2010年06月04日

普通に漫画の話

やあどうも。

TSUTAYAなどで使えるカードのポイントが程よく貯まっていたので、新刊漫画を少々強奪してきました。
ラインナップは以下の通り。
吉田聡「荒くれNIGHT黒い残響完結編」5巻
山川直人「あかい他人(全)」
小田扉「団地ともお」16巻
月刊アフタヌーン7月号
買った本の中に吉田聡がある場合、まずはそれから読むのがオレのコモンセンス。ただし、エッチな本がある場合はその限りにあらず。よって「荒くれNIGHT」から、と思ったのだけれど、実は最近目が絶不調。直線がギザギザに見えたりボヤッと幕がかかったりするといった按配。それがまた例によって左目だけ。なんにつけオレの体は左半分が思うようにならないのです。近頃では茶碗すら持つのが辛くなっている。もう釜ごと飯を食うことは叶わないのかと思うと、生きる希望も取りこぼしそうになります。
と言うわけで、今回はまだ何も読んでいません。
まあどれもこれも毎度おなじみのラインナップなので、すぐにどうこうしなければ駄目ということもないのです。
気になるのは、山川直人の過去作品の復刻はこれで最後かどうかと言うことくらい。「あかい他人」は山川のデビュー単行本だったはずだから、多分これより古いものはないはず(短編作品はどうか知らない)。

「団地ともお」は多分いつもの感じで安定しているんでしょう。小田扉で気になるのはビッグコミックオリジナル増刊で描いている「フィッシュパークなかおち」は、いつ頃単行本が出そうなのかということだけ。オリジナル増刊はいつも知らない間に出て知らない間に店頭から消えているので、ろくに読めたことがないのです。

月刊アフタヌーンはここ一年ほど質の低下が著しいので、そろそろ見限り時かと思っています。とは言え、「今回ダメなら、今回ダメなら」と思いながらもズルズルと買い続けてしまうのです。博打で負けるときのパターンです。なんにせよ、良い新人もろくに現れず、読みたくもない漫画ばかりが増えてしまっては、もはや買う理由はないと思われます。
ただ、ここ数年で一番良かった市川春子が突然描いてくるんじゃないかと思うと、キッパリとも見捨てられないのですね。
市川春子は「虫と歌」という短編集が出ていますので、是非買って読みなさい、と言っておく。オレもちゃんと買ったのだけれど、その翌日常連客に見せびらかしたために、その場で強奪されてしまいました。買い直したいのだけれど、それ以後本屋に並んでないんですよ。

というわけで、今回は普通に漫画の話でしたよ。
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2010年02月02日

素晴らしき朝日新聞社

やあどうも。

この間、心霊関係の漫画雑誌が大量に入荷しましたよ。
「ほんとにあった」とか「実際にあった」など、本来は気軽にうっかり使っちゃいけない言葉が冠せられた心霊雑誌です。まあ発行元が朝日新聞だったりするので、「ほんとにあった慰安婦強制連行の話」とか「ほんとにあった南京大虐殺の話」とか言われているのと同じ気分で読む類のものです(元は朝日ソノラマだったのが、倒産により朝日新聞に吸収された)。
元々オレは幽霊とかUFOなどの話が大好きですよ。とはいえ、それと「信じる」「信じない」は別のこと。もっと言えば、オレに限らず、多くの男はあまりこういうものを信じない。そもそも、SF映画・小説や漫画など、荒唐無稽なものに対する興味は男も女も同じようなので、対象が幽霊だとか占いだとか土星人だとかスーパーサイヤ人など、大同小異のカテゴリ間で議論をする必要も全く無い。
問題なのは、その中身ですよね。
オレが読んだのは、「ほんとにあった怖い話」というやつと「実際にあった怖い話(大都社)」というやつ。出版社は違えども、中身はどちらも同じ。
立て続けに7〜8冊読んだら、ナニやら決まったお約束があることに気が付いた。
例えば、幽霊を目視できる人のことは「視える人」と書く。見える、ではなく、視える、というところで一般人との区別をつけるらしい。
「見る」と「視る」ではどのような差があるのかについては明確な説明はなされていないので不明。しかし、一般的に「見る」は、外観から始まって本質的な部分まで想像しようとする行為であろうと思うが、「視る」の方は、単に視界に入れているだけの状態のような気がする。
漫画のでは、「私の友人は、いわゆる視える人で・・・」と始まり、心霊現象に見舞われた主人公が、視える人のアドバイスに従って右往左往する、という筋立ての物がほとんどです。
そして「視える人」の中には、幽霊とコンタクトを取れる人もいて、お経を唱えたり術を使ったりしてアレコレする場合もあります。
まあ、漫画というものはエンターテイメントだから何をやったって構わないのですが、これらを「本当にあった」という前提でやられるとどうも・・・。と、思ったら「本当にあった」ではなく「ほんとにあった」ということであり、この「ほんとに」というのは実は日本語ではないので、実は「本当の事」では無いのだということに気が付きました。
これは「水道水が魔法の水に変わる」という触れ込みで浄水器を売るのと一緒で、いくらクレームが付いたところで魔法の水なんて定義は誰も知らないのだから、「それが魔法の水の味ですよ」と言い逃れするやり方と一緒であると思われる。
全くホントに面白いですよ。
面白いといえば、文中の広告にも面白いものがありました。
「あなたの運勢を視ます鑑定師名鑑」というもの。ここにも嘘の言葉があります。鑑定師の師という字です。試しにみなさんも「かんていし」と入力して変換してみてくださいな。「鑑定士」としか変換できないでしょ。「鑑定師」なんて日本語は無いわけです。もっと言えば、鑑定士という日本語もありませんよ。そもそも何かを鑑定するにはそれ相応の資格が必要なわけで、それらを持たずになんやかんやを鑑定する人たちのために作られた言葉が「鑑定士」や「鑑定師」であるというわけです。こういういかにも法的根拠のありそうなインチキな言葉でもって自分たちに嘘の権威付けをして、人心を惑わそうというわけです。
で、「鑑定師名鑑」のページには、30人くらいの「鑑定師」のデータが顔写真と共に載っています。プロフィールには「過去世」「チャネリング」「守護霊」「オーラ」「霊視」などの変換するのもひと苦労な単語がズラリと並んでます。まあ、そんなものは勝手にやればいいのですが、驚くのはその相談料ですよ。ほとんどがフリーダイヤルなのですが、なんと一分単位で料金が加算されます。安い人で一分200円くらい、高い人では(多分誤植でしょうが)一分5250円なんて人もいます。
なんなのこれは?
日本はいつから無法国家になっちゃったの?
それでもまあ、朝日新聞だから・・・と言ってしまえばそれまでか。

あと、他に本文中で気になるのは、霊能者といわれている人たちの異常な格の高さ。
「最近体がだるくてさあ」
「じゃあ、霊能者に相談してみたら」
「この間、変なモノ見ちゃってさあ」
「いい霊能者紹介しようか」
などと、いかにも日常的な感じや、かかりつけの霊能者っぽい感じから、医者や弁護士以上の扱いをしているものまである。
内容にケチを付ける気の無いオレでも、さすがに引っかかるものがある。もともと人生の問題を自分のものとは捉えていない人たちが、問題そのものを真正面から受け止めず、全てどこかへ丸投げしようとするのはどうかと思うわけです。
病気、経済、人間関係、仕事など、いつでもどこでも付いて廻る問題を、自分ではどうすることもせずに、目に見えない世界のもののせいにして、目に見えないものは目に見えないものを「視る」ことの出来る人に預けてしまえば楽チンだということでしょう。

では、「視える」という人たちは一体どんな人たちなのか。
思うに、基本的には社会に対するコンプレックスを抱えた人たちであり、且つ微妙なバランス感覚を持っている人たちではないかと。
例えば、様々な事情で学歴や地位、名誉といったものを得られなかったけれど、それらの重要性を誰よりも感じている人たち。あるいは学歴はあるけれど地位と名誉が無いなどで(パターンはそれぞれある)、自分が社会から正しく評価されていないと感じている人たち。
本来そういうものは、運不運や巡り合わせなどで、誰しもが全てを持ち合わせているわけではなくて、それはごく当たり前のことだし、みんなが同じような気持ちで人生をそれなりに過ごしているものだと思う。
しかし、自らを霊能者と称する人たちは、おそらく基本的にはそういう一般的な認識を持ち合わせているけれど、根っこの部分では決して納得していない人たちなのだろうと思う。
下世話な比喩をすれば、アイドル歌手になりたいけれど歌も下手だし顔も十人並みで努力もあまりしたくない、ならば違う方法でアイドル的に扱われたい、という人たちで、しかもその違う方法ですら努力をしたくない。
どんな形であれ社会で一定の評価を得ようとすれば、目に見える形で比較されたり結果を求められたりするものだ。
しかし、幽霊が見える、と言ってしまえば、それらの面倒な手続きからは開放されることがある。
一般的には目に見えないものを商売にしてしまえば、結果はなくとも評価はされる(無いものを扱えば、結果が無いのは当たり前なのだが)。
例えば誰かが、あなたの家に箱を持ってきて、「これ、爆弾だから。下手に触ると爆発するからね。あと、警察に通報しても爆発するから」と言い、置いていったとする。
中が見えなきゃ本当に爆弾かどうかは分らないわけで、その時点では嘘か本当か確率は50%。しかし爆弾の怖さは知っているから、どうにも動きが取れない。そこへ何某かを名乗る人物が現れて、「確かにこれは爆弾です。私が処理してあげましょう」と言って、箱ごと持ち去るという構図。こうなると、箱の中が例え空だったとしても、何某かは実績を残したことになるわけですよ。
まあ、シロアリだとかリフォーム詐欺なんかが同じ手口ですよ。
詐欺師の場合は、これで何万円だか何十万円だかの稼ぎになり、あわよくば名誉だの地位だのも手に入ることもある。
勿論、「視える」といっている人たちの全てが、詐欺師的な心理で行動しているとは言わないですよ。大きな違いは、詐欺師は金を欲しがり、「視える人」は評価を欲しがっているわけですから。
ただ根本的に問題なのは、「視える」という人たちは、自分が本当に欲しいものを「違う形で」手に入れようとしていることです。「視える人」たちにすがろうという人たちも基本的には同じです。
オレが先に言ったコンプレックスとは、まさにこの部分のことです。
目に見えるはずの無いものが「視える」といいながら、自分自身の事を「見て」いない。自分を見れば、偽りに気が付いて辛い思いをしてしまうから、それだったらばむしろ、ただ視界に入ったものをアレコレいうだけで他人から羨望されていたほうが気持ちいい。
そういう人たちが、他人様の悩みになんだかんだと意見しているのは、大変に滑稽であると言わざるを得ない。
また、霊能者という人たちは基本的に頭のいい人が多いので、人が何に不安を感じ、どんな言葉でどのように説明すれば安心するかを良く理解しているようです。これらは社会性の無い人には出来ないことであり、こういう社会性を持っているところが、微妙なバランス感覚の持ち主である証拠だろうと思います。
「視える」モノをどういう言葉で説明すれば、よりよい効果を得られるかを知っているわけですね。
文中には「心霊相談室」というコーナーがあり、あの有名な寺尾玲子さん(本の中ではそういう扱いですから)が読者の相談に答えているわけですが、心霊の部分を考慮から除けば、普通の相談とその答として充分に成立しているわけです。勿論、心霊相談なのに、そこから肝心の心霊部分を除くというのが主旨と違うことは分ってますよ。
しかし、オレとしてはその部分にこそ怖さを感じたわけです。
相談も答えもアッチの世界に行ってしまったトンチンカンなものならば笑いのネタにすることも出来るのですが、なまじおおよその部分で成立しているが故に生じるリアルな感じが、非常に危険だと思うわけです。
なるほど、これじゃあ妄信する人も出てくるだろう、と思うわけです。まあ、冷静でいられれば、なんとも思わないですよ。でも、こういうところに相談するくらいの人は、その時の精神状態が少なからず正常でない場合があるわけでしょう。また、同じような精神状態の人が読んでいる可能性だって高いわけでしょう。それが怖いわけです。なんかこう、中国や韓国の反日教育とか、怪しい宗教の洗脳とか集団催眠なんてものを想起してしまうわけですよ。
たかが漫画雑誌とはいえ、本に書いてあることを鵜呑みにする人は多いです。かく言うオレだって、学研の「ムー」は世界基準の正しい科学雑誌であると信じていますからね。学研ですよ学研。「科学」「学習」の学研ですよ。義務教育の間は「学習」か「科学」を読み頭を鍛え、高校以上は「ムー」「BOMB」と、上半身から下半身まで学研ですよ。
何の話だった・・・?

まあ、以上はオレが読んだ漫画の中だけでの話であり、実際にそれを商売にしている人たちを非難するつもりは毛頭ないんです。
どんな商売であれ、人はそれぞれに体を張って生きてますからね。幽霊だろうとUFOだろうと友愛だろうと、個人の楽しみでやってるうちはそれでいいじゃん、と思うわけです。そしてその世界に本気で踏み込むのも自由だからね。ただ、価値観の全てを塗り替えてその世界に差し出したり、他人に押し付けるのだけはいただけないなぁと思うわけです。
実際に「視えて」いるならそれでいいでしょう。他人がどうあれ自分は本当に「視えて」いるわけですから。
でも、実際には「視えていない」にも関わらず、「視えている」といったり、あまつさえそれを商売にするのは止めて欲しいですね。そんなことで本当に欲しいものが手に入るわけじゃありませんから。そこんとこはいい加減に気付け、と思います。
あと、「視えていない」ことで、焦ったり心配したりするのもやめましょうよ。
「いる」「いない」「視える」「視えない」「信じる」「信じない」
それだけの基準で世の中は出来ているわけじゃありませんからね。

それにしてもホントに朝日新聞社らしい本でしたよ。
満足でした。
posted by 肉王 at 01:15| Comment(10) | ブックレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

石黒正数「それでも町は廻っている」

長らく留守にしておりましたが、川村二等兵恥ずかしながら帰ってまいりました。
リハビリかたがたブックレビューなどかましてみようかと思います。
最近のヒットは、石黒正数の「それでも町は廻っている」です。
少年画報社から4巻まで出ています(2008年4月現在)。
なんだか肩の力が抜けるいい漫画ですよ。
主人公は女子高生で、およそメイドカフェとは言いがたいメイドカフェで働いています。じゃあ、メイドカフェらしいメイドカフェって一体ナンなのかと問われると、オレも行ったことが無いから分かりませんよ、そんなもの。悪いか?
多分、視姦が趣味の男が喜ぶような喫茶店のことなんじゃなかろうかと想像する。
そういう趣味は、元古本屋のヒゲナベ氏に聞けば分かるのかもしれない。
「ワシの店に来た女は全員オレにメッタメタに視姦されとるがな。言うてみれば、ワシの脳内では全員一度はワシの子供を生んどるっちゅうわけや。ゲハハハ」
酷いヤツだよまったく。
で、何の話だ?
あーそうそう、漫画の話。
主人公の嵐山歩鳥は、ちょっとバカなんだね。そのちょっとバカな部分に突っ込みを入れられたり、自業自得だったりで毎度毎度泣くんですよ。その泣き方が面白い。話によって泣く理由は様々ですけれども、毎回必ず泣いている。
漫画全体の雰囲気は小田扉の「団地ともお」に似ているけれど、あれよりももう少しファンタジック。
なぜか胸などは決してアラワにならないかわりに、描かなくてもいいところでチョコチョコとパンツを描いているところも、変なこだわりが汲み取れて面白い。
少年画報社のYKコミックス(B6判)だから、探しやすいと思う。何回も読めるから、全巻まとめて買うことをお勧めする。
ただし、趣味に合わなかった場合は、こちらでは全ての責任を負いかねる。せいぜい安く買い取る程度で責任の一端を負うふりをすることとする。
posted by 肉王 at 02:57| Comment(0) | ブックレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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