2006年08月21日

載せられません

夏の高校野球に浸かりっきりで、仕事が疎かになっている皆さん、こんにちは。高校野球に押されて存在を忘れられた古本屋のオレです。

毎年のことだが、高校野球は何故か涙を誘う試合が多い。球児たちが、運命の振り子に抗ってあがいている様が目立つからだろうか。自分にも若い頃があり、その時はこれほどまでに運命に逆らっていたろうかと考えると、はっきりと悔恨の念が湧く。
怠け者の自分が悪いのだが、青春時代は正直に全くもって返す返すも無念だった(変な日本語だが、それほど無念だった)。勉強も遊びも、どちらも中途半端で、華やかな記憶一つありはしない。
高校時代にやったこと・・・。アニメーション製作を一度。同人誌を2年。まともなのはこの二つくらいで、あとは麻雀、パチンコ、飲酒、喫煙、深夜徘徊、ロックンロール、虫取り、写真、パソコンゲーム、漫画、日記、云々と、ロクな事はしていない。やっていないのはバイク、窃盗、殺人、強姦、放火、覚醒剤あたりか。とかく犯罪がらみには一切手を染めていないのが唯一の自慢。まあ飲酒喫煙は見逃してもらうとして。

高校3年の夏に、野球の応援に行ったのを思い出した。
1年生の頃から、野球部に友人の多くが在籍していたので、放課後の練習をよく見ていた。オレは厳しい練習に耐えられるような健全な精神の持ち主ではなかったので、女子の多いアニメーション部に入って、のんびりデレデレと過ごすのをヨシとしていたが、一方では野球に対する思いも絶ちがたく、メソメソと陰から眺めていた。
アニメーション部の部室は校舎の4階(だったように記憶している)にあり、ベランダに出ると、校庭で駆け回る野球部の友人達が良く見えた。
そうやって熱心に観ていたわりには、試合には応援に行かず、結果だけを聞いて「また負けたかのかよ」と言ってからかっていた。
しかし3年になって、これが最後と思うと、もう居ても立ってもいられなくなって、夏の大会の県予選の応援に駆けつけた。初めて応援に行った試合は彼らにとって最後の試合だった。友人達は最高の試合をしたが、ショートのトンネルで負けてしまった。ショートは特に仲の良かった友人で、彼が試合後に声をあげて泣いているのを見て、不覚にもオレも涙が出た。
その時、オレは高校生活で何も残していないのに気が付いた。今流している涙が実は何の意味も無い只の貰い泣きだと知り、本当の涙が出るほど思い入れをもって臨んだことが何一つとして無い自分が虚しくなった。

その頃オレは、文章を書くことに興味を持っていたが、同人誌なども5冊出したきり、それ以降は1年以上宙に浮いたままで、せいぜい日々の日記を記すのみだった。いつかまたやればいいさと安易に考えていた。自分で言うのも幅ったいが、その同人誌にはとてつもない才能の人物も参加していて、その中で切磋琢磨しているうちに、自分にも多少の才能があるんじゃないかと錯覚していた。今は宙ぶらりんでも、いつか本気を出して書くんだ、なんて甘く考えていた。そんな考えは怠け者の言い訳で、そういうヤツがモノになった試しはないということに、その頃は気がついていなかった。
だから、友人達の頑張りを見てその気になって「卒業までに、いっちょう小説の一本くらいモノにすっか」と考えたのは、オレの持って生まれた浅はかさゆえの思い付きだった。

知人の紹介で、地元で活動している同人誌の会長さんと会ったのは、野球観戦から1ヶ月も経ったころだ。
会長さんはその時まだ20歳の女性で、Bさんという地元の大学生。会員は約10名ほどで、年齢は15〜40歳くらいと幅広かった。年間5千円の会費で、会誌を年に2冊出し、内容は小説・エッセイ・詩などのオリジナル作品限定。会誌の名前は失念してしまったので、仮にA誌としておく。
オレは、Bさんと会うにあたって、それまでに書いていた短い小説を2本持って、待ち合わせ場所へ向かった。場所は繁華街の喫茶店で、時間は夕方だったように思う。
場所に着くと、すでにBさんは待っていて、ニコリともせずに「こんにちは」と折り目正しく頭を下げた。
今考えると、初対面の男と会うのに女性が一人で来るなんて信じられないが、当時はやはりまだのんびりした時代だったのだろう。
Bさんはオレの持ってきた小説を受け取り、かわりにA誌を差し出してきた。こういうものを作っています、というわけだ。それは卒業文集のように、紙を糊で綴じただけの粗末な作りだったが、文字は全て活字だった。
オレは黙って受け取り、Bさんがオレの原稿を読んでいる間、パラパラとA誌を流し読みしていた。
「大筋ではA誌と外れていないと思います」
「はあ、大丈夫ですか」
「でも、これは載せられません」
「はあ、なるほど」
「次回の仮の締め切りまで、3ヶ月ありますから、それまでに新しいものを書いてきてください。そこで預かった原稿を本締め切りの一ヶ月前までに、一度私が校正します」
Bさんはとても事務的にテキパキと言い放った。
「締め切りが二度あるんですか」
「A誌に載せる前の選考も兼ねています。会員は10人程度いますが毎回全員が載る訳ではありません。ページ数の都合もあるし、結局書けない人もいますから」
「A誌は全部活字なんですね」
「私がワープロで書き直しています」
当時は同人誌といえば、文字は手書きのものが多かったので、活字というのが新鮮だった。何だか、自分の文章がキチンと形になる誇らしさを感じさせた。
それがBさんの努力の結晶とは恐れ入った。毎回全部の作品をワープロで打ってくれるなんて、今考えても大変な労力だ。ひとしきり感心した。

3ヵ月後、オレは約束通り原稿を完成させて、前回と同じ喫茶店でBさんと再会した。原稿用紙20枚ほどの小品だったが、何度か書き直した甲斐もあり、それなりのデキに仕上がったと思っていた。
しかし、Bさんは一通り読み終えるなり、あの事務的な口調で言った。
「載せられません」
「ダメですか・・・」
「足りないと思います」
「何が足りませんか」
「さあ、なんでしょうか」
「さあ」って、そりゃ意地悪な、と思ったが、格好悪いので言わなかった。それはオレのささやかなプライドだったのかもしれない。
「本締め切りまではまだ一ヶ月あります。その間であれば、何度でも拝見します。勿論、時間があえばですけど」
「頑張ってみます」
オレとしては、もうこれ以上どこを直せばいいのか分からなかったが、とりあえず最初から書き直すつもりで再度挑戦した。
そして10日後に再びBさんと会った。
しかし、答えは同じだった。
「載せられません」
「新しいのを書いたほうがいいんでしょうか」
「いえ、この話でいいと思いますよ」
「どこが悪いんでしょう」
「ええと、そうですね。まず、誰に読んで欲しいかを考えてみるといいかもしれません」
「誰に・・・ですか」
「自分が読みたいように書くのでは駄目だと思います」
それを聞いて、ああなるほど、と合点がいった。しかし、それは初歩のヒントであり、問題はまだ隠れて山積していたことを、オレはまだ知らなかった。
そして更に10日後に、最後のチャレンジのつもりでBさんの前に立った。今回は、まだ見ぬ読み手を想定して、俯瞰の視線で書き直した。
しかし、Bさんの牙城は生半ではなかった。落ちないったらありゃしない。
「載せられません」
「あの、一つ聞きたいんですけど、オレの作品は良くなってますか、悪くなってますか」
「悪くなっている部分は無いと思います。でも、やっぱり足りない部分が置き去りのままです」
「それが分からないんですよ。どこの何が足りないのか」
「さあ、それは・・・教わって分かることじゃないと思いますよ」
結局、本締め切りには間に合わず、オレの原稿は次回へ持ち越しとなった。次の締め切りはおおよそ半年後だという。オレは、多分もう書けないだろうなと思いながらも、完成したら連絡する約束をした。
その後はしばらく文章を書く気にもなれず、なんとなく過ごした。高校は卒業し、何の目的もなく次の学校へ入るころには、すっかり小説のことも同人誌のことも忘れていたが、突然Bさんから電話連絡を受けた。
「書いてますか」
「ああ、いや、書いてないです」
「そうですか・・・まだ本締め切りまで1ヶ月ありますよ」
「でも、もう何を書けばいいか」
「そんな・・・まだ一つも書いていないじゃないですか」
「でも、あれが精一杯で。それに何が足りないのか分からなくて」
「一度、会いませんか。私も少し不親切だったと反省しています」
本当はもうBさんと会うのは厭だった。頑固で融通の利かない職人の師匠と会うような息苦しさを味わうのが苦痛だった。また、もう小説なんかどうでもいいと思っているオレを見透かされるのも怖かった。
なんとか誤魔化してこれっきりオサラバしようと思ったが、「是非見てもらいたいものがある」というBさんに押し切られた。
そうして、例の喫茶店でしばらくぶりにBさんと会った。Bさんは何も変わっていなかったが、いつもよりは少し柔らかな雰囲気を漂わせていた。
Bさんは封筒からワープロで打たれた原稿用紙を取り出した。
「失礼とは思いましたが、あなたの小説を私なりに解釈して書いてみました」
読んでみてください、と手渡された。それは確かにオレの書いた小説のタイトルだった。しかし、冒頭部分から、まるで違う話のように読まされた。主人公も同じ、舞台もストーリーも同じ。しかし、オレの書いたものとは違うものだ。素直に面白いと思った。
「書く人が変わると、面白くなるんですね」
オレは素直に感想を述べた。しかし、それは少し違うとBさんは言った。
「これはつまり、あなたが誰かに宛てたものを、私の視点で書いたという形です。分かりますか。もう一つ視点があるんです」
「ああ、そうか。なるほど」
「何かを表現する場合、それが自分自身の主義主張であっても、やはりもう一つ冷静な視点が必要なんじゃないでしょうか。創作物は、立体的になって初めて世界に現実感が宿るんじゃないかと思うんです」
現実感が宿れば、多少文章力が稚拙でも、読み手の共感を得ることが出来る。それが得られれば、それ以上の技術は、その都度手探りで探せばいい、と言うのだ。
それを聞いて、オレはまた小説が書きたくなった。
「今回のこの話は、もうBさんの物になってしまったので、今度また新しいのを書いてみます」
「そうですか。良かった。期待しています」
オレはその晩から原稿用紙に向かった。書こうと思えば、ネタはいくらでも思いついていた時期でもあったが、これまではその手段を持たなかった。しかし、今日突然、その手段を得た。創作にあたっての考え方が変わると、切り口も変わるし、文体も変わる。始めのうちは若干手間取ったが、方向性がハッキリするとさほど迷わない。
そうして出来上がったのは、またも20ページほどの小品だったが、自分なりに満足のいくものだった。
小躍りしそうなほど嬉しくて、早くBさんに見てもらいたかった。Bさんも、そういうオレの気持ちを汲んでくれたのか、すぐに読ませてくださいと言った。
翌日、Bさんに原稿を手渡すと、Bさんは原稿を風のようにめくり、ニッコリ笑って言った。
「載せられません」
呆然とするオレを見て、Bさんはまた笑った。
「だって、本締め切りはもうとっくに過ぎているんですから。これは次号に載せますね」

この後、A誌には2作品ほど載せてもらったが、Bさんの大学卒業とともに、編集責任者が他の人になってしまったし、オレも就職を目の前に控えていたので、それを理由に脱会した。
あの時のオレのペンネームは「鈴原正芳」だったが、もし手持ちの同人誌にその名前を見つけた人は、コッソリと読んでみて欲しい。
残念なことに、オレは当時の原稿もA誌も処分してしまっているので、何がどんな風に書かれているのか、誰がどんな話を書いているのか殆ど覚えていない。
そして今、古本屋になって一番恐れているのは、何かの間違いでA誌が入荷してくることだ。
posted by 肉王 at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 読み物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

兄弟の話を一度だけしてみよう

ここでこんな話をするのもどうかと思うが、今回は兄弟の話をしてみようか。
先日、久しぶりに兄に会う機会があって、それから何となく兄弟の関係について考えていた。
しかし、考えても考えても兄弟という関係の摩訶不思議についてどうも答が出ない。歴史については語ることが出来るが、そこから何が導き出せるのかが分からない。分からないからとりあえず書いてみようか。そうしたら何か分かるかもしれない。

オレには兄がいる。年齢で4歳半、学年で5年離れている。昔は小学生などをやっていて小学校へ通ったりしていたようだが、現在は公務員などやって県庁へ通っている。妻も一人いて、子供は三人もいる。まあ、この一文だけでオレとどのくらい差があるかご理解いただけるだろうと思う。この差は、今日昨日ついた差ではない。恐らく、生まれた時から既についていた差だと思う。
世間でよくある兄弟の性格分担だと、長男はのんびり型で大らかで悪く言うとウスノロタイプ、弟ははしっこく世知に長けているチャッカリタイプということが多いが、オレと兄は逆になっている。兄は幼少の頃から明るく朗らかで友人も多く信頼も厚い。よくクラス委員などを任されていたようだ。オレが小学校や中学校へ上がると、古株の教師から「おおキミがあの川村の弟か」と言われることがあったから、何くれと名を残したのだろう。オレが小学校へ入った時、6年生だった兄のクラスの女子が数名、オレのクラスへ押しかけてきてキャーキャー騒いでいたことがある。あの時は何の事か分からなかったが、今ならば、それだけ人気者だった兄の姿を想像できるエピソードだ。

兄についての初めての記憶をたどる。オレの目に始めて登場した兄は、夕闇の中で母親に手を引かれていた。オレはその母親の背中にいる。多分、オレは1歳半から2歳かそこらだと思う。どういうわけかオレには、その頃からの記憶がある。勿論、連続的な記憶ではない。断片的なものだ。
その頃、オレの一家は仙台市の追廻というところに住んでいた。その家には風呂が無かったので、夕闇とともに(たまに)銭湯へ行くことになっていた。兄は手におもちゃを持っていたようだ。オレは何故か銀色のメダルを持っている。金メダルではないところがその後のオレの人生を暗示している。
オレは母親と一緒に女湯へ入った。兄はどっちだったか分からない。父親がいれば男湯へ入ったのだろうが、その時はいなかったように思う。
オレはその時、手に持っていた銀メダルを湯船に落として紛失してしまい、帰り道で兄に何か言われていた。オレはその辺りではもう言葉を理解していたが、多分上手くは喋れなかったのだろう、兄に何か言われるたびにワンワン泣いた。
兄は、小さいときから所謂「こまっしゃくれ」だった。何でも理解して、何にでも口を挟んだ。
落ち着きがなく何かにつけてハラハラさせられた、とは両親の証言だが、それだけに物語も多い。個人の名誉のためにその辺には触れないが。
その後、オレが三歳の頃に一家は現在の地(仙台市内某所)に居を移すのだが、そこからはオレも記憶が一本化するので、話がしやすい。

兄弟にありがちなことの一つに、兄の行くところへ弟も付いて行きたがるというのがある。男兄弟に限らず、誰にだって覚えがあるだろう。オレもその口だった。普通の兄は、弟の面倒なんて煩わしいので、付いてくるのを振り切りながらどこかへ遊びに行ってしまうものだ。しかし、オレの兄はわりと何処へでも連れて行ってくれた。時々追い払われたこともあったが、オレにとっては総じて面倒見がよかったという評価である。

オレが6歳の頃、酷い怪我をしたことがある。子供用の(大人用は無いが)足こぎ自動車で遊んでいた時のことだ。運転席に段ボール箱をかぶせて、「戦車だ」なんて言って遊んでいたところ、後ろから兄が強く車を押した。弾みで前輪が浮き上がり、オレはそのまま後ろに倒れこんだ。頭をしたたかに打ったが、オレも兄も笑っていた。しかし、起き上がって頭に手をやると、べったりと血が・・・。段ボール箱を突き破って、とがった石が後頭部に突き刺さったのだ。オレは流血を確認した後に号泣。兄は母親を呼びに行ったが、何故そんな事態になったのかは白状しなかった。その時後頭部に出来た傷は未だに残っているし、脳波の異常も現在までそのまま続いている。大爆笑している兄の顔も、未だに記憶にこびりついている。
それでも、オレは兄の後を追うことをやめなかった。兄が覚えた遊びや興味を示すものなどが、オレにも等しく価値があるように思えたからだ。
例えばマンガ。
オレが7歳の時に生まれて初めて買ったマンガは、藤子不二雄の「魔太郎がくる」の5巻だったが、それを買ってくれたのは兄だった。オレは本当は「マジンガーZ」が欲しかったのだが、それが無いという事で、兄が代替品を選んでくれた。その時、兄は手塚治虫の「魔人ガロン」を買っていたように憶えている。しかし、マジンガーZの代替品が魔太郎とは・・・。「ま」しか合ってないし、どちらかというと魔人ガロンのほうがマジンガーに近いんじゃないか?多分、兄は代替品に「自分も読みたいもの」を選んだのではないかと思う。まあ、推測だが。
なんにせよオレのマンガの歴史はそこから始まるのだ。そして、後にオレが追いかける松本零士や望月三起也、吾妻ひでおなどは全て兄が先鞭をつけ、オレがその後を追う形となる。
兄は性格的には新しい物好きで飽きっぽいので、先鞭はつけるが、すぐに放り出してしまう。オレはそれを拾い集め、いつまでも大事に抱える。そういう構図がこの頃から出来上がっていたのだと思う。

マンガを始めとして、音楽や小説なども兄の影響が色濃く反映している。文章を書くのも兄の影響だ。してみると、兄は現在全てを放り出して飄々としているようだが、オレは未だにどれ一つ捨てられずに悪戦苦闘している。多分、古本屋になったのも、その延長線上で、至極当然のことなのかもしれない。
パチンコや麻雀も兄の影響だったが、パチンコなどはとうとうプロにまでなってしまった(2・3年だが)のだから、まったく罪な影響を与えてくれると思う。
今にして思うと、オレは兄の実験材料としての人生を歩んでいるような気がする。マンガを突き詰めたらどうなるか、パソコンを、文章を、パチンコを・・・その他諸々、入り口まで連れて行かれて、ドンと背中を押される。行って来い。行ける所まで行ってみて、どうなるか見せてみろ、と。

唯一オレが兄の影響を受けなかったのは何かというと、勉強だ。兄は小さい頃から成績優秀だった。要領が良かったのかもしれない。一方オレは小学生の頃から全然駄目。なにせ、たまに90点くらいとって、大喜びで親に報告しても、「お兄ちゃんは100点取っていたよ」と言われ、じゃあとばかりに100点を取って見せると「お兄ちゃんは5回続けて取ったものだよ」と言われる。もう、比較されるとキリが無い。そのせいばかりとも言えないが、オレは早い段階から勉強は諦めていたと思う。確かに、その親の言葉に説得力があるほど、兄の成績は良かったのだ。いつだったか、オレと兄の成績表を比べたことがあるが、なるほど確かに雲泥の差だった。きっと、あの後頭部打撲の影響なのだと思ったものだ。
とはいえ、オレにとっては勉強でついた差などどうでも良かった。何よりオレには、兄のしていることを親よりも理解できているという自負があった。オレより勉強の出来る人間の行動の意味を理解できるのだから、テストの点ごとき、大きな問題でもないだろうと思っていたし、兄も成績の差をひけらかすようなことはしなかった。

こうしてみると、兄は全く欠点の無い人間のように見えるが、あながちそうでもない。決断の甘さや踏ん切りの悪さなどは、小さい頃からあまり改善されていないようだ。人と意見を合わせるのは上手いのだが、裏を返せば自分の意見を通せないということでもある。それを上手く使い分けられる強かな人間も多いが、兄にその強かさは無いようだ。少し強くねじ込まれると、あっさり折れる。
多分、あまり強く自分を持たないからだと思う。それが人付き合いの良さに繋がっているので、一概に悪いこととも思えないが、始終一緒にいるお嫁さんなどは、その辺に苛立ちを覚えたりするのではないかとも思う。
その性格が災いした象徴的なエピソードがある。
あれは多分、兄が小学校6年生の頃だと思うが、そろばん塾に行ったはずの兄が、いつまで経っても帰ってこないことがあった。当時は今のように、コンビニやゲームセンターなど子供が隠れやすいところが無かったので、夜になっても帰ってこない子供がいるとなると、大騒ぎだった。とにかく、夜は暗かったのだ。
母親が塾へ電話すると、「今日は来ていない。今日どころか、ここしばらく来ていない」と言われた。
散々探した結果、兄は家の裏50メートルほどのところにある、小さくで古い農機具小屋の中にいるところを発見された。
何故そんな所にいたのかというと、兄は塾に納めるべき月謝を少々使い込んでしまったらしく、月謝を納めないと塾へは行けない、かと言って親に本当のことも言えずに途方に暮れてしまったのだった。
その晩、兄は両親に強かに怒られた。オレはその姿を見て、初めて兄に憐憫の情を抱き、また何につけオレよりも数段上の兄にもこんな弱点があったことを知った。
後に聞いた話がまた切なかった。
「小屋の中から、家の様子が見えるんだよな。母さんが何やら言って、お前が何とか言ってるのが聞こえる。夕食の匂いがして、湯気がたってるのが見える。帰りたいけど帰れない。いつまでここにいればいいのかも分からない。切なかったなあ・・・」
そりゃあ、そうだろう。そんな境遇に陥れば、大人だって切ない。
あまり書くと、兄の立場も悪くなろうから、この辺にしておこうか。
最後に、これも大人になってから聞いた話。
兄はよく、悪者に追いかけられる夢を見るという。そんな夢は誰もが見るだろう。一生懸命逃げるのだが、足が思うように動かない。重りでも付いているか、あるいは水の中を走っているようで、中々逃げられず、追っ手と距離が詰まるというヤツだ。
そういう夢を見るとき、兄の足かせは決まってオレだという。しかも、4・5歳の頃のオレだという。早く逃げないといけないのに、小さなオレが足手まといになって逃げられないのだそうだ。小さい頃に、オレを連れて歩くのがよほど嫌だったのだろう。あるいは、兄にとってのオレの存在が、いつまでも4・5歳のままということなのかもしれない。どちらにせよ、深層心理の中では、オレが迷惑な存在となっているのではないかと思う。
ただ、オレにも一言言わせて貰えば、オレがよく見る「殺される夢」の中では、いつもオレは頭を割られて死んでいくのだ。しかも、殴られる瞬間で終わる夢ではなく、殴られた・痛い・手にべっとり血が・バタンキューというシナリオだ。
こと、夢に関してはお互い様ということで決着しそうだな。

こうしてエピソードだけ連ねても、兄弟とはなんなのか、よく分からない。
振り返ってみると、さほど有難い存在でもなく、かといって迷惑な存在でもない。親ほど煙たいものでもなく、他人よりも無関心でいられるものでもない。
一番身近な他人、とでも言えばいいのだろうか。猫や犬の兄弟を見ていると、何となく分かりやすいじゃないか。兄弟同士の付き合いで、他人との関わり方を学び、加減を知る。言葉の選び方や態度次第では、他人であれば心に留めるところをそのまま行動に移して表現してくれる(殴ったり笑ったりだ)。晩飯のおかずをせしめて、うかうかすんなとたしなめ、トイレの戸を叩いてはさっさと出ろと怒鳴る。貯金箱から小銭を掠めれば証拠も無しに叩きのめされ、弱みを見せれば雨の中だろうとパンを買いに走らされる。
社会がどうやって成り立っているか、世の中の人間は腹の中で何を考えているのか、身を持って教えてくれるのもまた、兄弟のあり方の一つなのだろう。

オレは結婚もせずにきたので、結局子供を持たなかったが、現在三人兄弟の父親として、兄は兄弟をどう捉えているのか、聞いてみたい気もする。
posted by 肉王 at 19:16| Comment(3) | TrackBack(0) | 読み物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

ダ・ダ・ダ・ダ・・・

毎年恒例の怪談だから、嫌いな人は読まないほうがいいと思う。読んでから気分が悪くなっても、オレは責任を取らない。

今まで書かないできたので、本当は書かないほうがいいかもしれない話なのだろうと思うが、そういう話こそ読みたがる人も多いだろうから、思い切って書いてみようか。
細かく書いている時間が無いので、大雑把に書く。毎度毎度で申し訳ないが、今回も昔の話だから記憶が摩り替っている部分もある。そこは前後の記憶から辻褄を合わせるように努力するが、若干矛盾を含む可能性もあるので予め断っておく。
あとな、毎年怪談を書くと、決まって「あの話は本当なのか」と聞いてくるヤボテンがいる。アレには本当にシラケさせてもらうよ。本当か嘘かなんて、考えなくてもいいし、知らなくてもいいことだ。そういうモンだと思って、黙って読みたまえ。


オレが21歳の頃だから、17年前のことだ。その頃オレが岩手県にいたことはもう何度も書いた。岩手県は盛岡市の外れの小さな事務所でプログラマーとして働いていた。当時は普通の事務所だと思っていた建物だが、今思い出してみると、そこはアパートの一室だった。一階が飲食店で(昼は食堂、夜はスナックというセコイ店だった)、二階は外階段を上がった奥に住居があり、手前がオレの勤める事務所だった。事務所の中には応接セットがあったり、コピー機があったり、もちろんコンピューター(当時はオフコンと言っていた)も3・4台あった。そうやって事務所っぽく構えてはいたが、それらの機材を無しにして考えると、やはりそこは普通のアパートだった。台所があり、トイレがあり、風呂もあった。風呂場は倉庫代わりだったのでロクに覗いた事も無かった。
そんなセコイところでオレは毎晩毎晩遅くまで仕事をしていた。当時事務所には、副社長以下4人の社員が常駐していたが、日付が変わるまで仕事をしていたのはオレだけだった。能力的に作業が遅かったわけではないのだが、いつも深夜まで仕事をするのが当たり前だったのは、そういう役割になっていたからだと思う。
ある晩、組み上がったプログラムのデバッグ(修正)に手間取り、どうしても技術的なアドバイスが必要になった。時間は多分深夜0時過ぎだったと思う。その頃になると、一階のスナックのカラオケも止み、静かに仕事が出来る。が、逆に言うととても寂しい環境になってしまうとも言える。
技術的なアドバイスが必要な時には、いつも同僚のS氏(当時30歳)に電話をかけることにしていたのだが、その時は時間が遅く、いくら電話をしても出てくれなかった。仕方が無いので、当時同じく盛岡にいた同業のMちゃん(以前に書いた人)に電話をかけた。違う会社の人間でも、同じ技術を扱っているのだからいいだろうということだ。
祈るような気持ちで電話をかけたら、すぐに出てくれて、しかも問題を解決まで導いてくれた。助かった、と胸を撫で下ろしていると、Mちゃんが突然声をひそめて、ところでさぁ、といった。
「これ、何の音なの?」
「音?」
「ダ・ダ・ダ・ダって音するじゃない」
「え?そんな音してないよ」
「してるって、ホラ・・・」
と言ってMちゃんは言葉を切った。
しかし、オレには何も聞こえない。しばらく沈黙があり、Mちゃんはやはり聞こえるという。
「そっちで、Mちゃんの方でなってるんじゃないの?こっちには何も聞こえないよ」
「違うってば、アンタのほうだって。試しに、受話器を手で押さえてみてよ」
送話口を手で塞げという。
「ホラ。聞こえなくなった。やっぱりアンタの方だって」
「そうかなぁ、何も聞こえないよ。どんな音なのさ?」
「なんか叩いてるような・・・ああ、ホラ、階段を走って昇ってるみたいな感じ」
「階段って、そんなにずっと鳴ってるんじゃ、おかしいじゃん。そんなに長い階段なんてないし」
「そういう感じの音だってば。二段くらいずつ飛ばして走って昇ってるみたいなの」
「ふーん。まだしてる?」
「してる。なんか気持ち悪いよ。アンタも帰ったほうがいいよ」
「うん、これ終わったからもうすぐ帰るよ」
なんだか気味が悪かったが、その晩は特に異常も無かったし、その後同僚の間でも特に変わったことは起きなかった。

しばらくして(例の一件から一ヶ月後くらいだったと思う)、同僚のN氏から「オレの家に遊びに来いよ」と誘われた。N氏の家はS町というところにあった。盛岡からは結構遠い。わざわざそんなところへ何をしに、と思ったら、「お前の友達のMちゃんを呼んでくれないか」という。なるほど、N氏はオレより2歳上だから、Mちゃんと同い年。何時だったかMちゃんと街にいるときにバッタリ鉢合わせたついでに紹介したことがあったっけ。そうか、そういうことか。
「家のそばに大きい湖があるからさ、そこで花火でもしようぜ」
というのだ。オレに依存はない。Mちゃんに連絡を取ると、予想通り嫌がった。当時、仕事でストレスを抱えて精神が不安定だったMちゃんは、外出を極端に嫌っていたのだ。しかし、嫌がる理由はオレの想像していたものとは違っていた。
「S町って、あの・・・。昔、飛行機が落ちたところだよね」
「ああ、そういえばそんなこともあったね。でも、昔の話じゃん。それにS町って言っても広いから、落ちた現場に行くわけじゃないよ」
「現場になんか絶対行かない」
「まあ、花火なんてオレ等二人じゃやることもないし、ちょっと行ってみようよ」
渋るMちゃんを無理矢理誘って、出かけることになった。土曜日の夜に、事務所の前で待ち合わせて(N氏はそのためにわざわざ休みの日に会社まで来たのだ)出かけた。先頭がN氏の車、後ろにMちゃんを乗せたオレの車が続いた。出発の前に、N氏は真面目な顔をして言った。
「絶対にオレの後だけついて来いよ。夜は真っ暗になるところだから、迷うと探せないからな」
言われなくても離れるつもりはない。実は先にMちゃんから、かの飛行機事故について詳しい話を聞いてしまったのだ。そこでオレは初めてS町と飛行機の乗客の悲劇を知って、行く前から少しビビっていたのだ。
闇の中をどんどん走り、山の中へ進んでいく。道路は整備されているが、他に通る車は無い。街灯も所々にあった筈なのだが、現在オレの記憶には墨を流したような闇しか残っていない。
道中Mちゃんはしきりに「いやだいやだ」と繰り返していたが、湖に到着し、花火を始めるといつの間にか機嫌が直っていた。N氏の用意した花火の量はとてつもなく多く、三人で1時間ほども散々に遊び尽くしてようやく消化するほどだった。
花火の後、N氏は「オレの家で飯を食おう」と言い出した。なるほど、準備は万端というわけだ。願わくば、オレ一人だけ帰れなどという憂き目にだけは遭わせてくれるなよ。
またN氏の車の後に続く。道は忘れてしまったが、大きな橋を渡ったのを憶えている。赤い大きな鉄橋だ。それを渡りきると、T字路になっていて、そこを右に曲がった。曲がってしばらく行くと、そこがN氏の家だった。夜ということもあり、周囲には他に家は見えなかった。
N氏の家は、大きな家だった。古くて大きな家だった。アレは多分、旧家というのだろう。大きな玄関から長い廊下を渡り、N氏の部屋へ通された。しばらく待っていてくれ、と言い残してN氏が部屋を出ると、入れ違いに老婆がお茶を持ってきた。老婆と書くといかにも品が無さそうだが、そうではない。上品、とも少し違う、なにか透明な印象の老婆だった。老婆は三つ指を付き深々と頭を下げた。
「いヅも孫のケンズ(健二)がお世話ヌなってまスゥ」
オレは他人からそんなに丁寧な挨拶を受けたことが無いので、あっけにとられていたが、Mちゃんはいつの間にか四角く座り直していて、キチンと頭を下げて自己紹介をした。オレも真似をして頭を下げた。そして何だか自分でもワケの分からないことをブツブツ言ってから頭を上げると、優しくニッコリ笑った老婆の顔があった。
その後食事を貰ったのだが、何を食べたのかは覚えていない。ただ、N氏の部屋とは違う、ヤケにだだっ広い部屋で、3人で笑いながら食べていた記憶がある。
食事の後、少し酒を飲み、深夜0時前に辞去した。
帰り際、N氏がオレを呼びとめ、くれぐれも、と念を押した。
「橋、覚えてるな。あの橋が出てきたら必ず左折しろ(橋を渡れという意味)よ。絶対に真っ直ぐ行くな」
オレは酒を飲んでいないので、絶対に大丈夫だと胸を叩いた。
「でも、なんで?真っ直ぐ行くと帰れないの?」
「何でもいいから、左折しろ。後は真っ直ぐ行けばいいから」
「うん。まあ、迷わないとは思うけど」
そう言いながら玄関を見ると、驚いたことに老婆がまだ起きていて、靴を履いているMちゃんと何か話をしていた。老婆は走り出したオレの車を見送りながら、何度も頭を下げていた。
「おばあちゃんが、絶対に道を間違っちゃダメだって言ってたよ」
「Nさんにも言われたよ。なんだろね」
「アレじゃない?」
「アレ?」
「飛行機」
ああ、そうか。すっかり忘れていたが、それで合点がいった。橋を渡らずに真っ直ぐ行くと、例の現場に着いてしまうというわけだ。そりゃあ、くれぐれも気をつけないと。
そう肝に銘じて走り出したのだが、行けども行けども橋が出てこない。来る時には、そんなに距離があるとは思わなかったが。
「おかしいなぁ、こんなに来たっけ?」
心細くなってMちゃんに確認するが、Mちゃんは「さあ?」と言うばかり。
不安に駆られながらも前へと進む。対面二車線の道路で、それなりに広いのに、一台の車ともすれ違わない。ヘッドライトはずっとアップライトにしているから、前方はかなり明るい。あんな大きな橋を見落とすはずが無い。はずが無くとも、現実に出てこないのだから真っ直ぐ進むしかない。ひょっとすると、来る時とはスピードが違うのかもしれないじゃないか。
ドキドキしながら直進していると、突然、「違う」と閃いた。これは違う、と。それはMちゃんも同じだったらしい。オレが言う前に「戻ろう」と言った。
車を切り返すための側道を探す。すると突然、車体が激しく振動した。まるで悪路に入り込んだように、激しく揺れた。いや、悪路なんてモンじゃない。丸太の上を走っているような錯覚を覚えるほどの振動だ。
ドダダダダダダと大きな音がする。しかし、ライトに照らされた路面には、丸太どころか小石一つ落ちていない。オレはその時、タイヤがパンクしたか、あるいは釘の突き出た板でも踏んでしまったのかと思っていた。それともシャフトが曲がるような大きな故障か。
しかし、その時のオレの車は買ってまだ一年しか経っていない。新車とは言わないが、故障するほどのボロでもない。
スピードを落としていくと、音はダ・ダ・ダ・ダ・ダに変わった。何にせよ車の異常に違いないと思ったオレは、脇道に停車して確認に降りた。しかし、街灯に照らされて見る範囲では、パンクもしていないし異物を巻き込んでもいない。シャフトまでは確認出来ないが、シャフトの異常だったらそもそも走れなくなるだろう。それに、ハンドルに感じる手応えがさっきとは違っていた。もっと何かこう・・・。
「おかしいなぁ。どこもなんとも無いよ」
「早く戻ろうよ。Nさんの家に戻ろう」
Mちゃんは小刻みに震えている。それを見て、オレも何だか気味が悪くなってきた。気のせいだろうが、人の視線も感じるようだ。風になびく木々のざわめきも、恨めしげな人間の囁きにも聞こえるようだ。周囲を見渡すと、周りを黒黒と囲みそびえる山々が動いているようにも見えてくる。突然、突風が吹いた。それに呼応して木々が一層激しくざわめく。車外に立っているのはもう限界だ。
「うん、Nさんの家に戻ろう」
その時には、例え帰り道に橋が出たとしても、それを渡る気にはなれなかった。渡ってしまえば、より一層暗く深いところへ迷い込んでしまいそうな気がしていた。
道路上で無理矢理切り替えして方向を変え、走り出した。すると、先ほどの振動も音もまるで嘘のように掻き消えている。ただ、強い向かい風が吹きつけて、ハンドルを小さく揺さぶる。思うようにスピードが出ない。
そのまま10分も走ると、右手にあの橋が見えてきた。さっきまでは、目を皿のようにしていても見つけられなかった橋が、今は当然のようにそこにあった。
橋だ、とは思ったがやはり渡る気にはなれなかった。
当然のように通過して、N氏の家に舞い戻った。
すると、玄関にはまだ明かりが付いていて、人が立っている気配があった。助かった。夜中に呼び鈴なんか押したくなかった。
玄関先まで乗りつけ、車を降りると、それに合わせた様に玄関からあの老婆が出てきた。
「すいません。戻って来ちゃいました」
とオレが詫びるより早く、老婆はオレの頭に粉のようなものを大量に振り掛けてきた。見ると、老婆は小脇に一抱えもあろうかという紙袋を挟んでいた。そして、無言のまま、オレに続いて降りてきたMちゃんにも粉をかけた。そして更に車にも。
その粉はなんと、塩。
塩?
呆然と立っているオレに、老婆は「ああ、やっぱり引っ張られダねぇ」と言った。
「いっぱいツイデきたもの」
老婆はなおもオレたちに塩をかける。
「ななな、何がついて来たの?」
オレの問いには答えず、ただ塩をかけた。
やがて騒ぎに気が付いたN氏が出てきた。その顔は何故か笑顔だった。
「やっぱ帰れなかったか。婆ちゃんが、絶対戻ってくるって玄関で待ってたんだけど、当たったな」
何がどうなっているのか全然理解できないオレは、黙って老婆の塩を浴び続けた。脇ではMちゃんがうずくまっていた。老婆は、Mちゃんには目もくれずオレにばかり集中的に塩をかけるのだ。
「こっちの女のシタ(人)大丈夫。でもこっちのシタダメだ。あんた、車降りねがったっか?」
「ああ、降りました」
「ハイハァ」
老婆は溜息のような声を漏らして、オレにどっさりと塩をかけた。
結局その晩はN氏宅へ泊まることになった。風呂に入り、上がるとまたオレだけ塩をかけられた。これ以上かけられたら、鮭になってしまいそうだった。
床の準備がされたが、Mちゃんは女性とのことでオレとMちゃんはそれぞれ別室に夜具が準備された。
しかしMちゃんは、絶対に一人で寝るのは嫌だとって聞かない。老婆が、ウチは絶対に大丈夫だよ(何が?)といって聞かせるのだが、かたくなに拒み続けた。そりゃまあ、変な目に遭った晩に、知らない家で一人で寝るのは心細いだろう。口にこそしなかったが、オレだって嫌だった。しかも、こんな雰囲気たっぷりの旧家だ。見ようによっては床柱だって不気味にうねって見えるじゃないか。
じゃあ、ということで、オレとMちゃんは同室で寝ることになった。オレは内心ホッとしたが、N氏にはコッソリと大きな釘を刺された。
そんな気分になるか、バカ!
布団に入ると、オレもMちゃんも落ち着きを取り戻した。布団には大いなる安息をもたらす効果がるようだ。
しばらくの間、ヒソヒソと先ほどの事態について話し合った。しかし、決定的な一言は避けつつ。やがて眠くなり、お互い言葉も少なくなった。
明かりを落とす。外ではまだ風のざわめきがやんでいなかった。
オレはもう、ウトウトして今にも眠りに落ちそうだった。その時、Mちゃんが思い出したように言った。
「あの、車のダ・ダ・ダ・ダっていう音ね、何処かで聞いたと思ってたんだけど、前にアンタが会社から私んとこに電話してきた時にしてた音とそっくりだったよ。なんの音なんだろうね」
オレはもう眠かったのでそれには応えなかったが、あの時、ハンドルを伝わって感じた手応えは、丸太などの固いものを踏んだ時のそれではなくて、もっと軟らかいものを踏んだ時のものだった。しかし、それが何だったのかは想像したくなかった。
「もういいから眠ろうよ」
やっとの思いでそれだけ言ったが、Mちゃんからはもう言葉は返ってこなかった。

後に聞いたところによると、N氏の家は取り壊して、よその土地で暮らす事になったという。そこにどんな事情があったのかは知らないが。

-おわり-
posted by 肉王 at 02:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 読み物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。