2016年04月15日

自殺教室で生まれた死生観(1)

やあどうも。
皆さんはお元気でしょうか。
私は激しい後悔に襲われています。

随分以前に書いた「正しい遺書の書き方」という記事に対し、いまだにコメントが付きます。
みんなが悲しい気持ちでネットで「遺書」とか「自殺」といったキーワードで検索をかけて、その結果、昔の記事にたどり着いて、どんなにか辛い思いで私が戯れて書いた文章を読んでしまっているのかを考えると、胸が締め付けられそうになります。
正直を言いますと、何度も記事を削除しようと思いました。
しかし、私の返信を含めて280ほどのコメントまで消してしまうのは、今までコメントを残してくれた人たちへの裏切り行為に当たると思うと、やはり消すことは出来ません。
彼らが絞り出した言葉の数々は、その時その時の彼らの必死の絶叫であり、それは彼らの存在証明であり、そして私に対して言葉を残したことこそが彼らの大きな存在価値なのではないでしょうか。
そんな大きな言葉を消し去る権利は、もはや誰にもありはしなくなってしまったとしか言いようがありません。
誰にも注目されないネット社会の掃きだめのようなこのブログですが、彼らはそこに、大きなビルを建ててしまったのです。
絶叫をした瞬間の彼らが、いつまでもそこに住み続けている以上、もはや撤去は不可能で、日照権も建築基準法もぶっとばす勢いです。なんと素晴らしい事でしょうか。
私はさしずめそこの管理人で、役所や周辺住民どもを威嚇しながら、住人たちの要求のみを聞き入れて、増築に次ぐ増築を続けているというわけです。
とは言え、日々コメントに対して返信を続けているだけで、私自身の死生観はどうなっているのか。
彼らに対して偉そうな返信をしている私自身は、人の生き死にに対して、どんな考えがあるのか。
ずっと前からそういう事を考えていたわけですが、ずぼらな性格のせいで、特に明言をせず放置したままになっていました。
私も来年には50歳になるので、これから先、何かの拍子に頓死してもおかしくありません。
そう考えたら、その時のために、もう少しこのブログに言葉を残しておいた方がいいような気持ちになりました。
これから、また少しづつ書いていきます。
好きなもの、嫌いなもの、色々ありますが、まずは死生観から書いていきます。
posted by 肉王 at 02:17| Comment(2) | 自殺教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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