2015年08月18日

難問は増える

やあどうも。
お久しぶりです。
前回の更新から1年以上たっていますね。
一体今まで何をしていたのか。
死んでいるのかと思ってた人もいるだろうし、生きていても死んだように生きているだろうと思っていた人もいるだろうし、そもそも俺のことになど全く興味が無い人も大勢いただろうと思います。
まあ日常というやつは何もなければ何もないで退屈なものですが、その退屈こそが平和的な日常であり、一番の幸せなのでありますから、その幸せの中にいると特にブログを書く必要もなく、右の物と左の物の場所を移し替え続けるだけで1年の時もあっという間に過ぎてゆくわけです。

ところがそんな平和的な日常というやつは、日々少しづつ人間を劣化させていき、誰かの呼ぶ声にふと立ち止まると、社会人として、人間として、古本屋としていささか遠くへ来すぎてしまった自分と出会ったりするわけです。声の主は自分のようでもあり、友人のようでもあり、道端に置き去りにされた犬の糞のようでもあります。
近頃ひどく難しいと思えることが増えました。
例えば、文庫本を読むこと。老眼が始まったせいで、小さな文字を追うことが厳しくなってきました。
次に、パソコンのキーボードを早く正確に打つこと。デスクトップ型からノートパソコンに買い換えたこともあり、指先の感覚がかつてのキーボードの手応えからいつまで経っても脱却できません。
そして今、一番難しいのが買い物です。これは記憶力と関連があるのですが、何かを買い求めに店へ行ったのに、いざ入店すると何を買いに来たのか分からなくなっているのです。乾電池を買いに行ったのにアイスを買って帰ったり、ビッグコミックオリジナル増刊号を買いに行ったのにアイスを買って帰ったり、電気代の払込みに行ったのにアイスを買って帰ったり、かと思えばアイスを買いに行ったのに味の素を買って帰ったりしています。
この分では、新宿の土地を買いに行っても、日本国債を買いに行っても、アイスを買って帰ったりする羽目になりそうです。
今日の買物は、商品発送用の封筒です。角型1号の封筒が無くなったのが1週間前なのですが、毎日毎日「買わねば」という使命を忘れアイスばかり買っていましたが、角型1号の代わりに使っていた角型0号が底をつき始めたためようやく危機感が芽生え、頭の中でアイスの映像を無理矢理角型1号の映像に上書きして、アイスという単語を思い浮かべるたびに角型1号の映像と角型0号が底をつきかけている映像を同時に思い出す訓練を4時間したおかげで、今日も店に来る前にアイスの事を考えたので文房具屋へ行くことが出来ました。
店に入り、封筒のコーナーへ行き、角型1号の封筒を手に取ると、口に中に何故か甘い味が広がり、手には冷たい感覚を覚えました。恐らく訓練が行き過ぎたせいで、脳が誤作動を起こしてアイスと封筒を混同してしまったのでしょう。
その時、ふと脇を見ると角型3号の封筒があるのに気が付きました。角型3号は角型1号よりも小さいもので、アイスには例えられないサイズのものです。不覚にも俺はアイスと角型1号の映像の置き換えはしていたのに、角型3号の映像とは置き換えをしていなかったため、「角型3号付近の封筒にも不備があったはずだ」という閃きに対して咄嗟の処理が出来なくなっていました。
「角型3号付近の封筒は現在大量に残っているけれど、実際に使っているのが角型3号だったのかどうかわからない。しかしながらそれには、ちょうど良く本が収まることが少なく、大いなる不満を持っていた。仮に角型3号付近のその封筒を角型ハーゲンダッツ号としてだ、その角型ハーゲンダッツ号はA4サイズの書籍を入れられるとか何とか書いていたような気がするから、そうすると俺は角型3号を使っていたのではなく角型4号とか5号を使っていたことになるのだろう。だによって今度はB5サイズの本が入る封筒を買えばいいわけだから、角型3号を買えばいいのだろう。これにてさらば角型ハーゲンダッツ号」
ということを考えて、全く甘くも冷たくもない角型3号も手に取った。
この時点で俺には疑問も不安もないのです。きちんと買い物ができたという安ど感があるだけでした。その上、もうアイスは特に食べたくなくなっているのです。
店に着き、封筒の在庫を確認すると、角型3号がこれにて3つ目となっていることを知り、愕然とするのでした。なぜこんなことになってしまったのかというと、多分俺はいつかの以前(全く記憶にないので)、同じようなことを考えて同じものを買って同じように愕然としていたことをすっかり忘れてしまっているからなのです。
原因として考えられるのは、こちらの脳の具合が一番問題なのですが、それと同じくらいの問題として、世の中に似て非なる商品があふれ返っているせいなのではないかということも考えられます。
試しに薬局へでも行くとよくわかるのですが、殺虫剤からトイレットペーパーから洗剤から楽品に至る何もかもが、微妙に違う他のものが同じ棚にずらりと並んでいて、購入者を混乱させています。こうなると、痔の薬が欲しくても目薬を買ってしまいそうだし、目薬が欲しくてサンポールを買ってしまったとしても仕方がないのではないかとさえ思います。
物の数や種類が増えることで、日本人は自分の志向に合った便利な生活ができるようになったのでしょうが、代わりに応用力を失ってしまったようにも思います。サンポールで痔を治せとは言いませんが、角型3号と角型1号でアイスを食べたつもりになれる程度の応用力は持ち続けるべきなのではないでしょうか。
もちろんそれよりは、まず自分の記憶力を鍛えなおすことのほうが大事なのでしょうけれど。
posted by 肉王 at 17:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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