事の中でも最悪の行為となるでしょう。
キミが誰に酷いことをして、どんなふうに謝罪したいのかは分かりませんが、そういう気持ちが芽生えたのならば、死んで詫びるよりももっと人間らしい行為があります。
それは、自分のことはとりあえず脇に置いて、友達と一緒に悩んだり笑ったり泣いたりしてあげることが出来る人間に成長することです。

宮沢賢治の詩に「雨ニモマケズ」というのがありますが、私も日々後悔や恥ずかしさをズルズルと引きずりながら、いつかあんな風になれたらいいなと思いながらおめおめと生きています。キミにもおすすめします。
どんな生き方をしようと、人間はいつか必ず死にますから、今から急いで決着をつけようとせずに、色んなものを見たり聞いたりして、そこで生まれる感情や思いを沢山味わって、友達と一緒に生きることをしてみてはどうでしょうか。
死ぬなんて、まだまだ早い。
Posted by 肉王 at 2016年05月19日 01:53
はじめまして。
就寝前にネガティヴなワードを検索してしまう癖があり、結果こちらに辿り着いた次第です。
私は救われました。
多くの方が私同様に救われたと思います。
肉王さんに感謝です。
Posted by マルキ at 2016年06月01日 01:17
>マルキさん

はじめまして。
ネガティブなワードを検索すると、このブログに辿り着くのは、私の不徳の致すところです。
本当はバカバカしい記事も沢山あるんです。
いつかお暇があったら、バカバカしいのも読んでやってください。
Posted by 肉王 at 2016年06月01日 03:36
>肉王さん

コメントありがとうございます。
肉王さんの他の記事も楽しく読ませて頂いております。
前回の投稿は、感極まり、何でもいいからコメントしたい一心でのものでした。
結果、あのような内容のない短文になってしまいました。
今回、勝手ながらもう少し私のことを書かせて頂きたいと思いますので、よろしくお付き合いください。
私は小売店を営なむ34歳の男です。
経営は決して順調じゃなく、衝動的にロープを手に取りたくなることもしばしば。
趣味は読書、映画鑑賞、格闘技観戦など。
肉王さんは古本屋さんということで、好きな作家を伝えれば、相手がどんな人かある程度わかるのかなぁなんて思いましたので、以下、私の好きな作家です。
司馬遼太郎、浅田次郎、町田康、中島らも、西村賢太。
こんなところです。
本を読むのは大好きなのですが、文章を書くのは、ご覧の通り苦手です。
これはちょっとコンプレックスですね。
今回も恥ずかしさで顔面が赤くなりながらパネルを叩いております。
どうしたら肉王さんのような文章がかけるようになるんでしょうか?
これは、きっとお答えしづらいでしょうから、自分で考えてみることとします。

んー、やはり頭の中がまとまらず、何を言えばいいものやら、どんどん解らなくなります。

この記事へのコメントとしても、どんどん不適切になっててしまってすいません。
これだけ質問させてください。
私にオススメの作家、書物はありませんか?
それだけお伺いできましたら、有難いです。
上のような作家が好きで、衝動的な自殺念慮がでるときがあり、頭の中で思考がまとまらない。
そんな私に、この本読んで出直して来い!ってな感じでお願いします。


Posted by マルキ at 2016年06月02日 12:45
もうお母さんを私のことで泣かせたくないです。
私が嫌がらせをされて泣いて帰ってくる度にお母さんも釣られて泣き出します。
「変わってやりたい」
「友達になってやりたい」
って何度も何度も言います。
私とお母さんが悪いんじゃなくて嫌がらせをして来る奴が全部悪いのに・・・。
そして気づいたんです。
私がいなくなったらお母さんは泣かなくても言いなぁって。
何か嫌がらせをして来る奴を一生苦しめられるような自殺方法はありませんか?
Posted by 本行綾奈 at 2016年06月03日 19:45
>本行綾奈さん

はじめまして。
優しいお母さんがいていいですね。

残念ながら、誰かに対する当てつけで死んでも、相手はすぐに忘れて自分の一生を楽しんで生きていくことが多いです。
だから、そういう理由で自殺をしても、全く効果はありません。

嫌がらせとうのは、「相手に対して効果がある」と思うから、続けてされてしまうのです。
あなたが「相手に苦痛を与えたい」という理由で自殺を考えたのと同じ理由なのです。
効果が無いと分かれば、あなたも自殺はしないでしょう。
それと同じ方法で、あなたが嫌がらせをまともに受け取らなければ、相手も徐々に嫌がらせをしてこなくなることも多いようです。
ただ、暴力や暴言や窃盗など、あまりにもひどい嫌がらせの場合は、学校に報告するか、それでもやまない場合は警察に相談する手もあります。

もっとも、そこまで大事にならないのが一番いいのでしょう。
その為には、あなた自身が孤立を恐れずに堂々とした態度でいることが大事だと思います。
集団の中での孤立を恐れて、気の合わない友達と無理に歩調を合わせようとすると、心が隙だらけになって、そこに付け込んだ嫌がらせが増えてしまう事があります。
例え友達がいなくなるとこがあったとしても、それは人生の中で一瞬の事です。
1年や2年の孤独に負けず、孤高を保っていさえすれば、それだけでも心は豊かになりますし、本当の友達ができることは間違いありません。

優しいお母さんを大切に思うなら、自殺なんかしてはいけません。
あなたが自殺して一生苦しむのは、お母さんですからね。
Posted by 肉王 at 2016年06月05日 14:31
お久しぶりです
何ヵ月?か前に肉王さんに相談をしたNo.04です
あれから、何とか生活してきました(肉王さんの言葉に助けられたのは何回あったか…)
クラス替えもし、今年は仲のいい知り合いが沢山いるクラスです
最初は、とても楽しかったです
しかし、時間がたつにつれて私に甘える人が出てきました
仮に、彼女をAさんとします
Aさんは、何をするにも私についてくるのです
水を飲みに行くのも、トイレにいくのも。
移動教室のときもついてきて、いつも一緒にいる感じです
最初はよかったのですが、私はついてこられるのが嫌いということに気付き…
本人に伝えようと思ったのですが、Aさんはあまり友達がいないらしいので言うべきか戸惑います
断れなく、毎回ストレスをためてしまっています
さらに、私の部活の雰囲気も悪く…
LINEで悪口をいった人が部長になったり部が二つに分かれたり…
唯一の家でも、母様がまた病み始めるなど
色々とストレスがたまる状況で少し耐えきれなくなっています
この間、腹が痛くて病院に言ったところひどい胃下垂だと言われました
これもストレスに関係しているらしいです
もう、感情を感じるのが面倒くさいと感じてきてしまい
最近何も感じないよう心を殺して生きてしまっています
でも、現実は変わらない…
私は、ストレスとどう向き合っていけばいいですか?
Posted by No.04 at 2016年06月05日 23:17
>マルキさん

返信遅れて申し訳ないです。
小売や自営業者が首を吊りたくなるのは(特に月末)、もはや宿命かと。
私も毎月アップアップです。
月末のツケが翌月の半ばまで続いて・・・いやいや、やめましょう。

マルキさんにおすすめの本は、風間一輝の「男たちは北へ」です。
男たちが死ぬまで消し去ることが出来ない冒険心に、さらに拍車をかけるようなストーリーです。アマゾンのレビューでも大絶賛のようです。
Posted by 肉王 at 2016年06月06日 03:27
> No.04さん

こんにちは。
No.04さんは、相変わらず自分の性格とは違う方向での活躍を望んでいるようですね。
ストレスというのものは、自分の望まない方向や、自分の実力を超える状況に置かれた時に発生することが多いようです。
世の中にはストレスを楽しんでしまう人もいるのですが、それは自分に自信がある人の場合が多いようです。
昔の人は、ストレスを克服してこそ一人前という考え方をしていましたが、現代では何度克服しても、さらに新しいストレスを抱え込んでしまうため、「ストレス=悪」のような構図になっていると思います。
なので、人によっては、ストレスを抱えている自分は病んでいるのか、もしくは病む寸前と考えてしまって、ストレスを感じている心そのものに恐怖を感じて怯えてしまうこともあるようです。
誰でもストレスの一つや二つは常に抱えているのですが、だからと言って24時間そのことばかり考えているわけではありません。
テレビを見たり音楽を聴いていたり、友人と楽しい会話を交わしている時には、そのこと自体を(瞬間的にでも)忘れているものです。
しかし、No.04さんのように、心が疲れていると、いつもストレスを覚えているような錯覚に陥ってしまうこともあります。
それは、不眠症の人が「もう一週間も寝ていない」というのと同じで、本当は毎日数時間は眠っているのに、眠っている実感が無いためにそう感じてしまうのと似ていると思います。
ストレスは一つ解決しても、また新しいストレスが生まれるので、「いつも2個や3個のストレスがあって当たり前だ」という風に考えてみてください。

その上で、ストレスの事については一旦脇に置いて、他の話をします。

まず、Aさんのことについて。
私はAさんがどんな女の子なのか知らないので、的を射たことが言えないかもしれませんので、その点は割り引いて読んでください。
Aさんは、No.04さんの事がとても気になっていることは間違いないと思うのです。ただしそれがどんな気に入り方なのかが分かりません。
「好きだ」というよりも、「同胞」とか「戦友」という感じなのでしょうか。
いずれにせよ、悪い感情でくっついているとは思えません。
けれどそのAさんをわずらわしいと思うNo.04さんの気持ちはよく分かります。
自分がやや八方美人的なふるまいをしてしまったせいで、性格がよく分からない人に、良く分からないまにままとわりつかれるのは、ずっと影を踏まれ続けているような居心地の悪い感じになるものです。
それを解決するには、まず相手の正体と、こちらの正体を明らかにする必要があります。
それには対話が一番です。
まとわりつくのをやめてくれ、と要求するのではなく、お互いに好きなものや嫌いなもの、楽しい事や辛い事などを話し合うことで、お互いの価値観を確かめ合うのです。
世間話のように、何日も時間をかけて、ゆっくりとゆっくりとです。
そうすると、Aさんのことはもとより、No.04さん自身も気が付かなかった自分の正体に気が付くこともあります。
私はひょっとするとAさんは、No.04さんの救世主になりうるかもしれないとも思いますし、逆に大問題の火種にもなるかもしれないと思っています。
もちろん、どちらにもならないことも十分にありえますが。

No.04さんは、自分の弱点は家庭にあると思っているせいで、学校では家庭とは違う自分を演じようとしていませんか。
それが極端になるから、誰にも嫌われないように八方美人を演じてしまい、結果的に抱える必要のないストレスを抱えてしまっているように見えます。
それを少しでも和らげたいのならば、お母さんとの会話を増やしてみた方がいいように思います。
お母さんは多分No.04さんと似た性格のような気がします。
お母さんが嫁姑問題で疲れてしまったように、No.04さんも学校での人間関係につかれているのでしょう。
LINEをやる時間を減らし、お母さんと会話する時間を増やしてみると、お母さんにとっても、No.04さんにとってもいい結果になるように思います。
その上で、Aさんともゆっくりと沢山の事を話してみてはいかがでしょうか。

部活の件ですが、人が集まり集団になれば、必ず派閥が出来てしまいます。
問題なのは、その中で自分がどう振る舞うか、ということなのですが、結局は「何をするために部活に入ったのか」ということだけを考えればいいと思います。
「誰の側につくか」とか「どう解決するべきか」とか「どう立ち回れば得をするか」ということではなく、純粋に何をすることがその部活の本質なのかを考えて、それに沿って行動するしかないと思います。
野球部なら野球をする、美術部なら絵を描く、そういう事しかないです。
誰につかないと試合に出られないとか、彼につかないと展覧会に展示されないとかいった、損得勘定で行動するのではなく、ただ純粋にひたむきに目的に向かうしかないと思います。

もう少し何か役に立つことを書くべきなのかもしれませんが、今のNo.04さんの考えも聞いてみたいので、時間があったら返信をしてください。
Posted by 肉王 at 2016年06月07日 03:24
>肉王さん

私、自分の性格がどんなものか実はよくわかっていないんです
周りからは、ノリがいいとか頭がいいとか言われるのですが
家に帰ると、ほとんど無表情。
喜怒哀楽さえも、あるのかがわからなくなるほどです
また、家に帰ると泣いてしまうことがよくあります
極端とは、こういうことでしょうか?

Aさんのことですが、本人いわくの甘えん坊なのだそうです
そう考えると、日頃の行動も何となくわかるのですが…
同じ部活に、甘えん坊がもう一人いるので少し疲れます
後、Aさんは私の今の彼氏を好きだったようです
彼とAさんは幼馴染みなのですが、Aさんは彼のことを好きになるも振られ…
もしかすると、私の心の中に「恨まれているのではないか」という不安もあるのかもしれません
しかし、相手はそんな素振りも見せないので心配するだけ無駄かもしれませんが…
やはり、肉王さんがおっしゃる通り会話を重ねるところから頑張ろうと思います
部活ですが、せっかく入りたい部活に入ったのでそっちに集中したいと思います
人付き合いは、部活の次でいいのでしょうか?
正直、同じ部活の人は悪口しかいっていないので一緒にいるのが嫌なのですが。

前、私は今のクラスがすごくいいとお話ししたと思います
しかし、ふと振り替えると去年より回りの人に気を遣うようになったな、と思います
やはり、心配をかけたくないということが第一になっているのです
更に、私はよく頼ってと言われるのですが頼り方がわかりません

そこらへんも、もしよろしければ教えてください
最後に、私の知り合いにRさんという人がいます
今、私の後ろの席で1年生の頃から一緒にいます
その人は、感情の浮き沈みが激しい人です
気になったことがあったのですが、このように感情の波が大きい人は何か経験で違ってくることがありますか?

最後ばかりは、自分の質問ではなくなってしまいすみません
何かあれば、どんどん聞いてください
よろしくお願いします
Posted by No.04 at 2016年06月07日 23:15
>肉王さん

ご返答ありがとうございます。
オススメ頂いた本、読んでみます。

ここにご相談されている皆様の、悲痛な思い。
それに比べて、私の悩みなど小さなものであると感じております。
しかし、私は弱い人間。
どうやら、思っていた以上に弱い人間であるようで、昨日自殺を実行しかけました。
結果、このようにコメントできているわけですから思いとどまったわけです。
実行しなかったのだから、さほどの心境ではなかったのだろうとも思います。
だが、私の経験した範囲内では、最も死に近づいた状況であったことは確かです。
こんな経験をしただけで、経験者ぶったアドバイスをするつもりはないが、しかし、ひとつだけいいたいことがある。
死ぬのも悪くないかもしれないが、何も今日じゃなくてもいいじゃないか。
そのように考えてほしい。
死のうと考えた都度、毎回そのように考えてほしい。
それだけ、お願いします。
どうか、どうかお願いします。
Posted by マルキ at 2016年06月08日 03:06
>マルキさん

正直な話を書いてくれてありがとうございます。

「死ぬのも悪くないかもしれないが、何も今日じゃなくてもいいじゃないか。」

まさにこの一言に尽きるように思います。
根治は出来なくとも、対処療法でやり過ごすのも、沢山ある生き方の一つ。
この世のみんなが病気一つない健康体で生きている訳じゃないし。
ましてや何かを抱えているのも自分一人じゃないし。
「明日でいい、明日でいい」と思っている内に、何となく解決することだって沢山ありますからね。

私は風間一輝を読むと、頭の中に澄み渡った青空が広がってきます。そして、その空の下ならばどこまで行っても生きていけるような気がして来て、とても救われます。
Posted by 肉王 at 2016年06月09日 02:04
>No.04さん

人間誰しも、家で一人の時は油断していますから、無表情だったり、ふとしたことで泣いてしまったりするものです。
特に思春期の頃は、感情の起伏が激しいので、大きなふり幅を自分でコントロールできなかったりもしますから、自分で自分の事が分からなくなったりもします。
むしろ、様々な感情を発露させることで、少しずつ成人に向けて準備しているようなものだと思えばいいのではないでしょうか。
本人にとっては混乱の種かも知れませんが、オジサンオバサンたちにとっては、自分たちにも身に覚えのあることなので、あまり心配して見てはいません。

部活に関しては、周囲の雑音をシャットアウトするようなつもりで、活動に集中するのがいいと思います。悪口だとか人間関係だとかに耳を貸さないスタイルです。
No.04さんは気が散りやすいタイプのようなので、他人の噂話や自分の評価などがつい気になってしまうかもしれませんが、胸を張ってガン無視するくらいのつもりでやってみてはいかがでしょうか。
最初の内は何だかんだと言われてしまったり、それが耳に入って嫌な気分になったりするかもしれませんが、そんなことをいちいち解決する能力は人間にはありません。
あるとしたら、結果でみんなを黙らせるとか、行動でみんなの自覚を促すとか、そういうことだけです。
でも、それは中学生には荷が重いでしょう。
だったら、雑音は無視して、自分のやるべきことに集中するしかないのだと思います。
悪口なんて、いつまでも続きはしないのですから、いちいち耳を傾けて気に病んだり心を痛めたりする必要はないのです。

頼り方が分からないのは、頼ることが悪い事だったり人に迷惑をかけることだという風に、ネガティブにとらえてしまっているせいだと思います。
周囲の人が言っているのは、自分たちを頼ってくれと言っているのではなく、「もう少し楽な気持ちで自分たちと付き合ってくれ」ということだと思ます。
それには、No.04さんが、出来ないことは出来ない、分からないことは分からない、と正直に打ち明けることだと思います。
そうすると、周囲の人たちが出来ることは手伝ってくれますし、知っていることは教えてくれるのです。
それでNo.04さんを含めたみんなに、それぞれ役割が出来上がり、全員が居心地のいい集団が出来上がるのでしょう。

Rさんの話は、私にはよく分からないのですが、感情の起伏については、先に述べた通りで、思春期にはよくあることだと思います。
今までの経験でそうなっているというよりは、これから何かを経験して変わっていく最中なのではないでしょうか。
波というのは、いきなり大波になるのではなく、少しずつ動いて大きくなるものなので、Rさん自身の中で、いつも何かが動いているのだと思います。
それが徐々に落ち着くのか、大津波になるのか、それは分かりません。

Aさんは、過去の経緯はどうあれ、いまはあなたに興味があるのだと思います。
自分が好意を寄せていた幼なじみが選んだ女の子の値踏みをしているのか、あるいは隙あらば間に割って入ろうとしているのか、という風に中年のおじさん(私)は勘ぐってしまうのですが、そんなことは考えない方がいいと思います。
ただ、告白したけれど振られてしまって、辛く寂しい気持ちでいる事だけは分かってあげてください。
とは言え、Aさんにもプライドはあるのですから、同情するような言動は取らないように気を付けてください。

最後に、あまり役に立たないかもしれない話を。
私は、木って凄いなと思うのです。
そこがどんな環境であれ、空気が悪いとか、水が少ないとか、嵐ばっか来るとか、時々枝を切られたりとかしながらも、ただ天に向かって伸びる事だけをするじゃないですか。
幹を切られても根が残っていれば、またそこから生えてきて、天に向かっていくんですよ。
それでいて、木自身は特に何もしない。口もきかないし、耳も貸さない。ただもう、高く太くなろうとするだけ。
人によっては、愚鈍に見えるかもしれないし、無能としか評価してくれないかもしれないのですが、そういう事とも全く無関係に、自分のなすべきことだけを見つめる生き方というのは、とても魅力的だと思うのです。
なので時々、木になりたいなあぁ、と思うのです。
Posted by 肉王 at 2016年06月09日 03:02
こんばんは。自殺したいと死に方を考えていたところ貴殿にサイトに辿りつきました。
貴殿4/15UPのコメントを拝察し、「激しい後悔」と記されていましたが、私は参考(無責任)ですが、感銘を受けました。
貴殿
は胸を締めつけられる必要なないと思います。
貴殿のサイトは、自殺をしようと思っている
方々を助けておられます。
小食のように死を決めた人間には、その想いを後世に伝えていくたのの大切ねサイトと思います。

実は、小食もこの後自殺しようと、今遺書も書き終わったところです。
小食は、個人事業主同然の会社の経営をしておりますが、来月以降のメンバー、およびクライアントに対する支払いげできない状況になってしまいました。
そもそも、離婚が原因で働く目標を見失ったことから、離婚した家族、とくに娘の夢を見る日々が続き、お酒に逃げていましたが、案の徐先日路上で警察の方に起こされて飲酒運転で摘発されました。
このこともあり、当座の資金、慰謝料、飲酒運転における、資金調達にの気力もなくなってしまいました。

会社の資金、離婚の慰謝料、今後の警察の方からの処罰、発砲ふさがりになり、せめてもの償いで保険料からの支払いが可能なと思い自殺を一つの方法して考えました。

すべて自分自信がまいた種なので仕方ないことではありますが、残念で仕方がありません。

会社も小さい会社なので、パートさんと社員の方に遺書で解雇を通告しましたが、、これでよいのでしょうか?

自分生命の保健の確認もしていません。自殺に出る保健なのか否か…。

多分、自分は、世間体にかっこつけえであるとともにとんでもなく弱い人間なのかと思います。

さまざまなサイトを見ています。この中で貴殿のサイトがここ3日間で熟読させていただきました。
今、まだ、テレビを見ながら焼酎を飲んでいます(飛び降りは飲んだ方がよいと聞き)。
死ねるか死ねないかは自分の決意と判断しましたが、、このサイトを見れて気が晴れました。

ありがとうございます。

貴殿のサイトおよび貴殿の思いが、一人でも多くの自殺をしたい方々への助言になれば本望です。

身の丈が自分に強し生き方かな。

飛べるようにお酒を飲んでいます。初登校なのに申し訳ございません。

以上を持って遺書としてよろしいでしょうkくぁ。
































Posted by 天国にいけますかね? at 2016年07月19日 01:07
>天国にいけますかね? さん

こんにちは。
文面から察するに、かなり酩酊しておられるようですね。
無理もありません。

自営業者が資金的に破たんしてしまうと、その時点でいったん死んでしまったということになります。
私も自営業なので、その辺の辛さはよく分かります。
ずっと以前に(2009年3月)、やはり資金繰りに行き詰った方とのやり取りがありました。このコメント欄をさかのぼると、「多聞天」さんのコメントがあります。そちらも一度読んでみてください。
私は若い方が自殺しようとすることに、ひどくナーバスになってしまいますが、それなりに人生を生きてきた方に対してはただ同情的になってしまうばかりです。
なので、今回も大した意見も述べられないかもしれません。
こういう時、いつも言うのが「金のために死んではいけない」ということです。
ただ、若い人の命ならば、金よりも命の方が重いと思えるのですが、人間は年齢を重ねるといつの間にか命よりも金の方が重くなってくるようだということは理解しているつもりです。
その上でもなお、やはり私は命よりも上に金が来てはいけないと言いたいです。

会社のたたみ方や、保険については全く分かりません。すいません。
死なずに終わらせるやり方もあるのだとは思います。
しかし、その後の地を這うような人生に何の価値も見いだせないだろうということも想像できます。
しかし、もしもあなたが本当に死を考えるのならば、その地を這う人生の中で考えてこそ、意味を見いだせるのではないでしょうか。
後始末がグズグズのまま死ぬよりも、出来るだけの後始末をした後で、ゆっくりと生と死について考えた方が、より良い答えが見つかるような気がします。
恥ずかしい思いもするでしょうし、悔しい思いもするでしょうが、それらを全部抱えることも、生と死を考える材料になるでしょう。
その上で死ぬことを選ぶもよし、考えを改めて、生きることを選ぶもよしだと思いますが、どうでしょうか。
Posted by 肉王 at 2016年07月20日 16:08
初めまして。

すぐには死なないのですが、死ぬ支度を始めたくらいの人です。
死にたい気持ちを吐き出したくてコメントしてしまいました。
記事の語り口が楽しくて、生死の話なのに明るく読ませていただいております。とてもありがたいことです。

今までの会話で出てきたようなことですが、

私は、自分に関しては、生きていることと死んでいることに違いがないような気がしてしまい、
それなら、今ずっと辛いし、人間としての存在は終わりたいなあ、と思っております。

ただ、少なくとも物理的に、違いはあるに決まっているので、詭弁…と言っていいのかわかりませんが、小賢しい発想で逃げ道を作っているなあ、と自分を見てもいます。


何回か続きを書いては消したのですが、まとまりませんでした…すみません。
とりあえず、自分を消したいなあ、と長年思っていて、最近やっと実行する気になってきました。
一度首を絞めてみたのですが途中でふとやめてしまい、焦らずゆっくりやろうと思い直しました。

自分の場合は、死はただの逃避だとわかっていて…
人になにかを求めるのはむなしいとは思うのですが、もしできそうだったら、笑っていただけるくらいがちょうど楽しくて良いなあと思います。

ぜいたくな話ですみません。一応悩んではいるのですが、泣くのももういいかな、前向きに死ねないかな、と思っています。そんな道はなさそうですが…


また記事を楽しみにしております。
Posted by YI at 2016年08月03日 04:58
>YIさん

こんにちは。
返信が遅れてしまって申し訳ないです。

なんだか、辛そうな文章ですね。
辛いといっても幅があって、「なんだかわからない辛さ」から「具体的な問題が分かっている辛さ」の間には、無限と言っていいほどの種類の辛さがありますよね。
私は、どんな種類の辛さであっても、本人が辛いと思っている以上は、辛さの重さにランクを付けることは出来ないと思っています。

でも、YIさんが言っている「生きていることと死んでしまうことに違いが無いような気がしている」という点については、意見が違います。
死んだことのない我々に、生死を比べることなど出来ないのです。
YIさんが途中で首を絞めるのをやめたのは、何となくやめたわけではないはずです。
死にたくないとか、悔しいとか、まだ心残りがあったとか、本気で死ぬのは案外大変だと思ったとか、何かを思ったはずです。
その時に思ったことを、簡単に投げ捨てずに、もう少し正直に真正面で受け取ってみてください。
生死について考えるというのは、そういうところをぞんざいに扱うことは出来ません。ひょっとしたら、もっと深く考えるきっかけがあるかもしれませんし、自分自身でも気がつかなかった大きな答えがあるかもしれません。

なんにせよ、焦らずゆっくりやるのであれば、いつかはきっと辛さや悲しさの意味も分かって、前を向いても後ろを見ても楽しめる日が来ると思います。
辛さや悲しさや後ろ向きは、言葉のイメージが悪いだけで、なにも悪い事ではありません。
全部受け入れてしまいましょう。
私もこれから10年は世の中の理不尽さも人の生の悲しさも、何もかもを受け入れて生きて、後は不真面目でわがままでいばりん坊なジジイになっていこうと思っています。
Posted by 肉王 at 2016年08月08日 00:23
はじめまして
自殺の前に遺書を書こうと思い、調べていたらここにたどり着きました。

記事を読ませていただき、とても参考になりました。自分は説明などが下手で、ついつい長くなってしまいがちなので、簡潔にかけるように心がけようと思います。

私が死を選ぶ理由は、世界を信じられないからです。
何を言ってるんだと思われるかもしれないので詳しく書きますと、今まで何回も自分と親しい人に裏切られて来ました。友達から始まり、恋人、親、先生など、思い返してみればなぜそれを学習しなかったのかわかりません。結果2次元のアニメやゲームなどに逃げ、成績も下がる一方です。4月に高校に入ってからはますます数学がわからず、他の教科もやる気がしません。

つい最近、ネットで親しかった人にも裏切られました。最後に信じてみようと思い関わりを持ちはじめた人ですので、裏切られた時の絶望感とか、そういう類のものは相当でした。
私が勝手に、一方的に相手に何かを求めているだけなのかもしれません。
ストレスなどで胃潰瘍になり、うつ病のような症状も出て来ていて、明日も期末テストなのに勉強に全く手がつきません。

中2の時も未遂をしました。その時は橋から飛び降りただけで、死にたいのになんでそんな中途半端なところから飛び降りたのか… 最期にテストを受けてから死のうとしているのも、今こうやって綴っているのも、これからしようとしていることも、誰かに心の中で助けを求めているだけなのかもしれませんね… 情けないです…

私のような子供が言うと生意気に聞こえるかもしれませんが、もう生きるのに疲れました… この世界に、自分の将来に、全く希望が持てません…

最後になりましたが、私に遺書の書き方をご教授いただきありがとうございました。せめて最期だけでも、悔いのないように思いを伝えてから、この世界からいなくなろうと思います。私のコメントが邪魔であれば消してください。未成年なのに死のうとしていてごめんなさい。発言させていただいてありがとうございました。
Posted by 匿名希望 at 2016年09月11日 20:51
>匿名希望さん

はじめまして。
世界が信じられないとは、またスケールの大きな話ですね。
私は小者のせいなのか、世界を相手にした事がありません。すいません、ジョークです。

さて、「裏切り」とは一体何者なのでしょうか。どうなると、人は人を裏切ったことになるのでしょうか。
自分の意に沿わない、自分の利益につながらない、自分の都合に合わせてくれない、自分の期待に応えてくれない、そういう状況に置かれた時、人は何かに裏切られたような気分になるものですね。
友人であったり、家族であったり、恋人であったり、人にはいろいろな関係がありますが、それらの人々すべてが自分のためにだけ働いてくれたり、自分の事だけを気に留めてくれたりということは、ほとんどありません。
どんな人であっても、それぞれに多数の人と関係を持っているので、相手によってその関係に濃淡が出来るものです。
だからといって、自分だけが淡泊に扱われているということもありません。
あなた自身、多くの人との付き合いの中で、濃い人もいれば薄い人もいることでしょう。
それでも、人は人を安易に見捨てたりはしません。今相手にとってどれだけの濃さが必要なのかを考えながら、その場その場で対応しようとするのではないでしょうか。
時には濃く付き合ってほしい時に、薄い対応をされてしまうこともあるでしょうが、それを「裏切りだ」と言ってしまっては、相手に対して非常に冷淡な態度になってしまうと思いませんか。
もしそれがまかり通るなら、誰かがあなたを「裏切り者だ」とののしるケースだって出てくるような気がしませんか。
あなたの世界はまだ広がってはおらず、家族と学校と、ネットの一部ではありませんか?
世界というのは、恐ろしく広いです。私自身、50年近く生きてきてもまだ、世界は広すぎて分からないことだらけです。
ひょっとしたら、世界に踏み出すと、自分の役割も変わってしまうのではないかと思い、恐れおののいているところもあります。
あなたも、きっともっともっと広い世界に出れば、今の価値観や人間関係なども変わってしまい、あなたのために生きながらえたり、逆に死んでしまったりする人が出てくるような大物になるかもしれません。
それにはまず、人を自分の都合に合わせようとか、自分の事をもっと知ってほしいとか、そういうことは一旦捨ててしまって、まずは自分の事を自分でやる、自分の行動に責任を持つ、ということを意識してみてはどうでしょうか。
今現在、あなたは裏切られたのではなく、人間関係の成長の糧を得た状態なのだと思うのですが、いかがでしょうか。

あなたはまだ若く、どんどん成長するわけです。それと同じく、周囲の人も同じように成長したりするわけです。
人は誰でも座りなれた椅子に座り続けたいと思うものですが、体と椅子のサイズが徐々に合わなくなるものです。
座り心地が悪くなったからという理由で死ぬよりも、もっと大きい椅子を探す方が有意義だし、人として生まれたからにはそうすることが宿命のような気がします。
あなたに「裏切った」と思われている友人たちも、きっとそんな感じなのかもしれませんよ。
もっとおおらかに構えていいのではないでしょうか。
Posted by 肉王 at 2016年09月12日 00:23
自分に自信がないのだろうと思う。そんな事は普通の毎日を過ごしていれば感じない。考えたりしない。なんとなくやり過ごしてきた。でも自分はダメだと気付かされることが時々やって来る。
今日もそうだった。今はなんとか高校生になった息子の事でまた学校から呼び出された。彼が歩き始めた頃から私は親として謝り続けている。ダメだダメだそんなんじゃダメなんだ。では、どうやったらいい。分からない、何が違うのか。他の親子が羨ましい。あなたと私と何が違うのか。幼い子を連れた親子を見ると懐かしい。どうして今こうなってしまったのか。
呼吸が荒くなり目が霞むようなぼやけるような感覚で電車のホームのイスに座っていた。
親の責任から逃げてしまいたいのと私が死ねば息子の心に少しは響いてくれまいかというような思いからか。残念ながら恨まれるだけ。
今日は出来なかった。家に帰らなければいけない。まだその下に妹が二人いる。ご飯を待ってる。毎朝一番下の子の髪を結んであげなきゃいけない。それに電車に飛び込んだりしたらみんなに迷惑がかかる。
最近、呼吸が荒くなって目が霞むような感覚になる事が増えてきた。衝動が抑えられない時が来るかもしれないと思い、遺書を書いておこうかと思った。
若く自分だけの時は、いなくなってもいいかなとか、消えてしまいたいという感じだった。
自分の事だけだったら自分でやり過ごす事が出来た。
私が産み育てたのにもかかわらず、諭しても叱っても悲しんでみてもまるで言葉の通じない人と話しているようだ。息子の言い分も何を言っているのかが分からない。
息子もみんなも私を責める。責めてるんじゃない、励ましてくれる人もいる。でもその全てがお前はダメなんだと言っている。懐かしいあの頃は何がいけなかったのか。私は息子に殴られ蹴られるような事をしたのだろうか。
あの人は親子で笑い合っている。私は死ね、殺すぞと言われる。あなたと私はそんなに違ったのか。
結局私は悪くないと思いたい。許してもらいたい。そんな卑しい自分が浮き上がってくる。
息子の気持ちは?娘達は?夫は?
Posted by at 2016年09月12日 01:20
>名無しさん

はじめまして。
子育ては大変です。
育てる方も大変で、育てられる方も大変です。
子育ては戦争だといった人もいます。

私は子供を育てたことが無いので、偉そうなことは言えませんし、経験に基づいた適格なアドバイスだって出来ないと思います。
なので、育てられる方の言い分、というものを書いてみたいと思います。

私が子供の頃、両親は、私と他者を比較することが多くありました。
例えば、私は子供の頃カレーライスが嫌いでしたが、そうすると両親は「なんだ子供らしくない。普通の子供はカレーライスが好きなものだ」というのです。
私がカレーライスを嫌いな理由は、単純に不味かったからなのです。生煮えの野菜があまり切られずにゴロゴロと入っていて、脂身だらけの豚肉と、粉っぽくて脂っぽいネトネトのカレールー、そしておかゆのようなご飯。
お分かりのように、我が家のカレーは作り方が悪かったのです。
しかし両親は、味に問題があるとは考えずに、食べられない子供の方に問題があると考えていたのです。
その根拠として、「よその家の子供はカレーが大好き」という社会通念を持ち出していたのです。
子供としては、自分と他人を比べられる理不尽を指摘するより、なんとか両親の期待に沿おうとするのですが、やはり味が変わらない限りそれが出来ない。
私の場合は、その他にも「外出をしたがらない」という傾向もあり、家族で街へ買い物に行くよりも、家でゴロゴロしている方が好きだったのですが、やはりそれすらも「子供らしくない」と断罪され続けました。
思い起こせば、「病気になりやすい」「集中力が無い」など様々なことで他の子ども(それは一般論でいう子供であり、具体的な誰かではないことが多かったようです)と比較され、子供として普通よりワンランク下の扱いを受けてきました。

私の言葉はいつも率直に聞き入れられず、「耳の中が痛い」と訴えても、医者が中耳炎であると診断するまでは信用されない感じでした。
それはあたかも、「お前の言葉など、他者の裏付けが取れない限り信用しない」と言われているようでした。
今にして思うと、両親が真っ直ぐにこちらを見ていない、ということは子供心にも感づいていて、そこら辺から親子のすれ違いが始まるような気がします。
当然私も中学高校と、両親とは対立しました。
両親にして見ても、隣の子育ては上手くいっているようで、羨ましいやら妬ましいやらという気持であったとも思います。
そのせいなのでしょうか、両親(特に母親)は私に対して過干渉になり、自分にとっての理想的な子どもよりも劣る部分ばかり探して、あれも駄目これも駄目とばかり言うようになりました。
実際私はクラスの他の子たちと比べても、あらゆる点で劣っていたため、劣等感ばかり育つ羽目になりました。さらには体に軽い障害があったため、努力しても追いつけない、という惨めな気分を抱えて思春期を過ごしました。
そんな中にあって、相変わらず「世間との比較」「親としての体裁」などを気にしている両親とは、いっそ他人であったらよかったのにとすら思うようになりました。
私は暴力的な人間ではなかったので、対立していても決して暴力は振るいませんでしたが、世の中には親を殺す子供がいることも知っていて、少なからず共感を覚えたものです。

今となってはどうでもいいことになっていますが、もしあの頃、両親と腹を割って話すことが出来たなら、自分はどんな人間になっていたのだろうかと思うこともあります。
しかし、今でこそ年老いて子育てなど考えなくなった両親ですが、やはり世間体は気にしているので、多分どんなに話し合っても、他者との比較はやめてくれなかっただろうと思います。
親は子に過度の期待をするものだし、子供は親の干渉から一刻も早く解放されたいと願うもののようです。
その頃合いを見極めるのは難しいものです。
しかし、思春期の男子は、なるべく早く解放することがいいような気がします。
いくつかの約束事(犯罪を犯さない、周囲の空気に流されずに自分で考えて行動する、行動の結果には必ず責任を持つ、とか)を守ることを条件にして、あとは遠巻きに見ているくらいが親子関係としては丁度いいのかもしれません。
あるいは、安易にお金を与えずに、欲しいものは自分で稼いで買うことにしてもらう、なんてのも効果としてはすぐに出てくると思います。
私は高校の時にアルバイトをしたおかげで、「金を稼ぐのは大変だ」という両親と共通の価値観を得たという思いがあります。また、仮にでも社会にでることで、色んな人に出会い、仕事の役割を貰うことで、自分にも居場所があることを知ったと思います。
どうも人間というのは、親よりもよその人達によって成長するものなのかもしれません。
だとしたら、早めに社会に放り出して、「あとはよろしくお願いします」でもいいのかもしれませんね。
学校の先生は枠に収まらない生徒は迷惑だ、としか言いませんが、バイト先の先輩や職場の上司は文句も言いますが面倒も見てくれるものです。

なんだか長くなってしまいましたが、要は親も悩むが子供も悩むということです。
我が子であっても理解できないことだってあるし、我が親であるからこそ言えないこともある。
お互いがそんな気持ちでいるのが当たり前の親子関係のような気がします。
親としてあるべき姿も、子供としてあるべき姿も、それは個人によって全く違うので、他人様を羨ましがることはないと思います。
諸々問題はあっても、いっそ全部吹っ切って、元気を出してください。
Posted by 肉王 at 2016年09月12日 18:33
ありがとうございます。
仕事で海外生活が長くなり、それがずっとプラスに働く人もあるようですが、彼には帰国後マイナスになってしまったようです。親として申し訳ないような負い目もありますし、長い目で見ていきたいと思います。
元気すぎるほど元気な事を感謝したいと思います。
Posted by at 2016年09月12日 22:29
自決するために、ここの文章を読ましていただきました。
ですが、逆に生きたいと思えるようになりました。ありがとうございます。
ただ、ここで手に入れた知識は…またいつか使わしてもらうかもしれません。その時はご容赦ください。
Posted by 露草 at 2016年09月24日 02:44
>露草さん

またそんな気になった時は、駄文の記事よりも、みんなからのコメントを丹念に読んでほしいです。
Posted by 肉王 at 2016年09月27日 02:00
クレジットカードの番号が
ウイルスによって流失したかもしれません。
貯金は30万しかありません。
当方、性別男28歳男統合失調症の精神疾患を患っています。
実家暮らしで両親、祖父母、兄弟とも健在です(兄弟とは疎遠)
親しい友人などもおらず
毎日孤独な日々を送っていたのにこの仕打ちです。
なんとか働けていますが
多額の額を請求されるかと思うと不安で毎日死にたいと考えるようになりました。
何度も自殺しようと思ったことはあるのですが
これほど毎日生きた心地がせず苦しい日々を送ったことはございません。
このまま生きていていいのか教えてください。
とりあえずロープは買いました。
Posted by at 2016年10月03日 21:36
申し訳ないけれど、警察とクレジット会社と家族に相談してもらうしかありません。
それで解決すれば死ぬ理由が無くなるのであれば、精神病も関係ないと思います。
Posted by 肉王 at 2016年10月07日 01:01
家庭が幼いころから複雑で親の面倒のしりぬぐいをなぜか私がさせられることが多く。それが原因で精神に何か異常を抱えてしまったよう。
独り立ちすれば、直す方に全力を尽くすが今の精神状態では不安も大きい。
別に死ぬつもりはないし、死なないとは思うが死にたいという思いが消えない限り油断もできん。

一応念には念をと思い遺書を書こうと思ったが書き方がわからずネットで検索してみたところここにたどり着きました。分かりやすい説明ありがとうございます。
Posted by at 2016年10月11日 18:06
独立しただけでは解決しないことも沢山あります。
それよりも、自分がどう生きたいかをよく考えて、そのためにはどうするのがいいと思うのか、その辺を明確にしてから行動してください。
遺書を書くと言うことは、あくまでも心構えに過ぎないと考えてください。
不安を抱えたまま、それに任せて遺書を書いてはいけません。
Posted by 肉王 at 2016年10月12日 03:20
良い記事です。
死にます
Posted by at 2016年11月15日 14:20
何故だ。
理由を聞かせてはくれないか。
Posted by 肉王 at 2016年11月16日 00:09
初めまして。遺書の書き方について調べていたら、ここに辿り着きました。

私は大学一年生です。進路選択の際、就職する気になれず、何かやりたいことを見つけられたら良い、という程度の気持ちで進学を選択し、指定校推薦でほとんどなんの苦労もなく大学に入学しました。

しかし、入学してからが大変でした。
入学して一番最初の講義がキリスト教についてのクラスでした。(うちの大学の成り立ちがキリスト教なので。しかも必修科目。)
始めのうちは、キリスト教系の大学だからって学生にキリスト教について学ぶことを強要するのってどうなんだろうと思いながらも、なんとか聞けていましたが、聞けば聞くほど胡散臭い話としか思えなくなり、講義に行く度疲弊するようになりました。(キリシタンの方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。あくまで個人的感想です。)それでも前期はなんとか頑張って、無事終えることができました。キリスト教の科目は単位を落とし、めでたく再履修が確定しましたが(笑)

しかし、後期に入って10月半ば頃から、理由もなく、学校に行くことが苦痛に思い始めました。確かに「行きたくないなー」が口癖になるような苦手な講義も幾つかありましたが、それでも学校に行くことが苦痛に思えるほどではありませんでした。
始めのうちはそれでもなんとか通えていたのですが、段々それも難しくなりました。1、2時間程前から準備をして、自分を励まして、言い聞かせてからでなければ外に出られなくなりました。しかしそれでも外に出られないことも多く、午前中の講義はほとんど出席出来ていません。友人には寝坊したとか体調が悪いと嘘をついて誤魔化して続けています。(そんな私を心配してくれ、休んだ日のプリント類を渡してくれます。本当に優しい友人だと思います。)最近は朝日を浴びるだけで動悸と吐き気がして、カーテンを開けることも出来なくなりました。(外に出られればほとんど気にならないのですが。)人混みも同様に、気持ち悪くなってしまい、欲求が一切無くなり、食欲がなくなると共に味覚もほとんど感じなくなりました。

私は両親の収入の関係上、奨学金を借りて大学に通っています。素晴らしい両親とは言えないと思います。父はパチンコが好きでたまに借金をし、私たち兄弟の貯金に手をつけたこともあります。母も過干渉かつ神経質なところがあります。しかし、父は私たちの前では優しい人だし、二人とも基本的には良い両親だと思います。また、私には3つ年の離れた弟がいます。弟は運動部に所属していて、本当は私立の強豪校に入りたかったのですが、私の受験と重なったためやむ無く断念し地元の公立高校に通っています。
私が進学を選んだせいで弟の将来を潰したかもしれないのに、こんな生活をしている申し訳さ、心配してくれている友人に嘘を付き続けている罪悪感、両親への申し訳なさ、やりたいことも見つからず、他人と比較し劣等感ばかり抱いている自分への嫌悪などといったことばかりをここ1ヶ月考えています。

一昨日、久し振りに1限目からの講義に行くことが出来たのですが、授業終わりに先生に呼ばれ、出席数が半分もなく、単位をあげることが出来ないと言われました。予想はしていましたが、実際に宣告されるとやはりショックですね(笑)
そのあと一日中、死ぬ計画をたてていました。死ぬことはずっと考えていましたが、「辛くてもう死にたい」というのではなく、「死ななければならないから計画を立てよう。いつまでに準備をして、いつまでには実行しよう」というような考えでした。しかも気分は鬱で仕方がないのに思考だけは酷くはっきりしていて、なんだか変な感覚でした。
しかしその夜に両親から連絡があり、「誕生日のお祝いをするついでに年末は実家にかえっておいで」と言われました。
精一杯明るく返事をして、罪悪感で泣いて、自分が今どんな状態なのか分からないまま実家に帰えるのは何をしでかすか分からず怖いと思い、病院へ行って来ました。今後、薬とカウンセリングで治療するようです。
薬のおかげで鬱な気持ちはだいぶ落ち着くようになりましたが、今日もカーテンは開けられず、午前中は家から出られませんでした。まだまだこれからのようです。
そして明日、私の誕生日です。今までで一番辛くて、恨めしくて、両親に申し訳なくて、どうしようもなく悲しい誕生日ですが、形式的になんとなくケーキを買いました。日付が変わった頃に、味の分からないケーキを食べようと思います。
Posted by 師走 at 2016年12月22日 21:12
>師走さん

こんにちは。
はじめまして。
こんな時間に返信してる俺も、君と似たようなものだ。
しかし君は、いたって普通だと思う。
やりたいことが分からないから大学へ行くことも、行った先で退屈に襲われて無気力になることも。
その中で周囲に罪悪感ばかり募らせるのも、君が健全な心の持ち主だからだと思います。

俺は10年ほど前に、興味本位で聖書を読みました。
俺の店に「エホバの証人」がやってきたのがきっかけでした。
旧約聖書部分の、わがままな神様に翻弄される人々の姿が面白かったです。
新約になると、急につまらなくなってしまったのですが。
キリスト教に限らず、宗教の話って単に知識として取り込む程度に考えていた方がいいんじゃないかと思います。
君のつまづきは、多分キリスト教ではなく、一日の時間の使い方を間違った所だったんじゃないかと思います。
実家にいたときは規則正しいパターンでいたのが、大学に入ってから少し狂ったりしてなかったでしょうか。
就職や進学で生活のパターンが変わった時、多くの人はつまづきを経験しますから、今回の事だけで死を考えるのは早計です。
人間は最初につまづくくらいでちょうどいいと思います。
むしろそれが普通なのだと思います。
俺も進学の時と社会人になった時に、綺麗につまづきました。
みんなに聞いてみると、やっぱり似たようなものでした。
今回、出席日数が足りなくてやばいことも、家族に話してみてください。
それで、死ななきゃいけないほどに責められるはずがありません。
気にしているのは君自身の見栄のせいであって、それを認めてしまえば、そんなに重荷であるとも思えなくなるんじゃないでしょうか。
将来的にハンデになるかもとか、周りから笑われるんじゃないかとか、そういう心配もあるでしょうが、それも含めて自分の生きざまだから、と思って、自分の人生を愛してください。
人生は80年位あるので、そのうちの1年のつまづきなんて、何の影響もないものですよ。
人に「なぜ留年したのか」と聞かれたら、「上手いやり方が分からずに、ちょっとつまづきましたが、いい経験になりました。同じような事で悩んでいる人にアドバイスもできます」と言ってしまえばいいのです。
それでも分かってもらえない人とは、無理に付き合うことはありませんし、そういう人と付き合ってもろくなことはありませんから、次を探せばいいのです。
自分が今感じていることや考えていることも含めて、自分自身なんだってことはずっと忘れずに大事にしてください。今年のケーキの味も忘れずね。
そうすれば、まだまだ全然余裕で大丈夫だし、将来「そん時のケーキのまあ、味のしないことと言ったら」と、みんなに話すことが出来るようになれば、きっと君は魅力的な人間になることでしょう。
俺もかなりやばいけど、まだまだ生きるから、君もそうしろ。
Posted by 肉王 at 2016年12月23日 04:18
>肉王さん

お返事ありがとうございます。

おっしゃる通りだと思います。独り暮らしになって、生活のリズムが大きく変わって、そのリズムに乗れないまま今まで過ごしていたツケが回ってきたのだと思います。来年から上手く出来ようになるかなあ。今からすでに不安です(笑)

出席日数や単位についてはきちんと話をしたいと思っています。奨学金にも関係してくる問題ですし。しかし、話すのが怖くて仕方がありません。怒られるのが怖いのではありません。両親は理解してくれるだろうと思っています。話すこと事態が怖いのです。
これは今に始まったことではなく、昔からなのですが、人に何かを頼んだり相談したりすることが怖いのです。両親にも昔から「甘えるのが下手」とか「もっと人に頼っていいのに」などと言われ続けているのですが、それでもどうしようもなく怖いのです。
休んだ次の日のノート見せてすらも言うのにとても勇気が要ります。今まで断られたこともありませんし、みんな何も気にせず引き受けてくれることも分かっていてもです。
また、それだけでなく、私は肌があまり強くないようで、たまに皮膚に炎症や出来物ができます。(病院で薬をもらいさえすれば1週間もかからず治るようなものばかりですが。)しかし、それを言い出すのにも時間がかかり、相談する前に気付かれるか、なんとか自分から言い出すかするまで二月ほどかかってしまいます。異常が発覚したあと、毎度のように「どうしてもっと早く言わなかったの」と聞かれます。しかし「相談するのが怖かった」というのも怖いので、これまた毎度のように「すっかり忘れていた」というのも嘘をつくのが当たり前になってしまいました。(弟があれ欲しい、あれやってもいい?などと素直に聞けたり、駄目と言われても粘り強く頼み続けたり出来ることが本当に羨ましいです。)
人に相談するしたり、お願いをするのがこわい、というのは肉王さんのいう「見栄や自尊心」のせいなのでしょうか。

あ、そうそう。ケーキの味はさっぱり分かりませんでした(笑)
>人に「なぜ留年したのか」と聞かれたら、「上手いやり方が分からずに、ちょっとつまづきましたが、いい経験になりました。同じような事で悩んでいる人にアドバイスもできます」と言ってしまえばいいのです。
>将来「そん時のケーキのまあ、味のしないことと言ったら」と、みんなに話すことが出来るようになれば、きっと君は魅力的な人間になることでしょう。
それいただきです。(笑)こんな素敵なことが言えるようになる日が来ることをねがいます。

肉王さんは人生80年のうちのたった一年と言いましたが、私の家系は家の血筋の人間は皆60手前で亡くなります。だから私もせいぜいそのくらいだろうと思っていたのですが、現代医療の進歩で80まで生きることになったら「おいおい、約束が違うじゃないか!」と残り20年、いつお迎えが来るかびくびくして過ごして仕舞いそうな気がするので、私も80まで生きるつもりでいようと思います(笑)

そしてすいません、何故こんなに早い時間に送信しているのかというと、昨日の夜に書いたのですが睡眠導入薬の力に負けてしまいました。薬というのは本当に偉大ですね(笑)
Posted by 師走 at 2016年12月24日 07:49
>師走さん

こんにちは。
やっぱりケーキの味はしませんでしたか。
俺も味のしないすき焼きや中華飯など、数々の無味な料理を食べてきました。

「人に頼るのが恐い」の件ですが、それは見栄とか自尊心とは違うのかなと思いました。
人に対する評価と、自分に対する評価があやふやなのではないかなと思います。
対人関係に自信が無い人と話をする時、俺が感じるのは「この人は俺の事を信じていないな」ということです。
それは何も、俺を疑っているとか、怯えているというものではなく、俺という人間の裏に何かを感じているような雰囲気なのです。
例えば俺が頼まれもしないのに「何かをしてあげましょう」と言ったら、それは疑われるのも仕方がないと思うのですが、会話の流れで「じゃあそれは俺が引き受けましょう」となった時にでも、警戒心をあらわにされると、おや?と思ってしまいます。
でも、俺を含めた多くの人はそんなこともあまり気にしないものです。
だから君もあまり気にしないで、頼むときは頼んで、身近な人間関係を楽しんだ方がいいと思います。
感覚としては、「相談」というと事態が大きく感じるので、「軽く愚痴る」感覚で吐き出してみてはどうでしょうか。

あと、人の一生のタイムリミットだけは分からないものなので、死ぬ時に悔いのないように、いつも楽しんでいてほしいです。
身の上に起こる理不尽な事や不運なことも、「いっそ楽しんでしまおう」と無理矢理にでも考えると、(辛さが軽減されることは無くても)何とかなってしまうことが多いです。
不幸や不運に見舞われても、周りで誰かが見ていてくれると、何とか頑張ることが出来るものです。そんな時に、そばで見ていてくれる(だけだとしても)友達や恋人に見捨てられないようにするためにも、ぜひ人生の色々を楽しむ心を持ってください。
例え60年でも、充実した人生ならば、それ以上の事は無いと思います。

前回のコメントを返した後、色々と考えて、もっと違う話の方が良かったんじゃないかとか後悔したのですが、師走さんが色々と汲み取ってくれた返信をしてくれたので、こちらの方も救われた思いです。
きっと何かずれた事を書いてしまったかもしれませんが、人生は何とかなるものだってことが言いたかったのです。
とりあえずメリークリスマス。
ああ、ゴメン、味のしないケーキを食ったばっかりだったんだっけね。
でも、いつかサンタは来るだろう。
何とかなるよ。
Posted by 肉王 at 2016年12月25日 04:00
私の家族は今いろいろと問題があります。
今年はもう良いことは起こらないと思います。
1月20日に私の中学2年のおねえちゃんが家族が嫌で、自動相談所に行きました。
今は、帰ってきましたが。
最近、家族の中でけんかがよくおこったり、
ママに向かって死ねと言っている人が良くいます。 2月頃にママはどう思っているのかと思い、勝手にママの日記帳を見てしまいました。そしたら、パパとママは離婚するとのことが、書いてありました。 パパとママは、良い人だけれど、2人とも、沢山のストレスを抱えていることは知っていました。
特にママは。パパは、仕事から帰ってからは、筋トレばかりしていて、ママが大変そうにしていても、そんなに頼りにならない人です。
ママが、いやになるのは私も知っていますが、さすがに、家族がバラバラになってしまうのは嫌です。  私が、わがままを言っているのは、分かっています。

そんなこともあって、家に帰るのも嫌な状況です。 
家にいると、ストレスばっかり溜まって、常にイライラしています。 おねえちゃんが、嫌いということもあります。 ママに対する、口のきき方がすごく気に入らないんです。
それで、最近はよく、夜遅くに家を出て、1人で歩くようになってしまっています。
そしたら、ママが心配してむかえにきますが。
昨日は、11時に、家を出て行ったら、1時間して、ママが迎えに来て、お店に連れてかれました。 行く途中に、ママとパパは近いうちに離れるって聞かされました。

昨日、おねえちゃんと今までにないってくらい、ケンカしてしまったので、こういうおとはしないでほしいといわれました。
子供たち、1人1人が大切だからと。

そして、離かれたあとは、ママが、、6人の子供たち全員を、もらうと言っていました。
こんなことになるなら、死ぬか1人暮らしをするっていってしまいました。

今は、家族のほとんどが嫌いです。
こんなに、苦しみながらは、生きたくありません。 長々と、あなたにとっては、意味のないいことを書きましたが、アドバイスでも何でもいいので、コメントください。
お願いします。
Posted by 疲れています at 2017年03月20日 15:21
>疲れています さん

家庭の中の空気が悪いと疲れてしまいますね。
家族と言っても人間同士なので、日頃はそれなりに気をつかっていますから、お互いの気づかいがすれちがってしまうと、何をしてもムダなような気がしてしまいます。
子供は親の都合に振り回されることが多いので、ときどき自分が大事にされていないような気になってしまうかもしれません。そんなとき、ついうっかりお母さんに八つ当たりをしてしまったりしますね。

あなたの文章を読んだかぎりでは、あなたは全然わがままを言っていません。
むしろ、一番正しい、正直なことを言っていると思います。
家族がバラバラになるのは、だれにとってもとても嫌なことなのですから。
いっそ、家族の前で大きな声で言ってもいいくらいだと思います。
特に、お父さんにはそれをはっきり言うべきだと思います。
お父さんは家族の問題から逃げるために、筋トレばかりしているのだと思います。
「大人なんだから、自分の責任から逃げないでほしい。そうしないと、子供もお母さんも全員いなくなっちゃうよ」
このくらい強く言ってみてもいいのではないでしょうか。
あとは、お母さんも心配ですね。
わたしはあなたの家の経済状況が分からないのですが、普通に考えると、女性が一人で6人の子供を育てるのはとても難しいと思います。
毎日毎日お金の心配ばかりするような生活になって、今よりもっと疲れてしまうと思います。
なので、離婚をするなら一番下の子供が成人するまで我慢する方がいいと思います。
大人には、子供の生活や将来を考えて行動する義務があるのです。
だから、離婚をするのはもう少し後にしてほしいと言ってみてください。

さて、一番大事なのは、これから書くあなたの事です。
あなたは周囲の人に対する大きな思いやりを持った人のようです。
そういう人は、家族のことをとても大事に思うのですが、そのせいで家族の仲が悪くなると、とても落ち込んでしまうものです。
だから今は、死んでしまいたいと思うほどに落ち込んでしまっているのでしょう。
人間はだれでも「死んでしまいたい」と思うことがよくあります。そういう時には自分の事が大事に思えなくなって、わざと危ない事をしてしまったりします。
あなたが夜に一人で出歩いたりするのも、そういうことです。
夜に出歩くと、人はとても隙だらけになって、大きなトラブルに巻き込まれたりします。
なので、これだけは約束してください。
「絶対に夜の一人歩きはしない」
お姉さんとけんかをしても、お父さんやお母さんに怒られても、絶対に夜に出歩いたりしないでください。
夜の世界には、あなたが想像している以上におかしな人間がウロウロしています。そういう人は、あなたの命すらかんたんに奪ってしまうことだってするでしょう。
心配事や悩み事やグチを言いたいときには、仲の良い兄弟と話をするのもいいし、今回のようにここへぶちまけてストレスを発散するのもいいでしょう。
これからはどんな事があっても、絶対に家出のまねごとのような事はしないでくださいね。
Posted by 肉王 at 2017年03月22日 00:15
肉王さん

コメント有難うございました。
あなたが毎日、このページを見ているとは、
思っていなかったので、すぐに返事がもらえて嬉しかったです。
とにかく、私のことを、誰かに知ってもらいたかったから、あなたのコメントを読んだとき、他人の問題に真剣に、やさしく答えてくれる人がいると知ってすごくうれしかったです。
あと、今日まで、コンピュータが壊れていて、
全然書くことが出来ませんでした。
本当に、すいません。


Posted by at 2017年03月27日 18:57
上に書いてあることは、私が書いたことです。機械音痴なので、打っている途中に、のせてしまいました。私の問題について、丁寧に答えてくれるので、少しずつ、話していきたいと思います。
さっき、ママが私の部屋に来て、何調べているの?と聞いてきました。答えるはけには、行かないので、私のことだから、ママには関係ないでしょと言ってしまいました。
書いていませんでしたが、私の家族は、末日聖徒という、教会員です。なので、他の家庭の親よりも、自分の子供が、悪いことを調べていないかが、心配になるんだと思います。
今年に入って、家族と話す、一言一言で、ストレスを感じます。反抗期だってこともあるかもしれませんが。それに、前に自動相談所に行った長女のおねえちゃんも反抗期で、兄弟の中で上の二人が同時に反抗期なので、すごく家の中にいるときの雰囲気が悪いです。
私が、分からない事があって、家族の誰かに聞くと、必ずそんなことも分からないの?馬鹿じゃねぇのと言われます。先週の月曜日から、いやなことがあっても、無視をするようにしているのですが、日に日にストレスがたまってきて、涙が出て来てしまいます。そしたら、おねえちゃんが、
Posted by at 2017年03月27日 20:56
上に書いてあることは、私が書いたことです。
機械音痴なので、文字を入力している時に、のせてしまいました。私の問題について、丁寧に答えてくれるので、凄く嬉しいです。
これからは、迷惑かもしれませんが、少しずつ、私のことについて、話したいと思っています。遺書教室なのに、全く違った話をしてしまってすいません。
さっき、ママが私の部屋に来て、何調べているの?と聞いてきました。答えるはけにはいかなかったので、私の問題だから、ママには関係ないでしょと言ってしまいました。
書いていませんでしたが、私の家族は、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員なので、他の親より、自分の子供が悪いことを調べていないかが、心配になるんだと思います。
話がそれますが、私が教会が嫌いなのも死にたい理由の一つです。

今年に入って、家族と話す一言一言で、ストレスがたまるようになってきました。
長女と次女で、(私は、次女です)同時に反抗期なので、家族の雰囲気が、すごく悪くなっています。
私が、家族の誰かに、分からないことがあって、教えてもらおうとしたら、おねえちゃんが、そんな事も分からないの?馬鹿じゃねぇのと言ってきます。
先週の月曜日から嫌なことがあっても、無視をするようにしてきました。でも、日に日にストレスが溜まってきて、涙が出てくる日もありました。それを見て、おねえちゃんは、泣き虫、死ねと言ってきます。
もう慣れていますが。
去年は、数えられるぐらいしか、泣いたことが無かったのですが、今年になって、一人になると、毎日のように涙が出てきます。
凄く疲れました。

毎日、このページを見て、コメントを見るのが、私の楽しみです。
遺書教室なのに、関係無いことを、のせてしまって、すいません。
もし、いやでしたら、そう書いてください。
今度、部活の事と教会の事で嫌なことがあるので、書かせてください。
お願いします。
最後まで、あなたの時間を使ってまで、読んでいただき、
ありがとうございました。
出来たら、コメントお願いします。





















Posted by 疲れました at 2017年03月27日 21:52
のせかた、失敗してしまいました。 私は、あなたに頼ることができて、 幸せです。
Posted by 疲れました at 2017年03月28日 22:25
嫌なことばかりかくと、暗い感じがするので、楽しかった事も、載せていいですか?

しつこくて、すいません
Posted by 疲れました at 2017年03月29日 21:48
>疲れました さん

返信遅れて申し訳ありません。
さて、あなたの書き込みを読ませていただきました。
お家で宗教の問題もあったのですね。
宗教というのは大人になると少しデリケートな話題になってしまいます。
特に日本では、相手の宗教に対してあまり突っ込んだ話をしないのがルールになっています。
その理由については色々あるのですが、一言でいうと「めんどうくさい」という感じでしょうか。
しかし、あなたの悩みの一つになっているのならば、避けては通れない問題でしょう。
私は、この世に沢山ある宗教のどれもこれも、悪いものは無いだろうと思っています。
その上で、どれを選ぶのか、あるいはどれも選ばないのかは個人の自由だと思います。
例えあなたのご両親が選んだ宗教だとしても、あなたも同じ宗教に入る必要はないのです。
あなたにもどの宗教かを選ぶ自由があり、どの宗教にも入らないことを選ぶ自由があるのです。
そのことは、いつか家族と(特に両親とは)話し合う必要があると思います。

ひょっとしたら、あなたのお姉さんも、宗教の事で同じ悩みを持っているかもしれません。
すこし意地悪に書かれているお姉さんですが、年齢の近い兄弟姉妹というのは、お互いをライバル視してしまう事があるので、あなたのお姉さんのように、「そんなことも知らないのか」といった、相手を馬鹿にしたような言葉を言ってしまうもののようです。
これはお互い大人になると、いつの間にか無くなっていくことも多いようです。

これは私の提案なのですが、一度お姉さんに本当に悩んでいることを相談してみてはどうでしょうか。
私には、お姉さんがあなたと同じ悩みを抱えているような気がするのです。
そして、あなたと同じように一人で悩んでいるように思うのです。
お姉さんはあなたよりも年上な分、あなたよりも長い時間悩んでいて、辛い思いをしているかもしれません。
もしもあなたと同じような悩みではなくても、お互いの悩みを話し合うことで、今よりは良い関係になれるかも知れません。

あと、「何かについて分からない」ということは恥ずかしい事でも大変なことでもありませんので、分からないことを恥ずかしがったり隠したりすることはありません。
私のようにオジサンになっても、分からないことは沢山ありますし、間違うことも沢山あります。
「分からない」ということはこれから知ることができる希望ですし、間違うことはこれから先の人生の道しるべになるかもしれない財産でもあります。
ちょっと難しいでしょうか。この辺の事はあまり深く考えなくてもいいです。
とにかく、「分からないこと」は「普通の事」だと思ってください。
そのことで、お姉さんや他の人たちから馬鹿にされても、気にしたりしないでください。今はそれだけでいいです。

さて、今度は部活の事と教会の事でいやな事があるそうですが、それらはもう済んでしまいましたか。
何歳になっても、嫌なことは嫌なものですよね。
私も考えるだけでうんざりする仕事がこの先に何件もあるので、今から暗い気持ちになっています。
部活の事なら、たぶん仲間と一緒に乗り越えられるかもしれませんね。そうやって仲間との友情を育てていくものでしょう。私にもそんな事があったように記憶しています(もう35年位前の話ですが)。
教会の事については、本当に嫌ならば「嫌だ」と言った方がいいかもしれません。
部活の事とは違って、宗教の事はあなたにとって必要が無い場合もあります。
宗教というのは、心の道しるべを自分で探せない人が頼るケースが多いものですから、これから自分の道しるべを探していく若い人にはあまり必要でないことが多いです。むしろ宗教のせいで、本来自分で選ぶべきだった道から大きくそれてしまう危険性もあります。
たとえどんなに優れた宗教であっても、自分にとって有益であるとは限らないのです。なので、若い人達はまだ宗教に入る必要は無いと思います。
あなたが大人になって、入りたいと思ったら入ればいいし、入りたくなければ入らなくていいのです。
これは親とは関係のない事ですから、よく胸に刻んでおいてください。


それから、楽しかったこともどんどん書いてください。
暗い気持ちでいるよりも、楽しい事を思い出して、明るい気持ちでいたほうが、嫌なことを乗り切るときに楽ですよ。
私はいつも一人で食事をしますが、たまに友達と食べると、いつも食べている牛丼でもすごくおいしく感じたりします。
きっと、どんなことでも気持ち次第でどうにでもなるものなのかもしれませんね。
楽しかった話も、ぜひ読ませてください。
待っています。
Posted by 肉王 at 2017年03月30日 03:22
肉王さん

忙しい中、コメントを書いて下さりありがとうございます。
あなたに、「絶対に夜の一人歩きはしない」
という約束をしてから、夜の一人歩きはしなくなりました。 ママに、心配を掛ることが、少なくなってきたので、良かったです。
ありがとうございます。

私のおねえちゃんのことで、いろいろとアドバイスをもらってから、今日一日を過ごしていたのですが、もう少し頑張ればおねえちゃんとは上手くいけそうです。

少し、今日あった楽しかったことを書きたいと思います。
あと少しでクラス替えなので、今日は私のクラスの女子で、来れる人だけ集まって遊びました。水風船で、投げ合って遊びました。
すごく楽しかったです。
明日は、クラス全員で、遊ぶ予定です。
明日に、楽しみがあるってことは、いいことですね。

部活が、昨日会ったのですが、すごく久しぶりに楽しむことが出来ました。
このまま、良い状態が続くといいです。

教会の事ですが、私が行っているところは、毎週日曜日にあります。
まず、教会が嫌いだということもありますが、特に嫌なことは、教会での人間関係です。
このようなことは、両親にも話していません。
ただでさえ、ママは心配事がありすぎて、ストレスが溜まっているというのに、こんな話をするともっと疲れさせてしまうと思います。
パパには、出来るだけ話したくないです。
本当は、ママにも話したくないのですが、話すしか教会を休む方法はなさそうです。
教会では、私と同じ年の女の子がいません。
中学2年の子と小学6年の子がいますが、
私と同じクラスの子は、小学6年生の二人です。 でも、その二人はすごく仲が良くてしかも、私は変なことをして騒ぐことが好きなのに、その二人はお上品似たいな感じで、馬鹿笑いみたいなことはしません。 しかも、うるさすぎていた私の事が、いやなようです。
今は、静かにしていますが、やっぱり、話しかけたとしても、あまり話が膨らまなくって、
凄く嫌です。
教会に行っても、ストレスばかり溜まっていたら、意味がないと思い、今年に入ってから時々休むようにしています。 でも、そしたら、おばあや、おばさんが、「今日なんで来なかったの?大丈夫?」と、毎回教会からの帰りに私の家に寄ってきて言ってきます。おばあも、おばさんも嫌いではないのですが、私ももっと小さかった時そうだったのですが、二人は、沖縄で生まれ育ったので、こういう時の勢いが凄くて少し嫌です。
話がまとまっていませんが、とにかく、教会の中での雰囲気に耐えられません。
10月になれば私の仲が良い友達も一緒になれるのですがそれまでの間、我慢が出来ません。
 
私よりも苦労をしている人達は他にも沢山いることを知っていますが、私はそんなに心が強くないので、すぐにダメになってしまうのかもしれません。

私よりもっと苦しんでいる人がいるというのにこんだけでへこんでしまっていておかしいと思うかもしれませんが、自分でも分かっているので、許してください。
宗教のことに関しての事なので、もし答えたくなかったらそう書いてください。

 
あと、離婚をするのは、もう少し待ってほしいということはママに言うことが出来ました。 離婚をすることを知っているのは、子供の中で、私しかいないみたいで、ママに「余計な心配させてごめんね」と謝られました。
その話が、良い方向に行ってくれるといいです。

書くのに夢中になってしまって、長くなってしまいましたが、忙しい中、最後まで読んでくださりありがとうございます。
また、あなたの時間を奪ってしまうことになって迷惑をかけてしまうと思いますが、
出来たら、一言でもいいのでコメントください。





































Posted by 疲れました at 2017年03月31日 00:22
また載せ方失敗してしまいました。
Posted by 疲れました at 2017年03月31日 00:31
>疲れました さん

いつも返信遅れがちでごめんなさい。

あなたの文章にも書かれていますので、あなた自身がよく分かっていることだろうと思いますが、多くの人々のストレスの正体はだいたいが人間関係が原因です。他は経済の事情だったり健康だったりです。
そしてそれは、自分にしかわからないことのほうが多いと思います。
なので、自分のストレスと他人のストレスを比べて、「自分より辛い思いをしている人がいる」という考えはしなくてもいいのです。
自分の評価を下げてみても、問題は解決しないのです。

たとえば教会で誰とも話が合わないと感じているのはあなた自身ですが、それはあなたに話しかけられた人もそう思っているかもしれません。
でもそれは、お互いが相手についてよく知らない仲だからそう思えるだけで、他の話題ならばもっと親密になれるのかもしれませんよ。
だから、今度話しかける機会があったら、「あなたが好きなものは何?」という話題の振り方をしてみてはどうでしょうか。
自分に興味を持ってもらう方法には、いくつかありますが、その中でも私が一番いいと思うのは、「まずは相手に興味を持つこと」です。
私はあなたに興味がありますよ、という態度をとることで、相手との距離がほんの少しだけ近づきます。
そこから少しづつ親密になることで、人間関係のストレスはだんだん軽くなっていくことが多いようです。
何事もあわてないで、一日にひとつずつ一歩ずつ進むような、おおらかなのんびりした気持ちでいることが、心をむやみにすり減らさないコツなのではないでしょうか。
Posted by 肉王 at 2017年04月02日 03:26
肉王さん
今まで、細かいアドバイスをしてくださって、ありがとうございました。
ここに、沢山吐き出せたことによって、気持ちが楽になりました。
急ですが、これからは、肉王さんにもらったアドバイスを思い出しながら生活をしていきたいと思います。
また、ここに来ることが、もしかしたらあるかもしれませんがその時はよろしくお願いします。 
今まで本当にありがとうございました。



Posted by at 2017年04月04日 09:47
私は本当に役にたったのでしょうか。
いつものことですが、全然自信がありません。
ただ、若い人に簡単に死んでほしくないという気持ちだけで書いています。
もしまた書きたいことができたら、いつでも遠慮なく書き込んでください。
そして、楽しく生きてください。
Posted by 肉王 at 2017年04月05日 00:17
以前からコメントをしたいと何度も思ったのですが、もう気力も無くどうすればいいのかわからないのでひとまず言わせて下さい。
ブログを書いてくれてありがとう。
みんなを助けてくれてありがとう。
自分はそろそろ駄目かもしれないので。あなたに伝えたいことを要約すると、やはり感謝しかありません。
Posted by 3541 at 2017年05月07日 02:00
>3541さん

しばらくコメントの確認をしていなかったので、気付くのが遅れてしまいました。
私のような駄目人間相手にすら、感謝の言葉を述べられるあなたの存在を嬉しく思います。
私もあなたも、もっと自分の都合をごり押しできる生き方をすれば楽なのかもしれませんね。

いつかどこかで会いましょう。

こんなフワフワな約束でも、無いよりもあった方が、まだ自分にも何かあるような気がするじゃありませんか。
ゴリゴリに生きられないなら、フワフワと生きていきましょうよ。
Posted by 肉王 at 2017年05月14日 21:16
会いましょう、と誰かに言ってもらえることがこんなにも嬉しいものだとは思いませんでした。いつもとは違う涙が久しぶりに出た気がします。

たとえフワフワでも、生きられる日がもし来たなら。その時はあなたにお会いしたいです。
返信ありがとうございました。
Posted by 3541 at 2017年05月18日 23:22
こんばんは
14のガキが戯言を言いに来ました。

5、6年前から漠然と死にたがっていましたが、
全うな理由がありません。

挙げるなら、
怠惰による願望でしょうか。
生きている以上、楽しいこと、嬉しいことはありますが、
いずれも疲れ、苦しみが伴っている気がして、
無に強く惹かれていて
とっつきやすい無が死だっただけかなと。

私は働いていませんから、
社会的に利益を生み出さず
資源を消費し続ける身分ですし、
成人しても大した益は無いと予想できます。
だから死んでもいいんじゃないかと
屁理屈をこねながら、
遺書は書いた方がいいのかも知れないと
検索してきた次第です。

なんだかんだ言っていますが、
今まで死んでいないということは、
御察しの通り
そんなに焦って死のうと思っていなければ、
本気で死のうという気も他の方より
無いと思います。苦しいのは嫌ですし。

でも、そろそろ首吊りで死ねそうな気がします
小説が書き終わりそうで
そうなればいよいよ生への未練が無くなるので
以前首を絞められた時意識を失う直前で
本能が止めさせましたが、
今時間さえあれば死ねるのではないかと思うと
不思議な程寛容に、穏やかでいられます。
やはり唯の怠惰では
自殺することの責任を満たして居ないのでしょうか。

長々としょうもないことで貴方の時間を奪ってしまってごめんなさい。
よろしければ返信お願い致します。
Posted by 安&#37636; at 2017年05月31日 23:33
>安&#37636; さん

はじめまして。
返信が遅れて申し訳ありません。
あと、名前が文字化けしているようなので、もう少し簡単な名前にしてもらえると助かります。

さて、14歳というのは中々に多感な時期ではあります。
しかし、多感というのはあくまで自分の感情に対してであり、一方で他人の感情には無関心であったりする自分勝手な年頃だったと記憶しています。

世の中の多くの人は、中学生くらいの時には必ずと言っていいほど死にたくなります。
それはあくまでもロマネスクな意味であり、実際本当に死んでやろうという意気込みは無いようです。
中学二年生や三年生となると、周囲では受験の話題など出始めて、それまでの人生ではあまり意識をしたことのない「転機」をそこはかとなく感じだす頃合いでしょう。
人は誰でも環境の変化に対しては少なからず不安を持つものですから、そこから逃避したいという気持ちが芽生えます。
大人になりたくない、社会に出たくない、明日も今日と同じであってほしい、そういう気持ちに近いでしょうか。
そんな気持ちになった時、どんな逃避が考えられるのか。
実際に逃避的行動をとると、学校へ行かなくなったり、家から出なくなったりするのでしょうが、多くの場合は世間的な体裁を考えて多少抗いながらもみんなと同じ行動をとるようになります。
ところが、みんなと同じ行動をとったからと言ってそれで精神的な平穏が得られるわけでもないので、抜け駆けをするような感覚で「死」を考えたりしてしまいます。
分かりやすく言うと、追い詰められて選ぶ死ではなく、面倒くさいことをキャンセルしてしましたいという死です。
あなたは具体的に「首吊りで死ねそう」と書いていますが、それはあなたが自殺の手段として「首吊りしか思いつかない」という安易な気持ちでいることの表れのような気がします。
また、「働いていないから利益も生まずに無駄に資源を消費するだけだ」とも書いていますが、14歳が利益を生まないのは当然で、資源を消費するのはどんな人でも死ぬまでそうなのです。

たぶんあなたは、現在の自分の立場や価値を過小評価してクヨクヨしてみせているだけなのではないでしょうか。
周囲の誰かに軽んじられて、すねているのではないしょうか。

あなたは小説を書いていると言っていますが、何故小説を書こうと思ったのでしょう。
他人と違う自分の価値を探したかったのではありませんか。
あるいは、小説で成功すれば、ほかの人達と同じような苦労や努力をしなくても済むかもしれないと考えましたか。
まあ、それはともかく、小説を書いて何を感じましたか。
自分の無知や不見識を思い知りませんでしたか。
私は自分の馬鹿さ加減に思い切り打ちのめされました。
毎日見ている花の名前を知らない、星の名前を知らない、魚や動物の名前を知らない、自分の泣き笑いばかりが重要で他人にもそれがあることを知らない、お金の使い方を知らない、笑って理不尽を受け入れる勇気と悲しさがあることも、家族や友人が昨夜泣いたかもしれないことも、自分にはまだ本当の愛情が育っていないことも、何も知らない自分がありありと浮き彫りになって、悔しい思いをしたことを覚えています。

あなたにはまだまだ時間があり、これから先、「心の中で」無数の小説を書いていくことになるでしょう。
その中から本当に大切なことが一行、また一行と残って、いつかあなたの分身のような小説が出来上がるかもしれません。
今「死のうかな」と思っている感情だって、ちゃんと覚えてさえいれば、いつか書く小説の、ほんの一行として現れることでしょう。
そういう日が来るまでは、まだ死なないほうがいいのではないでしょうか。
渾身の一作が書けたとき、あなたはそれなりの年齢になっているでしょうから、その時にもう一度、死について考えてみるといいのではないかと、私は思います。
Posted by 肉王 at 2017年06月06日 00:51
はじめまして、20歳フリーター、夏望と申します。

遺書や自殺について調べているうちにこのサイトに辿り着きました。

私は約1週間後に自分の命を絶つつもりです。

約10年間好きだった幼馴染に振られ、その上彼氏とのキスを偶然見てしまったことが大きな理由です。

私の10年間は幼馴染のことでいっぱいでした。
幼馴染の隣にいるために生きてきたつもりです。
この先、私の隣に幼馴染がいないことを考えると将来に希望を持てません。例えこの先生きていたとしてもこの事が忘れられず苦痛と虚無感を感じ続ける事は目に見えています。なので、
このタイミングで全てを終わらせようと考えました。

こんな理由で死ぬことは他から見れば幼稚で
安易なことかもしれませんが、何も考えずただ適当に生きるだけの人生を送るよりかはマシだと思っています。

やはり、牢名主さんから見ても死ぬ理由には至らないと思いますか?


文章を書くのが苦手なので、稚拙でまとまりがないかもしれませんが、よろしければ返信お願いします。

Posted by 夏望 at 2017年07月22日 02:32
>夏望さん

返信遅れて誠に申し訳ない。

失恋は辛いです。
確かに辛いものなのです。
しかし、辛さも恋心のうちなのです。
自分が上手くいっている姿だけしか見えないのが恋だ、と言った人もいます。
相手の事を考えるようになって、初めて恋は愛になるらしいです。
これまで沢山の人間が失恋を経験し、立ち直れないくらいに打ちのめされてきましたが、そのほとんどの人達がいつの間にか立ち直り、次の恋を探してきました。
若い方には理解不能の、とても不誠実な行動に映るかもしれませんが、どうやら人間とはそういうもののようです。
恋愛に対する価値の軽重は人それぞれ違うのでしょうが、いざ行動となると皆同じように振る舞います。
幼馴染みがいつの間にか自分以外の人間と親しくなっていたというのは、確かに衝撃的でしょうが、それはあなたを置き去りにしてどこかへ去っていったということではなく、あなた自身がずっと同じ場所に立っていたことに気付かされて動揺しているのではないでしょうか。
一週間後に死のうというあなたの行動には、少し冷静な部分があって、その間に考えが変わるものなら変えてみたいという希望があるのでしょう。
大丈夫、次があります。
武田鉄矢も「思えば遠くへ来たもんだ」と言う歌の中で、「二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた」と歌っています。
私は若い頃の恋心とは確かにこういうものだったと、納得してしまいました。
女と違って男は失恋から立ち直るのに時間がかかるようですが、いずれジンワリと良い形で受け入れられるようになりますよ。
https://youtu.be/_GkXswgSvZM
Posted by 肉王 at 2017年07月24日 03:33
返信ありがとうございます。
とても励みになりました。

正直なところ現時点も生きるか死ぬかを迷っています。「終わらせたい」と強く思う中で「まだ生きていたい」と思っている部分もあり、何かあるごとに逆転したりて壊れた天秤のように極端に傾きます。そして、この精神状態は正常ではないことも理解できています。この状態から立ち直れたとしても、この先自分の理想に届く生き方ができる自信もありません。

自分で決めた時間は残り少ないですが、返信して頂いた内容も参考にして、もう少し考えてみたいと思います。
Posted by 夏望 at 2017年07月25日 00:36
>夏望さん

迷っているのならば、答えは一つです。
生きておきなさい。
理想の通りに生きていけるかを考えるのは素晴らしい事です。
しかし本当に素晴らしいのは、どんな苦境にあろうとも理想を抱いて生きることだと思います。
大人になると、理想を失うと言われることがあります。確かにそういう人が多いかもしれません。
しかし誰であれ、自分にも理想があることまでは忘れていないと思います。
ただ、ほんの一瞬、欲や怠惰な気持ちに負けて、理想を脇に置いているだけです。
人は理想さえあれば、自分の身を正して生きることができます。誰も見ていない所でも、自分自身の眼だけはごまかせないからです。
しかし決して重く考えず、軽くポケットに入れて持ち歩くような感じで、理想と付き合ってください。
理想を持っても、それに振り回されないことも大事です。
あまり理想を重くし過ぎると、国会前でデモをしているオジサンやオバサンのように視野の狭い人間になってしまいます。
パソコンのデータのようにいつでも書き換えられるように、でも基本のOSは無くしてしまわないように。
そんな感じで理想と付き合ってください。

あと、ざっくばらんな話ですが、「恋はまた来る」と思っていてください。
いい加減なことを言うなと怒るかもしれませんし、これ以上の恋などないと今は思っているかもしれませんが、何故か必ずまた来るものなのです。
Posted by 肉王 at 2017年07月25日 02:52
度々の返信ありがとうございます。

私が現時点で「死」という選択肢を選んだのは
もう1つ理由があります。それはケジメです。
今までを無駄にした責任を、このどうしようもない状況を作った責任をどうやって取るかを考えた結果、出たのが「死」という手段でした。

それでも、死にたくないと「死」以外の方法を考えて「完璧な人間になる」、「表舞台に立つ仕事で有名になる」など具体性がないものばかりでした。要は今の心の空洞を承認欲求によって埋めるという事を目的にしたことばかりでした。

精神面は別として「20歳フリーター」という状況を客観的に見れば上記の方法も時間をかければ可能だと思います。しかし、それには膨大な時間と想像を絶する努力が必要です、今の自分にはその「努力」をできる自信がありません。

だからこそ、努力する「理由」が今の私が一番欲しているものだと思います。

長文で思っていることをそのまま書いたので
わかりづらくなってしいました申し訳ありません。
Posted by 夏望 at 2017年07月25日 04:54
>夏望さん

若干二十歳にして今までを無駄と断じるのはいささか早計だと思います。
あなたの言う完璧な人間や表舞台に立つ仕事や人間がどういう人たちを想定しているのか分かりませんが、そういう人達にも無駄な時間など沢山あったのではないでしょうか。
あまりせっかちに物事を考えると、人間性や物事を表面上の印象だけで判断しようとしてしまいませんか。
無駄は悪いもの、浪費は悪いもの、欠陥は悪いもの、失恋は悪いもの、間違いは悪いもの、そして悪いものは認められないものであり取り返しのつかないものであり価値のないもの・・・。
そんな風に位置づけると、人生とは何と余裕も無く味気ないものでしょうか。
あなたが努力をしたくない気持ちに理由をつけているだけと言うならば、放っておいたほうが自然だと言えるのですが、努力をする理由が欲しいというのはいささか虚しいような気がします。
それは、「餌が無ければ走れない」とすねている競走馬と同じだからです。
私は努力に理由など必要ないと思います。見返りを求める気持ちも分かりますが、あなたの努力に対して、一体どこの誰が見返りをくれるというのでしょうか。
あなたが言っていることは「自分はやればできる人間だから、誰か俺の面倒を見てくれ」と言うことではないでしょうか。
それは子供の妄想です。
自分の理想に近づくには、膨大な時間と想像を絶する努力が必要だと分かっているなら、今ここでクヨクヨ悩んでいる暇はないでしょう。
努力の理由など、今は考えなくてもいいのではないでしょうか。
山の頂上に至った時、自分が何故山に登る努力をしたのかが分かるものなのではないでしょうか。
20代、30代、40代と歳を重ねるにしたがって頭も体も衰えていき、時間の進み具合がいやに早く感じるようになります。そして腰を上げるのもおっくうになってきます。そんな自分を慰めるように、今度は理想のハードルを下げようとし始めます。私はそんな誘惑と戦うような気持で日々を過ごしています。
今のあなたには無限の時間がありますが、同じ場所に佇んでいればそれは苦痛な時間になってしまうでしょう。
いっそ訳も分からずやみくもに駆け出してはどうでしょうか。
そして、理由は辿り着いた場所で後から考える。その方が人生は楽しいと思います。
Posted by 肉王 at 2017年07月26日 01:45
こんばんは、久しぶりです、No.04です。
こんな時間ですが、肉王さんがお店を閉めるということを見て(たような気がして)気になってコメントさせていただいています。
前は、私の悩みをだらだらと書いていましたが中3の今悩みがなくなったというわけではありませんでした。肉王さんも忙しいとは思いますが、勝手に喋りますので少しだけ、お話をさせてください。

中3になってから、仲がよかったRちゃんとAちゃんは別のクラスになりました。クラスで仲のよい人は一人しかいなかったのですが、「去年よりは」と学校を休まないよう頑張りました。

しかし、私が頑張ると同時に周りに影響が出ていることが分かったのです。
私と仲のよい人たちが、つらい目に遭っているいるということ。
偶然かもしれません。しかし、そうとはとても思えませんでした。あまりにも、そのように感じる人が多かったのです。
それで自分を責めてしまい、罪悪感が重くのしかかりました。
「私が皆と接しているのが悪い。一人ぼっちでいればいいんじゃないか」
そういう考えに至ってしまい、何も感じない「機械」のような考えを目指しました。
辛くて体が動かないときもありましたが、「自分は機械だ」と暗示をかけて強引に動かしました。

そして、そんなことを続けていたら倒れる直前にまでなっていました。
学校で倒れそうになり、早退をしました。
中2のときよりも症状がひどく、息をするのも大変。保健の先生には、「病院に行ったほうがいい」とさえ言われました。
しかし、私はそのことを親に伝えませんでした。前に、同じようなことを言って怒られたからです。
「お前の体調管理が悪いからだ。そんなお前なんかに払う金はない」
親が早々変わるわけはないので、言うことさえしませんでした。

ところが、つい最近親も私と同じ症状が出るようになりました。
出たのは父なのですが、私と同じことを言っているくせに母は父を甘やかします。
「無理しなくていいよ、ゆっくり寝てな」と。

疑問を感じると同時に、とても悲しくなりました。同じ症状を訴えても、娘より父のほうが大事なのか、と。目の前でそれを見たときは、得意の「機械」で何ともなかったのですが部屋に入ると涙がこぼれました。

「機械」のせいで、元の健康な体に戻れなくなっている。感情を感じる事さえできなくなっている。でも、機械がないと私ではなくなってしまうかもしれない。  そんな考えが頭の中をぐるぐる回っています。

受験生でもあるので、悲しんでいる暇はないと思うのです。わかっているつもりなんです。

肉王さんは、「機械」をどう思いますか。また、感情がいらないと思う瞬間はありますか?




返信、忙しくない時で大丈夫です。最悪1年後でも…(笑) そしてすみません、長くなりました
Posted by No.04 at 2017年08月07日 01:23
> No.04さん

お久しぶりです。
1年ぶりでしょうか。
何だかんだで2年位のお付き合いになりますね。
私の事で心配してくださってありがとうございます。うちのような吹けば飛ぶようなお店は、ちょっとしたことで傾いたり生き返ったりします。
今回は少し自分には重過ぎる荷物を背負ってしまったことが原因で大きく傾きましたが、今は何とか立て直しが出来そうなところまで復活しています。

さて、No.04さんも、今は夏休みでしょうが、受験を控えて心身ともに目まぐるしいでしょう。
この時期は誰でも神経質になって、体調を崩してしまうものです。
仲の良いお友達も、きっと同じように体調を崩しているのでしょう。
人間にはそれぞれ事情があり、それを敏感に感じ取ってしまうのは、No.04さんの優しさなのかもしれません。
しかし、相手に取ってはその優しがどう映るかは分かりません。
「見くびってもらっては困る」と言う人もいるでしょうし、「もっと優しさを下さい」と言う人もいるでしょう。
私は、皆さんの事を知らないので、何とも言えませんが、きっとみんなそれぞれの事情で疲れているだけであって、No.04さんとは無関係なのではないかと思っています。
人間は案外強い生き物なので、誰か一人の影響で大勢が心身を病むというのは中々無いものです。
多分、No.04さんの考えすぎではないでしょうか。
でなければ、No.04さんが「自分の不幸や不遇をみんなに見てもらいたい」という、少し変化球の自己表現なのではないかと思いました。
前にも書いたと思うのですが、No.04さんは少し気が散りやすいタイプだと思うので、自分のするべきことを見失わないようにした方がいいのではないでしょうか。
今だったら、希望の学校へ進むことを大事に考えた方がいいのではないでしょうか。もちろんそればかりと言う訳にもいきませんので、色々迷うとは思いますが、目標だけは見失わないようにしてください。

さて、ご両親の事ですが、母親が自分と父親とを平等に扱ってくれないということですが、それは当たり前の事です。
ご両親はあなたの「親」であると同時に、あなたを除いた「夫婦」という関係でもあります。
子供の立場からは中々理解できないと思いますが、仕方のない事ではあります。
とは言え、子供を大事に思っていないというわけではなくて、同じように大事なものであっても「扱い方が違う」と言うこともあるのです。
例えば、あなたも持っているであろう、「家の鍵」と「携帯電話」と「財布」に置き換えてみましょうか。
どれも大事さにおいては優劣をつけられないけれど、同じポケットには入れないで持ち歩くでしょう。
財布はバッグ、携帯電話は利き手に近いポケット、家の鍵は走っても落とさない所と、それぞれの役割や使用頻度に合わせた場所に収めるものです。
なので、歳をとって体にガタがきかけているお父さんと、若いのにクヨクヨしているNo.04さんとでは、それぞれに扱いが違うのも当然なのです。
むしろそういう時にこそ、「お父さん、大丈夫?」と声をかけてみた方がいいでしょう。
「同病相憐れむ」という諺がある通り、同じ辛さを味わうと、簡単に心が通じ合ったりするものです。

最後の質問の「機械」について。
機械というのは便利なものです。仕事をさせれば文句を言わずに壊れるまで働いてくれます。正確さにおいても、調整さえすればミクロンの単位での作業も簡単にこなしてくれます。
おかげで生活に必要なお金を稼いで、家族を最低限幸せにしてくれます。
だから、家族や人生を大事にする人は、機械も大事に扱います。
機械を蔑み、粗雑に扱う人は、人間の事もそのように扱う人です。
機械に限らず、道具の扱いを見れば、その人がどういう人か一目瞭然です。
機械を大事に思う人の中は、機械にも心があると思う人も多いようです。
勿論本気でそう思っているわけではなく、人に対するように、物にも愛情をもって接することが大事であると言いたいのを、照れ隠しで「機械にも心が」と言っているのです。
分かりますか。
人間には愛情があります。
人間は愛情を大事に思って生きています。
それを失ったら、人間ではないのです。
嫌な人もいるし、憎い人もいるし、許せない人もいるのが世の中ですが、何故そうやって誰かを、あるいは自分を憎むのかというと、そういう人達とも自分は心の奥底で、まだ見ぬ愛情でつながっていると直感しているからです。
そういう正体のわからない愛情に対して、人は時に恐れたり煩わしさを感じたり理由も無く感動したりします。
まだ若いNo.04さんにそれを分かれというのは無理でしょう。
私自身がまだ分かっていませんし。
しかし、そういう愛情を理解しようともがくのが人間の精神活動だと思うのです。
感情がいらないというのは、幼い理屈にしがみついている自分の事を大事にしてくれない周囲に対する八つ当たりでしかありません。
漫画やラノベの主人公ならそれでもいいかもしれませんが、私はそんな浅はかな主人公が出てくる漫画は読みたくないですね(笑)
感情がなくなるというのは、悩みが無くなるというのではなく、悩みを感じる感性が無くなるということです。
死にたくも無く、生きたくも無く、寂しくも無く、楽しくも無く、腹も立たず、好きも嫌いも無い。
病気以外でそんな人がいるとしたら、誰からも大事にされないどころか、道端の石ころ以下の扱いになってしまうでしょう。

No.04さんは、一日のうちで、1時間くらい散歩をしてみてはどうでしょうか。
私もよくやりました。
私は学校や職場からの帰り道をなるべく毎回違うコースにしましたよ。
そして、家々やお店や歩いている人などを見ながら、その家で暮らす家族を想像してみたり、庭に咲いている花を見たり、店の中で動き回る店員を心の中で激励したり、いつかその店で買い物をしている自分を想像したりしていました。
だんだんコースもネタ切れになってしまうのですが、そうしたらまた最初に通ったルートに戻ったりしていました。
今では時々バスに乗って、日頃行かない街を眺めたりしています。
そうやって知らない人々を沢山眺めていると、なんだか心の中でその人たちと家族や友達になったような気がして、愛おしくなったりします。
こうやってNo.04さんと通信しているだけでも、自分の娘と夜遅くまで人生談義をしているようで、楽しくもあります。
これもまた、見知らぬ人と心の奥でつながる正体不明の愛情なのです。
こんないいものを、簡単に捨てたりしない方がいいですよ。
そうして、大人になったら、自分の若い頃と同じような悩みを持っている子の肩を叩いて、「心配すんな!」と励ましてあげてくれるといいなと思います。
Posted by 肉王 at 2017年08月11日 01:05
&#187;肉王さん

お忙しいところ、返答ありがとうございます
お店よかったです!私は仙台の高校を目指しているので時間があればお店に行って、本と肉王さんに会いにいきたいと思っています。

返答を読んでいると、ふと「自分はもしかしたら面倒くさい人間なのでは?」と思ってしまいました。

周囲に八つ当たりをする、大袈裟な不幸アピール(?)。客観的に見ると、とても最低な人間だと私的に偽善に考えると思ってしまいます。
しかしそれは、人間らしいとも考えられるかもしれません。

疲れるんです。他人が求める「いい人」になろうとする自分が。
本当は嫌なのに、誰もやらないからと引き受けてしまう自分が少し嫌いです。自分の意見さえ言えない、弱いのかもしれません。

感情があるのが人間らしいのに、更に機械で何も感じなくなってしまったらそれこそ人間ではなくなってしまう…
それはつくづく感じました。

まだまだ知らないことだらけですが、肉王さんに教えてもらい少しずつ広い視野で見れるようになってきました。
本当にありがとうございます。

もし、大人まで生きれたら(多分生きてると思いますが)その時は、おっしゃっていたように励ましてあげたいです。

受験勉強に集中し、頑張っていきます。
Posted by No.04 at 2017年08月11日 21:49
>No.04さん

こんばんわ。
面倒くさい人間ではありません。
私の文章がおかしかったです。
実は私自身も、他人から頼まれたことを断れず、なんでも気軽に引き受けてしまう性格なので、自戒の念も込めて書いてしまいました。

他人の願いを簡単に引き受けるというのは、実はとても無責任な行動で、最後にはパンクしてしまうかもしれないということを全然考えていない不真面目な性格のあらわれなんだということに最近気がつきました。
実際にパンクしてしまうと、問題は複雑になり、頼んできた人に2倍3倍の迷惑になって跳ね返ってしまうようです。
だから、自分にそれが出来るか出来ないかをよく考えて、意思表示をすることが一番誠実なことのようです。
「全部できる」
「全部できない」
「一部できる」
自分の能力を客観的に分析してから返答するというのは、結構つらい事です。
時には「俺は馬鹿なんじゃないか」と思うこともあるし、自分を馬鹿だと認めたくないから、出来るけどやらないというスタイルでごまかせないものだろうかと思うこともあります。
No.04さんは、まだ自分の能力を分析していない上に、対人関係において極度の恐怖感を持っているせいで、預けられた荷物をそのまま背負うことばかりしてしまうのだと思います。
そんなことを続けていては、どんなに優秀な人間でもすぐに潰れてしまいます。
なので、ずっと前にも書いたように、他人との会話は半分だけ受け取るように心がけてほしいです。
その位でいいんじゃないかと、そんなことを思いました。

受験は辛いけれど、結果はどうあれその後の人生には生死を分けるほどの影響はありません。
どんなことであれ、どうにでもなるものですから、「ホントにマジでどうにでもなれ」と開き直って熱中して見るといいと思います。
仙台の高校に来たら、ぜひ遊びに来てください。
今風の古本屋ではないので、ものすごく散らかった店内のありさまに、びっくりすると思いますよ。
さて、No.04さんのお陰で、今後も頑張って商売を続ける理由ができましたよ。
ありがとう。
Posted by 肉王 at 2017年08月12日 02:12
どうも肉王さん。以前、コメントを残した3541と申します。

実は、死のうと思っていた矢先、ガンが見つかりました。ちょうど5月の下旬、ここに書き込んだ直後でした。
絶望していたところに新たな絶望が舞い込んで来た、といいましょうか。何故、このタイミングでなのか。
悩んだ末こんな形では死ねないと考え、闘病生活に踏み切りました。でもこんな日々を送るくらいならいっそのこともう…とか、いやいや初めて生きれるチャンスじゃないか、とか呆れるくらい感情がコロコロと変わります。

自らの手で自らの人生に終止符を打つ、という末路をずっと思い描いていたのに、このまま治療の効果が無ければ病魔に侵されてポックリ、ということにもなりそうです。(ちなみに、悪性度がもっとも高いとされてるものと判明しました)

肉王さん、ありがとうございました。このブログに出会えて良かったと心から思っています。あなたから頂いた言葉を、私は一生忘れません。
自殺からはズレた話になってしまいましたね。申し訳ありません。
Posted by 3541 at 2017年09月07日 22:18
>3541さん

大変な試練を受け取ってしまいましたね。
闘病生活に踏み切った3541さんの英断に、心よりエールを送りたいです。
素晴らしい判断です。
あなたは自分で自分に生きる価値を見出したのだと思います。
希望というものは皮肉なもので、いつも絶望の中でばかり見つかります。いや、希望はいつでも心の中にあるのだけれど、絶望と言う暗闇の中でこそ、より輝きを増して見えるものなのかもしれません。
今、3541さんがどんな事を考えて、どんな思いを抱えているのか、私には想像もつきません。
しかし、いつか死ぬかもしれないという結論を受け止めた上で、それでも今は生きると決めたことが、何よりも尊い生き方であると私は思います。
自殺をすると、人はそんな尊い生き方を放棄してしまうのだと思います。

こんな時には、言葉を飾ることが出来ないので、率直に書かせていただきます。
これからあなたが発する言葉、感じた事、揺れ動く心の全てが、あなたが生きることの本当の意味なのだと思います。
闘病される方に、安易に頑張れとは言えませんが、どうか限界ぎりぎりまで粘って粘って粘りまくってください。
悔しかったり、悲しかったり、辛い思いもあるでしょうが、そうやってクソ粘りするだけの価値があなたの人生にはあると思います。
この世の誰もがあなたを見捨てないし、拒絶もしません。
だからまたここへ戻って来て下さい。
いつまでも待っています。
Posted by 肉王 at 2017年09月09日 19:32
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